0088 血の宿命
──迷宮都市・地下第十一層 奴隷牧場──
手前から奥に向かって、長い通路がどこまでも伸びていた。
天井には等間隔に魔導灯が埋め込まれ、無機質な光で通路の隅々までを照らしている。
影の追い払われた廊下は清潔感があり、この手の施設にありがちな悪臭も感じられない。
両側の壁は全面がマジックミラーになっており、通路側からのみ、向こう側の様子を伺うことができた。
等間隔に仕切られた部屋の中には椅子と一体化した笠のような機械が横一列に整然と並んでいる。
椅子には粗末な貫頭衣を身に着けた若い男女が拘束具で固定された状態で座らされていた。
笠のような機械は精神系の魔導を使った一種の学習装置だ。
家畜は食肉を得るために餌を与え肥え太らせるが、奴隷の価値はその目的ごとに大きく変わる。
ここに繋がれた者たちの多くは、遺伝子操作による品種改良が施されており、見目麗しく、主人に従順で、如何なる命令にも疑問を抱かず、生殖機能を持たない。
そうして生まれながらに奴隷として調整された個体に機械学習を施し、必要な技能や言語を学ばせ出荷するのである。
ギオドラ海賊団の活動により多くの闇市が解体された現在、奴隷市場はごく一部の富裕層を相手にした高級志向にシフトしていた。
人狩りを使って人を攫ってくるよりも、人目につかない場所で奴隷の養殖生産を行った方が足が付きにくく利益も見込めるためだ。
とはいえ一部の国では安い労働力としての奴隷にも未だ需要はある。
それらの需要を満たすため、貧しい農村を狙った人狩りは今も細々とだが行われていた。
この牧場にはそうして攫われてきた人々や、借金を背負わされ奴隷にさせられた者、貴族社会の謀略により流れ着いた者なども囚われている。
「────っ! “彼ら”が動き出したみたいだ」
寝たふりをしていた猫人族の青年が薄目を開き、小声で隣に囁きかける。
特徴的な三角耳の中には通信妖精が隠れており、外の様子は逐一彼の耳に届いていた。
「例のモノは上手く破壊できたの?」
「ああ、大成功だ。もうすぐ助けが来るぞ!」
人族の少女が尋ねると、猫人族の青年は喜びを抑えきれない様子で頷き返す。
するとその声を聞きつけ、見張りの男が小走りで駆け寄ってくる。
「おい! 今喋ったのは誰だ!? 誰が口を開けと言った!」
男が持っていた棒でマジックミラーの壁を乱暴に叩く。
すると猫人族の青年が部屋の中から牙を剥いて唸り返した。
「うるさいのはお前の方だ! もうお前なんか怖くないぞ!」
「どうやら自分の立場を忘れちまったようだな。ニンゲン様に歯向かったらどうなるか思い知らせてやるよ家畜風情が!」
見張りの男が猫人族の青年に手をかざす。
たったそれだけで、青年は身体の自由を奪われ、呼吸を封じられる。
異能スキル【金縛り】
ステータスの『まりょく』値に二倍以上の差があれば、一切の抵抗を許さず相手の身体の自由を奪える強力な異能だ。
加えて男には奴隷たちの監視役として『まりょく』の数値を底上げする指輪を組織から貸し与えられていた。
さらに腕に刻まれた蛇の入れ墨の効果で、施設内ではすべてのステータス値に上昇補正がかかるようになっている。
「いいか家畜ども! 俺に逆らうとどうなるかよーく見ておけ!」
男の異能で呼吸を封じられた猫人族の青年の顔がみるみる青くなっていく。
二重の強化を受けた男の異能に抵抗するのは容易ではない。
この時、この場において男はほぼ無敵と言っても過言ではなかった。
と、そこへ。
「もし、そこの方。少しよろしくて?」
「あん?」
あまりに場違いな少女の声が響き、男は思わず振り返ってしまう。
そして男は見た。闇に浮かぶ黄金を。
それは冥の大精霊の右目────偽死の魔眼。
想像しうる限り最も惨めで残酷な死を疑似体験した男は、あまりの恐怖に絶叫し、そのまま意識を手放した。
「†悪夢の底で永久に眠れ†ですわー!」
ぶっ倒れた男を前にカッコいいポーズを取り、咄嗟に思いついた決め台詞を口にしてキャッキャとはしゃぐ冥の大精霊。
どうにも緊張感に欠けるが、それはさておき。
「みんな助けに来たぞ!」
男の絶叫を合図に牧場区画へ突入してきたギオドラ海賊団の男たちが、次々とマジックミラーの壁を破壊していく。
久しぶりの自由を喜びつつ多くの者たちが次々と外へ出てくる中、いきなりの騒ぎに怯えて動けずにいる者たちもいた。
この牧場で生まれ育った調整体たちだ。
「さあ早く出るんだ! 早く!」
怯えたまま出てこようとしない調整体の少女にギオドラが手を差し伸べる。
「そ、れは、命令、ですか?」
「……っ。ああそうだ。今はそれでいい。全員外へ出てるんだ! これは命令だ!」
生まれる前から奴隷として生きることを定められた彼女たちに、いきなり自分の意思で考えて動けと迫ったところで動けるはずもない。
ギオドラが命令だと強調して指示を出すと、外へ出ることを躊躇っていた奴隷たちから戸惑いの色が消え、次々と外へ出てきた。
奴隷のいない世界を作る。
そんな理想を掲げて突き進んできた結果生み出されてしまった者たちと初めて対面し、ギオドラは悔しさに奥歯を噛み締める。
「全員出たな? 脱出するぞ! 俺に続け!」
「それ、は」
「ああ命令だ! ……くそっ!」
自分が何よりも憎んでいた奴隷商人の真似をしなければ、彼女たちは動けない。
苛立ち紛れに頭を掻きむしり、ギオドラは大勢の奴隷たちを連れて走り出す。
後の歴史書に『多頭蛇の腹裂き』と記されることとなる大脱出が、今、始まろうとしていた。
◇
──迷宮都市・地下九層 多頭蛇本部(sideアーシュラ)──
地下闘技場から逃げ出したアーシュラとシドは、微かに漂うニオイを辿ってさらに下層を目指していた。
「まさか他の奴らも助けるつもりか!?」
アーシュラの目的に気付きシドが目を見開くと、アーシュラは前を向いたまま「当然」と頷いた。
「この際だ、一人も千人も変わんねぇよ!」
「無理だ! 警備が大勢いるし、中には異能を使う奴もいるんだぞ!? それに奴隷には毒のカプセルが埋め込まれてる! 逃げ出せば問答無用でカプセルが割れて死んじまう!」
「だからって見捨てておけねぇだろ! 毒は……どうにかする!」
「どうにかって! 全員俺と同じやり方で取り出すつもりか!? あれは俺だから耐えられたんだ!」
「ンなこたぁ分かってるよ! 兎に角、ここで他の奴らを見捨てるのはナシだ! やれるだけのことはやる! 諦めるのはそれからだ」
それは大海賊ギオドラの娘としての矜持だ。
ここで捕まっている奴隷たちを見捨てて逃げることは、形見の指輪に立てた誓いに背くことになる。
それにまったくアテが無いというわけでもなかった。
毒を体内に埋め込むことで奴隷を管理しているのなら、必ずカプセルを遠隔で制御する魔導具か、あるいは解毒薬の類が存在するはずだ。
「解毒薬みたいなのに心当たりはねぇのか!?」
「生憎そんな都合のいいものに心当たりはないな。……けど」
シドはそこで言葉を区切ると、丁字路の分岐点で立ち止まる。
「毒を埋め込まれた場所なら覚えてる。こっちだ」
アーシュラに背を向けシドは走り出す。
諦めたくない気持ちはシドも同じだった。
ここにきてから仲良くなった者も何人かいる。全員は無理でも、数人だけならなんとかなるかもしれない。
小さな希望の火を胸に抱え、シドは無人の廊下を駆け抜けていく。
「おっと!?」
「きゃっ!?」
すると三度目の角を曲がったところで、あわや小さな影とぶつかりそうになる。
抜群の反射神経でギリギリ躱すと────そこにいたのは白髪の少女。
そういえば、トグルの幽霊も白髪の女の子と会ったと言っていたが、もしや。
「あーっ!? アリアお前! 今までどこ行ってやがった!」
「アーシュラ! ようやく合流できましたわ!」
ここでようやくアリアがシドの顔を見やり、「まぁ!」と目を大きく見開く。
「ああ、よかった。無事に生き残れましたのね!」
「お前、ひょっとして……」
「トグルさまなら、ちゃんと次の生へ向けて旅立たれましたわ」
「……そうか。ありがとな。アイツに時間をくれて」
「礼には及びませんわ。わたくしは自分の役目を果たしたまでですもの。どうか彼の分まで長生きしてくださいましね」
軽く目を伏せたシドが礼を言うと、アリアはそんな彼の手を取り、励ますようにそう返した。
すると二人のやり取りを横から眺めていたアーシュラが思い出したようにハッとなる。
まだこの施設には助けるべき人たちが大勢捕らわれているのだ。
こんなところで油を売っている場合ではない。
「それよりアリアお前、今までどこほっつき歩いてたんだよ! 探してたんだぞ!?」
「おほほ、ごめんあそばせ! お宝探しのついでに世界平和に少しばかり貢献してましたの」
「世界平和だぁ?」
アーシュラが胡乱な目を向けると、アリアがスカートの裾を摘まんでその場でくるりと一回転する。
するとスカートの中から金銀財宝が出るわ出るわ。
財宝の山に腰まで埋もれたアリアが軽やかに指を鳴らすと、財宝たちが影の中にずぶずぶと沈み込んで消えていく。
どうやらちゃっかり多頭蛇の隠し財宝をいただいてきたらしい。
元プリンセスとは思えない手癖の悪さにアーシュラも「お前なぁ」と呆れ顔である。
「実はつい先程、捕らえられていた奴隷たちが一斉に脱走を図りましたの」
「なんだって!? でもそんなことしたら毒が……!」
顔を青ざめさせたシドに、アリアが「心配ご無用ですわ!」と得意げに胸を張る。
「毒カプセルの制御装置はわたくしの姫パワーで木っ端微塵に粉砕してやりましたわ!」
「なんでそんなことをお前が知ってるんだよ」
「おほほ! わたくしも遊んでいたわけじゃありませんのよ。とにかく、毒の脅威が無くなったことで奴隷たちが一斉に脱出を図りましたの」
アーシュラの追及をアリアは笑ってごまかした。
「上手くいったのか?」
「ええ、警備がおマヌケにも居眠りしていたおかげで脱出はスムーズでしたわ」
と、そこでアリアは言葉を区切り、一抱えほどもある麻袋を虚空から取り出してシドに渡す。
受け取った袋をシドが開けると、中には財宝がぎっしりと詰め込まれていた。
これだけあれば人生をやり直す資金としては十分だろう。
「あとはあなただけですわ。地上へはお仲間のニオイを辿れば出られるはず」
「アンタたちはどうするんだ」
「わたくしたちは、はぐれた仲間を探さないといけませんもの。ね? アーシュラ!」
アリアがウインクを投げると、「ようやくかよ」と呆れ交じりにアーシュラが苦笑する。
元々そっちがメインだったはずなのに、随分と寄り道してしまった。
だが、後悔はない。
その寄り道のおかげでシドと出会い、彼を死の運命から救うことができたのだから。
気を取り直し、アーシュラは改めてシドへと向き直る。
「行けよ。お前はもう自由だ」
「……ありがとう。アンタは命の恩人だ」
「いつか強くなったらオーランへ来い。そうすりゃきっとまた会える」
「必ずアンタと同じ高みへ至ってみせる。そのときはまた戦おう!」
グータッチで再会の約束を交わしたシドは、知人のニオイを辿って駆け出していった。
去り行くシドの後ろ姿を目で追いつつ、革ジャンの内ポケットから煙草の箱を取り出したアーシュラは、そこから一本取り出して火を点ける。
「そういうニオイの強いモノは嫌いかと思ってましたわ」
「今だけだ」
意外そうな顔で尋ねてきたアリアに、アーシュラは自嘲気味に笑い返し、煙草を口元でゆらゆらと上下させる。
甘く香ばしい香りがシドの残り香を掻き消し、昂った気持ちがスーッと静まっていく。
相手の体臭は狼人族がパートナーを決める際に最も重要視する要素だ。
特に狼人族の女性の場合、パートナーの体臭が妊娠の確率や性的欲求、オーガズムにも深く影響を及ぼすことは医学的にも知られている。
そのため同じ狼人族でも、女性の方が相手の体臭を重要視する傾向があった。
とはいえ望む望まぬに関わらず、時期によってはそうした欲求が否応なく高まることもある。いわゆる発情期だ。
基本は年に一度。一ヵ月から二ヵ月ほどの期間訪れ、その間は集中力が続かなくなるなど、普段通りのパフォーマンスを発揮できなくなってしまう。
アーシュラが火を点けた煙草は、嗅覚の鋭い獣人用に調整された銘柄だった。
強いニオイで鼻をあえて麻痺させ、煙の成分でそうした欲求を抑えるのである。
と、それはさておき。
「────それで、親父たちは元気だったか」
「っ!」
突然アーシュラに核心を突かれ、アリアは言葉に詰まってしまう。
「警備が居眠りしてたなんて、そんな偶然あるわけねぇだろ。必ず誰かの手引きがあったはずだ」
世界的な犯罪組織を敵に回してまで奴隷たちを解放したがる者がそうそういるはずがない。
そんなことをする人物がいるとするなら、余程の信念を持った傑物か、あるいは度を越えたお人好しくらいのものだろう。
アーシュラが思いつく限り、そんなことができる人物は一人しかいない。
そして先程合流した際、アリアから微かに漂っていた懐かしいニオイ。それが何よりも雄弁にアーシュラの予想が正しいことを裏付けていた。
「……いずれ時が来れば必ず会える。俺たちに流れる血の宿命がそうさせると、そう仰っていましたわ」
「血の宿命……」
そう聞いて、アーシュラの脳裏にふと在りし日の記憶が蘇る。
「────雷と炎の獣並び立つとき、黄金郷の扉は開かれ失われし王国は蘇らん」
「なんですの、それ」
「いつだったか親父が話してくれた古い言い伝えだ。親父もそのまた親父から聞いたって言ってたな」
「だとすると、親から子へ脈々と受け継がれたお話なのかもしれませんわね」
なぜ今その話を思い出したのかは分からない。
だがアーシュラにはこの言い伝えが、父の言う血の宿命と何か関わりがあるように思えてならなかった。
シドが炎の使い手だったことも、あるいは────。
「おら、とっととヒロトたち探しに行くぞ」
短くなった煙草を踏み消し、アーシュラが顎をしゃくってアリアを急かす。
「本当によろしいんですの? 今ならまだ……」
「ここで私情を優先して仲間を見捨てたら、それこそ親父とお袋に顔向けできねぇよ」
アリアの問いにアーシュラは苦笑で返した。
今から追えば、あるいは生き別れの両親と会えるかもしれない。
娘としてそのことに強く後ろ髪を引かれる思いはあったが、時が来れば必ず会えると他ならぬ父がそう言ったのだ。
ならば今はその言葉を信じて自分の道を進むしかない。
「分かりましたわ。寄り道した分、最短最速でぶち抜きますわよ!」
「最短最速って、お前何するつも……」
なにやら嫌な予感に駆られたアーシュラが口を開きかけると、アリアはおもむろに足を肩幅に開き、顔の前でダブルピースした。
すると金色の瞳がカッと見開かれ────。
「もちろん重粒子加速砲ですわーっ!!!!」
ばびゅん、とアリアの両目から極太の熱線が迸る!
閃光が収まると二人の目の前に遥か最下層まで続く直通ルートが開いていた。
穴の淵は赤熱して煙を上げており、先程の熱線の破壊力を物語っている。
やりたい放題である。
「やっぱりこの手に限りますわね!」
「熱ちちち!? やるなら先に言え!」
「あら、ごめんあそばせ」
「あーあー、先っぽのとこ焦げちまったじゃねぇか……」
自慢の尻尾を抱えてしょんぼりと視線を落とすアーシュラ。
基本的にオシャレや美容には興味の薄い彼女であるが、獣人の嗜みとして尻尾の手入れにはそれなりに気を使っていたため地味にダメージを喰らってしまった。
「さ、行きますわよ! ついていらして!」
「あっ、コラ! 勝手にどんどん行くんじゃねぇ!」
自分でぶち抜いた穴へ「とうっ!」と飛び込んだアリアを追いかけ、アーシュラも慌てて穴に飛び込んだ。




