0091.a 解放
──迷宮都市・地下???層 闇の聖域──
アリアのピコピコハンマーが唸るたび、子どもたちがバッタバッタとなぎ倒されていく。
子どもたちがどれだけ攻撃してもアリアには掠りもせず、防御系のスキルも当然のように貫通してくるのだから理不尽極まりない。
あれには勝てないと標的をアーシュラに変えた者も何人かいたが、やはり勝負にすらならなかった。
魔物化した部位を使った攻撃は当然のように見切られ、武器を使った攻撃もやはり当たらす、隙を晒せば電撃を纏った手で撫でられ意識を刈り取られる。
アーシュラ自身、まだ完全に力を取り戻せてはいないものの、長年の冒険者生活で培われた戦闘勘と魔物知識があれば子どもをじゃらす程度朝飯前だ。
「────さて、残るはテメェだけだな」
「くくくっ、はははは……!」
かくして、二人の参戦からものの一分と経たぬうちに多頭蛇側の戦力はデリングを残すのみとなった。
アーシュラが声を低くして眼光を鋭くすると、ただ一人残されたデリングは何がおかしかったのか、くつくつと声を殺して笑い始める。
「おい、あいつ頭でもぶつけたか?」
「見た目はともかく実際はかなりのご高齢ですもの。仕方ないのではなくって? ねー? おじいちゃん、楽しいですわねぇ!」
「ええい馬鹿にするな! 私はまだボケておらぬわ!」
デリングが怒鳴り返すと、二人は顔を見合わせやれやれと肩を竦めた。
「年寄りはみんなそう言うよな」
「脳が老化すると感情の制御ができなくなって怒りっぽくなるそうですわ」
「どこまでも馬鹿にして!!!! 年寄り扱いするな!!!!」
「だったら見た目ばっかじゃなくてニオイも気にしろっての。口臭キツいぞお前、胃でも悪いんじゃねぇか?」
「そんなヨボヨボの魂で無理がありますわよ。若作りも大概になさいまし」
「やーいウンコたれ! とっととくたばれデコハゲめ!」
『息ガ臭イゾ! 口臭ウンコ野郎!』
「そ、そうだそうだー! 人体実験反対! この人でなしー!」
「ああああああ!!!! どいつもこいつも!!!! 来い!!!! アマルガァァァァァムッ!!!!」
ここぞとばかりにゼロスたちも罵倒に加われば、怒りで顔を真っ赤にしたデリングが『何か』に指示を飛ばす。
数秒の沈黙を挟み、呼びかけに応じた銀色の物体が天井からべとりと落ちてきた。
表面はつるりと冷たく、まるで金属のような質感。
だが、こうしている今も絶えず形を変え続けており、まるで液体のようでもある。
『ゴボボ……』『マスタァ』『呼ンダ?』
ぐぱぁっ、と。
液体金属の表面に無数の亀裂が走り、一斉に口腔が開く。
掠れた金属音のような声は、聴いているだけで夜中の墓地に一人取り残されたような気持ちにさせられた。
「奴らを始末しろ! 一人も生かして帰すな!」
『ハァイ』『ワカッタァ』
デリングが命令を下すと、アマルガムの本体がボコボコと泡立ちながら大きく膨らんでいく。
すぐにアマルガムの身体が風船のように「ぱんっ!」と弾け、飛び散った破片は無数の人型へと姿を変えた。
その数、ざっと一〇〇体。
見た目は金属製のマネキンのようで、顔は無く、全体的にのっぺりとしている。
しかしそれらから発せられる気配は尋常ではなかった。
「……やべぇな、アイツ」
マネキン兵たちの戦闘力を肌で感じ取り、アーシュラが額に冷汗を浮かべて後ずさる。
金属マネキンたちから感じる威圧感は、月面基地で対峙した豪鬼魔王ドラジスのそれを彷彿とさせる。
否、あるいはそれ以上か。
アーシュラもここに至るまでの戦闘でレベルアップし、幾分か力を取り戻してはいる。
とはいえ完全復活にはまだ程遠く、これほどの数が相手では逆立ちしても勝ち目は無い。
「わたくしの魔眼も通じませんわね。おそらくミスリル合金を加工した魔法生物でしょう」
吐き気を催す邪悪を目の当たりにし、アリアは激しい怒りに拳を握りしめる。
生と死の調律を司る冥の大精霊としての感覚は、アマルガムの歪な魂の有り様をしかと捉えていた。
おそらくは大量の生きた人間を材料とし、むりやり固めて混ぜ合わせたのだろう。
一つの身体に複数の魂を詰め込んだことで混線した自我は、本来決して穢れるはずのない魂の核さえも黒く染め上げてしまっていた。
「おいアリア! どうするつもりだ!?」
「……ここはわたくしに任せてくださいまし」
一切の反論を許さない強い口調に、アーシュラは思わず息を飲む。
アリアの怒りで大気がビリビリと震えていた。
聖銀の刃として大翔たちの旅に同道して数ヵ月。
アリアがこれほど怒りの感情を顕わにするところを見たのは、アーシュラも初めてだった。
『マスター』『殺ッテイイ?』『イイヨネ?』『イイデショ?』
金属マネキンたちの薄気味悪い笑い声が不協和音となって木霊する。
聞いているだけで妙に心がざわつき、手足が凍り付いたように感じるのは、何らかの異能の効果もあるのだろう。
「構わん。殺れ。ただし黒鎧のベルトだけは壊すなよ」
命令を受けた金属マネキンたちが一斉に動き出す。
銀の濁流となって襲い来る敵の群れ。しかし圧倒的な数の暴力を前にしても、アリアの表情に恐怖の色は微塵もなかった。
「管理者権限行使。全機能限定解除」
前に突き出された少女の細腕から無数のキューブが沸き上がり、機械の巨腕へと姿を変えていく。
変化に要した時間は一瞬。
身長の三倍ほどまでに膨れ上がった右腕。その装甲パーツが『ガシャン!』と開き、内部に折り畳まれていた巨大な刃が跳ね上がる。
姿を現したのは、巨大で歪な死神の鎌。
鎌であるにも関わらず両刃で、夜を塗りこめたような刃鉄は、見ているだけで魂を吸い取られそうなほどの黒を湛えている。
そんな機械仕掛けの大鎌を、無造作に。
────斬────
金属マネキンたちがピタリと足を止め、銅像のように動かなくなる。
目立った傷跡は一切無い。斬られた本人たちは何をされたかさえ分からなかっただろう。
「……ごめんなさい」
悲しみをこらえ、アリアが哀れな魂たちから顔を背ける。
直後、アマルガムは黒い塵へと変わり、風に溶けて消えていった。
まるで最初からそこに何もいなかったかのように、跡形もなく。
魂さえ残らない完全な消滅である。
冥の大精霊として、できることなら彼らの魂も導いてやりたかった。
しかし一度穢れてしまった魂は前世の記憶を捨てても元には戻れない。
黒く染まった魂が転生してしまえば、魂が放つ悪の波動が生命の形を歪め、必ず邪悪な存在になってしまう。
そして根源から邪悪な存在は周囲の生命をいたずらに傷つけ、それらが持つ魂さえも黒く穢す。
そうして悪意は拡大を続け、放置すればいずれこの宇宙からすべての生命は消え去るだろう。
ゆえに、こうするしかなかった。
やりきれない気持ちばかりが胸に募り、堪えるようにすすり泣く少女の声が静かに木霊する。
「……大丈夫か?」
「ええ、ごめんなさい。もう大丈夫ですわ」
心配顔のアーシュラに頷き返し、アリアは濡れた目元をハンカチで拭い顔を上げた。
黄金の瞳が見据える先には、未だ無傷のデリングの姿がある。
いかなる手品か、死神の鎌を逃れた悪の大幹部は、メモ帳片手にアリアの全身を興味深そうに観察していた。
「ほう……。アマルガムをこうもあっさりと。ステータス貫通の特殊攻撃か? やはりその右腕に秘密がありそうだな……」
「あなた、一線超えましたわよ!」
「……む? 何をそんなに怒っているのだ、貴様は」
困惑した表情でそう返され、アリアは逆に面食らってしまう。
どうしてアリアがこれほど怒っているのか、本当に理解できていないようだった。
「ああ。もしやそこに入っている赤子もどきが気になるのか。実にくだらん。貴様とて家畜の肉を喰らったことくらいあるだろう?」
「デリング貴様! 人を、命をなんだと思っている!?」
「無論、尊いものと思っているさ。しかしどれだけ綺麗事を並べたところで世界から不幸は無くならぬ。だからこそ人類を進化させ、不幸の根本的な原因を取り除こうというのだ」
声を荒げたゼロスに、デリングは淡々と答えた。
その瞳には確かな理性の色が見て取れ、目の前の男が正気のままこんなことをやっているのだと理解し、ゼロスの背筋に怖気が走る。
この男は己の正義感に従っているだけなのだ。
それはデリングが長い人生の中で獲得した歪な信仰であり、その根底にあるのは愛した妻を喪った痛みだ。
世の不幸を根絶すること。
そのためならば彼の中ではどんな邪悪な研究もすべて正当化されてしまう。
「そしてそれはどんな手段を使ってでも達成されねばならない。そうでなければ今まで死んでいった者たちが浮かばれぬであろう?」
歪んだ信仰を宿した瞳がゼロスを見つめ返す。
グロテスクに変わり果てた兄弟子を前にし、もはやどんな言葉も届かぬと悟ったゼロスは、雷光のように駆け出した。
「死ねぃ!!!!」
クロスした両腕による斬り払い。
手刀を包み込むように出力された光の刃は、狙い違わずデリングの首を刎ね飛ばした。
……だが。
「迂闊だったなゼロスよ!」
「なっ!?」
首だけになりながらも口を開いたデリングに、ゼロスはそんな馬鹿なと大きく目を見開く。
斬り裂いた首の断面から出血は無く、代わりに漏電して火花を散らすコードの束がチラリと見え────。
二人の姿が爆炎の中に掻き消える。
爆発により多脚装甲との連結が外れたのか、火だるまになったゼロスが放物線を描いて吹き飛んでいく。
「ゼロスさん!?」
炎に包まれ飛んできたゼロスを空中で抱き止め、軽やかに着地する美乃梨。
そのまま床の上に彼の身体をそっと横たえさせるが、ゼロスは全身に大やけどを負い、意識もすでに無かった。
「しっかりしてください! ゼロスさん! ゼロスさんっ!! 死んじゃだめ!!!!」
必死に呼びかけるが、ゼロスの意識は戻らない。
なぜ自分には壊す力しかないのか。
無力感と焦りばかりが胸を満たすが、そうこうしている間も刻一刻とゼロスの命の灯火は小さくなっていく。
────オ前ノセイダ
「……っ!」
弱って開いた心の隙間をこじ開けるように、竜の声が大きくなっていく。
どす黒い悪意がじわりじわりと毒のように浸食し、美乃梨の心を蝕む。
────不殺ナド ト 甘イコトヲ 言ッテイルカラ コウナル
「ち、違っ……。私、そんな……つもりは……っ」
────何モ 違ワナイ オ前ノ 甘サガ コノ老人ヲ 殺シタ
「違う! 違う違う違う!」
頭を抱えた美乃梨は、脳裏に響く声を何度も否定する。
だが竜の声は消えてくれない。心の片隅に竜の言葉を正しいと受け入れている自分がいるせいだ。
その隙を突き、竜は甘い毒を流し込む。
────己ニ 身ヲ委ネロ
────ソウスレバ 何モカモ 楽ニナル
────悩ミモ 不安モ スベテ消エル
決意の楔が揺らぎ、身体から意識が切り離され、すべての感覚が曖昧に解けていく。
なぜ自分は誰も殺したくないと思ったのだったか。
ぼんやりした頭で考える。
相手は所詮、人殺しの悪人。殺されて当然のクズ。
奴らは自分に何をした?
暗く不潔な地下牢に閉じ込め、激しい苦痛を与え、挙句、自分を悍ましい化物に改造した。
こんな醜い姿、とても彼には見せられない。
────憎カロウ 悔シカロウ
────オ前ノセイダ
────オ前ガ 弱イカラ コウナッタ
「私の……せい……」
────己ニ スベテヲ 明ケ渡セ
────スベテ 壊シテヤル
────憎キ 仇敵 恋敵 スベテ 殺シテヤル
「……だめっ。そんなの……。でも、なんで……だめ、なんだっ……け……」
視界がぐるぐる回る。
天と地がひっくり返り、善意は悪意に、愛は憎しみへと反転する。
美乃梨の意思の灯が消えかけようとした、そのとき────。
「美乃梨っ!!!!」
自分を呼ぶ確かな声。
いつからそこにいたのか。
誰よりも愛しくて、だからこそ遠ざけたはずの幼馴染が、こちらに向かって手を伸ばしていた。
刹那。心と心、魂と魂を結ぶ青い輝きが二人を包みこむ。
◇
──美乃梨の精神世界(side大翔)──
気がつくと俺は暗闇の中にポツンと立ち尽くしていた。
ここはどこだろう。
失せ人探しの光を辿っていく内に破れた鉄扉を見つけて、それから────。
見上げれば、目の前には禍々しい気配を放つ巨大な黒竜が一匹。
よく目を凝らせば黒竜の胸元には一本の鎖が繋がっており、鎖を目で辿っていくと、その先端に美乃梨がいた。
「美乃梨!?」
呼びかけるが、意識が朦朧としているのか反応が鈍い。
鎖は美乃梨と黒竜の心臓を結んでいるらしく、黒竜が鎖を引くと美乃梨から苦悶の声が上がった。
「やめろ!!!!」
「出テイケ! 己ノ心ダ! 貴様ナドニ、クレテヤルモノカ!」
「無理やり埋め込まれた異物のくせに! その子に指一本触れてみろ! 三枚におろして刺身にしてやる!」
「ヤレルモノナラ殺ッテミロ!!!! 雑兵風情ガ!!!!」
黒竜が吼える。
嵐のように吹き荒れる破壊の意思が俺の精神を削り、全身に激痛が走った。
まずい。このままじゃ……っ。
そのときだった。
翡翠の指輪が強く輝き始め、光は薄緑色のバリアとなって俺を包み込む。
魂の亀裂が修復され、痛みが和らいでいく。
精霊たちが力を貸してくれたのか。
「ありがとうみんな! これで戦える!」
心を研ぎ澄ませ闘気を高めていく。
闘気は俺の手中で光の剣へと姿を変えた。
────そうか。ここは精神世界だから心の在り方ひとつでなんでもできるんだ。
今ならどんなものでも斬れる気がする。
いいや。気がする、じゃない。斬る!
ここでは想いの強さが切れ味に直結する! 疑うな!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
幽歩で滑り込むように竜の懐へ飛び込んだ俺は、光の剣で黒竜と美乃梨を繋ぐ鎖に斬りかかった。
────斬ッ!!!!────
鎖の断面から光が溢れ、闇に覆われていた世界を白く染め上げていく。
切り離された鎖を掴み、美乃梨を引き寄せ抱き留めた────次の瞬間。
記憶、心、声にならない魂の熱量、美乃梨のすべてが俺へと流れ込んだ。




