0086 賭博破壊録(物理)ですわー!
──迷宮都市・地下第七層 多頭蛇本部(sideアリア)──
迷路のように入り組んだ廊下を右へ左へふらふらと。
興味の赴くまま謎の地下施設を歩き回っていたアリアは、通路の奥から聞こえる音に気付き、はたと立ち止まる。
「……音楽?」
聞いたことのないジャンルだったが、弾むような音色に気づけば身体も誘われて、足取りもウキウキと軽くなる。
通路をさらに進むと通路脇の扉が僅かに開いていた。
音は扉の奥から漏れ聞こえている。
アリアがこっそり扉の中を覗き込むと、そこは酒場のバックヤード。
酒瓶の詰まった木箱や食料品などが所狭しと並んでおり、少し埃っぽい室内は薄暗い。
「っ!」
そんなバックヤードの奥。
薄闇の中に潜んでいた何者かがアリアの気配に感付き、木箱の裏に身を隠してじっと息を殺す。
「ごきげんよう! こんなところで何してますの?」
「わぁっ!?」
しかし突然背後から笑顔で声をかけられ、男は思わず大声を出して跳び上がってしまった。
どこに身を隠そうと死は誰にでも平等に訪れる。
生と死の調律を司る冥の大精霊から隠れられる存在など、この世にいないのだ。
「おい、こっちから声がしなかったか?」
「まさか報告にあった侵入者か!?」
「近くにいるはずだ! 探し出せ!」
警備たちの怒声が廊下から聞こえ、アリアは慌ててバックヤードに積まれた木箱の裏に身を隠して息を殺す。
「ん……? なんで廊下に宝箱が……」
「カジノの備品か?」
「一応中身を確認しておくか……ぎゃぁあああああ!?」
バリゴリベキベキボキボキ!
「うわああああ!? デリックが箱に食われたぁぁぁ!?」
「だず……助げ……! ────わんっ!」
「なっ!? デリックがミミックに!?」
「まずい! こいつパンデミミックだ! お前ら近づくな! 噛まれると俺たちまでミミックになっちまうぞ!」
「俺たちだけじゃ手に負えねぇ! 応援を呼ぶんぎゃあああああ!? ────ばうっ!」
バックヤードの片隅でアリアたちがじっとしていると、扉の向こうから警備たちの阿鼻叫喚が響き、それらの悲鳴はすぐに甲高い鳴き声に置き変わった。
ミミックたちは「わんわん」と喧しく鳴きながら、湿っぽい足音を響かせ遠ざかっていく。
やがてミミックたちの気配が消え、辺りに静寂が戻ると、二人はずっと止めっぱなしにしていた息を「ぷはっ!」と吐き出した。
「もぉ! 急に大声出さないでくださいまし! もう少しで見つかるところでしたわよ!」
「だったら脅かすんじゃねぇよ!」
「それで、こんなところで何してますの?」
改めてアリアが男に問いかける。
四〇代くらいの狼人族で、ワイルドな顔立ちに黒のドレッドヘアがよく似合っていた。
褐色の肌と翡翠の瞳はアリアがよく知る仲間のそれを彷彿とさせる。
そうと気づいてもう一度顔を見ると、顔立ちもどことなく似ている気がしなくもない。
服装は黒のスリーピーススーツだが、あまり着慣れていないのか少し窮屈そうだった。
「おう、ちょっと宝探しをな」
と、男は茶目っ気たっぷりに片眉を上げ、琥珀色の液体が入った瓶を掲げて見せた。
「まぁ! 琥珀の涙! 製造法の失われた伝説の銘酒じゃありませんの!」
男が掲げた酒瓶のラベルを見たアリアは目を輝かせた。
かつてドワーフ族のみが製造法を知り、六〇〇年前の人魔大戦において製造法が失われた伝説の古酒である。
官能的な香りと奥深い味わいを持つ極上の美酒として知られ、市場に出回れば一瓶で三億ディアは確実とまで言われる、まさしく飲めるお宝だ。
「……まさかこの箱の中身全部?」
男の隣にある木箱をアリアがちらりと見やれば、男はいたずら小僧のような笑みを浮かべて頷いた。
「未開封のボトルが三本も入ってやがった。奴らそうとう溜め込んでやがるぜ」
「でしたらちょっとくらい味見してもいいですわよね! こんなにいっぱいあるんですものー! おほほほ!」
伝説の美酒の誘惑に抗えず、アリアが冥界倉庫からクリスタルのショットグラスを二つ取り出し、片方を男に渡す。
「おっ! 良いグラスじゃねぇか。なんだよ嬢ちゃんイケる口か」
「わたくしに親切にしておけば、死んだ後にご利益がありますわよ」
「精霊の類だったか」
人でも魔物でもない不思議なニオイの正体を知り、どこか得心いった様子の男が琥珀色の液体をグラスに少し注ぐ。
「いずれ来る死に」
「かんぱーい!」
グラス同士を軽く触れ合わせ、二人はそのままグラスを傾けゆっくりと酒を口に含む。
甘く芳醇な香りが口いっぱいに広がり、心地よい焦熱感を伴って幸福が全身を駆け巡った。
「────はぁぁぁ……♡」
「……あぁ、こりゃあいい」
極上の甘露に頬を上気させたアリアがうっとりと息を吐く。
男も余韻を楽しむようにゆっくりと頷き、口の端を満足そうに緩めた。
たった一口でこの満足感。至福とはまさにこれのことだろう。
「最っ高の気分ですわ!」
「おうよ! 今ならイカサマカジノだろうと負ける気がしねぇ!」
まるで幸運が身体の奥底から溢れ出るような奇妙な感覚に、二人は顔を見合わせニンマリと笑い合う。
「カジノ! 楽しそうですわー!」
「勝てば天国、負ければ身ぐるみ剥がされて奴隷落ちだ」
「まぁ怖い!」
「本来の目的からはちと外れるが、ここも奴らの資金源の一つだ。ついでに今後の軍資金をがっぽり稼がせて貰おうか!」
「わたくしも混ぜてくださいまし!」
「二人揃えば幸運も二倍ってか? ガハハハッ! いいだろう。俺に付いてこーい!」
妙に浮かれ気分の二人がルンルンスキップでバックヤードから飛び出していく。
スイングドアを勢いよく開け放つと、煌びやかな光と生演奏の音圧がどっと二人に降り注いだ。
そこはまさしく人々の欲望渦巻く異空間。
回るルーレット。コインを吐き出すスロット台。カードゲームの結果に一喜一憂する人々の声。
黄金の装飾が照明の光を乱反射させ、ミュージシャンの愉快な生演奏が人々の射幸心を煽る。
迷宮都市の地下、ダンジョンを避けるように建てられた多頭蛇経営の裏カジノだ。
「あら! チップが落ちてますわ!」
「ヒュウ! 早速ツイてるな!」
床に落ちていた一枚一〇〇万ディア相当の赤チップを目ざとく見つけた二人は、溢れ出す幸運に導かれるようにルーレットのテーブルの前に立つ。
「プレイスユアベット」
ディーラーが合図すると、プレイヤーたちが次々とベッティングエリアにチップを積む。
他のプレイヤーたちが軒並み駆け終わった頃、アリアと男は【黒の七番】にチップを置いた。
「ノーモアベット」
賭けが締め切られ、回転盤にボールが投げ入れられる。
プレイヤーたちの運命を乗せたボールは回転盤の上を軽やかに踊り、やがて一つのマスに落下した。
落下したマスは────【黒の七】。
「うへへ! やったぜぇ!」
「にゅふふ! 大当たりですわぁ!」
緩み切った顔でヘラヘラ笑い、アリアと男がハイタッチする。
一点賭けの配当は三六倍。拾った一〇〇万ディアが三六〇〇万に化けたのだ。これが笑わずにいられようか。
「プレイスユアベット」
すまし顔のディーラーが次のゲーム開始を宣言する。
他のプレイヤーたちが軒並み賭け終わり、ディーラーが賭けを閉め切ろうとした直前、二人は増えたチップを全額【赤の九】に賭けた。
「ノーモアベット」
再び回転盤にボールが投げ入れられる。
回転盤の勢いが次第に弱まり、カタンと子気味良い音を立てボールがマスに落ちた。
結果は────【赤の九】。
二連続で一点賭けを成功させた二人に周囲から驚きの声が上がる。
「ごくり……っ。プ、プレイスユアベット」
二人の幸運にあやかろうと野次馬たちが続々と集まり、気付けばテーブルの周囲には人垣ができていた。
衆目監視の中、ディーラーが生唾を飲み下し、三度目のゲームを開く。
無論、ディーラーの動揺は演技だ。
テーブルを囲む野次馬の内、半分以上は多頭蛇の構成員だった。
大勝ちしたプレイヤーを逃がさないための、言わば人の檻である。
演出されたディーラーとの一騎打ち。
酒に酔ってパーになっているアリアたちは、それが罠とも知らず勝負に乗った。
観衆が息を飲んで見守る中、アリアと男は【黒の二八】にチップをオールインする。
「ノーモアベット」
ボールが投げ入れられ、回転盤の上を踊る。
回転盤の勢いが落ちてきた頃合いを見計らい、ディーラーはこっそりとテーブルの裏に隠されていたスイッチを押した。
それは任意のマスにボールを落とすためのスイッチ。
押せばテーブルに仕組まれた魔導が発動し、押したスイッチに対応したマスにボールが落ちる仕組みになっている。
勝ちを信じて疑わないプレイヤーを大負けさせ、ギャンブルの沼に叩き落とすための出来レース。
だというのにディーラーはどういうわけか嫌な汗が止まらなかった。
例えるなら……そう、まるで得体の知れない怪物を相手にしたときのような。
冒険者時代に培われたディーラーの勘が、激しく警鐘を鳴らしていた。
ルーレットが止まり、ボールが落ちる。果たして結果は────。
「イェェェイ! 大当たりフッフゥーッ!」
「また勝ちましたわー!」
「ば、バカな!?」
────【黒の二八】。
十二億九六〇〇万がさらに三六倍になり、四六六億五六〇〇万に化けた。
ルーレット台の故障。これは偶然ではなく必然だった。
冥の大精霊であるアリアの身体は、超高密度の魔力で形成されている。
超高密度の魔力は自分よりも弱い魔力の影響を受けないばかりか、魔導回路に影響を及ぼし回路そのものを破壊してしまう。
それは例えるならコンピューターに超強力な磁石を近づけるようなものだ。
対策が施されているならいざ知らず、簡単な魔導装置ならアリアが触れただけで回路が破壊され故障してしまう。
アリアに対して魔導を用いたイカサマは元から通用しなかったのだ。
とはいえ、それでは三回連続で一点賭けを成功させた剛運に対する説明にはならない。
二人の圧倒的な『うんのよさ』。これにも理由があった。
事前に二人が飲んでいた琥珀の涙である。
製造法が失われて六〇〇年。時代が下るにつれて入手が困難になっていったこの酒には、次第にこんな噂が付きまとうようになった。
────琥珀の涙を飲んだ者は絶対の成功が約束される。
最初は誰かの勘違いだったのかもしれない。
元々入手が困難で、それを手に入れられるだけの幸運と人脈があれば、人生の成功は約束されたようなものだ。
しかしその勘違いが人伝に広まっていく内に噂はジンクスとなり、実際に力を持つようになった。
『うんのよさ』が数値として存在するこの世界では、幸運を呼び寄せるジンクスには実際に運の数値を上げる効果がある。
そしてジンクスとは達成が困難であればあるほどご利益があるものだ。
ただでさえ入手困難な琥珀の涙である。そのご利益がどれほどのものになるかは……今の二人を見れば説明は不要であろう。
「イカサマだ!」
ルーレットテーブルを囲んでいた男の一人が叫んだ。
するとそれまで観客に扮していた多頭蛇の構成員たちが一斉に懐から拳銃を抜き、二人に銃口を向ける。
本物の客たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出す中、ディーラーが狼人族の男に拳銃を向け、やれやれと口を開く。
「困りますねぇお客さん。そういうことをされると、こっちもメンツが立たんのですわ」
「まぁ酷い! わたくしたちイカサマなんてしてませんのに!」
「無駄だぜお嬢ちゃん。コイツらハナから客に勝たせる気なんてねぇんだからな」
「所詮は人の世の道理を弁えないケダモノですものね」
狼人族の男が茶化すように鼻で笑うと、アリアも男のノリに合わせてやれやれと肩を竦めた。
この二人、妙にウマが合うらしい。
「ンだとガキャァ!? 死にてぇか!?」
二人の態度に逆上した構成員の一人が怒鳴ると、アリアはむしろ嘲るように鼻で笑った。
「よく吼える犬ですこと。どうやら躾が必要なようですわね」
ぞわり。
アリアの気配が膨れ上がり、心の弱い者はそれだけで泡を吹いて気絶した。
「な、なななな何なんだよお前!?」
辛うじて意識を繋ぎとめたディーラーがアリアに銃口を向ける。
するとアリアの右目が禍々しい光を放ち、ディーラーの持っていた銃がドロリと溶けた。
溶けた銃はディーラーの手から腕、腕から肩へずるずると這い上り、やがては耳の穴へと達すると、ゆっくり浸食するように体内へ入ってくる。
「ひっ!? ひぃぃぃぃ!!!!」
「……なるほど、こう使いますのね」
オーランの王宮で嵐の笛を取り込んで以来、色の変わった右目。
今まで使い方の分からなかった右目の力を理解し、アリアは加減を探るように僅かに瞑目する。
「あなたたち、ちょっと人の恨みを買い過ぎましたわね」
世界から色が失われ、アリアを中心に闇が広がっていく。
ディーラーの皮膚の裏側を、何かが這いずり回っている。
耳から侵入したものが体内を移動しているのだと理解し、ディーラーは恐怖のあまり失禁した。
やがて手足の先から感覚が失われ、感覚の消失は全身へと広がり、身体が先端から腐り落ち始める。
「またいつかお会いしましょう。次会ったときロクでもない思い出ばかりなら地獄に叩き落としますわよ!」
怒ったような口調とは裏腹に、その表情はまるで出来の悪い息子を案ずる母のようで。
少女の眼差しに、幼い頃に病気で死んだ母親のことを思い出したディーラーは、奇妙な安心感に包まれながら意識を闇に手放した。




