0010 魔法都市の終焉
リゼラの魔法が炸裂し、牛の魔物が爆炎と共に瓦礫の下へ沈む。
動けた……。思った通りに身体が動いた!
体育の成績はABC評価でいつもC。
バスケやサッカーの授業では周りについていけずあたふたするだけで、顔面にボールを喰らって保健室に行った回数は両手の指じゃ数えきれない。
毎度のように通知表に書かれる「真面目に授業を受けていて偉いと思います。もう少し体力がつくといいですね」という分厚いオブラートに包んだ先生のコメントに申し訳ない気持ちでいっぱいになるのが学期末の恒例だったのに。
そんな俺が、動けた……!!!!
「俺、強くなってる!」
────って、感動してる場合じゃない! 早く逃げないと!
牛の魔物が突っ込んだ建物を油断なく睨んでいたリゼラの手を掴み、ひとまずこの場を離れようとアテもなく走り出す。
「ちょっと引っ張らないで! どこ行くのよ!?」
「ひとまず隠れよう! こんなところに立ってたら恰好の的だ!」
上空にはまだまだ沢山の飛竜が飛び交っている。
すると一匹の飛竜がこちらに気付き、進路を変えた。ひとまず瓦礫の隙間に身を隠し、息をひそめてやり過ごす。
飛竜が炎を吐きながら低空飛行で俺たちの目の前を横切っていく。
「……パパは? 一緒にいたんじゃないの?」
飛竜の気配が遠ざかると、リゼラが不安そうな顔で口を開いた。
「リゼラが出ていったのと入れ違いでマリエラさんが帰ってきて、それから銀髪の男が現れたんだ。アイツ自身は魔具職人って名乗ってたけど」
「っ!? ……そう。じゃあ二人は今、魔王の相手をしてるのね」
俺が頷くと、リゼラは泣きそうなのを堪えるように唇を噛んだ。
師匠たちは無事だろうか。今は二人の安否が何よりも気がかりだった。
「なぁ、放浪の魔王って何なんだ? 師匠があんな顔するなんて、そんなに強いのか?」
「……不死魔王に次ぐ古い魔王よ。名前の通り、突然ふらっと現れて町の住人全員を道具に変えて持ち去るらしいわ」
「なんでそんなことを」
「分からないわよ。六〇〇年前の人魔大戦じゃ勇者たちを何度も助けてるし、ただの気まぐれかもしれない。それより、ソイツは自分で魔具職人と名乗ったのよね?」
「え? ああ、うん。確かにそう言ってたけど……それがどうしたんだ?」
俺の疑問には答えず、リゼラは顎先に触れながら数秒ほど思案顔で黙り込む。
「────ついてきて。竜の塔へ向かうわ。あそこなら飛竜の攻撃が直撃しても耐えられるし、町の外へ抜ける避難通路もある。魔王の目的がこの町の人たちを道具に変えて持ち去ることなら、今はとにかく一人でも多く逃がさないと」
悔しいが、俺たちが師匠たちの加勢に行っても足手まといになるだけだろう。
それなら今の自分にできることを精一杯やるしかない。
「分かった。行こう」
周囲を警戒しながら大通りへ飛び出す。
どこもかしこも火の手が上がり、道端には焼け焦げた死体がいくつも転がっている。
前を行くリゼラの顔は見えなかったが、涙を必死に堪えているような気配を背中から感じた。
目の前で住み慣れた町を焼かれたんだ。悲しいだろうし、悔しいに決まってる。
しばらく道なりに駆けると、塔の入り口が見えてきた。
入り口はすでに閉じられていて、中に入れなかった人々の焼死体が正面の広場に転がっている。
────そんな屍の山に囲まれた死の舞台で剣を交える二つの影。
師匠と魔具職人だ。
二人から少し離れた場所には杖を構えて師匠のサポートに徹するマリエラさんの姿もある。
師匠は魔具職人の猛攻を凌ぎつつ、立ち位置を入れ替えながら剣を果敢に叩き込んでいく。
そんな息つく間も無い高速剣戟の合間を縫って、マリエラさんの魔法が的確に魔具職人を撃つ。
光の矢が魔具職人の手首と膝を貫き、底無しの泥沼が足取りを鈍らせる。
逆に師匠はあらん限りの強化を受け、泥沼をものともせず、攻撃の手はさらにさらに加速していく。
だが魔具職人の余裕の表情は崩れない。
人類最強の剣技はサーベル一本で捌き切られ、足元の泥沼は踏み込み一つで元の石畳に戻った。
光の矢に射られた手首と膝もいつの間にか元通り再生していて、まるで効いている様子が無い。
あの二人相手に手加減しているのか!?
「くっ! 化物め!」
剣戟の音を響かせ何度も打ち合いながら、師匠が悪態を吐く。
魔具職人は汗一つ掻いておらず涼しい顔なのに対し、師匠たちは血と埃にまみれてボロボロだった。
魔具職人が邪悪な魔力を纏わせたサーベルで目の前を薙ぎ払う。
間一髪、剣でガードした師匠が大きく吹き飛ばされ、それを追って魔具職人が駆け出す。
すると辺り一帯の地面が凍結して、足を取られた魔具職人の動きが一瞬だけ止まった。
そこへマリエラさんが空中に展開していた無数の砲弾が一斉に殺到し────。
大爆発。
立っているのがやっとなほどの爆圧を踏ん張って堪えると、濛々と舞い上がる粉塵が場を覆い隠す。
体勢を立て直した師匠が剣を構えた、次の瞬間。
轟ッッ!!!!
土煙がサーベルの一振りで吹き散らされ、無傷の魔具職人が姿を現す。
「────この語らいが永遠に続いたなら、どれほどよかったことか」
どこか名残惜しそうに魔具職人がサーベルを鞘に納めると、その手に禍々しい紫のオーラが立ち昇る。
見ているだけで鳥肌が立つほどの圧を感じた。
「させない!」
マリエラさんが杖の石突きで地面を強く突く。
すると地面から光の鎖が幾本も現れ、魔具職人の全身に絡みつき動きを封じた。
「すごい! あんな大規模な封印術、いつの間に……!?」
隣でリゼラが達人の技巧に唸る。
素人の俺には分からないが、きっと相当高度なことをしたのだろう。
「これで決めさせてもらうぞ!」
「っ!?」
そこへ師匠が瞬間移動じみた勢いで踏み込み、オーラを纏わせた剣を袈裟懸けに振り下ろす。
振り抜かれたその太刀筋は息を飲むほど美しく、空中に残された光の軌跡は強烈なビジョンとして俺の目に焼き付いた。
それは闘気コントロールと剣技の極致。
あらゆる防御を無視して敵に致命の一撃を与える、剣神の一刀。
「……やはり円環の始点はあなただ」
ビタビタと口から血を零しつつも魔具職人が薄く目を細め、師匠の剣に称賛の言葉を送る。
「あなたの一刀にて葬られる。それが叶うのであれば、私もどれほど報われたことか……」
だが、それでも。
師匠の剣は魔王の命にあと一歩届かなかった。
肩から胸にまで深く食い込んだ刃は、魔王の心臓を断ち切る前に折れてしまっていた。
「────やはり、未だあの人の領域には至れない、か……」
ごぽりと、師匠の口から血の塊が溢れ出る。
気づけば魔具職人の腕が師匠の胸を貫いていた。
そ、そんな……。師匠が、負けた……?
「パパ…………?」
リゼラが杖を手放し、膝から崩れ落ちる。
杖が地面に転がった音に気付いて、魔具職人が一瞬だけこちらに視線を向けた。
「少し脚本を弄るとしましょう。さて、此度はどう転ぶか」
「な、にを……がふっ!?」
「魔具転生」
魔具職人の手に宿る紫のオーラが輝きを強くし、師匠の全身を覆ってゆく。
メキメキと嫌な音だけが妙に耳に響いた。人としての形が崩れ、歪められていく。
やがて師匠は白銀の鞘に収まった一振りの片手剣になった。
魔具職人。奴自身が名乗った二つ名が不意に頭をよぎる。
「っ! よくもルキウスを!」
マリエラさんが魔具職人に杖を向ける。
魔具職人の頭上に魔法陣が幾重にも展開し、直後、空から降り注いだ光の柱がすべてを白く染め上げた。
「賢者マリエラ。あなたの才能はやはり危険だ。シナリオを根底から覆しかねない」
「っ!?」
マグマの池と化した地面から、真っ黒に炭化した魔王がゆっくりと這い出てくる。
魔具職人が指を高らかに鳴らせば、まるで最初からダメージなど受けていなかったかのように、すべてが元通りになった。
マリエラさんは驚愕に目を見開いたまま────吐血。その場に膝から崩れ落ちる。魔力切れだ。
息も絶え絶えに杖で身体を支え、最後まで諦めまいとする強い眼光が魔王を睨みつける。
直後、魔王のサーベルがマリエラさんの心臓を貫いた。
そのまま魔具職人はマリエラさんの頭を鷲掴みにすると、魔王の手に宿っていた紫のオーラがじわじわと彼女の全身を包み込んでいく。
するとマリエラさんの身体がメキメキと圧縮されて、みるみる内に漆黒の杖になった。
剣と杖、道具になってしまった二人がふわりと浮き上がり、俺たちの前に飛んでくる。
「その剣と杖は君たちに差し上げましょう。彼らは君たちの手の中にあってこそ輝く」
まるで純粋な善意でそうしているかのような顔で、奴は言った。
「そ、そんな……師匠……?」
目の前に浮かぶ白銀の剣に呼びかけるが、返事はない。
恐怖が血を凍らせ、指先から感覚がなくなっていく。
「ママ……? 嫌……こんな……嘘よ……いや……」
漆黒の杖を抱き上げ、感情の抜け落ちた顔でリゼラが譫言のように繰り返す。
魔王の放つプレッシャーで胸が苦しい。息をするのもやっとで、足は生まれたての小鹿みたいに震えていうことを聞かない。
絶望で目の前が真っ暗になっていく。
師匠もマリエラさんも、もういない。頼みのリゼラも心が折れてしまった。
弱い俺が出しゃばったところで、状況は何も変わらない。
終わりだ。何もかも。
俺にできることなんて、もう何も………………。
────ドクンッ!!!!
「……っ!」
まるで励ますように。
────ドクンッ!!!! ドクンッ!!!! ドクンッ!!!!
跳ねる。
渚に貰った心臓が、俺の中でバクバクと暴れ狂う。すると手足の先に熱が戻り、ほんの少しだけ力が沸いた。
無様にも剣を構え直した俺に、魔王は驚いたように目を大きく見開く。
勝てる勝てないじゃない。俺は師匠からリゼラを任された。
怖くても、勝ち目が無くても、立ち向かわなきゃ。今ここで戦える人間はもう俺しかいないんだから!
覚悟を決めると足の震えがピタリと止まった。
ああ、やっぱりあってよかったよ。勇気のスキル。ちっぽけな効果でも、あると無いとじゃ大違いだ。
「ああ……! ようやく、やっと出会えた! 君こそが運命を打ち破る可能性の卵だ!」
魔王は笑っていた。
心底嬉しそうに。まるで極上のお宝を見つけたトレジャーハンターのように。
「先手は譲ってあげましょう。さあどうぞ、どこからでも打ち込んでくるといい」
すぐさま平静を装った魔具職人が、それでも堪えきれないような顔で俺を迎え入れるように両手を広げた。
ちくしょう、バカにしやがって!
沸き上がった怒りを糧に鉄剣を強く握りしめ、魔具職人の懐に向かって一直線に飛び込んだ。
「うぁぁああああああああああああああああああああああッ!」
刃が魔具職人の首筋目掛けて吸い込まれていく。
リゼラの身体強化はまだ生きている。踏み込みのタイミングも完璧。
間違いなく改心の一撃。
────が、折れたのは剣の方だった。
理不尽なほどのステータス差を前に、恐怖と絶望が胸の内を満たしていく。
手が震える。膝が笑う。
……いいや、まだだ。まだやれる! 剣がダメなら噛みついてでも!!!!
歯を食いしばって恐怖を押し殺し、折れた剣を握りしめ再び魔具職人の懐に飛び込もうとすると、奴の赤い瞳が妖しく輝く。
たったそれだけで、俺の身体はまるで石になったかのように動かなくなった。
「なんっ!? 動けな……っ!?」
「この世界は残酷だと思いませんか」
突然意味の分からないことを言われ面食らった俺に、魔具職人はまるで舞台のセリフでも読み上げるようにさらに続ける。
「病気、貧困、災害、戦争、略奪、裏切り、実力不足。ああ、なんともこの世界には悲劇が多すぎる」
身振り手振りを交えて、胸の内に秘めた悲しみを魔王は朗々と謳い上げる。
「ですがこうして道具にしてしまえば、裏切られることも死に別れることもない」
足元に落ちていた白銀の剣を拾い上げた魔具職人は、身動きの取れない俺の手にそれを握らせた。
「ふ、ふざけるな! 町をこんなにしておいて……っ、罪のない人々を大勢殺して、よくもそんな!」
「よく御覧なさい。死体など、どこにあるというのです」
魔具職人の瞳の輝きが僅かに弱まると、首から上の自由が戻った。
辺りを見渡す。
農具。文具。調理器具。工具。武器に防具に使い方の分からないものまで。
そこにあったはずの無残な死体の山は、そのすべてがいつの間にか様々な道具へと変化していた。
おもむろに。
魔具職人が右手を頭上に掲げる。
掌には小さな黒い穴がぽっかりと開いており、町中から飛んできた無数の道具たちが次々と穴の中へ吸い込まれて消えていく。
やがて最後の一つが吸い込まれ、どこか虚しさを帯びた風が広場に吹き抜けた。
魔具職人は天を睨みつけたまま掌をゆっくりと閉じ、握りしめた拳をそっとズボンのポケットへと忍ばせる。
まるで大事な宝物を誰かの目から隠すような仕草に、俺は少し違和感を覚えた。
なんだ? アイツは今、どこを見ていた……?
「これで彼らの存在は確たるものになった。君も感じるでしょう? 師匠の温もりを。彼はまだ生きている。……いや、剣として生まれ変わったというべきでしょうか」
感じる。
握らされた剣の柄から、命の鼓動を。師匠の温もりを。
理解を超えた現実を受け入れきれず俺が剣を取り落としそうになると、魔具職人は緩やかに首を振り、もう一度しっかりと剣を握らせてくる。
「どうかその剣に見合う剣士になりなさい。君がそうありたいと願い、歩みを止めぬ限り、その剣は君を導いてくれるはずだ」
魔具職人が指を鳴らすと、俺とリゼラの足元に魔法陣が浮かび上がる。
「君にはこれから苦難の運命が待ち受けていることでしょう。それは英雄の卵として召喚された者の宿命と言ってもいい」
「────ざけんな……ッ。ふざけんなッ! 師匠を……ッ! みんなを元に戻せ! 戻せよっ!!!!」
「君の物語はここから始まるのです。願わくば、物語の結末がハッピーエンドであらんことを。……そうですね、魔神にでも祈るとしましょうか」
一瞬どの神に祈るか思考を巡らせた魔具職人は、何がおかしいのかクスリと笑い、魔方陣の外へと歩み出る。
直後、足元の魔法陣から光が溢れ────。
◇
────大翔たちが魔法都市から飛ばされてからしばらくして。
固く閉ざされていた竜の塔の入り口が開き、中から大柄な鎧武者が姿を現す。
メタリックブルーの装甲に覆われた身体は分厚く、兜には鬼のような二本の角。
全身が機械に置き換わっており、まるでSF映画の世界から飛び出してきたかのような風貌である。
「こっちは終わったぜ」
鎧武者の手には三〇センチ大の輝く立方体があり、それを受け取った魔具職人は「ご苦労様です」と一言、労いの言葉をかけた。
「剣聖と賢者は始末するんじゃなかったのかよ」
「問題ありません。これで今度こそすべてが上手くいく」
美貌の魔王は炎に沈みゆく街並みを眺め、どこか確信めいたものを含ませ、薄く笑った。




