0074.b 死の舞台
──地下闘技場 闘技舞台──
舞台の東と西。向かい合わせの鉄扉が鎖に巻き上げられ、ゆっくりと持ち上がっていく。
扉の奥から歩み出てきたのは二人の男。
「東方ァ、身長一九八センチ。ここまで九八戦無敗。鉄球を握り潰すほどの怪力と、皮膚を硬化させる異能はまさに人間重戦車! 傷つくことを恐れず戦う様を指して、誰が呼んだか狂戦士! トグル・ドラグナーーーーーァッ!!!!」
東の入場口から登場したのはスキンヘッドの人族。
その風貌は狂戦士の異名に相応しく、千切れた右耳と右側に大きく裂けた口が凶悪な印象を与える。
「対する西方は身長一八九センチ。やはりこちらも九八戦無敗! 炎熱を操る異能と天性の格闘センスを武器にここまで勝ち抜いてきた色男! シド・シグムンドーーーーッ!!!!」
そんなトグルの正面。西から一歩遅れて登場したのは黒髪の狼人族。
こちらはアナウンスのとおり、匂い立つほどの色男である。
戦いの中で鍛え抜かれた肉体はまるで一振りの刀のようだった。
二人は幼くして人狩りに攫われ、十五歳になるまで同じ農場で苦楽を共にした幼馴染だった。
その後、農場主の死を機に再び奴隷商へ戻され、身体の頑丈さに目を付けられて二人揃ってここへ売られ、今に至る。
『一〇〇連勝すれば外に出してやる』
闘技場の支配人が口にしたその言葉を信じ、二人は互いを励まし合い、戦いの中で敵から学び、今日までの日々を生き残ってきた。
気付けばここでの生活も五年が経ち、お互いあと二勝すれば自由の切符を掴める。
今日はその九九戦目。
「……へへっ。お前相手なら負ける気がしねぇぜ。手の内は分かってるからな」
内心の動揺を悟られまいと、トグルが強気な笑みで軽口を叩く。
「ハッ。そりゃお互いさまだろ」
釣られてシドも笑い返すが、やはり顔が引き攣ってしまう。
ここでの敗北は即ち、死を意味する。
試合はどちらかの命が尽きるまで終わらず、二人とも助かる道は残されていない。
するとトグルが牙を剥き、拳を構えた。
「どうせやるなら楽しもうぜ! 俺たちに許された自由はそれだけだろう!」
「……ああ。そうだな!!!!」
試合開始の合図を待たず、シドが一気に仕掛けた。
ここは地下闘技場。命がけの死闘に多額の金が動く、クズの鉄火場。
ここでのルールはただ一つ。最後まで生き残ること。
生き残るためならあらゆる無法が許される。
『ああーっと! シド選手、合図前の先制攻撃! 試合開始です!』
遅れて試合開始のゴングが鳴り響く。
それと同時、炎熱を帯びたシドの貫手がトグルの喉仏を捉えた。
「効かねぇなぁ!!!!」
────が、まったくの無傷。
シドならそう来るだろうと予測して、喉元に硬化能力を一点集中させたのだ。
「ボヤっとしてると握りつぶしちまうぞ!」
必殺の破壊力を秘めた両手が嵐のように振り回される。
大振りなように見えて、その実相手の動きを制限し誘導するための狡猾な罠。
その手には乗るまいとシドは目の前で火球を爆発させ、その勢いを利用して後ろへ大きく飛び退いた。
「その手も知ってるっつーの!」
しかしトグルは全身の皮膚を硬化させ爆発を耐えしのぎ、炎を突っ切って一直線にシドへ追いすがる。
間一髪。シドが上体を後ろに反らして拳を躱すと、鼻先を掠めた剛腕の拳圧が闘技舞台の壁にクレーターを穿った。
シドは回避の勢いを利用してその場で宙返り。
さらに踵から炎を噴射して勢いをつけ、サマーソルトキックでトグルの顎を狙う。
しかしトグルもさるもの。シドの曲芸を見切り、後ろへ一歩下がることでこれを回避する。
トグルの潰れた鼻先を炎を帯びた爪先が通り過ぎていく。
二人とも一息で体勢を立て直すと、試合はそのままフルコンタクトの格闘戦へともつれこむ。
息継ぎする暇さえ無い打撃の応酬が続く。
互いに打ちながら躱し、躱しながら打ち、反らし、反らされ、必殺の拳や蹴りを合間合間に叩き込んでいく。
「楽しんでるか!? シドッ!!!!」
「ああ! お前はどうだ!?」
「楽しいに決まってんだろ!」
お互い手の内を知り尽くした親友同士だからこそ実現した膠着状態。
それは目の肥えた観客たちを唸らせるほど美しい演舞となった。
『あぁーっと! ここでシド選手のカウンターが顎に決まったァーッ! トグル選手立てない!』
しかし永遠に続けばいいとさえ思っていた二人の時間は唐突に終わりを迎える。
極限のフルコンタクトの中、なおも成長を続けたシドの拳が僅かにトグルを上回ったのだ。
顎に一撃をモロに食らいトグルが膝から崩れ落ちる。
普通ならここで試合終了だが、ここは命がけの地下闘技場。
どちらかが死ぬまで試合は続く。
カウンターパンチを決めたシドがマウントポジションを取る。
しかし振りかぶられた拳は空中で止まったまま動かない。
「やれよ」
躊躇う親友に、トグルが笑いかける。
「お前は生きろ。自由を勝ち取れ」
弱弱しい拳が、なおも躊躇うシドの胸を打つ。
しかしシドは泣きそうな顔で首を横に振るばかりだ。
奴隷の胸には毒のカプセルが埋め込まれている。
それは奴隷たちを逃さないための首輪であり、生殺与奪の権を握るための支配者側の切り札でもあった。
奴隷がどれだけ鍛えて強くなろうと、闘技場の支配人がその気になれば虫を潰すより簡単に殺すことができる。
だから万が一にも一〇〇連勝などという偉業を達成する者が現れても、闘技場の秘密は絶対に守られる。
いつ毒が埋め込まれたのか、二人は覚えていない。
だがシドだけは狼人族特有の優れた嗅覚で自分たちの中に「それ」があることを知っていた。
奴隷拳闘士の寿命は短い。
どれだけ強い戦士でも勝ち続けることなどできないからだ。
一〇〇連勝したらというのも、奴隷たちに希望を持たせ本気を出させるための常套句だったのだろう。
だがそんな常識を覆す天才が二人も現れてしまった。
今にして思えば、この試合も厄介な奴隷たちを互いに潰し合わせるために仕組まれたものだったのだろう。
どれだけ強くなったところで親友一人助けてやれない。己の無力を突きつけられ、シドは悔しさに歯噛みする。
「やれよッ!!!! 最後まで戦い抜けッ!!!! ……化物の餌は嫌だ」
最後の力を振り絞り、トグルが腹の底から叫ぶ。
それは戦士として終わりたいという彼自身の最後の願いでもあった。
審判が試合続行不能と判断した場合、相手が生きていても試合が終わることがある。
その場合、負けた奴隷は生きたまま実験動物の檻に投げ込まれ、餌として処理される運命にあった。
どの道、二人一緒に生きられる未来はやってこない。
俺たちは奴隷。自らの生殺与奪さえ他人に握られた生きた道具。
ならばせめて生き様だけは────。
「────ッ!!!!」
裂帛の咆哮が闘技場を揺るがし、焔を宿した必殺の拳が振り下ろされる。
顔の骨が砕け、拳が脳幹を貫く。痛みは無かったはずだ。
炎が全身に燃え広がり、親友の亡骸を荼毘に付す。
これでトグルの亡骸が化物の餌になることも無くなった。
真っ白な灰になった親友を見下ろし、シドは拳を強く、血が滲むほど強く、握りしめる。
『試合終了ーッ! 同じく九八勝のトグル選手でしたが、惜しくも一歩及ばず! シド選手、勝ち星を九九に伸ばし、次の試合に勝てば晴れて自由の身となります!』
親友の遺灰を握りしめ、ゆらりとシドが立ち上がる。
滝のように降り注ぐ大歓声をどこか遠くに感じつつ、開かれた入場ゲートに向かってそのままふらふらと歩いていく。
「ふ、ふざけるなぁぁぁっ!!!!」
ゲートに入る直前、頭上を塞ぐ鉄格子に身を乗り出した男と視線が交わる。
食用油で髪を撫で付けた、貧乏臭い痩せぎすの男だ。
「な、なんでお前が勝つんだよ!!!! お前が! お前のせいで娘は!!!!」
怒りに我を忘れた男は、隣の席に残されていた飲み残しのドリンクを手に取りシドに投げつける。
頭からジュースを被り、シドの頬をポタポタと雫が伝い落ちていく。
試合終了までのタイムは一分二六秒。
勝者はシド・シグムンド。
「おいコラ! 選手に物を投げるな!」
「コイツをつまみ出せ!」
「離せっ! 離せぇ────っ!!!! この人殺し!!!!」
警備員に脇を固められ運ばれていく男の叫びを背に浴び、濡れ鼠になったシドは闘技舞台を後にした。
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────
──
気が付くとシドは自分たちの牢屋に戻ってきていた。
最初は殺風景だったこの牢屋も今では多くの私物であふれている。
勝ち星をあげる度、褒美として望むものを一つ与えられ、二人で少しずつ快適にしてきた。
この場所は二人の勝利の証そのものだった。
それがこんなにも虚しく映るのはトグルがもうどこにもいないせいだろう。
一人分の熱を失った牢屋は酷く寒く感じられた。
ベッドに腰かけたシドは背中を小さく丸め、自らの拳へ視線を落とす。
「……人殺し、か」
観客から浴びせられた言葉が脳裏にこびりついて離れない。
事実、その通りだ。
対戦相手を殺さねば自分たちに明日は来ない。
例え強制されてやったことだとしても、シドが親友を殺した事実は永遠に消えない。
「よぉ、兄弟。ずいぶん荒れてるじゃねぇか」
「……お前に合わせる顔がねぇよ」
トグルの影がシドに語り掛ける。
幻聴と分かりつつも、シドは顔を上げることができなかった。
「なーにメソメソしてやがる! 俺は戦士として最後まで戦い抜いて死んだんだ。天才の俺を倒したんだぞ? むしろ誇れよ」
「……ハッ。随分とお喋りな幻聴だな」
「案外、本当にゴーストになっちまったのかもしれないぜ」
まさか。
恐る恐るシドが顔を上げると、死んだはずのトグルがそこにいた。
よくよく見れば、脛から下が無い。
だがトグルはまるで宙に浮くようにしてそこにいる。どうやら本当に幽霊になってしまったらしい。
「トグル! お前まさか本当に!?」
「それよりなんだお前、その湿気たツラは! 俺は俺の意思でお前と戦って死んだんだ。お前程度の雑魚に一方的に殺されてたまるか」
「誰が雑魚だ! 俺に負けたくせに!」
「そうだ。それでいい」
咄嗟にシドが食って掛かると、凶悪な人相からは想像もつかない温かな笑みを向けられ、言葉に詰まる。
いつも通りの、太陽のような笑みだ。
「知ってるか? 死んだ人間の魂ってのは生まれ変われるらしいぜ」
あの世の入り口で白髪の女の子に教えて貰ったのだと、トグルは嬉しそうに語る。
「だからよ、シド。そう自分を責めるな。俺はこの結果に納得してんだ。だからお前は俺の分も胸張って生きろ!」
悔いなど一切ないとでも言わんばかり、晴れやかな笑顔で拳を突き出され、シドは思わず苦笑してしまう。
────ああ、そうだ。トグル・ドラグナーとはこういう男だった。
つい今朝までこの牢屋で共に暮らしていたのに、なぜ忘れていたのだろうか。
と、次の瞬間。
地下施設全体に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『金の卵が脱走! 金の卵が脱走! 金の卵は現在第二七研究区画を逃走中! 【三本首】以上の職員は至急現場へ急行! 金の卵の捕縛に参加せよ! 繰り返す! 金の卵が脱走!』
突然降り注いだ大音声に居眠りしていた牢の見張り番が飛び起き、ぶつくさ文句を言いながら走り去っていく。
気付けばトグルの姿はもうどこにもない。
牢屋の鉄格子も開いたままだ。
普通、九九連勝もする奴隷はいない。
そのため見張りの男ともすっかり顔なじみだった。
何度か試合で儲けさせてやったこともあり、おかげで試合の前後は牢の出入りを自由にさせてもらっている。
おそらくいつもの癖で閉め忘れたのだろう。
「金の卵、ね」
見張りの男からつい最近聞いた話を思い出し、シドは思考を巡らせる。
いわく、研究員の男が実験用に召喚した異世界人の女に手を出して、全身の穴という穴から血を噴いて死んだのだという。
男が又聞きした話では、実験で死んだ異世界人の死体はどれも魔物のように変異していたらしい。
────このどさくさに紛れれば、あるいは。
脳裏を過った甘い考えを頭を振って追い払う。
無理だ。胸に埋め込まれた毒を取り除かない限り、自由の身にはなれない。
だが今逃げている真っ最中の『金の卵』はどうだろうか。
死亡率の高い実験に使う異世界人に、わざわざ毒を埋め込むような手間を施すとは思えない。
可能性はある。
この人殺し。
観客席から浴びせかけられた言葉がシドの脳裏で幾度も木霊する。
どれだけ言い訳を重ねたところで、自分が人殺しである事実は消えない。
それでも。
(一人でも救える命があるのなら)
それはきっと、意味のある人生と言えるのではなかろうか。
幸い、シドには人より優れた耳と鼻がある。金の卵だけなら外へ逃がすことだってできるだろう。
誰かに見つかればシドの命もそこまで。金の卵が死んでも負け。分の悪い賭けだ。
しかしどの道、次の試合で最後なのだ。
親友が繋いでくれたこの命。賭けるなら────今しかない。
「行くか」
牢の戸を開け放ち、シドは静かに駆けだした。




