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【3章完結】平凡勇者は挫けない【7章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
第四章 迷宮都市編

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0074.a 動乱の幕開け

 ──迷宮都市 第三区画──


 迷宮都市。

 そこは人々の欲望渦巻く人種の坩堝るつぼ

 迷宮が吐き出す尽きることのない資源は人々を惹き寄せ、今もなお、街は拡大の一途を辿っていた。


 現在、迷宮都市は大きく七つの区画に分かれている。

 それぞれの区画は七大国発祥の大企業が市場を独占しており、大国による経済的な支配下にあった。


 法治権こそ迷宮都市を擁するウルファール共和国が握っているものの、七つの区画は事実上の大国の飛び地となっている。

 そのため町の各所には警察権の及ばない建物や区画が、まるで双六すごろくのマスのように至る所に点在していた。


 そんな迷宮都市の第三区画。

 エスぺリサ王国の建築様式が目立つ街並みの一角にゼロス・バルトホークの研究所はあった。


 大小様々な建物ひしめく迷宮都市では珍しく、広々とした芝生の上に半球形の白いドームがポツンと建っている。


 一見かまくらのような愛らしさを振りまいているが、ゼロスの実験でよく大爆発するため、近隣住民は彼の研究所を「白い爆弾」と呼び近寄ろうともしない。

 ここだけ周辺に建物が存在しないのも、爆発を恐れて誰も引っ越してこないためだった。


 そんな物騒な研究所の地下二階。

 卓上照明の僅かな光が暗い部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる中、白衣の老人がようやく完成した発明品を掲げて口の端をにんまりと歪めた。


「フハハハハ! ついに完成したぞ! 世界の常識を覆す大発明じゃあ!」


 二〇年に及ぶ研究をとうとう完成させたゼロスは、達成感もひとしおに歓喜の声を上げた。

 ここ半月ほど寝食も忘れて研究に没頭していたせいで、ボサボサの白髪はすっかり脂っぽくなっており、目の下にも濃いくまがくっきりと浮かんでいる。


「ここまで長かった。いかん、涙が……って、くっさぁっ!? なんじゃこの服! くっさ!? ……すんっ、ヴォエッ!!!!」


 思わず零れそうになった涙を汚れた白衣の袖で拭うと、あまりの激臭にゼロスは椅子から転げ落ちた。

 いつ洗濯したかも覚えていない白衣は、汚れが染み付きひどい臭いを放っている。


 我に返って辺りを見渡してみれば、大小様々な機械で溢れた部屋もすっかり埃っぽくなっていた。

 家事を任せていたはずのお手伝いロボのサボットも魔力切れを起こしてがっくりと項垂れている。


「む、魔力切れか。やはり自動供給システムを作ってやるべきだったか」


 埃をかぶっていたサボットに手をかざし、ゼロスが魔力を注ぐ。

 ものの数秒ほどでサボットの目元に光が灯り、愛嬌のある動きで主人に挨拶した。


「コンバンワ博士。半月ブリデスネ。マタ研究ニ、没頭サレテ、イタノデスカ?」


「うむ。とうとうアレが完成したのだ! 部屋の掃除と洗濯を頼む」


「カシコマリマシタ。ウワァ、ヒドイにおイ! オ風呂ニ入ッテクダサイ! クサイデス! バイオテロデス!」


「ヒーッヒッヒ! これでも喰らえ!」


「ギャー!? 不潔! 不潔! 汚物!」


 着ていた服を下着も含めてすべてサボットに投げつけたゼロスは、珍玉ぶらぶら風呂場に向かい、半月ぶりに熱い湯を浴びた。

 ジジイのシャワーシーンなど見苦しいだけなので全編カットである。


 身体の垢を落としきり新品の白衣に袖を通すと、そこで丁度来客を告げるブザーが鳴った。

 せかせかと玄関へ向かったゼロスがドアの覗き穴から外の様子を見る。


 純白の鎧を纏った美貌の女騎士だ。


 律義にブザーを鳴らした割に纏う空気は剣呑そのもので、扉越しにも殺気が伝わってくる。

 だというのに悪意のようなものは一切感じられず、どうにもちぐはぐだ。


 人界に降り立った天使か。はたまた家主の許可がなければ家に上がり込めぬ妖精の類か。

 いずれにせよこの女、いささか常識というものが欠けているようである。


「どちらさんかの。覚えのない子供を認知しろという話なら知らんぞ」


「その声、あなたがゼロス・バルトホークか」


「だったらなんじゃ」


「あなたを抹殺せよと神託が下った。ゆえにこの私、守護四天使が一柱、聖盾天使せいじゅんてんしエリアルがお命頂戴に参った。覚悟めされよ」


「げぇっ!?」


 刹那、研究所の玄関ドアに無数の銀線が走る。


 一拍置いて切り裂かれたドアがバラバラと崩れ落ち、剣を構えた女騎士が研究所内へ踏み込んできた。

 しかしそこはすでにもぬけの殻で、ゼロスの死体はどこにもない。

 代わりに床に転がっていたのは無数の爆弾で────。


 直後、業火が弾けた。

 研究所をまるごと吹き飛ばすほどの大爆発がエリアルを襲う。


 が、爆炎は鋭い風切り音と共に一瞬で鎮火し、まるで爆発など最初から無かったかのように静寂が訪れる。

 跡には瓦礫と化した研究所だけが残った。

 エリアルの白い頬には焦げ跡一つさえついていない。


「逃げたか」


 すでにゼロスの気配は近くには無かった。

 かつて勇者マサヨシと共に人魔大戦を終結に導いた六英雄の肩書きは伊達ではなかったらしい。


「……怠惰な犬どもを頼るのは癪だが、仕方あるまい」


 捜索を振り出しに戻されイライラしつつ、エリアルは研究所を後にした。


 ウルファール共和国は聖神教を母体とする聖者党が永らく与党の座についている。

 共和制であるにも関わらず国教が定められているのもそのためだ。


 しかし迷宮都市だけは治外法権的に国教以外の宗教活動が黙認されている。

 往来を歩いている者たちの大半が他所の国からやってきた冒険者であるという都合上、共和国法を律儀に守って他の宗教を取り締まっていてはキリがないからだ。


 とはいえそれはそれ、これはこれ。


 迷宮都市の実情はエリアルも頭では理解している。

 だが感情面ではまったく納得できていなかった。


 神とは唯一絶対のものであり、聖なる父より他に神は存在しない。

 少なくともエリアルはそう信じている。


 だからこそ様々な価値観が入り混じるこの都市の空気が肌に合わず、異教徒を取り締まろうともしない警察の対応は神を冒涜しているようにしか見えなかった。


「まずは警察でゼロスの魔力波形を手に入れる。提出を渋れば冒涜罪で処刑してやる」


 恐ろしいことを口走りつつ、エリアルは目的地へ向かう足を速めた。


 迷宮都市警察は治安維持のために逮捕者の魔力波形を記録している。

 魔力波形は生まれてから死ぬまで変化せず、一つとして同じ波形も存在しない。

 そのため魔力波形を記録しておけば個人の追跡や行動記録の参照が簡単にできてしまう。


 ゼロスが食い逃げなどの軽犯罪で何度か逮捕されていることはすでに調べがついている。

 四天使の立場を使って警察署長を脅せば目当てのものは簡単に手に入るだろう。


「……汚らわしい街だ」


 街の中心部へ向かう最中、偶然通りかかった路地の景色を見やり、エリアルは小さく吐き捨てる。

 色とりどりの看板がひしめき合うそこは、多数の娼館が集う色町だった。


 脳裏を過った過去の出来事(トラウマ)を振り払い、すれ違う男たちの舐め回すような視線を無視してさっさと路地を抜けよう足を速めた、その時。

 ────ふと、ガラスのショーウィンドウに目が留まった。


『ゼロス・バルトホークの新作入店! 美貌の聖女ア●ーリアをあなたの色に染め上げろ!』


 そこにはエリアルがこの世で最も敬愛するアマーリアに瓜二つの人形があられもない姿で飾られていた。

 怒りのあまり、握りしめた拳から血が滲み、ぽたぽたと地面に滴り落ちる。


「……人間の屑めッ!!!!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたエリアルは、どんな手を使ってでも必ずやゼロスを抹殺してみせると神に誓った。




 ◇




 ──迷宮都市 第七区 裏通り(sideアシュモネ)──


 時はゼロスの研究所が木っ端微塵に吹き飛ぶ一時間前。

 人族の娼婦に化けて迷宮都市へ潜入したアシュモネは、古い記憶を頼りにゼロスの研究所を目指していた。


 しかし古巣を目指す彼女の足取りは重い。


 それもそのはず。

 なにせ今回のターゲットはアシュモネが生涯の中で唯一心を開いた男であり、短い間とはいえ夫婦として共に暮らしたこともある男なのだ。


 顔を合わせるのはかれこれ四〇〇年ぶりになる。

 ファーストコンタクトはフランクな感じがいいだろうか? 

 それとも素っ気なく業務的に? そもそも話を聞いてくれるだろうか。


 激怒されても仕方のないことをしたのだ。有無を言わさず戦闘になるかもしれない。

 などと、ガラにもなくあれこれ考えていたからだろうか。


「……どうしよ。迷ったわ」


 土地勘もあるし余裕だろうと高を括っていたのも災いした。

 ところどころに残されたかつての名残りも、建物が増え、行き止まりが増え、迂回路や立体交差が増えた今となっては道を迷わせるだけのものでしかない。


「ああもう恥ずかしい」


 存在の比重が霊魂の側に寄っている淫魔は、同族同士であればどれだけ距離が離れていようとも脳内で会話ができる。

 額に人差し指を当て、アシュモネは先に迷宮都市へ潜伏させていた配下の淫魔たちへ思念を送った。


『みんなおひさー』


『あ、女王じゃん! おひさー』

『元気してた?』

『どったの? なんか元気なさげじゃん?』


『ちょーっと野暮用でね。今迷宮都市に来てるんだけど、久しぶりだったから迷っちゃったのよ』


『マ?』

『迷子とかウケる』

『あーしが一番近いっぽいし迎え行くからそこで待っててー』


『お願いねぇ。それで、任せてた件の進捗はどう?』


『ふふん、聞いて驚け』

『あとは実行するだけ!』

『つかそのために来たんじゃないの?』


『相変わらず優秀で助かるわぁ。こっちにも色々あるのよ。それじゃ、タイミングはこっちで知らせるから、そのときが来たらよろしくねぇ』


『『『りょー』』』


 ざわざわがやがや。

 雑談交じりのかしましい念話がぷつりと途切れた。

 建物の壁に背を預けたアシュモネは、手持ち無沙汰にバッグから煙管きせるを取り出すと、煙草の葉に火をつけ甘い煙をくゆらせる。


 濃厚な甘さと香ばしさを楽しめるこの銘柄は、ゼロスも好んで吸っていたものだ。

 かつてはアシュモネも愛喫(あいいん)していたが、ゼロスとの関係を一方的に()ってからはずっと別の銘柄に変えていた。

 そのためこの銘柄を吸うのもかれこれ四〇〇年ぶりである。


 せっかくだからと駅前の売店で久々に買ってみたが、懐かしい味わいに心の奥底に仕舞い込んでいた思い出が沸々と浮かび上が……────ドッカァァァァン!!!!


「なにごと!?」


 そんな思い出の余韻を吹き飛ばすかのごとく、近くで激しい爆発音があった。

 彼女のいる場所からでは建物が邪魔で煙は見えなかったが、音からして相当大きな爆発だろうと予想できた。

 するとアシュモネを迎えに向かっていた淫魔から安否を確認する念話が飛んでくる。


『女王! 無事!?』


『ええ、私は平気。それより何があったの!?』


『ゼロスの研究所が爆発したっぽい。一昨日くらいから四天使のエリアルがゼロスのこと嗅ぎまわってるって聞いたし、襲撃でもされたんじゃね?』


『……思ったより動きが早い。聖神教の禁忌に触れる研究でもしてたのかしら』


『最近法王そっくりの自動人形(オートマタ)が娼館で売られてたし、多分それじゃね?』


『何やってんのよあの馬鹿!』


 よりにもよって、よりにもよってだ。

 このタイミングでエリアルが心酔する法王そっくりの“いかがわしいお人形”を作って売るなど、もしやワザとやっているのではとアシュモネは頭を抱えたくなった。


『あ、野暮用ってゼロスに用事だったん? なら大丈夫っしょ。あのじーさんいつも誰かに追われてっから、こういうの慣れっこだし』


『ほんっと全然変わんないわねアイツ! 隠れ家に心当たりは!?』


『この前ウチの店で飲んでた時に秘密の研究所がダンジョンの深部にあるとか言ってたし、避難すんならとりまそこじゃね?』


『予定変更! 合流したら裏口からダンジョンに入るわ』


「はい到着っと。女王おひさー!」


 などと言っている間にも配下の淫魔が到着した。

 胸元の大きく開いた真っ赤なパーティードレスの上から肩掛けの布を羽織っている。

 髪とメイク、どちらも手抜かりなくバッチリ決まっている。

 どうやら休憩時間中に店を飛び出してきたようだ。


「んじゃ案内するからついてきてー」


「悪いわね。まったく、なんでいつもこうなのよあの男!」


 脳裏でニヤニヤとほくそ笑む元旦那の幻影を振り払い、ギャル淫魔の後に続いてアシュモネは行動を開始した。




 ◇




 ──迷宮都市 地下闘技場──


 時は少し遡り、ゼロスの研究所が爆発する前日のこと。


 第七区の裏路地を貧乏そうな男が早足で進んでいく。

 箪笥の奥から引っ張り出した一張羅のYシャツとズボンはシワだらけ。

 少しでも身なりを良くしようと食用油で固めた髪はベタベタで、かえってみすぼらしさを際立たせるばかりだった。


 男の手には、なけなしの全財産と、娘の命運がかかったゴールドチケットが握りしめられている。

 一発逆転を賭けた大舞台へ向かう道すがら、男はチケットを手にした経緯を思い返す。


 男には娘がいた。

 名前はマーナ。妻に似て笑顔が愛らしく、幼いながらも賢い自慢の娘だった。

 そんな娘が高熱に倒れたのが一週間前。

 男は熱にうなされる娘を背負い、病院へ駆け込んた。


『────先生! 娘は助かるんですか!?』


『落ち着いてください。時間はかかりますが、適切な治療を施せば完治する病です』


『よ、よかった……!』


 娘を担当してくれることになったのは、蛇顔の若い医者だった。

 唇の薄いその顔に男は見覚えがあった。普段から広告などでよく目にする有名人だったからだ。


 リカルド・ヴァイパー。

 世界的な大商会『ヴァイパー商会』の御曹司であり、医学・薬学博士としての顔も持ち合わせる稀代の天才。


 ここ十年あまり、彼の研究が医学界にもたらした貢献は数知れない。

 人道支援や貧困の撲滅運動にも力を注いでおり、そうした活動を認められ先代法王から直々に『聖人』の称号を賜った人物でもある。


『どうか私を信じて娘さんを預けてください。一ヶ月で元通りの元気な姿に治してみせましょう』


 リカルド医師の言葉を信じ、男は大事な一人娘を病院に預けた。

 それから一週間が経ち、最初の請求書が自宅に届き、そこに書かれた額面に男は愕然とする。


 一〇〇〇万ディア。

 それは男が丸一年、飲まず食わずで働いてようやく手にできるかどうかという大金だった。

 男はすぐさま病院へ駆け込み事情の説明を求めた。


『娘さんの病気は非常に珍しいものです。治療には高価な薬を継続的に投与し続けなければなりません』


『……す、少し時間を頂けませんか。必ずお金は用意しますので』


『お待ちを』


 いざとなれば借金してでも。

 そんな悲壮な覚悟を背負い診察室を後にしようとした男にリカルドが声をかける。

 男が振り返ると、蛇顔の医師の手には光り輝く一枚のチケットがあった。


『今日の午後、第七区の秘密の地下闘技場で大きな試合があります。賭けになりますが、勝てばかなりの額になるはずです』


『で、ですが、もし負けたら……』


『なぁに、勝てばよいのですよ。それに、神はいつでも我々を見ておいでだ。病に倒れた幼子を救うため、幸運の祝福を授けてくださるはずです』


 男は気づかなかった。

 消毒液のニオイに混じって、嗅ぎなれない甘臭いニオイが部屋に漂っていることに。


『そう……ですね』


 高名な聖人医師が治療費のためにギャンブルを勧めるなど、冷静に考えればあり得ない話である。

 だが、部屋に漂うニオイに判断力を奪われた男は、チケットを受け取ってしまった。


『ただし! ……あまり褒められた話ではないので、私からチケットを貰ったことはどうかご内密に────』





 ────リカルド医師から教えられた通りの道順で、迷路のような裏路地を右へ左へと進んでいく。

 すると情報通り、男の前に赤い木製の扉が現れた。

 扉にはチケットを差し入れる小さなポストがある。


「……ッ。び、ビビるな。マーナを救うためだ」


 生唾を飲み込み、男がチケットをポストに入れると、内側から扉の鍵が開けられた。


 扉を潜り、地下へ続く長い螺旋階段を下りていく。

 しばらく行くと視界が開け、闘技場の熱狂が男を包んだ。


『最終試合の投票は間もなく締め切られます。どなたもお買い忘れのありませんようお気をつけください』


 場内アナウンスを聞き急いで購入口へ向かうと、最終試合のオッズが黒板に書き込まれていた。


 人族の狂戦士トグル・ドラグナー VS 狼人族の拳闘士シド・シグムンド。


 どちらも九八戦無敗でここまで勝ち上がってきた伝説級のファイターらしく、試合の展開を予想して試合開始から終了までの時間に賭ける方式らしい。


 プラスマイナス三〇秒以内までを広く賭けられるワイド。

 分単位で賭けるボックス。

 そして何分何秒まで正確に予想する一点賭けのピタリ賞。


「一分二六秒。トグル・ドラグナー」


「はい、確かに。投票券は試合終了後まで無くさないようにしてくださいね」


「マーナの誕生日ナンバーだ。これで当たらないなら恨むぞ……!」


 一発逆転が狙いの男は最もオッズの高いピタリ賞に賭けた。

 ピタリ賞のオッズは一万倍。

 なけなしの全財産を娘の治療費に届かせるには、これに賭けるしかない。


 普段なら絶対にしないような大博打である。

 だが、娘の命が危ういかもしれないという状況と金銭的な不安が、男から正常な判断能力を奪っていた。


 加えて、この賭け試合のチケットをくれたのはあの聖人リカルドなのだ。

 仮に負けたとしても、どうにかしてくれるに違いない。

 何の根拠もないビッグネームへの信用が、無自覚のまま男を泥沼へと誘う。


『最終試合の投票は只今の時刻をもって締め切られました。最終試合の投票は締め切られました』


 投票の締切を告げるアナウンスが流れ、男は空いている席に腰掛け神に祈った。

 緊張のあまり、先程から嫌な汗が滝のように吹き出て止まらない。


 もし負けたらいよいよ無一文である。

 妻にも内緒のままこの場に来てしまったことを今更後悔し始めるが、臨月の妻に精神的な負担をかけたくなかった。


 そしていよいよその時は訪れる。


『お集まりの紳士淑女の皆様、大変長らくお待たせ致しました! これより本日のメインイベント! 最終試合を執り行います!』


 アナウンスに会場がどっと沸き立ち、観客たちの声援が巨大なうねりとなって鉄格子に塞がれた闘技舞台へ降り注ぐ。

 すると、西と東に設置されたゲートがゆっくりと開き、中から二人の男が舞台の中央へと進み出る。

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