56 馬に乗ってみる?
翌朝、目を覚ましてリビングへ行くと、クロの姿はすでになかった。
「……あれ? クロは?」
「もう出発したぞ」
ルドによれば、クロは早朝に出発したらしい。準備を手伝い、見送った後は馬の世話まで済ませてくれたという。
「クロ犬……違った。クロ狼の姿、見たかったのに……」
「そこかよ」
「だって、見たかったんだもん。起こしてくれても良かったのに」
少し残念ではあるが、仕方がない。
私たちは急ぐ必要もないので、のんびり朝食を済ませることにした。
くだらない会話をしながら朝食を終え、荷物を確認する。馬の準備はすでにルドが済ませてくれているので、すぐに出発することにした。
「じゃあ、私たちも出発しよう!」
「おう。無理せず行くぞ。ってお前、馬乗ったこと無かったんだよな? 大丈夫か?」
「たぶん大丈夫!」
馬に乗った経験はない……ないのだが、何となく大丈夫な気がする。
異世界に来てからというもの、若返っただけでなく、どうやら身体そのものが異世界仕様になっているらしい。今のところ、どれだけ動いても疲れを感じないのだ。
それに――
私は自分の服をちらりと見下ろす。クロが買って来てくれたローブの下には、絶対防御が付与されている例の冒険者仕様の服。
落馬したとしても、きっと守ってくれるはず。
「私の服に絶対防御が付与されているから、落ちても大丈夫なはず!」
「...まずは試しに乗ってみてからだな。落ちないようにお前が前で、俺が後ろから支えてやる」
何とも言えない微妙な顔して私を見たルドは、ため息をつきながら馬の元へ行くと、私に手招きをする。
近付いてみると、馬はかなり大きい。これ……乗れるの?
「ねえ、どうやったら乗ったらいいの?」
「じゃあ教えるから、よく聞けよ」
ルドはそう言うと、鞍の横にある足掛けを指差した。
「ここに左足を入れて、鞍に手を掛ける。それから身体を持ち上げて、右足を向こう側へ回す」
「……なるほど」
「ただ、お前の場合は馬が大きいからな。無理そうなら俺が持ち上げる」
「え、持ち上げる?」
「そうだ」
ルドが私の前に立つ。「ほら、やってみろ」
言われた通り、足掛けに左足を入れてみる。次に鞍に手を掛けて……勢いをつけて……よいしょ!と体を持ち上げ右足を上げた途端、そのまま顔から地面に落ちた。
べしゃっ!
「…………」
「…………」
辺りに、何とも言えない沈黙が流れる。
私は地面に突っ伏したまま、ゆっくりと顔を上げた。
「……痛くない」
どうやら、例の絶対防御がしっかり仕事をしてくれたらしい。
土を払いつつ立ち上がる私を、ルドが呆然と見つめている。
「……お前……なんで顔から落ちるんだよ。馬に乗る前に地面に乗ってどうすんだよ……まぁ、怪我無くて良かったな?」
「…………」
返す言葉もなく黙っていると、ルドは頭を抱えるようにして深いため息を吐いた。
さっきは勢いで何とかなると思ったけれど、どうやら現実はそう甘くないらしい。
「……もう一回やってみる」
「いや、今度は俺が先に乗る」
ルドは慣れた手つきで可憐に馬へ跨り、馬上から私へ手を差し出した。
「ほら。俺が引き上げるから、そのまま足を掛けろ」
「う、うん」
差し出された手を見つめ……最初からこうしてもらえばよかったのでは?
私は小さく息を吐き、覚悟を決めてルドの手を取った瞬間――勢いよく馬の背に引っ張り上げられた。
「ひぃぃぃぃ!!」
予想以上の勢いで身体が引っ張られて悲鳴を上げる。あっという間に視界がぐんと高くなり、思わず目の前にある鞍にしがみつく。気付けば私は、ルドの前にすっぽり収まるような形で馬の背に乗せられていた。
「……よし。乗れたな」
私は振り返り、ルドを恨めしそうに睨みつけた。
「急に引っ張り上げるなんてビックリするじゃない!」
「ちゃんと『引き上げる』って言っただろ?」
「言ったけれども! まさか、一気に引っ張り上げられるなんて思わないでしょ!!」
思わず声を張り上げて抗議すると、ルドは肩を揺らして笑った。
「ははっ。顔から落ちるよりマシだろ? ちゃんと乗れてよかったな!」
「乗れて良かったけど!!」
確かに、今度は無事に馬の背へ乗ることができた……できたけど、心の準備というものがある。
私がぶつぶつ文句を言っていると、ルドが苦笑しながら私の肩を軽く押さえた。
「まあ、落ち着け。大声出してたら馬が興奮する。」
言われて、私は慌てて馬の様子を窺う。
馬は何事もなかったかのように立っているが、少しだけ耳を動かしている。
「……ご、ごめんね?」
恐る恐る馬の首を撫でると、馬は小さく鼻を鳴らした。どうやら怒ってはいないらしい。
「お前、馬より自分の心配をした方がいいんじゃないか?」
「・・・何かあった時はよろしく」
デリカシーの無さが気になるところだが、私は早々に考えることを放棄することにした。何かあった時は全てルドに丸投げしよう。
「『よろしく』じゃねぇよ。せめて自分でも気をつけろ」
「はーい」
適当に返事をしながら私は前を向き、鞍の手持ちをしっかり握りしめる。
「王都に向けて出発!」
「慣れるまではゆっくり行くぞ」
ルドが手綱を引くと、馬がゆっくりと歩き始めた。
「……おお」
初めて体験する馬上からの景色に、思わず辺りを見回す……が。
「結構、揺れるね?」
一歩、また一歩と馬が歩くたび、身体が上下に揺さぶられる。想像していたよりも振動が大きい。
「最初はそんなもんだ。身体に力を入れすぎると余計に疲れるぞ」
「そうなの?」
「ああ。馬の動きに合わせて、力を抜け」
「……こう?」
言われた通りに身体の力を抜いてみると、さっきより少しだけ揺れが気にならなくなった。
「そうそう。そのまま」
「馬って……結構楽しいね!」
「まだ歩いてるだけだけどな。慣れてきたら走らせるから……早く慣れろ」
こうして、私たちはゆっくりと王都への道を進み始めた。
人生初の乗馬。果たして、無事に目的地まで辿り着けるのだろうか。
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