0009 恐れを受け入れ踏み超える(sideリゼラ)
あちこちから火の手が上がっていた。
空には数えきれないほどの飛竜が飛び交い、空から一方的に火球を吐き落としている。
逃げ惑う人々を必死に塔の方へ誘導しつつも、リゼラは悔しさに唇を噛み締めていた。
(こんなときのために勉強してきたのに……!)
確かにリゼラの才能は凄まじい。
知識も豊富で、まだレベル1にも関わらず『まりょく』と『かしこさ』のステータスに限れば熟練の魔法使いと比較しても遜色ないほどだ。
しかしこの状況をひっくり返せるほどの大魔法を発動させるには、どうしたって魔力が足りない。
飛竜を倒せる魔法はいくつか思いついても、数の暴力の前には成す術がなかった。
自分はまだ未熟で、弱い。
人々の命が失われていく中、ただ見ていることしかできない自分の弱さが何よりも悔しかった。
「ま、魔物だーッ! 魔物が追ってぎゃぁぁぁッ!!!!」
逃げる人々を跳ね飛ばし大通りの向こうから現れたのは槍のような二本角が特徴的な四足の巨大な魔物。血濡れ雄牛。
体長は五メートルほどもあり、牛のような見た目だが肉食性で非常に凶暴。血を見ると興奮して手が付けられなくなると言われており、熟練の冒険者でさえ手を焼く危険な魔物だ。
「まさか血濡れ雄牛!? 禁域にいるはずの魔物がどうしてこんな町中に!?」
「いいから逃げるぞ! あんなバケモノ、俺たちの手に負えねぇよ!」
屈強そうな冒険者たちが尻尾を巻いて逃げ出す中、血を見て興奮した血濡れ雄牛が逃げ遅れた男の子に狙いを定めた。
男の子は恐怖に腰を抜かしたまま動けずにいる。
鼻息荒く蹄で地面を掻き、突進のための力を溜める血濡れ雄牛。
その横っ面に────。
「雷光よ槍となりて敵を穿て!」
────リゼラの放った雷の槍が突き刺さった!
高圧電流を浴びた血濡れ雄牛の巨体が痙攣し、動きが止まる。
だが相手は一頭で中規模の町を壊滅させることもある強力な魔物だ。ぶるると頭を振ってすぐに調子を取り戻した血濡れ雄牛の怒りに濡れた瞳がギロリとリゼラを睨み据える。
「かかってきなさい、このウスノロ! 私が相手よ!」
転がるように逃げて行く男の子に内心ホッとしつつ、リゼラは声を張り上げ怪物を睨み返す。
言葉は理解できずともバカにされた気配を感じたのか、血濡れ雄牛が怒りの雄たけびを上げた。凄まじい大音声を受け周囲の建物に罅が入り、風圧がリゼラの髪をぶわりと巻き上げる。
吹き荒れる暴風に目を細めつつ、リゼラが杖頭を正面に向ける。
それと同時、血濡れ雄牛が突進のために力を溜め始めた。
術式構築開始。
選択した魔法はリゼラが使える中で最も威力のある徹甲爆裂魔法。
敵の装甲を貫いて内側から爆殺する彼女のオリジナルで、そのあまりの破壊力ゆえに母から使用を禁止された魔法でもある。
先に動いたのは血濡れ雄牛だった。
全身の筋肉を総動員し、一瞬でトップスピードに乗った巨体がリゼラを轢き潰そうと迫る。
(速い!? 回避……ダメ! 今中断したら暴発する! 間に合わな────!?)
経験不足から来る戦力差の想定ミス。
迫り来る死を前にリゼラの頭が真っ白になった、次の瞬間。
「リゼラ────ッ!!!!」
真横から誰かに突き飛ばされ、途中まで構築しかけた魔法が血濡れ雄牛の鼻先で暴発した。
顔に爆発を食らった血濡れ雄牛が悲鳴を上げて横へと逸れていく。
突き飛ばされた衝撃で地面を転がったリゼラは、慌てて周囲の状況を確認しようと視線を巡らせ────目の前に広がる血だまりに顔を青ざめさせた。
「あ、アンタ、どうして!?」
「魔法、練習しといて正解だっ……ガハッ!?」
冷汗まみれの大翔が血を吐いて地面に突っ伏す。
魔法で形成した砲弾の破片が背中を食い破っており、首筋まで切り裂いていた。
「け、怪我ないか……?」
「バカッ! なんて無茶するの! 魔法の構築中に飛び込んでくるなんて正気じゃないわ!」
「……お守り、見つけてくれただろ。まだお礼、ちゃんとできてなか……ゲホッ! ガハッ!」
「喋るな! 傷が開く!」
リゼラが魔法で処置しなければ、大翔は間もなく死ぬ。
しかしこんなときのために練習してきた魔法は発動までに時間がかかる。
今の発動速度では……とても間に合わない。
血に濡れた少年の手が、リゼラの手を弱々しく握り返す。
大翔の表情は死の淵に立たされているとは思えぬほど穏やかで、どこか肩の荷が下りてホッとしているようにも見えた。
(どうして……)
どうしてこの少年は、大して仲が良かった訳でもない相手のために自らの命を投げ出せてしまえるのか。
本人の言うようにお守りの石ころを見つけてやったお礼なのだとすれば、あまりにも割に合わない。
己の実力に見合わない大きすぎるほどの勇気。────否、こんなものが勇気であるはずがない。おそらくは彼の生い立ちに起因する、もっと歪なナニカ。
それが何なのか、今のリゼラには知る由もない。
ただ一つ分かることは、僅か十四歳の少年が満足そうな顔で今にも命の手綱を手放そうとしているということだけだ。
(……このままじゃ、コイツはもうすぐ死ぬ)
今からでも母を呼びに行けば。一瞬脳裏をよぎった甘えた考えをリゼラはすぐに振り払う。
それではダメだ。間に合わない。
助けられる可能性があるのはやはり自分しかいないのだ。
しかしそうと分かっていても、かつてのトラウマがどうしようもなくリゼラの身を竦ませる。
完全治癒魔法は『治癒』とは付いているが、その原理は錬金術の物質組成変換に近いものだ。
ゆえにその難易度も通常の治癒魔法とは比較にならない。
完全治癒魔法の術式はまず対象の構成情報を読み取るところから始まる。
次に読み取った情報を元に術者の知識と照らし合わせ、脳内で健常な肉体のイメージモデルを構築する。
そのイメージモデルを元に対象の構成情報を上書きすることで傷や病を治療するのだ。
魔法によって構成情報を書き換えられた物体は基本的に書き換えられた状態のまま残り続けるという法則がある。
この方法ならば癌や先天性の遺伝子疾患なども異常部分を修正して上書きしてしまえば根治可能であり、生まれつき手足の無い人物に手足を生やすことさえ可能だ。
しかしそれを実行するには人体の膨大な構成情報を読み解き異常個所を即座に見分けるだけの知識と、正確なイメージモデルを構築するだけの人並み外れた演算能力が必要となる。
当然、そんなものを定型文化するのは不可能だ。
ゆえに完全治癒魔法に呪文は存在しない。
失敗すれば、その先に待つのは大翔の死だ。
(無理よ。どうせ私には誰も救えない)
あの日の自分が、血まみれの大翔を前に震える今の自分を嘲笑う。
(どうせまた失敗する)
(無知で愚かなリゼラ)
(また殺すのね。自分の魔法で)
「────違うッ!」
頭を振って過去の幻影を打ち消し、リゼラは強く拳を握り込む。
普段の強気な態度も、弱くて臆病な自分の裏返し。
アリアを喪ったあの日から、魔法を使うことが怖くて仕方なかった。だがそれ以上に親友を殺してしまった自分がどうしても許せなくて。
逃げてはならないと思った。
周囲の大人は自分がどれだけ請い願っても罰を与えてはくれなかった。だからこそ、使うことさえ恐ろしい魔法を極めることを自らへの罰とした。
難解な医学書を読み漁り知識を蓄えてきたのは何のためか。リゼラはこれまでの日々を振り返り自問自答する。
(もう二度と間違えないためよ!!!!)
ここは魔法都市。
多くの賢人が集い、あらゆる学問を探求する学術の都。幸いなことに、必要な知識は望めばすべて手に入った。
目の前の命を助けられる方法はすでに手の中にある。
あとは自分次第。
「あの時とは何もかも違う! 今度こそ絶対に助けてみせるッ!!!!」
恐怖を無くすことはできない。
だが、過去と向き合い、乗り越えることはできる。
知は力。これまで学んだあらゆる知識が、恐怖に挫けそうになったリゼラの心を支えてくれた。
奮い立ったリゼラの青い瞳に覚悟の光が灯る。
術式構築開始。
励起した魔力光が文字となってリゼラの周囲をつらつらと飛び回り、膨大な文字の群れは円を描いて陣を結ぶ。
恐ろしい速さで浮かんでは消えてゆく魔法構文を目で追いながら、魔法を組み上げていく。
完全治癒魔法を使う際、リゼラは術式構築と並行して脳内で作成したイメージモデルに不具合が無いかを様々な条件でシュミレーションを行っていた。
健康な状態とは様々な要因が複雑に絡み合い、それらの均衡が綱渡りのようなバランスで成り立っているだけに過ぎない。
それはある種の奇跡に近く、そのバランスを崩さぬよう『人間にとって不都合な部分』だけを修正するのは困難を極める。
魔法の発動までに二分三六秒もかかってしまうのも、可能な限り完璧な状態で治さなければならないという強迫観念にも似た彼女自身の信念が原因だった。
その根底にあるのはかつての失敗。
自らの不勉強が他者の命に関わるという、あまりにも重すぎるプレッシャー。
その恐怖は消そうと思って消せるものではなく、無くしてしまってもいけないものだ。
(今はとにかく早く。もっと! もっと早く!)
ゆえにリゼラは術式構築とイメージモデルの確認作業、そのどちらも超高速でやることにした。
手を抜くなどという選択肢は初めから彼女の中に存在しない。
極限の集中は脳に通常の何倍もの負荷をかけ、顔中の穴という穴からドロリと血が垂れる。
「生きろ!!!!」
口を衝いたのは、心からの願い。
呪文の無い魔法だからこそ、その言葉は何よりも強い力を得た。
魔法が発動し、大翔の全身を温かな光が包む。傷がみるみる癒え、失われた血が戻り、大翔の手足に力が漲っていく。
魔法発動にかかった時間は────三秒ジャスト。
「────あれ……? 俺、生きて……?」
間一髪。死神の手を逃れた大翔が呆けた顔で首筋をさする。
首筋には大きな傷が塞がったような跡が残っていた。発動時間を優先するため見た目にまで気を回す余裕が無かった、未熟者の証。
無事でよかった。
喉まで出かけた安堵の吐息は、魔物の放った怒りの咆哮によってかき消される。
大きな音に身を竦ませつつも二人が音源に目を向ければ、怒りに燃える真っ赤な瞳と視線が交わった。
自前のタフネスで傷を再生させた血濡れ雄牛が地面を削り取る勢いで前足を掻く。
モー許さん。絶対にぶっ殺す。
こちらを向いた角の先端から、そんな無言の殺意が伝わってくる。
「……さっき使おうとしてた魔法、当たればアイツ倒せるか?」
木剣を構えて前に出た大翔が、肩越しに問う。
「一撃で木っ端微塵よ」
鼻の奥に溜まっていた血を口から吐き捨て、杖を正面に構えたリゼラが断言する。
砲弾の形成にやや時間を要するのが難点だが、直撃さえすれば飛竜だろうと一撃で粉砕できる自信があった。
「俺がアイツの気を引く。その隙に仕留めてくれ」
「……怪我したら承知しないから」
「そのときはまた治してよ」
今にも爆発寸前の血濡れ雄牛を見据えたまま、大翔が苦笑いを浮かべる。
背中越しでも無理をして強がっているのが伝わってきて、正直見ていられなかった。相手は自分たちの何倍も大きな怪物なのだ。そんな相手に剣一本で立ち向かおうというのだから怖くて当然だろう。
それでも少年は剣を握った。例えそれが歪な自己犠牲の精神から来るものであったのだとしても、生きるために立ち上がったのだ。
その背中に勇気を貰っている自分がいることに気付き、リゼラは小さく苦笑を零し────それからすぐに強気な表情を作って言葉を返す。
「即死以外なら必ず治してあげる。生き残るわよ、二人で!」
リゼラが手中でくるりと長杖を回し、杖頭についた宝玉で大翔の肩をトントンと軽く二回叩く。
すると大翔の全身に力が漲り、魔物に立ち向かうには頼りない練習用の木剣が頑丈な鉄剣に変化する。
無詠唱による身体強化魔法と物質変換魔法だ。
「────────ッッ!!!!」
直後、血濡れ雄牛の咆哮が大気をビリビリと震わせる。
強烈な音圧が二人の全身を叩くが、彼女たちの顔に恐怖の色は無い。
「来いよ、すき焼き野郎! お徳パックの薄切りロースにしてやる!」
大翔の挑発に怒った血濡れ雄牛が放たれた矢のように突っ込んでくる。
一歩。二歩。三歩。やはり恐ろしく早いが、それでも一度見た攻撃だ。
リゼラの目は血濡れ雄牛の動きを鮮明に捉えていた。
「今だっ!」
タイミングを合わせて二人が散開し、わき目も振らず突っ込んできた血濡れ雄牛の両脇をすり抜ける。
通りすがりに振り抜かれた刃は血濡れ雄牛の後ろ足の腱を鋭く断ち切り、片足の自由を失った巨体が勢いあまって建物に頭から突っ込んでいく。
激突。
もうもうと粉塵が舞い上がり、その中に巨体が消えかけた、次の瞬間。
「貫けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ────────────────ッ!!!!」
リゼラの徹甲爆裂魔法が叩き込まれ────大爆発!
建物の窓から炎が噴き出し、爆風が二人の前髪を攫う。
建物が倒壊する轟音に断末魔はかき消され、血濡れ雄牛は瓦礫の下に沈んだ。




