0072 連弾
──カシギ家 別邸──
翌朝。畳の部屋で目を覚ますと、目の前がもさもさしていた。
え、なにこれ……森?
「オキタ?」「オキタ」「ミエテル?」
「コッチミタ」「オハヨウ」
「お、おはよう」
半透明の小動物たちが、俺の周りをふわふわと飛び回る。
みんな身体の一部が植物になっていて、なんというか草タイプって感じだ。
俺が返事を返すと、動物たちは嬉しそうに俺の顔に密集してきて何も見えなくなってしまう。
むぎゅう。森の香り。
「おっはよーございます! 朝ですわよ! ……まぁ! モッサモサですわー!」
襖が「スパァン!」と勢いよく開けられ、元気いっぱいのアリアが俺を起こしに来た。
ただの空元気。ではなく、本人なりに前を向こうとしているのだろう。
やっぱり強いな、アリアは。
「おはよう。今朝起きたらなんかいっぱいいたんだけど」
「ヒロトさまも精霊が見えるようになりましたのね! よかったですわねぇ、あなたたち」
「ポカポカ」「スリスリ」
「そっか、君たちが精霊なんだ。嬉しいのは分かるけど前が見えないからどいてね」
「「「「「ハーイ」」」」」
俺がお願いすると精霊たちは顔の前からどいて、肩や頭の上へ移動した。
森に帰るという考えはないらしい。
そのままアリアと二人で洗面所に顔を洗いに行くと、鏡に大量の精霊たちを背負った自分の姿が映り込む。
なるほど、これはたしかにモッサモサだ。
「けどなんで急に見えるようになったんだろう」
「おそらく翡翠の指輪のおかげだと思いますわ。指輪に込められた力と想いが、ヒロトさまの力に反応してその子たちの存在を感じ取れるようになったのかと」
「そっか。この子たちは森の精霊だから、大地から遠く離れた宇宙にはついて来られなかったのか」
右手の人差し指に嵌めた翡翠の指輪を軽く撫でる。
どうやらこの指輪は、精霊たちの存在を感じ取るためのアンテナのような役割を担ってくれているらしい。
「その子たちは側にいるだけで大地の生命力をヒロトさまへ分けてくれますわ。とはいえ微々たる量ですし、無茶は禁物ですわよ?」
「分かった」
天地剛断は研ぎ澄ませた闘気の刃を飛ばす技だ。
敵のステータスを無視してどこまでも飛んでいく斬撃は強力だけど、多用すれば俺の命がもたない。
今回の冒険は色々と考えさせられることが多かったな。
「さ、屋敷の方が朝食を用意してくださっていますわ。しっかり頂いてご挨拶を済ませたら出発ですわよ!」
アリアに頷き返し、俺たちはそのまま客間へ向かった。
ついでにお米も少し分けてもらえないか聞いてみようっと。
◇
──カシギ家屋敷 門前──
朝食後、屋敷を発つ俺たちをカシギ家の人々が総出でお見送りしてくれた。
エハトゥさんの相棒ルッコもピピに何度も頬ずりして名残惜しそうにしている。
俺の知らない間に随分と仲良くなっていたようだ。
と、それはさておき。
「滞在中は何から何まで良くしてくださって、本当にありがとうございました」
「いいえ、とんでもない! またいつでもいらしてください!」
俺が頭を下げるとエハトゥさんがあたふたと両手を彷徨わせ、俺の手を取ってにこやかに笑った。
終始賑やかな人だったな。
「そうだ、出発前にこれを」
そう言ってエリドさんが俺たちに手渡したのは、黄金に輝く冒険者証だった。
光にかざすと、エスぺリサ王国の紋章の横に世界樹を象ったフリードレア連邦の紋章が地面に映し出される。
ついこの前銀等級になったばっかりなのに、もう金等級か。
身分や評判ばかり立派になって、肝心の実力が伴っている実感が無いのが恐ろしいところだ。もっと強くならなきゃ。
「我が国を救ってくださったせめてものお礼です。今後困ったことがあれば我が国もあなた方を支援しますぞ」
「ありがとうございます。お米もあんなに頂いてしまって」
「いえいえ、我々からの心ばかりのお礼です。救国の勇者が泣くほど喜んで食されたと聞けば、百姓たちも喜びましょう」
朝食の席でお米を分けてもらえないか相談したところ、なんと百俵も貰ってしまった。
ついでにエルフの職人が手掛けた魔法の土鍋釜も貰ったし、当分は美味しいお米が食べられそうだ。
「魔人の右腕の件も、聖法国にはこちらから上手く説明しておきますゆえ」
と、エリドさんが人目を忍ぶようにこっそりと耳を寄せてくる。
「うちのアリアがとんだご迷惑を……」
「わたくしのせいみたいに言わないでくださいまし!」
「とんでもない! これでようやくこの国から聖神騎士団を追い出す口実が……ごほんっ!」
口から出かけた本音を咳払いで誤魔化したエリドさんは、黒い笑みを浮かべつつ俺の肩に手を置いて大きく頷いた。
「ともあれ、あなたがたは我が国を救ってくださった勇者なのです。誰にも文句など言わせませんとも」
この国にも魔神の右腕の監視を名目に聖神騎士団は駐屯している。
ハルトの記憶を見た限り、この国の聖騎士たちはオーランほど横暴ではないようだが、やはり価値観の違いからか住民とのトラブルも度々起きていたようだ。
エリドさんも色々と思うところがあったのだろう。
「勇者様が当家にいらしてくれたこと、一生忘れません!」
「エハトゥさんもどうかお元気で。皆さんもお世話になりました!」
見送りに出てきてくれた屋敷の人々に手を振り、俺たちはカシギ家の屋敷を後にした。
◇
──エルフェリア市内──
カシギ家の屋敷を発った俺たちは、昇降盤に乗って幹にある商業地区へと向かった。
長旅に必要な細々した物品を補充するためだ。
「ではそれぞれ買い物が終わったらここへ集合ですわよ!」
「「「了解」」」
商業地区の一角にあるハルト像の前でアリアからそれぞれ食料・日用雑貨・消耗品のリストを手渡された俺たちは、全員で分担して買い物に出かけた。
食料調達を任された俺は、旅の間の献立を考えつつ、足りない調味料や気になった野菜などを買いたしていく。
日本の村が丸ごと転移して、そこから歴史が始まったからなのか、八百屋の店先には見慣れた野菜が幾つか並んでいた。
トマト、ナス、きゅうり、じゃがいもにサツマイモ。全部買っちゃえ。
小一時間ほどで買い物を済ませ集合場所に戻ると、すでにみんな買い物を済ませて戻ってきていた。
「遅いわよ」
「ごめんごめん。最後に少し寄りたいところがあるんだけど、いいかな」
「構わないけど、どこへ行くの?」
「喫茶店だよ。知り合いのマスターに挨拶しておこうと思って」
「あのお店ですわね! わたくしも行きたいと思ってましたの!」
「じゃあそこで少し休憩してから出発ね」
「おう、ちょうど小腹も空いてきたしな」
みんなの了承も得られ、俺はハルトと行った喫茶店に向かう。
再び地上に下りて市外方面に進み、赤い大鳥居の辻を左へしばらく行くと、あの香ばしい匂いが漂ってくる。
営業中の立て札がかけられたドアを開けると、珈琲の良い香りが俺を出迎えた。
奥の喫茶スペースでカップを磨いていたマスターがドアベルの音に気付いて顔を上げる。
「おやヒロトさん。いらっしゃい」
「こんにちわ。この前の珈琲をお願いします」
「かしこまりました。お連れ様はどうされますか?」
マスターに聞かれ、全員が同じものでいいと答えた。
珈琲が出てくるまでの間、トングで焼き立てのヤキダッチを威嚇しつつ、各々好みのものをトレーに乗せていく。
「素敵なお店ね」
四人でテーブル席に着くと、俺の隣に座ったリゼラが店内を見渡して言った。
「ハルトが教えてくれたんだ」
俺がそう答えるとリゼラは「そうなのね」と、どこか納得したような顔をした。
それからドライフルーツ入りのヤキダッチを小さく千切って口に入れ、美味しそうに顔を綻ばせる。
「ちょっとおかわり取ってくる」
「よく食べるなぁ」
自分の分を早くも平らげてしまったアーシュラがおかわりを選びに向かいの席を離れる。
朝にお櫃三杯も食べたのによく入るな。
「ふふっ、本当に素敵な場所ですわね」
はす向かいに座るアリアも、窓から差し込む光を眺めて上機嫌に微笑んでいる。
この店はハルトが創業から携わった、多くの思い出が詰まった安らぎの場所だ。
実物の空気感を味わいながらハルトから受け取った記憶を思い返しているのかもしれない。
これもある意味デートになるのかな。
それからしばらく四人でゆったりと過ごしていると、マスターが淹れたての珈琲を持ってきてくれた。
「お待たせいたしました。当店オリジナルブレンドでございます。それとヒロトさんにはこれを」
俺たちの前に珈琲の注がれたカップが並び、ついでにとマスターから大きめの封筒を手渡される。
開いてみると、中に入っていたのはやはり楽譜だった。
見慣れた表音記号ではなく、この世界独自の記号が使われていたが、ハルトの記憶のおかげで苦労なく読める。
「昨夜、風の精霊がハルトさんの声と共に届けてくれました。次にヒロトさんがいらっしゃった時に渡してくれと」
「やっぱりそうでしたか」
ハルトは大聖堂でアリアと出会い、そこで自分に最後の時が迫っていることを悟った。
彼は友情を結んで間もない俺を案じて、自分の死後にこの楽譜がここへ届けられるよう仕組んだのだ。
「それって、楽譜よね」
横からリゼラが譜面を覗き込んで俺に尋ねる。
するとアリアがおもむろに席を立ち、そのまま窓辺のピアノの前までいくと、鍵盤の蓋を開けた。
「連弾、付き合ってくださる?」
少し気取った感じでアリアが俺に手を差し伸べる。
……弾けるのか。俺に。
鍵盤なんてあれからもう何年も触っていない。
────鍵盤に初めて触れたきっかけは、父さんが俺のためにと、唐突にシンセサイザーを買ってきたことだった。
確か小学校に上がる前のことだったと思う。
心臓が弱くて学校にもあまり通えなかった俺は、暇なときは鍵盤に触れ、ネットの動画をお手本に練習を重ねた。
そうする内に色々な曲が弾けるようになって、それを渚や美乃梨が楽しそうに聞いてくれるのが嬉しくて。
渚が死んだ後はめっきり弾く機会も減ってしまったけど、ときどき思い出したように弾くことはあった。
『……下手くそ。キモイんだよ』
六年生のとき。父さんが行方不明になってすぐのことだった。
俺自身、不安で堪らなくて。だけど母さんはもっと限界ギリギリで。
なんとなく、家の中で音を出すのは気が引けた。
だからその日だけ、ほんの気晴らしのつもりで音楽室のピアノを借りたのだ。
そしたら偶然、音楽室の前を通りかかったアイツに聞かれてしまい、そう言われた。
クラス替えで同じクラスになったばかりだったし、夏休みの前に転校してしまったから、名前はもう思い出せない。
けど仲のいい男子からは「りゅっち」と呼ばれていたことと、クラスの中心的存在だったことは覚えている。
俺自身、まさかそんなふうに言われるとは思っていなくて、ショックのあまり何も言い返せず、その時は逃げるように音楽室から飛び出した。
その翌日からだ。
俺の些細な言い間違いや無意識のクセを「りゅっち」が大げさにからかってくるようになって……気付けば俺はクラスでいじめられるようになっていた。
それ以来、俺は鍵盤に触れると気分が悪くなってしまって、昔みたく思うまま弾けなくなってしまった────……。
ためらう俺を誘うように、アリアは一人分のスペースを開けて音を奏で始める。
柔らかくも繊細な音色。
それは紛れもなく、以前ここで聞いたハルトの音だった。
……きっとこれは俺に与えられた最後のチャンスなのだろう。
冥の大精霊の手により、今この時だけ彼は蘇った。
まるで俺の背中を押すかのように、心臓が軽やかに跳ねる。
分かったよ、渚。
俺のピアノ、好きだって言ってくれたもんな。
意を決してアリアの横に座る。
不思議と悪い気分はしなかった。
楽譜立てに譜面を広げ、鍵盤に指を置く。
もう何年も弾いていないのに、指は自然と動いた。
奏でる曲はエルフの民謡、風の歌。
魔王を討つべく決死の覚悟で故郷を出ていった親友に向けてハルトが贈った、勇ましくもどこか物悲しい調べ。
一つのピアノを譲り合うように、呼吸を合わせて。
時に激しく、時に穏やかに。
彼の好きだった珈琲の香りに包まれ、美しい調べが店内に響く。
だけどこれは悲しい別れの歌だ。
ハルトとの最後の思い出を悲しいままで終わらせたくない。
俺は曲の継ぎ目を即興でアレンジして、別の曲に繋げた。
ベタな卒業ソングだけど、希望に満ちた歌詞で別れの悲しさを感じさせない、俺の好きな曲。
強引な曲変更にアリアは少し驚いた顔をしつつも、巧みな演奏技術でしっかりとついてきてくれた。
二つの調べが重なり、二人で生み出したハーモニーが俺の心を縛っていた言葉を彼方へと押し流していく。
リゼラも、アーシュラも、マスターも、楽しそうに俺たちの演奏に耳を傾けてくれている。
────ああ、楽しい。
そうだ。この感覚。
今、俺たちは音を楽しんでいる。
演奏を終えると、三人の力強い拍手が俺とアリアに送られた。
「過去は克服できまして?」
アリアが俺の顔を覗き込み、そっと微笑みかける。
「ありがとうアリア」
「こちらこそ。素敵な時間になりましたわ」
アリアに釣られて俺の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
旅立つ前にここへ来られてよかった。素直にそう思えたことがこんなにも嬉しい。
「二人とも凄いわね。感動しちゃった!」
「オレも尻尾にビビビッときたぜ! まさかお前らにこんな特技があるなんてな」
テーブル席に戻ると、二人とも興奮した様子でそれぞれ感想を伝えてくれた。
楽しんでもらえたなら何よりだ。
それから、演奏の余韻に浸りつつ珈琲の味と香りを存分に堪能した俺たちは、マスターに見送られ晴れやかな気分で店を出た。
「珈琲、ごちそうさまでした」
「こちらこそ、素敵な演奏をありがとうございました。またのお越しをお待ちしてます」
ドアベルの涼やかな音を背に表へ出ると、ピピが「用は済んだかしら?」とのっそり顔を上げた。
「おまたせピピ。じゃあ行こうか」
もうこの街に思い残すことはない。
さぁ、出発だ!




