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【5章完結】平凡勇者は挫けない【7章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
第四章 迷宮都市編

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0084 死闘遊戯

 ──迷宮都市 多頭蛇《ヒュドラ》地下施設(sideアーシュラ)──


 廊下から差し込む光が暗闇を四角く切り取っている。

 身を隠せそうな空き部屋に転がり込んだアーシュラは、天井にぴたりと張り付き、じっと息を殺して追手の気配が消えるのを待っていた。


「くそっ! どこに隠れてやがる!?」


「必ずどこかにいるはずだ! 探し出してぶっ殺せ!」


 アーシュラの隠れている部屋の前を、男たちの影が忙しなく横切っていく。

 すると最後尾を走っていた男が一瞬、出入り口から暗闇の奥を覗き込む。


「……こんなとこにいるわけねぇか」


 が、まさか天井に張り付いているとは思わなかったのか、すぐにどこかへと去っていった。


「……巻いたか」


 やがて耳鳴りがするほどの静寂が訪れると、アーシュラはようやく警戒度を一段引き下げ、天井からひらりと床に下り立った。


「奥に何かいやがるな」


 ツンと鼻を刺すような獣臭さを感じ、改めて周囲を見渡してみる。

 明かりの落とされた通路は薄暗く、奥がどうなっているかここからでは伺い知れない。


 通路の左右は鉄格子で塞がれ、檻の中には人骨がいくつも転がっている。

 壁や床には血のシミがべっとりと付着しており、危険な獣の気配を感じさせた。


「気を抜くなよアリア。……アリア?」


 てっきり近くにいるものと思って声をかけるが、返事がない。

 そこでようやくアーシュラはアリアのニオイが近くにないことに気づき、顔を青ざめさせる。

 透明化の際にニオイも消えてしまい気付くのが遅れたのだ。


「嘘だろ!? もう迷子になりやがったアイツ!」


 姿が透明になった段階で手を繋いでおいてやるべきだったと反省するが、時すでに遅し。

 アリアがまたぞろ突拍子もないことをしでかす前に見つけてやらねば。

 そう思ってアーシュラが来た道を引き返そうとした、そのとき。


「っ!」


 天井から分厚い金属製の隔壁が下りてきて、廊下への出入口が塞がれてしまう。

 退路を断たれ、仕方なくアーシュラが通路の奥へ視線を向ける。

 すると、天井の照明が点灯した。


 向かって右側の鉄格子が開き、中にいた魔物がゆっくりと通路へ顔を出す。


「グルルルルル……ッ」


 のそり、と。

 首を擡(もた)げた四足の巨獣が獰猛な唸り声を上げる。


 それは様々な魔物の特徴を兼ね備えていた。

 炎獅子のしなやかな体躯からずるりと伸びるのは、強靭な竜の尾。

 背中には猛禽の翼があり、頭部は暴れ雄牛に似ていた。

 顔の半分はまるでスライムのように溶けており、剥き出しの眼球がギョロギョロと蠢(うごめ)き、生理的な不快感を与えてくる。


 自然発生する新種の魔物ではありえない造形。

 人類の天敵としてデザインされた悪意の獣が牙を剥き、唸り声を上げる。


 だが────。


「あ゛ぁ?」


 その程度で怖気づくアーシュラではない。


 全身に紫電を纏わせアーシュラが睨み返すと、強者の気配に魔物が一瞬たじろぐ。

 その隙をアーシュラは見逃さなかった。


 決着は一瞬。


 一歩で相手の懐へ飛び込み、貫手一閃。

 魔物の喉に深々と突き刺さった腕が引き抜かれると、赤黒い血潮が噴水のように穴から噴き出した。


 魔物の巨体が床に沈むと、通路の奥から光が差し込む。

 血の雨を浴びて赤黒く染まったアーシュラが光の方へ目を向けると、分厚い金属の扉が開かれ先へ進めるようになっていた。


 誘い込まれている。


 あからさまな誘導に乗るしかない今の状況は癪に障ったが、とはいえ他に抜け道がありそうな感じもない。

 仕方なく通路を進むと視界が開け、目を焼く強烈な光にアーシュラは僅かに目を細める。


『さーぁ、満を持して登場したのはデリング錬金術工房の最高傑作! 複数の強力な魔物の因子をかけ合わせて生み出された人造魔物! その名も……って、あらら?』


 そこは高い壁に囲われた円形の決闘場だった。


 アーシュラが周囲の様子を嗅ぎ取れば、まず鼻を突いたのはむせ返るほど濃い血の臭い。

 次いで不健康な人間の体臭と汗のニオイがむわっと押し寄せ、そのニオイを誤魔化すように高価な香水の香りが混じる。


 壁の上に目を向ければ、観客席が階段状にずらりと並び、夜会用のマスクで変装した男女が席を埋め尽くしていた。

 猛獣対策か、決闘場の真上は金属製の鉄格子で塞がれており、観客たちはその隙間からこちらを興味深そうに見下ろしている。


 足元を見れば前の試合のものか、破り捨てられた投票券が散らばっていた。

 どうやらここは上流階級の客を集めて非合法の賭け試合を行う地下闘技場のようだ。


 アーシュラの前に立つのは、彼女と同じく狼の耳と尾を持つ黒髪の青年。


 年齢は二十歳前後といったところだろう。

 ボロボロのボクサーパンツだけを穿いたその姿は、拳闘士と呼ぶに相応しい出で立ちである。

 鍛え抜かれた鋼のような筋肉もさることながら、何よりも目に留まるのは……首に着けられた金属製の首輪。


「チッ、そういうことかよ」


 迷宮都市、多頭蛇の腹の底にて悍ましい企みの影あり。

 大海賊ギオドラに宛てられた手紙を思い出し、ここがそういう場所なのだと理解したアーシュラは、顔をしかめて小さく舌打ちした。


「アンタが俺の最後の相手か?」


 相対する青年がアーシュラに気軽な調子で話しかける。


 ────その眼光の鋭さたるや。

 今まで数々の修羅場を潜り抜けてきたアーシュラが思わず息を飲むほどだった。

 実戦の中で鍛え抜かれたであろう身体からは、むせかえるほどの闘志が立ち昇っている。


 これほどの戦士が何故このような場所で戦っているのか、その経緯をアーシュラは一切知らない。

 だが彼を一目見た瞬間から、全身の血が騒いで仕方がなかった。


 それは好敵手との出会いに震える戦士としての本能か。

 はたまた理想の雄に出会えた雌の劣情か。

 未知の感覚を前にアーシュラの口角は自然と吊り上がり、電気を帯びた髪がバチバチと放電しながら逆立っていく。




 ◇



 ──地下闘技場 特別観覧席──


「ええい! キマイラはどうした!? あの女は誰なんだ!?」


 自信作の人造魔物がいつまで経っても出てこないことに苛立ち、蛇顔の青年──デリングが声を荒らげる。

 多頭蛇(ヒュドラ)の創設にも深く関わった大幹部の怒りに晒され、構成員たちの顔はすでに真っ青だった。


 デリングの組織内での立ち位置は総帥に次ぐ。つまりナンバーツーだ。

 この若作りの老人の機嫌を損ねれば、それだけで下っ端構成員の命など文字通り泡と消えてしまう。


「も、もう少々お待ちを。今、飼育担当の者にキマイラの檻を見に行かせていますので……」


「くそっ! 今回のプレゼンでどれだけの金が動くと思っている!」

 

 正直に答えた角刈りの護衛の頭を杖で殴りつけ、デリングがイライラと頭を掻きむしる。

 この地下闘技場で賭け試合を楽しんでいるのは、いずれも各国の貴族や有力議員といった上流階級ばかり。

 彼らは皆、多頭蛇と通じて甘い汁を啜ってきた者たちであり、組織の重要な資金源でもあった。


 今日の試合は戦闘用に開発した人造魔物の性能を見せつけ、兵器として売り込むために開かれている。

 だというのに肝心要のキマイラがいつまで経っても現れない。


 ようやく安定した魔人化手術の方法を確立できたのだ。

 魔法薬でどうにか誤魔化してはいるが、死の足音はこうしている今も刻々とデリングに迫っている。


 ────長く見積もって、あと一年。

 それ以上はおそらく魂がもたない。

 ここで資金不足に陥り足止めを食らうわけにはいかなかった。


 すると、闘技舞台をオペラグラスで覗いていたツーブロックヘアの護衛が驚いたように目を見開く。


「あの女、まさかアーシュラ・ベオウルフか!?」


「知っているのか」


「徒手格闘では右に出る者無しとまで言われる実力者です。先月のオーランの騒動でも先陣を切って冒険者の船団を指揮したとか」


「そんな女がなぜこんな場所に」


「そ、そういえば、三〇分ほど前に第五区画の壁がダンジョン側から破られたようだと警備担当から報告がありやしたが……」


 謎の女の正体が判明し、デリングが僅かに落ち着きを取り戻す。

 どうにかこの状況を上手いこと利用できないものか。

 デリングの悪魔的な頭脳が、目の肥えた客を喜ばせる新たなプランを光の速さで構築していく。


「侵入者の捜索は引き続き行え。他にもネズミが忍び込んでおるやもしれん。徹底的に探し出せ」


「うす」


 デリングがツーブロックヘアの護衛に指示を出して下がらせる。

 すると、入れ替わるようにキマイラの飼育係が顔を青くして戻ってきた。


「た、大変です! キマイラが檻の前で死んでます!」


「何だと!? あの女の仕業か!?」


「喉を一突きにされてくたばってました。傷口を見る限り、体内に高圧電流を流されて即死したものかと」


「……ほう。名ばかりのハリボテではないということか」


 デリングが闘技舞台に目を向ける。

 見ているだけで皮膚が裂けてしまいそうなほどの緊張感の中、当の本人たちは互いに牙を剥いて笑っていた。

 それはまさしく獲物を前にした獣の笑み。


「予定変更だ。あの女とシドを戦わせる」


「た、確かに実力的には申し分ないかと思いますが……。相手方に戦う理由がありません」


 角刈りの護衛が懸念を口にする。

 するとデリングは舞台の中心で向かい合う二人を顎で指し示し、角刈りの護衛にオペラグラスを投げ渡す。


「見ろ、あの二人の顔を。まるで獲物を前にした猛獣のそれだ。私にはむしろ戦う理由を欲しているように見えるがな」


 投げ渡されたオペラグラスで闘技舞台に立つ二人の顔を確認するや、角刈りの護衛はあまりの迫力に身震いした。

 屈強な護衛ですら身震いするほどなのだ。見世物としては十分すぎるだろう。

 キマイラのお披露目はまた日を改めればよい。


「それに、あれほどの素体が魔人化したらどうなるか私も興味がある」


「では女が試合で弱った頃合いを見計らい、催眠系の異能者を使って捕らえさせます」


 研究員の男がデリングに頭を下げ、特別観覧席から足早に去っていく。

 去っていく男には目もくれず、デリングは闘技舞台に期待の眼差しを向ける。


「私の計画を邪魔した礼だ。存分に踊るがいい」


 蛇のように薄い唇が邪悪に歪んだ。




 ◇




 ──地下闘技場 闘技舞台(sideアーシュラ)──


『えー、お集まりの皆々様方。試合内容に一部変更がございます』


 観客たちが固唾を飲んで見守る中、この場を運営している者たちの間で何らかの方針が定まったのか、司会役の男が咳払いしつつマイクを握る。


『本日最後の試合を飾る予定だった人造魔物のキマイラちゃんですが、急な体調不良により試合不能となってしまいました。よってこの試合、シド選手の不戦勝となります』


 まさかの展開にどよめく会場。

 しかし司会役の男は気にせずさらに続ける。


『で す が! 九九戦無敗の拳闘士、その自由がかかった最後の試合が不戦勝ではあまりにも味気ない! そこで急遽、対戦相手を変更し、特別試合を行う運びとなりました!』


 スポットライトがアーシュラを照らし出す。


『その名を知る方も多いことでしょう! エスぺリサ王国出身。長年ソロで冒険者として活動し、オーランのクラーケン騒動でも最前線に立って戦った現代の英雄! ア────シュラ・ベーオウルゥゥゥゥフ!』


 巻き舌気味にアーシュラの名前が読み上げられると、会場のどよめきが驚愕に変わり、すぐさま大歓声が降り注いだ。


「なんだよ。アンタ表の有名人か? なんでこんなところに」


 黒髪の青年──シドがぐっと背伸びして、世間話でもするかのような調子で口を開く。

 しかしその立ち姿に隙は無い。

 彼がこれまで戦ってきた対戦相手たちの姿さえ見えるようであった。


 それはまさしく、人が人を殺すために積み上げてきた技術の結晶。

 シドの構えを一目見るや、彼が戦いの中で学び生き残ってきたのだとアーシュラは理解した。


「さあな。お転婆な大精霊のお守(も)りしてたらいつの間にか、だ」


 対するアーシュラも身構える。

 こちらはほとんど四つん這いに近い、獣のような姿勢。


 言うなれば野生の構え。

 狩猟本能に基づいた、己の強みを最大限活かせる獣の型。

 彼女もまた、数多くの魔物たちから学び、生き残ってきた猛者だ。


 と、ここでスポットライトがシドへと移り、司会の男が待ってましたとばかり声を張り上げる。


『そんな現代の英雄に立ち向かうのは皆様ご存じ! この地下闘技場で九九連勝の大記録を打ち立てた最強の男! この試合に奴隷からの解放がかかっております! シィィィドォォォォ! シィィィィィグムゥゥゥゥゥゥンド!!!!』


 やはり巻き舌の紹介を受けシドが天高く拳を突き上げれば、アーシュラ以上の大歓声が大雨のごとく降り注ぐ。

 シドもまた、アーシュラの強さを五感のすべてで感じ取り、今までにない感情の昂ぶりに酔いしれていた。


 ニオイ、呼吸音、筋肉が軋む音、未知の構え。それらすべてが告げている。

 目の前に立つ女は自分を戦士として完成させてくれる最高の相手であると。


『ルールは単純! 相手を戦闘不能にしたほうの勝ち! 死んでも恨みっこなしの死闘遊戯(デスバウト)!』


 じりじりと立ち位置を変え、殺気を飛ばして牽制しつつ、アーシュラは周囲に意識を向ける。

 観客に混じって、こちらの隙を伺う気配があった。


(二人……いや、三人か)


 じっとりと肌に纏わり付くような嫌な感じ。おそらくは精神操作系の異能者。

 試合で弱ったところを捕らえる算段なのだろう。見え透いた手だ。


 外道の思惑に乗るのは癪ではある。

 しかし今はそれ以上に、目の前の雄と拳を交えたいという欲を抑えきれそうになかった。


 己の内にある獣の因子が共鳴したのか、それともこれが運命の出会いというやつなのか。

 この疼きを表す言葉を、彼女はまだ知らない。


『現代の英雄VS地下闘技場無敗の男。胃が痛くなるほど張り詰めた空気が闘技場を満たしております! さあ、決戦の火蓋が、今────!』



 カァン!!!!



 ゴングと同時、睨み合っていた両者が激突。

 衝撃波が闘技場全体を揺るがした。


『落とされ……うわあああっ!? 凄まじい衝撃波ァーッ! 両者いきなり全力全開! あまりに早すぎて目で追いきれなぁぁぁい!』


 果たして、観客の中に彼らの攻防を目で追えた者がどれだけいようか。


 一直線に急所を狙いに行ったアーシュラの貫手を、シドが円の動きで横へと逸らす。

 それと同時、炎を纏った反撃の拳がアーシュラの顔面に叩き返される。


 獣じみた動きでシドの拳を躱すや、アーシュラはそのまま撹乱するように周囲を跳び回り、稲妻を帯びた爪で幾度となく襲い掛かっていく。


 まさに神速。縦横無尽の稲妻嵐。


 しかしシドもさるもの。

 アーシュラの稲妻嵐を紙一重で躱し、逸らして、時には出足を挫いて止め、的確に反撃を捻じ込んでいく。


 両者の力量はほぼ拮抗していた。

 実力が拮抗した者同士の戦いの中でしか起こり得ない、互いが互いを高め合う奇妙な感覚。

 それを肌で感じつつ、二人は同じ時代にこれほどの才能と出会えた幸運に歓喜した。


「はははっ! アンタすげぇよ! こんなに長く続いたのはアンタで二人目だ!」


 心底楽しそうに戦うシド。

 だが、まるで対比のようにアーシュラは拳を交えるほどに悲しみの色を強めていく。

 戦いの中で鋭く研ぎ澄まされた嗅覚が、シドの体内に埋め込まれた異物の存在を感づかせたからだ。


 それは数多くの魔物と戦ってきたアーシュラをしても未知の劇毒。

 シドの心臓付近に埋め込まれたカプセルが砕ければ、毒は瞬く間に全身へと広がり、彼の命を奪うだろう。

 激しい攻防の中、アーシュラはシドが発するニオイから、彼が自らの運命を知りながら戦っていることを察した。


「なんで……ッ。どうして笑ってられるんだよ!?」


「俺は奴隷だぜ? 俺にはここで戦って死ぬことだけしか許されてない」


 シドの炎爪がアーシュラの頬を掠める。


「だけどその中で俺たちがどう生きようと、それは俺たちの自由だ」


 シドの答えを聞き、アーシュラは奥歯を強く噛み締める。

 この男は自らの結末を知りながらも、己の生きる意味を戦いの中に見出し、それを懸命に掴みとろうとしている。


「最後の相手がアンタでよかった。俺はこの戦いで戦士として完成できる」


 身体は鎖に繋がれど、心の自由までは奪わせない。

 そんな彼の在り方をアーシュラは気高いと思った。

 ゆえに、だからこそ。


「……ざけんなッ」


 ここで死なせてしまうにはあまりにも惜しい。

 そう思わずにはいられなかった。


「終わらせねぇ! オレがここから連れ出してやるッ!!!!」


「無理だ」


「無理じゃねぇ! お前はまだ強くなれる!!!!」


 喉を狙った突きをシドが後ろへ跳んで躱すと、アーシュラはさらに踏み込んで猛攻を仕掛ける。


「お前も感じてんだろ!? 目の前の壁に、向こう側があることを!!!!」


 それはシドも薄々感じていたことだった。

 多くの戦いを通じて己の感覚を研ぎ澄ませていく内、獣人族の戦士は己の前に壁を感じることがある。

 その壁は多くの者が己の限界だと錯覚する頂(いただき)。

 シドもそうだと思っていた。────否、そう思い込むしかなかったのだ。


「……やめてくれ。勝っても負けても俺はこれで最後なんだ。どの道ここで終わる運命なら、たどり着ける最大限で満足するしかないだろ!?」


 口から出た言葉とは裏腹に、まるで血を吐くような表情。

 長年苦楽を共にした友を手にかけてまで繋いだ命の果てが、こんなところでいいはずがない。満足などできるものか。


 先があるなら見てみたい。

 そこへ辿り着きたい。

 最強になりたい。


 トグルの……親友の死を、無意味なものにしたくない。


 視線、声色、骨の軋み、ニオイ。

 シドの全身がそんな思いのすべてを物語っていた。


「だったらそんな運命、オレがぶっ壊してやるよ!」


 言うや否や、アーシュラから稲妻の柱が立ち昇り、闘技場全体に胃の腑がひっくり返るほどの爆音が轟いた。

 シドの目が眩しさに馴れると、そこにいたのは────灰色の人狼。

 毛先からバチバチと紫電を放つその姿は、まるで神話に語られる雷の化身そのものだ。


 獣の因子を解放したアーシュラの神々しいまでの力強さに、シドは戦いの最中であることも忘れて見入ってしまう。


 刹那、闘技場に激しい雷鳴が轟いた。


 高いところから一部始終を見ていた観客たちの目にも、アーシュラがシドの背後へ瞬間移動したようにしか見えなかった。


 雷光の尾をバチバチと靡(なび)かせ、灰色の人狼が白い息をゆっくりと吐き、残心。

 その手の中には、小指の爪ほどの小さなカプセルが握られている。


 爪先に集中させた電気エネルギーでカプセル周辺の肉だけを蒸発させ、露出したカプセルを電磁力で引き寄せ摘まみ取ったのだ。


 アーシュラが猛毒のカプセルを踏みつぶすと同時、その背後でシドが仰向けにぶっ倒れる。

 貫かれたはずの胸に流血は無い。

 一歩間違えれば心臓ごと貫きかねない、針の穴を通すような神業だった。


(────っはは。すっげぇ……!)


 それは生まれて初めての敗北。

 だが負けた悔しさ以上に、感動のほうが勝っていた。


 それは壁を超えた戦士のみがたどり着ける極致。

 圧倒的な強さは運命さえも捻じ曲げる。

 身体に痺れはなかったが、そのデタラメな強さに心がシビレた。


『こ、これは……。いったいどうしたことだー!? アーシュラ選手が瞬間移動したと思ったら、シド選手がぶっ倒れたぞーッ!?』


 何が起きたのか分からず戸惑っていた観客たちだったが、次第に熱を取り戻し、声援が音の洪水となって二人の頭上に降り注ぐ。

 観客に混じってアーシュラの隙を伺っていた黒フードの男たちも、いつ仕掛けるべきか戸惑っている様子だった。


 倒れたシドのもとへ歩み寄り、アーシュラはベルトポーチから取り出した回復薬を彼の傷口に振りかける。

 胸に空いた小さな穴はすぐに塞がった。


「すげぇなアンタ。デタラメだ」


「お前もすぐに辿り着けるさ」


 床の上で大の字になって笑うシドに、アーシュラがニッと笑い返す。

 もうシドの命を脅かす毒は取り除いた。

 彼ほどの実力があれば、そう遠くない内に獣化転神の奥義を会得できるだろう。


 となれば、あとやるべきは一つだけだ。


「……で? ここからどうするつもりなんだ?」


「任せとけって」


 次は何を見せてくれるのかとワクワクしつつシドが期待の眼差しを向けると、アーシュラは口の端を獰猛に吊り上げ、頭上を塞ぐ鉄格子を見上げた。


 アーシュラの眉間から紫電が迸る。

 すると鉄格子を固定していたボルトが次々と弾け飛んでいく。

 そのまま右腕を天高く突き出せば、鉄格子が天井に向かって吹き飛んだ。


 電磁力による金属の操作。

 アーシュラの得意戦法の一つである。


「マジかよ! アンタ本当に無茶苦茶だな!」


「逃げるぞ!」


 アーシュラがシドに手を差し伸べる。

 胸の毒は除かれ、物理的な障壁もたった今吹き飛んだ。

 もはや彼を縛るものは何もない。


 差し出された手を取り、シドが起き上がる。

 そのまま二人は息を合わせ、観客席に向かって大きく跳んだ。


「うわああああ!? こっちに出てきたぞ!」

「いやあああああっ!?」

「おい押すな! 俺が先だぞ!」

「くそっ! 観客が邪魔だっ!!!!」

「逃がすな! 捕まえろ!」

「馬鹿野郎! 銃を下ろせ! 観客に当たったらどうする!」


 アーシュラを捕獲するべく隙を伺っていた黒フードの男たちが一斉に動き出すが、パニックに陥った観客たちに押し流され思うように動けない。

 まんまと混乱に乗じた二人は闘技場から一目散に逃げだした。

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