0090 淫魔王VS聖盾天使
──ダンジョン深層──
美乃梨とゼロスが闇の聖域へ足を踏み入れた頃。
最深部に通じる唯一の抜け道があるすり鉢広場では、二人の美女が睨み合っていた。
片や愛欲と病魔を操り、人間社会の裏側に根を張る謀略の魔王アシュモネ。
そんな魔王と向かい合うのは聖神教最高戦力『四天使』が一柱。
系統外スキル【聖盾天使】の所有者にして、自身も天使と同じ名を冠する美貌の女騎士、エリアル・フロストライン。
「はぁ……。今日は運の無い日ねぇ」
ため息一つ、やれやれと首を振るアシュモネ。
よもやこんな場所で一番厄介な相手と鉢合わせになるなど、完全に予想外だった。
肝心のゼロスとは未だに会えず、おまけに知られたくない過去を勇者に知られたとあれば、愚痴の一つも言いたくなる。
一方、エリアルは目の前の少女が放つ異様な雰囲気に飲まれかけていた。
まるで何百年も生きた魔女のような底の知れない不気味さ、とでも言おうか。
一見すれば歳若い人族の少女のようだが、ここがダンジョンの深層であることを鑑みれば、少女が只者ではないのは確実である。
まるでこちらの心の奥底を暴くような視線に居心地の悪さを感じつつも、エリアルは剣の柄に手をかけ口を開く。
「……何者だ」
「仮にも天使を名乗るくせに、そんなことも分からないの?」
棘を含んだ言い方に眉をひそめつつも、エリアルは僅かなヒントを頼りに少女の正体について考える。
四天使の一人と偶然にも出会ったのだ。敬虔な信徒であればこの態度はまずありえない。
聖神教に良い感情を抱いていない、見た目と雰囲気がちぐはぐな女。
そこまで考えてエリアルはハッと顔を上げた。
「……! まさか、オーランの!?」
「ま、それくらいの情報は掴んでて当然よね。それにしてもあなた……」
女騎士の美貌を不躾な視線で嘗め回し、アシュモネがニヤリと小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「言うほど綺麗な身体ではないようねぇ。まあ、だからこその潔癖なんでしょうけど」
「ッ!!!!」
最も触れられたくない傷を嗤われ、一瞬で沸騰するエリアル。
どす黒い殺意を宿した銀の閃きがアシュモネの細首を刎ね飛ばさんと迫る。
それをアシュモネは舞踊のようなステップでひらりと躱す。
返す刀で振るわれた逆袈裟も、真一文字の横薙ぎも、必殺の突きも、すべて躱され掠りもしない。
「あら、図星だったかしらぁ?」
余裕の笑みを浮かべ、なおも挑発を続ける淫魔王。
「バカな女。あなた自分が何をしたのか理解しているのかしら」
怒りに燃える刃を躱しつつ、アシュモネが嘲笑交じりに口を開く。
「あなたの【天罰】のせいで地上は今大騒ぎになってるわ。罪のない子どもたちも大勢いたのに、よくもそんなひどいことができたものね。この人殺し」
「神を信じる者であれば、崩落に巻き込まれたとて助かるだろう。神の光は悪しき者は滅するが、正しき者には加護を与える! ベヒモスに踏みつぶされても傷一つ付きはしないだろう!」
「いかにも手前勝手な理屈ねぇ。けどその論調で言うと、あなたの両親が強盗に殺されたのは、生き方が正しくなかったってことにならないかしらぁ?」
「黙れ! 両親が死んだのは神の教えに背いた悪人のせいだ! だからこそ悪は裁かねばならない!」
「ふぅん? 型にはまらない人々はぜんぶ悪ってワケ? くーっだらない! 世の中そんな単純なものじゃないのよ」
「魔族風情が神を愚弄するか!」
「ケツ拭く紙にもならないわそんなもの。まぁ肉便器だったあなたにはお似合いよねぇ?」
「~~~~ッ!!!! 殺す!」
エリアルが後ろへ大きく跳び退き、剣を大上段に振りかぶる。
それは必殺の構え。切先に集うは聖なる光。
彼女自身の名前にもなっている系統外スキル【聖盾天使】の輝きである。
その能力は絶対防御。
このスキルを持つ者の周囲には常に不可視の防御膜が展開される。
防御膜はエリアルに対するありとあらゆる攻撃や不慮の事故を弾き、毒や呪いから主を守り、灼熱や冷気も通さない。
その無敵の防御を攻撃に転用すれば、その一刀は万物一切を斬り伏せる防御不能の一撃となる。
だが────。
「オーランの聖銀の方が、もう少し賢かったわねぇ」
「っ!?」
いつの間に近づかれたのか、エリアルにはまったく認識できなかった。
気づいたときには鼻先が触れ合うほど近くにアシュモネの顔があった。
(────いや、違う。見えてはいた。招き入れたのか!? 私が、こんな淫売を!)
剣先に【聖盾天使】を集約させれば、そのときだけエリアル自身は無防備となる。
直前までの会話も、すべてはこの状況を生み出すための布石。
しかし今更そのことに気付いたところでもう遅い。
驚きに目を見開いたエリアルの細面を両手で優しく包み、アシュモネが強引にその唇を奪いに行く。
「んぐぅっ!?」
長い舌が喉の奥まで差し込まれる。
腹の底から、力が、熱量が、血の滲むような努力を経て積み上げてきたすべてが吸い上げられていく。
アシュモネの魅了は常時発動型の固有スキルだ。
その効果は彼女を視認した瞬間に発動し、魅了にかかった者は無条件にアシュモネへの警戒心が薄れ、彼女を傷つける行為に強い忌避感を抱くようになる。
自分にとって価値あるモノを傷付けたくない。あるいはそれを守りたいと思う心は、人間であれば誰しも備わった本能だ。
アシュモネの魅了は、そうした本能を増幅させる。
相手にとって“最も価値のあるモノ”を強制的に彼女自身へと書き換え、攻撃できなくさせるのだ。
まるで透明な壁に守られているように見える現象も、すべては攻撃側の自制心によるもの。
つまりは寸止めである。
とはいえアシュモネの魅了も決して無敵ではない。
かつてオーラン王宮でアーシュラがやったように、偶然攻撃が当たる状況を作り出せば突破は可能である。
また、周囲一帯を巻き込む範囲攻撃や、心を持たないゴーレムなども有効だ。
エリアルが初手で【神罰】を使っていれば、あるいは別の結果もあっただろう。
だが彼女は魔王の挑発に怒り、我を忘れて無敵の守りを自ら解いてしまった。
もはや勝ちの目は万に一つも存在しない。
「────ぷはっ」
長い長い口づけが終わり、エリアルの口腔から長い舌がずるりと引き抜かれる。
世界でも五本の指に入る強者の精気を吸い尽くしたアシュモネは、本来の姿を取り戻し、力を吸い尽くされたエリアルは小さな赤ん坊になっていた。
「……ちょっと吸い過ぎたかしら」
「だぁ」
小さな手が母性を求めるようにアシュモネの頬にてちてち触れる。
どうやらあまりに若返り過ぎて、自分が何者かさえも忘れてしまったらしい。
すっかり無邪気な赤ん坊になってしまったエリアルを腕に抱き、アシュモネは困ったように眉根を寄せた。
「どうしようかしらこの子……」
「う?」
「どうちまちょうねぇ。んー?」
鼻と鼻をくっつけてにらめっこしてみるが、赤ん坊が答えを返してくれるはずもない。
困り顔のままアシュモネは溜息をついた。
いずれにせよ、こんな魔物の出る場所に置き去りにするわけにはいかない。
「あなたも、いつまでも隠れていないで出てきたらぁ?」
「……」
アシュモネが近くの岩陰に声をかけると、白いフードを被った男が亡霊のようにゆらりと姿を見せる。
エリアルをここまで導いてきた『神の耳』の一人だ。
アシュモネの姿を視認した時点で、すでに彼はアシュモネの手駒となっている。
「予定変更よ。地上に網を張るわ」
「……御意」
魔王と、聖法国諜報部員と、赤ん坊。
まったく奇妙な三人組は来た道を引き返し再び歩き始めた。
◇
──迷宮都市 地下一層(sideシド)──
同胞たちのニオイを辿り迷路のような廊下を進むことしばし。
シドは何かの順番待ちをしているらしい脱走奴隷たちの最後尾に追いついた。
「シド! よかった、無事だったんだな!」
偶然にも最後尾に並んでいたのは、シドの知り合いだった。
つい最近、向かいの牢屋に入ってきた隻眼の剣士で、名をギースと言う。
牢番の男が言うには中々の使い手らしいが、それはさておき。
「よぉギース。お前も無事だったか! そんで、これは何の列だよ」
「これから脱出に使う乗り物に乗り込むんだとよ。入り口が狭いから一列に並べってギオドラの旦那が」
「ギオドラ? ソイツが俺たちを逃がそうっていう物好きか?」
「そうらしい。ほらお前も来いよ!」
ギースに誘われ、壁に空いた狭い穴を潜り抜けるシド。
穴の奥は真っ暗で、かなりの人数が押し込まれているのか、ニオイが充満しており息苦しかった。
「みんな乗ったな!? そろそろ出発するぞ! 揺れるから頭を打たねぇようにしっかり守ってろ!」
野性味のある男の声が響くと、タイミングを計ったように外からガンガンと金属を叩くような音が響いた。
その音に内側からゴンゴンとノックを返すと、シドたちが乗り込んだ何かが「ぐんっ!」と引っ張られて動き始めた。
◇
──迷宮都市 地上 第七区──
ここ第七区は、迷宮都市の中でも特に人通りが多い。
都市の外へと繋がる巨大なターミナル駅があるためだ。
そんな駅前のメインストリートに、ヴァイパー商会の本店は店を構えている。
創業からもうすぐ六〇〇年あまり。
赤レンガ造りの五階建ては多少古ぼけた感はあるものの未だ健在で、世界的な大商会の名に恥じぬ気品さえ纏っている。
するとメインストリートの辻から突然、悲鳴が上がった。
通りを行き交う人々が「なんだなんだ」と悲鳴のした方へ視線を送る。
すると直後、通りの角から二〇メートルクラスの大蜥蜴が姿を現した。
大蜥蜴はバタバタと忙しなく足を動かしドリフトすると、猛スピードでどんどんこちらへ迫ってくる。
「グェェェェェ────ッ!!!!」
ドッカ────ン!!!!
大蜥蜴がヴァイパー商会の本店に頭から突っ込み、辺りにもうもうと土埃が舞い上がる。
すると蜥蜴の口が大きく開かれ、その中から銃で武装した男たちがぞろぞろと飛び出してきた。
男たちは「動くな!」と銃で周囲を威嚇しつつ、カウンターの向こう側へ踏み込むと、奥の壁に埋め込まれた巨大な金庫に金具を取り付けていく。
すべての金具を取り付け終えると、男たちの一人が金庫の扉をスパナでガンガン叩く。
すると金庫の中からゴンゴンと返事が帰ってきた。
「いいぞ! 引けーっ!」
急いで男たちが大蜥蜴の口内へ撤収すると、大蜥蜴が「むんっ!」と大地を踏みしめる。
みしみしっ! と、建物の壁に亀裂が走り────次の瞬間!
壁から「ずるんっ!」と引きずり出された金庫を伴い、大蜥蜴が都市の外へ向かって走り出した。
するとすぐさま警察の車両が横道からサイレンを鳴らしてゾロゾロと飛び出してくる。
大蜥蜴の後ろに警察車両が大きく広がり、カーチェイスが始まった。
大蜥蜴が角を曲がると、ワイヤーに繋がれた金庫が遠心力に引かれて大きくスイング。
内側に入り込んでしまった警察車両をぺしゃんこに潰しながらなぎ倒す。
ついでに建物の壁も壊しつつ何度か角を曲がると、大蜥蜴の行く手を運河が塞いだ。
「しめたぞ! あのタイプの陸トカゲは水に弱い! 車で囲んで追い詰めろ!」
警部が無線で他の車両に指示を出した、その直後。
大蜥蜴は苦手な水をものともせず、運河へ向かって思い切り大ジャンプ!!!!
と、そこへ。
「ぐおおおおおおおおん!!!!」
運河の底から大蜥蜴よりもさらに巨大なクジラが姿を現した。
クジラは金庫ごと大蜥蜴を丸呑みにすると、凄まじい水飛沫を上げて再び水中へと潜行していく。
クジラの起こした大波が河岸にいた警察車両をざぶんと押し流す。
大水に流されていく最中、警部は一瞬、クジラの背に書かれたマークを確かに見た。
三角耳の生えた髑髏と、交差する三本の剣の紋章。
見間違えようもない。あれこそはまさしく伝説の大海賊の証────。
「あ、あれは!? まさかギオドラ海賊だおぼぼぼぼぼぼ!?!?」
◇
──クジラの体内(sideシド)──
激しい揺れが急に収まり、暗闇の中に静寂が訪れる。
遠心力に掻き回されて頭はクラクラ。
誰かの吐瀉物の臭いで自慢の鼻もすっかりバカになってしまい、シドは自分がまだ生きているのか自信が無かった。
「ほら、早く開けておやり」
ハスキーな女性の声が遠く響く。
すぐに「ガコン!」と金庫の扉が開かれ、新鮮な空気を求めて奴隷たちが外へとなだれ出る。
「「「「「おろろろろろ!!!!」」」」」
と、ここで最後の意地で我慢していた連中が一斉にキラキラを床にぶちまけた。
シドも胃の中に残っていたモノをすべて吐き終えると、ようやく辺りを見渡す余裕ができる。
そこは広々とした空洞だった。
肉の壁の表面を金属の配管が伝っており、足元には鉄板が敷かれている。
まるで巨大生物の身体をそのまま船に改造したような感じだ。
奥の方はカーテンで仕切られており、ここからではその先がどうなっているか見ることはできなかった。
助けた奴隷たちと一緒にゲェゲェしているドレッドヘアの狼人族の男を見やり、狼人族の女が鼻を摘みながらもやれやれと首を振る。
「ほらみろ言わんこっちゃない」
歳は四十路手前といったところだろうか。
如何にも海賊の女船長といった風体で、長く伸ばしたウルフグレーの髪を頭の後ろで一つに束ねている。
その顔立ち、ニオイの雰囲気。間違いない。彼女はアーシュラの母親だ。
シドはすぐにピンときた。
「おぇぇ……。へ、へへっ。けど見ろ! 天下のヴァイパー商会の大金庫だ。アイツら表じゃいい顔しといて裏は真っ黒でやんの! ざまぁみやがえれえれえれえれ!!!!」
「ゲロまみれの金なんて臭くて使えないよ! 作戦立案者はアンタなんだから、責任持って洗いな」
「へっ、資金洗浄はお手のものろろろろろ!!!!」
「だぁ!? ったく汚いね! しばらく近寄んじゃないよ! ほらほら、女と子どもはこっちにおいで! お湯を沸かしてあるから、まずは身体を洗うんだ。お前たちも手伝っておやり!」
「「「アイアイマム!」」」
女船長がテキパキと指示を飛ばすと、彼女の手下と思しき女海賊たちが手際よく女と幼い子どもをカーテンの奥へ連れて行く。
「アンタがここのボスか?」
「あん? なんだいお前は。お礼なら後にしとくれ。今は見ての通り忙しいからね」
シドが話しかけると、女船長は忙しそうに「しっし」と彼を適当にあしらいカーテンの奥へ向かおうとする。
「アーシュラ・ベオウルフ! 俺は彼女に助けられた! アンタの娘だろ!?」
「なんだって!? お前、アーシュラに会ったのかい!?」
女船長はアーシュラの名前を聞くや、首がもげるのではというほどの勢いで方向転換し、食いつくようにシドの両肩をぐいと掴む。
「あの子はどうだった!? 元気にしてたかい!?」
「ああ、“戦士の壁の向こう側"を見せてくれたよ。凄かったぜ、アンタの娘は」
「そうか……。アーシュラはもうそんな高みに。流石俺のむすうぇっぷっ!」
まだ少し嘔吐きながらも、ドレッドヘアの男が会話に割り込んでくる。
「アンタは?」
「俺ぁ、ギオドラ・ベオウルフ。ギオドラ海賊団の船長だ」
「で、アタシがセフィーラ・ベオウルフ。このゲロ臭男の番で、海賊団の副船長だよ。アンタのお察し通り、アーシュラの母親でもある」
「その言い方はあんまりじゃねぇかセフィっぷ!!!!」
「嫁の名前もロクに言えないアホはゲロ臭男で十分だよ! このバカ!」
「なんだ。こっちが船長だったのか」
「こっちって言うな! うっぷ!?」
シドが苦笑を向けるとギオドラはムキになって言い返そうとするが、出かけたキラキラを口の中に留めるのに精一杯で、それ以上何も言えなかった。
「ほらもう船長。話が進まねぇからアッチで休んでてくだせぇ」
「うるへぇ! 娘はやらねぇぞおろろろろろろ!!!!」
「はいはい。とっとと出すもん出してスッキリしちまってくだせぇや」
スキンヘッドの子分に背中をさすられ、敢え無く退場する自称船長であった。
伝説の大海賊の威厳は見る影もない。
「ウチの馬鹿がすまないね。お前さん、名前は?」
「シドだ。シド・シグムンド」
「っ!? その名前、もしや父君の名はジュドーかい!?」
シドが名乗った瞬間、セフィーラの表情が驚愕の色に染まる。
「え? ああ、そう聞いてる。俺がまだ赤ん坊の頃に死んじまったそうだが……」
「……そうかい。しかしまさかアーシュラが。これも血の導きってやつなのかね」
「???」
わけが分からずシドが首をひねっていると、突然セフィーラがその場に片膝を突き、臣下の礼を取った。
「シド。……いえ、シド様。貴方様こそ、我々が探し続けてきたお方に他なりません。救出が遅れてしまったこと、ここに深くお詫び申し上げます」
「はぁ!? ま、待ってくれ! 何言ってるんだよアンタ!? 頭なんて下げないでくれ!」
「────なーんて、いきなり言われても困っちまうよね。兎にも角にも、まずはその臭い身体を綺麗にして、たらふく飯を食ってからだ! 話は後でじっくり聞かせてやるからさ」
「えっ? えっ!?」
「お前たち! この御方の身体を隅々までピッカピカにしておやり!」
「「「アイアイマム!」」」
セフィーラが高らかに指示を飛ばせば、デッキブラシを持った厳つい野郎どもがニッコニコの笑顔でにじり寄ってくる。
不気味なことこの上ない。
「な、なんだお前ら!? そのブラシでどうするつもりだ!? にじり寄ってくるんじゃねぇ! おい馬鹿やめろうわ────っ!!!!」




