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【3章完結】平凡勇者は挫けない【7章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
第四章 迷宮都市編

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0076 襲撃

 ──春風の大地 大陸横断鉄道 車内ラウンジ──


 春の陽気を浴びて白く波打つ平原が、飛ぶような速さで後ろへ流れていく。

 窓を少し開ければ、甘く爽やかな花の香りがラウンジに流れ込み、長旅の退屈を少しだけ紛らわせてくれた。


 目的地の迷宮都市はまだまだ先だ。

 俺は春風が運んできた眠気に身を委ね、微睡みの底へと落ちていく────。



 ◇



 ──前章までのあらすじ──


 世界樹の雫を求めてエルフの国フリードレア議長連邦国へ渡った俺は、そこでエルフ族の英雄ハルトと出会った。

 ひょんなことからエルフ族と魔族の歴史問題に巻き込まれた俺は、そこでこの世界の真実の歴史を知ることとなる。


 戦いの中で傷つき自らの死期を悟ったハルトから平和への願いを託された俺は、魔王ドラジスと対峙し、三万年に及ぶ憎しみの連鎖にひとまずの終止符を打った。


 当然、あれだけですべての憎しみが消えたとは思っていない。

 いつかどこかで再び憎しみの芽が出ないとも限らないし、その可能性を完全に無くすことは不可能だろう。


 それでも俺は自分にできることを精一杯やって、すでにバトンも渡し終えた。

 今後のエルフたちがどうなるかは彼らの選択次第。そうあるべきだと俺は思う。


 ……と、盛大に寄り道しつつも、どうにか世界樹の雫の在り処へ辿り着いた俺たちだったが、世界樹の雫を浴びた師匠たちは僅かな間だけ人の意識を取り戻しただけで元の姿に戻ることはなかった。


 一時的に意識を取り戻した師匠いわく、迷宮都市にいるゼロス・バルトホークという人物を訪ねろという。

 だけどこのお爺さん、どうにも一癖も二癖もある人物のようで……。


 目指すは世界最大のダンジョンをようする迷宮都市。

 何事もなく……とは、いかないんだろうなぁ。




 ◇




 ──春風の大地 大陸横断鉄道 車内ラウンジ(side大翔)──


 オーランを経由して春風の大地へ渡った俺たちは、大陸横断鉄道で迷宮都市へ向かっていた。

 一年を通じて気候が安定していて大型の魔物が生息していないこの大陸には大小様々な国があり、国同士を繋ぐ高速移動手段として鉄道が整備されている。


 港町ブロサスから迷宮都市まで列車を使って丸三日。

 クラーケン討伐戦の報酬で旅の資金はたっぷりあるので、今回はロイヤルクラスの寝台切符で贅沢旅だ。

 今俺たちがいるラウンジもVIP専用で、通常切符の乗客はここには入れない。


「またとんでもないことになったわね」


 今朝立ち寄った駅で購入した新聞を読んでいたリゼラが眉間にシワを寄せて独り言ちる。

 新聞の一面を飾るのは不死魔王ヘルグが聖神教の聖地を襲撃して復活の声明を上げたというニュースだ。

 今回被害に遭った聖地マテリオペテルスは、ここ春風の大地の最東端にある町で、聖神教の開祖『聖者ルグェル』誕生の地として広く知られているらしい。


 記事によると、不死魔王は聖地に魔王城を出現させた後、町全体に強力な闇の結界を張って引きこもり、アンデッドの軍勢で周辺の小国を次々と攻め落としているのだという。


「しかも同じ日に聖なる泉が一晩の内に干上がっちまったんだろ? どうなってんだ」


 山盛りのスイーツをムシャムシャと豪快に頬張っていたアーシュラがクリームまみれの口元をぺろりと舐める。

 VIPラウンジにはスイーツビュッフェが常設されており、アーシュラが食べているのもそこから持ってきたものだ。

 ハルト直伝の秘薬で元の姿に戻ってからというもの、食費の増加が留まるところを知らない。


 吸われたレベルまでは戻らなかったが、格闘戦を得意とする彼女にとって手足のリーチが戻ったことは大きな意味を持つ。

 日課の実戦練習スパーリングでもようやく互角に渡り合えるようになってきたところだったのに、大人の身体に戻ってからは一度も勝てなくなってしまった。


 と、それはさておき。


 話題に上がった聖なる泉も聖神教にとって重要な聖地の一つで、そちらは白陽の大地にあるらしい。

 聞けば聖神教の総本山アリオーン聖法国も同じ大陸にあるのだとか。


 泉から湧き出る水には邪気を祓い悪しき力の影響を退ける効果があるそうだが、その聖なる泉が一晩の内に丸ごと干上がってしまったのだという。


「候補地の一つが潰れてしまいましたわね。観光地としても有名なところですし、一度実物を見てみたいと思っていましたのに……」


 隣の席から新聞を覗き込んだアリアがしょんぼりと肩を落とす。


「やっぱり不死魔王の仕業かしら」


「そりゃそうだろ。あの泉の水はアンデッドの弱点だぞ? どうやったかまでは知らねぇけどな」


 顎に手を当て考え込むリゼラの呟きを拾いつつ、アーシュラが最後のケーキをパクリと口の中へ放り込む。


「いずれにせよ対アンデッドの重要拠点を失った聖神教は、今後間違いなくヒロトさまと接触を図ろうとしてくるはずですわ」


「あんまり関わりたくないんだけどなぁ……」


 アリアの言葉で思い出すのは、オーランの王宮で出会った黒仮面の意味深な発言。

 元の世界に帰りたければ聖神教には関わるな。

 彼は去り際にそう言い残して俺たちの前から姿を消した。


 俺だってエスぺリサ王国に壮大なマッチポンプを仕掛けた聖神教のことはあまりよく思っていない。

 だけど聖神教と俺の帰還に何の関係があるというのか。


「エスぺリサ王国での一件を受けて、もともと古い神々を信仰していた国々では動揺が広がっているみたいですわね」


 新聞の三面コラムを流し読みしながら、アリアが珍しく不安そうな顔でため息をつく。

 アリアから新聞を受け取り記事を読んでみると、近年になって聖神教が広まった地域で聖神教に対する不信感が高まっているらしい。


 もしかしてこれが淫魔王の本当の狙いだったのか……?

 流石に全部が全部マッチポンプだったなんてことはないだろうけど、一度広まった疑惑を拭い去るのは簡単じゃない。

 もし淫魔王の狙いが人々の疑心を煽って世界に再び混乱を広げようとしているのなら……。


「なんであれ、今後ヒロトは一人で動かないことね。相手は人の心につけ込むプロよ。ヒロトなんてあっという間に言いくるめられて連れてかれちゃうわ」


「俺を何だと思ってるのさ!?」


「お人好しの甘ちゃんよね」

「お人好しの甘ちゃんだろ」

「お人好しの甘ちゃんですわね」


 なんだよみんなして!

 ともあれ先日復活したという不死魔王も、アンデッドであるなら俺の闘気剣術が有効なはずだ。

 聖神教が俺を師匠みたく担ぎ上げて求心力の回復を図ろうとしてもおかしくない。

 師匠みたいになりたいって、そういう意味じゃないんだけどな……。


「そういえば不死魔王ってどんな奴なの?」


「禁呪に手を出した人族の王とも、原初の魔王が蘇った姿とも言われてるアンデッドどもの親玉よ」


「どっちなのさ」


 リゼラにしては珍しくどっちつかずの不確かな情報に俺が眉をひそめると、アリアが首を横に振った。


「仕方ありませんわよ。かの魔王の出自に関する情報は、殆どが後世の作家たちの作り話ですもの」


「そうなの?」


「神代から存在しているとも言われていますけど、それも本当かどうか怪しいところですわ」


「一説によると冥界の主に嫌われているから肉体を滅ぼしても何度でも蘇ってしまうんですって。本当かどうかは知らないけど」


 と、まるで都市伝説でも語るみたく、やや呆れた顔でリゼラが肩を竦める。

 間違いなく存在はしているけど、偽情報が出回り過ぎてどれが真実か分からない、か……。

 もし偽情報を流したのが不死魔王自身なら、恐ろしい策略家だ。


「ハルトの不老不死とはまた別物ってことか」


「あんな不潔な輩とハルトさまを一緒にしないでくださいまし! 上古エルフの不老不死は寿命で死ぬことがないというだけで、肉体が滅びればちゃんと死ねますわ!」


 怒るポイントがよく分からないけど、アリアいわく、そういうことらしい。


 ────バンッ!


 と、突然ラウンジに一発の銃声が鳴り響いた。


「この列車は俺たちが占拠した! 命が惜しければ両手を上げて床に伏せろ!」


 銃で武装した男たちが高級ラウンジにどかどか雪崩れ込んでくる。

 全員目出し帽で顔を隠しており、どう見ても正義の味方には見えない。


 数は五人。動くなら今しかない。

 みんなに目配せすると、同時に頷きが返され、俺たちは同時に動き出した。


 まずは貴族のご婦人に銃を向けて脅していた強盗Aをアーシュラが電撃で無力化。

 するとAの隣にいた強盗Bの銃口がこちらを向いた。


 俺は間髪入れず強盗Bの背後へ虚空瞬在(エクシスナーダ)

 そのまま膝の裏を蹴って転ばせ、奪った銃を後頭部に突き付けホールドアップさせる。


 一瞬のうちに二人を無力化され強盗たちが慌てふためいた隙に、リゼラが白金の指杖をさっと振るい、場の乗客全員にバリアを張る。

 トドメはアリアが極寒の吐息で強盗たちをラウンジごと凍りつかせて戦闘終了。


「私たちがいる車両を襲ったのが運の尽きね」


「大人しくお縄につけこの野郎!」


 アーシュラが縄で強盗団を拘束した後、リゼラが強盗団のリーダーだけを会話ができる程度まで回復させてやる。

 すると男はニヤリと口元を歪めた。


「すぐに殺しておけば死なずに済んだものを」


「まだやるつもりなの?」


「恨むならテメェの甘さを恨め! やるぞ野郎ども!」


「「「「うおおああああああああッ!!!!」」」」


 瞬間、男たちの身体が膨れ上がり、魔物に近い姿へと変化していく。

 な、なんだこいつら!?

 他の乗客たちが蜘蛛の子を散らすようにラウンジから逃げ出していくのを横目に、強盗団が変身を終える。


「フシュゥゥゥ……ッ」


 左右に割れた大顎おおあごから白い吐息がゆらゆらと空気に溶けて消えていく。

 濃い紫の甲殻に覆われ厚みを増した身体と、先端に鋭い毒針のついた長い尾。

 その姿はまさしくサソリ怪人としか表現しようがない。


「ギギギギギィィィィッ!!!!」


 ギチギチと大顎をカチ鳴らし、サソリ怪人たちが大鋏おおばさみを振り上げて襲い掛かってくる。

 くそっ! やるしかないのか!?

 俺がとっさに剣を抜いて反撃しようとした瞬間、うなじの裏をザラザラした嫌な感覚がよぎる。


 それは明確な死のビジョンだ。

 車両が爆炎に包まれ、すべてが吹き飛ぶ。


 ────なんだ、今の。……そうか!


「殺しちゃだめだ! 爆発するぞ!」


「あァ!? ったく面倒な!」


 サソリ怪人の攻撃を避けつつアーシュラが叫ぶ。


「即死以外なら私が治すから思い切りやりなさい!」


 躊躇ためらう俺の背中を押したのはリゼラの一声だった。

 直後、サソリ怪人たちが一斉に動き出し、俺たちに襲い掛かってくる。


「ギギィィッ!!!!」


 サソリ怪人Aが俺に向かって尻尾の毒針を突き込んでくる。

 直線的な動きだ。見切るのは訳も無い。

 幽歩アンブラで滑るように躱し、すれ違いざまに剣を振るう。

 甲殻の隙間に沿って刃を閃かせれば、直後、断ち切られた尻尾が宙を舞った。


 ────くそっ、やっぱり遅い。

 ハルトなら今ので手足まで全部斬ってたのに。技術に身体が追いついてないんだ。


 サソリ怪人Aの背後に回り込んだ俺は、返す刀で再び斬りかかる。

 刃は関節を寸分違わず両断し、手足を失ったサソリ怪人Aがその場に崩れ落ちた。


 すると俺の剣を警戒したサソリ怪人BとCが交互に火の玉を吐き、連携攻撃を仕掛けてくる。


「甘い!」


 リゼラが指杖を走らせると、火の玉が一瞬にして消え失せた。

 同時に正面に向けられた長杖から電撃が迸る。

 電撃をモロに浴びた怪人たちは一瞬で黒焦げになり、ビリビリ痺れてそのまま気絶した。

 これで残り二体。


「これでも喰らいな!!!!」


 目にも留まらぬ速さでサソリ怪人Dの懐に潜り込んだアーシュラが、敵の鳩尾みぞおちに紫電を纏わせた指を突きこむ。

 秘孔から電撃を流し込まれたサソリ怪人Dはビクビクと痙攣して床に転がった。


 あっという間に最後の一人になってしまったサソリ怪人Eがキョロキョロとラウンジを見渡し、後ずさる。

 するとサソリ怪人の肩を背後から叩く影があった。アリアだ。


「良い夢を」


「ッ……!!」


 アリアが死神めいた笑顔を向けると、サソリ怪人Eは顔に恐怖を張り付けたまま芯から凍り付き、それっきり動かなくなった。

 戦闘終了。

 な、なんとかなったか……。


 リゼラが指杖で宙に円を描くと、爪先から柔らかな光が瀕死の怪人たちに降り注ぐ。

 すると切断された手足がくっつき、火傷や凍傷がみるみる癒えていく。

 そのまま怪人たちはぐうぐうと寝息を立て始めた。

 どうやら治療のついでに眠らされたらしい。


「これで私が魔法を解除しない限り、こいつらはずっと眠ったままよ」


「だったら最初から眠らせて無力化すればよかったじゃねぇか」


「敵意を向けてくる相手に精神系の魔法をかけても抵抗されて殆ど効果がないのよ。だから体力を削って抵抗力を奪う必要があったの」


 至極まっとうなアーシュラの疑問に、リゼラが凍り付いたラウンジを魔法で溶かしながら答える。

 確かにリゼラが眠りの魔法を使ってたのって、いつも油断している相手への不意打ちだったっけ。


「にしても何なんだよコイツら。魔物みてぇに変身しやがったぞ」


「鑑定魔法で見た限りじゃ人族で間違いなさそうなんだけど、それらしいスキルは見当たらな……あら?」


 と、眠ったままの強盗団たち手をかざして隅々まで調べていたリゼラが、何かに気付いて声を上げる。


「コイツら、ここ数日の記憶が消されてるわね」


「復元できませんの?」


「無理ね。魔法的な誓約を結んだ形跡があるわ。記憶を戻せるのは消した本人だけね」


 アリアの問いにリゼラが首を横に振って答える。

 記憶が消されてるってことは、コイツらが変身能力を手に入れたのはここ数日の間の可能性が高いってことだよな。

 いったい誰が、何のためにこんなことを……。


「「まさか」」


 ふと、脳裏を嫌な予感がよぎる。

 どうやらアリアも俺と同じことに思い至ったようだ。


 思い出したのは多頭蛇ヒュドラのオーラン支部で見つけた、とある邪悪な実験の計画書。

 魔人計画。

 人間に魔物の力を与えて強制的に進化させようという、正気の沙汰とは思えない馬鹿げた企み。

 もしもそれが人知れず実行されていたのだとしたら────?


「何か心当たりがあるのね?」



 俺たちは知っている限りのことを二人に共有した。 



「……なるほど、確かに怪しいわね」


「そのふざけた計画の成果がコイツらってわけか。……チッ、胸糞わりぃ」


「まだ確定ではありませんわ。ですがそのことも含めて迷宮都市の警察に引き継ぎましょう。あとは彼らの仕事ですわ」


 アリアの意見に反対する者はいなかった。

 俺たちは冒険者だ。依頼があれば探偵の真似事もするけど、オーランではそれで一度痛い目を見ている。

 理由も無いのに深入りするのはやめておこう。


 ひとまずの方針を固めた俺たちはラウンジ車両を出て、乗客の避難誘導をしていた車掌さんに事情を話した。


「────なんと!? ではもう強盗団は全員捕まえてしまったのですか!?」


「ええ、記憶を見た限りじゃあれで全員よ。強盗団は迷宮都市警察に引き渡すけど問題ないわね? あそこには異能犯罪者専用の大きな監獄もあるし」


「もちろんです! ご協力感謝します!」


 聞けばどうやら列車は途中の停車駅をすっ飛ばしてこのまま迷宮都市へ直行するらしい。

 この様子だと予定よりも早く着きそうだな。




 ◇




 ──迷宮都市 ヴァイパー総合病院──


 治験バイトを終えた翌日、男は娘と面会するため病院を訪れた。

 ところが……。


「娘と面会できないとはどういうことですか!?」


 病院の受付で手続きをしようとしたところ、面会はできないと断られてしまった。

 聞けば治療費を支払った代理人の意向でマーナはすでに別の病院へ移されここにはいないのだという。


「聞いてないぞそんなこと!」


「まさか! 親権移譲の同意書も持っておられましたし、あなたのサインもありましたよ」


 鑑定士に確認させたので間違いないと言い返され、男はますますわけが分からなくなってしまう。

 そんなものにサインした覚えなど無かったからだ。


「────まさか!」


 思い当たる節があるとするなら、治験バイトの前に書かされたあの同意書だ。

 嫌な予感が的中した。

 今までの経験上、こういうときの予感はよく当たる。


 次に狙われるとすれば身重の妻だ。

 不安に駆られ、男は病院を飛び出し自宅へと走った。


 身体が妙に軽い。

 いつもよりも足が回るし、もう二駅の距離を走ったというのに息切れもしていない。

 そのことを奇妙に思いつつ男が狭い借家へ帰り着くと、家の中から妻の悲鳴が響いた。

 慌てて男が家に飛び込むと、見知らぬ二人のチンピラが身重の妻を床に押し倒し、服を剥こうとしていた。


「っ!? やめろぉぉ────ッ!!!!」


 ズボンのベルトに手をかけようとしていたデブのチンピラに男が掴みかかる。

 凄まじい力にチンピラの巨体が宙を舞い、壁をぶち破って表へ投げ出された。


「テ、テメッ!?」


「妻から離れろッ!!!!」


 怒り狂った男の拳が細身のチンピラの顔面に突き刺さり────潰れた果実のように爆散した。

 ここに至り、男は自分の身体がおかしくなっていることに気づき、恐怖した。


「あなた! あなたしっかり!」


 妻の声に男がハッと我に返る。

 男の動揺っぷりに一周回って妻の方が冷静になったらしい。


「ぶ、無事か!? 何があった!?」


「と、突然この人たちが借金の取り立てだって押しかけてきて。払えないなら身体で、って……」


 妻が声を震わせテーブルの上を指差す。

 そこに置かれていた紙に目を通し、男は愕然とした。

 二億ディア。当初一〇〇〇万だった治療費が、知らぬ間に二〇倍の借金に膨れ上がっていた。


「と、とにかく、今はここから離れよう!」


 足元には首のない死体が転がっている。

 このままここにいては殺人の罪で捕まってしまう。

 そうなれば当分は拘置所暮らしだ。

 その間に借金取りの仲間に妻を狙われたら取り返しがつかなくなってしまう。


「どこかアテはあるの!?」


「空き家ばかりの地域がある。ひとまずそこに身を隠そう!」


 幸いにしてここは迷宮都市だ。

 計画性のない都市拡張により町そのものが迷路のようになっており、一度身を隠してしまえばそう簡単には見つからない。

 不安そうにこちらを見つめる妻を少しでも安心させようと、男は乾ききった喉を硬い唾で湿らせ、無理に笑顔を作る。


「……ッ。大丈夫だ。お前たちは俺が必ず守る」

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