71 ルドとクロが目にしたもの
夜が明けきる前に野営地を発ち、俺はルドと二人、ローブの隠匿効果を最大にして森の中を進んだ。
昨日、ルドがトールの街で聞き込んできた限り、国境沿いには大小いくつもの村や集落が点在しているという。そのすべてを今日中に回りきるのは難しい。まずは、規模と雰囲気だけでも掴んでおくことにした。
「最初は、一番近い所からでいいな」
「あぁ。この先に、大きめの村があるって話だったな」
ルドと短く言葉を交わし、木々の間を縫うように駆ける。しばらくして、森が開けた先に、思いのほか大きな村が見えてきた。
家屋の数は、ざっと数十。畑も広く、中央には井戸と小さな広場まである。
村の入り口には、見張りの獣人が二人。魔物を警戒してるのか、外からの客を警戒しているのか……俺たちは木の上に身を潜め、しばらく様子を窺う。見張りの視線がこちらを掠めても、気付かれる様子はない。
そのとき、村はずれの小屋から、一人の男が出てきた。獣人ではない。人族だ。
男は大きな桶を両手で抱え、よろめくように井戸のほうへ歩いていく。着ているものは粗末で、足取りも重い。その後ろから、見張りのような獣人の男が、距離を置いてついていく。桶を落としそうになるたびに、舌打ちの音が聞こえた。
「……待遇が悪い所もある、ってのは、こういうことか」
ルドが眉をひそめ、低く吐き捨てる。
「あぁ。ここは、アギトたちには向かないな」
そう答えながらも、頭の中では別のことを考えていた。村の中で人族がああして使われているのなら――宰相が関わっていたという人身売買の流れも、案外こうした場所と無縁ではないのかもしれない。
拳を握りしめて、助けに入りたい衝動を堪える。今の俺たちは、あくまで隠密の身だ。目立つ真似をすれば、任務どころか、アギトたちの居場所探しにまで響いてしまう。場所だけを頭に刻み、静かにその場を離れた。
次に向かったのは、谷間にひっそりと築かれた小さな集落だった。木の柵に囲まれ、出入りする者はほとんどいない。畑仕事をしているのは大人ばかりで、子供の姿は見当たらなかった。ここも、外の者を寄せつけない空気を纏っている。
「……こっちは、完全に閉じてやがるな」
「あぁ。隠れて暮らしているのかもしれない」
木陰で一息ついたところで、ルドが口を開く。
「大きい村は人族をこき使ってて、小さい方は閉じきってる。ろくな所がねぇな」
「まだ全部回ったわけじゃない。午後は、もう少し奥まで足を伸ばしてみよう」
「そうだな。日が暮れる前に、もう一ヶ所は見ておきたい」
「行くぞ」
短く声をかけ、俺たちは再び、森の中へ姿を消した。
日が暮れる前に、もう一か所だけ見ておこうと、さらに森の奥へ足を伸ばした。道らしい道もなくなり、木々が鬱蒼と生い茂る中を進んでいくと、やがて木立の向こうに、集落の屋根がちらりと見えてくる。まだ日は高く、明かりが灯るには早い時刻だった。
「……あれか」
「だろうな」
ルドと頷き合い、さらに近づこうとして、俺はふと足を止めた。
「待て。何かある」
空気の質が、わずかに違う。目には見えないが、集落をぐるりと囲むように、薄い膜のようなものが張られている。結界だ。
「結界、か……」
ルドが目を細める。
「こんな森の奥に、結界まで張ってやがるとはな。獣人に、こんな芸当ができる奴はそういねぇはずだが」
「魔法を使える人族がいるのかもしれない」
隠匿効果を最大にしたローブのおかげか、結界に触れても、反応が返ってくる様子はなかった。それでも念のため、境界から距離を取り、木の上に身を潜めて様子を窺う。
そこは、決して豊かとは言えない集落だった。家屋は傾きかけた木造の小屋ばかりで、屋根は藁や板を継ぎ接ぎして葺いてある。畑も小さく、実っている作物は、どれも痩せて見えた。人々が着ている服も、何度も繕われた跡が目立つ。
それでも、俺は目を離せなかった。
畑の畦で、獣人の女と人族の男が、並んで土を耕している。その傍らでは、獣の耳を持つ子供と、人族の見た目をした子供が、一緒になって泥だらけで笑っていた。さらに視線を巡らせると、人族とも獣人ともつかない、半々の特徴を持った子供が数名いる。
「……獣人と人族が、半々くらいか」
ルドが小声で呟いた。
「あぁ。ハーフの子供も、何人かいるな」
子供たちは、誰からも咎められることなく、大人たちの輪の中で駆け回っている。夕餉の支度らしい煙が上がり、誰かが木の器を並べて、皆に声をかけていた。粗末な暮らしだが、そこには、先ほど見てきた村にあった棘のような空気がない。
貧しい。けれど、人々の表情は穏やかだった。
(……ここなら、あるいは)
胸の奥で、小さな期待が芽生える。
ふと、集落の外れで薪を割っていた獣人の男に目が留まった。鍛えられた腕と、無駄のない身のこなし。見張りらしい姿は見当たらないのに、その足運びには、隙がなかった。他にも、物陰で子供たちを見守る大人たちの動きは、いずれも静かでありながら、どこか研ぎ澄まされている。
「……ただの貧しい村じゃねぇな」
ルドも気付いたらしい。
「奥地だからな。魔物と日常的にやり合ってるんだろう。獣人は、それなりに強いはずだ」
外からの客を拒んでいるわけではないが、無防備に迎え入れるほど、甘くもない。結界といい、そんな空気を、肌で感じた。
「どうする」
「今日のところは、ここまでにしよう」
もう少しだけ集落の様子を目に焼き付けてから、俺たちは静かにその場を離れた。
野営地へ戻る道すがら、ルドがぽつりと口にした。
「あそこなら、アギトとロトも、少しは楽に暮らせるかもしれねぇな」
「……あぁ。ただ、受け入れてもらえるかどうかは、話してみないと分からない」
そう答えながらも、俺の胸には、確かな手応えが残っていた。
居場所を求める二人の顔を思い浮かべながら、足を速める。
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