69 国境を目指して
アギトとロトは、それぞれ受け取った荷物を自分のリュックへと収めていく。折角だからと、新しいズボンに穿き替え、今までよりも上等な靴に足を通す二人の姿は、恐縮して、どこか落ち着かなげだった。
荷馬車の中には、クロが用意したのだろう武器がいくつかあった。
何かあった時のための備え――そう考えると、これから向かう道のりが、決して平穏なものばかりではないことを、改めて思い知らされる気がした。
それぞれの支度が整うと、一行はようやく出発の時を迎えた。
「出発しよう。俺は馬に乗る。ルドは御者、お前たちは荷台に乗ってくれ」
クロがそう言って、手早く指示を出していく。ルドが御者台へ軽やかに飛び乗り、手綱を握った。
アギトがまずロトを抱き上げて荷台の中へ乗せ、自分も続いて乗り込む。私も最後に荷台へ乗り込もうとするが、思いのほか高さがあって――よじ登ろうとするも、なかなかうまくいかない。見かねたアギトが中から手を差し伸べ、引っ張り上げてくれたおかげで、ようやく荷台へ腰を下ろすことができた。
「ありがとう」
「いえ」
少し照れくさくなりながらお礼を言うと、アギトは静かにそう返した。クロが軽く馬の腹を蹴り、馬上から前方へと視線を向ける。
「全員、準備はいいな。それじゃあ――フライギルに向けて出発だ」
荷馬車の車輪がゆっくりと回り始める。クロは荷馬車の後ろを、馬に乗ってついてくるようだった。朝靄の残る森の道を抜け、荷馬車は新たな目的地へと進み出した。
今回は急ぎの旅ではないので、荷馬車は街道から少し外れた道をのんびりとした足取りで進んでいく。関所のある町は避け、夜は人目につかない場所を選んで野営することになっていた。
フライギルへは荷馬車でゆっくり行けば三週間ほどかかるらしい。揺れる荷台から流れていく景色を眺めながら、私はふと思う。
(私は、いつになったら町に行けるんだろう……)
異世界に来てから、まだ随分と日が経ったような気もするのに、顔を合わせて言葉を交わした相手といえば、クロとルド、アギトとロトの四人だけだ。賑やかな市場や、行き交う人々、店先に並ぶ見知らぬ品々。想像するだけで胸が躍るのに、それはまだ当分、お預けらしい。
だが、焦ることはない。人生これからなのだから。
荷馬車での移動は、数日に及んだ。たまに魔物に襲われることもあったが、街道に出てくる程度の魔物は、ルドとクロが軽々と片付けてしまうため、私の出番は一度もなかった。アギトも戦おうと申し出てくれたけれど、怪我が完全に癒えるまでは控えてもらうことにした。
私は荷台に揺られながらも、アギトとロトのズボンとパンツを道中ずっと縫い続けていたのだ。もちろん、尻尾穴もしっかり作った。もちろん、尻尾の穴もしっかり作った。切れ込みだけでは心許ないので、周りに緩くゴムを通してみたところ、これがかなりの好評だった。
そんなことをしているうちに、二人ともすっかり打ち解けることができ、一行はどうにか国境近くまでたどり着いた。
普通なら、国境沿いの町にある関所を通って、隣国フライギルへ入るのが筋だ。けれど、クロとルドは極秘任務の最中。森を抜けて、秘密裏に国境を越える予定なのだという。当然、町には立ち寄らず、森へ入ることになった。
国境近くの村や集落には、獣人と人族が共に暮らしている所もあるらしい。アギトとロトは、そのあたりで落ち着いて暮らせないかと考えているようだった。
(二人が、安心して暮らせる場所が見つかるといいな……)
やがて、国境の街トールの近くまで来た私たちは、森の入り口にて野営することになった。近くの村や集落の情報を集めるため、ルドが一人で街へ向かう。残された私たちは、留守番だ。
ルドが街へ向かってから、私は留守番をしながら夕食の支度に取りかかった。野外調理セットを広げ、昨日までに仕込んでおいた野菜と干し肉を鍋に入れて、じっくりと煮込んでいく。ロトは焚火の傍で薪を並べる手伝いをしてくれ、アギトとクロは周囲の様子を警戒しながら、静かに時間を過ごしていた。
やがて空が茜色に染まり始めた頃、森の入り口に見慣れた人影が戻ってきた。
「悪い、遅くなった」
「おかえり。ちょうどご飯できたところだよ」
ルドは荷物を下ろすなり、鍋の匂いに鼻をひくつかせる。
「腹減った……話は食いながらでいいか?」
「もちろん」
全員が焚火を囲み、器に盛ったスープを手に取る。ひと口目を味わってから、ルドは街で集めてきた情報を話し始めた。
「近くには、村や集落が幾つかあるらしい。ただ、全部を把握してる奴はいなかった。隠れて暮らしてる集落もあるって話だ」
「隠れて……?」
「あぁ。事情持ちが寄り集まってるのか、単に人嫌いなのかは知らねぇがな。閉鎖的で、外の人間とは一切関わらねぇ所もあるそうだ」
アギトが、器を持つ手を止めて静かに耳を傾けている。
「少し大きめの村になってる所もあるにはある。ただ、よそ者を受け入れる雰囲気じゃねぇらしい。余所から来た奴が居着くのは、まず難しいだろうな」
「そう、ですか……」
アギトの声が、わずかに沈む。ロトも、父親の袖をぎゅっと握りしめていた。
「街に出てくる村の連中は、ほとんどが獣人だ。人族がどれだけ暮らしてるのかは、結局分からなかった。……中には人族もいるらしいが、待遇が悪い所もあるみたいでな」
その言葉に、焚火の爆ぜる音だけが響く。人族の血を引くロトにとっては、決して他人事ではない話だった。
「つまり、簡単には見つからないってことだな」
クロが静かにまとめるように呟く。
「そういうことだ。だが、まだ全部を調べたわけじゃねぇ。落ち着ける場所が、一つもないって決まったわけでもねぇさ」
ルドはそう言って、わざと軽い調子でスープをすすった。アギトを気遣ってのことだと、すぐに分かる。
「……ありがとうございます。それだけ分かれば、十分です」
アギトは深く頭を下げ、ロトの頭にそっと手を置いた。
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