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平凡勇者は挫けない【5章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
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0007 罪と罰(sideリゼラ)

 図書室に戻ったリゼラは開きっぱなしの本に目を落として勉強を再会した。

 振り子時計が刻む規則的な音と、ノートにペンを走らせる微音だけが静かな夜に木霊する。

 ────が、どうにも集中できず、ため息を一つ零したリゼラはぼんやりと頬杖をついた。


「……アイツは、助けられたのね」


 かつて親友から託された紅い魔石のペンダントを握りしめ、リゼラは在りし日を思い起こす。

 それは自らの罪へと繋がる、たった一人の親友との記憶────。




 ◇



 ──回想 リゼラ・クラウロードの半生──


 父は剣聖ルキウス・クラウロード。異世界からこの世界へ迷い込み、剣の腕一つで成り上がった現代の英雄である。

 母は賢者マリエラ。エルデンバーグ王家に連なる大公爵家の三女にして、彼女一人で魔法学の歴史を三〇〇年は進めたとさえ言われる天才魔法使い。

 若くして後世に名を残すほどの偉業を打ち立てた二人の間に生まれた娘。それがリゼラ・クラウロードという少女だった。


 父と母から高い能力値(ステータス)を受け継ぎ生まれたリゼラは、同年代の子供と比較してもかなり早熟であった。

 一歳になる頃にはこの世界でも主要な五大言語の意味を理解し、文法を正しく使い分けていたのだからまさしく麒麟児と言えよう。


 リゼラは幼い頃から本を読むのが好きな少女だった。

 医学書に哲学書、最新の研究論文から古の詩集まで、興味が向けば何でも読みあさる濫読家であったが、彼女がとりわけ強い興味を示したのは古今東西の冒険者たちが書き残した自伝であった。

 そうして新たに得た知識を夕食の席で得意げに披露すれば、両親はいつだってリゼラを褒め、笑顔を向けてくれた。


 現代の英雄とも言われる両親である。

 二人とも日中はそれぞれの仕事で忙しく、家に帰って来ない日の方が多かった。

 それでも三日に一度は必ず家族全員で夕食を共にし、娘に構う時間を作ろうと必死に働いた。


 ────大好きな二人にもっと褒めてもらいたい。もっと自分を見て欲しい。


 いつしかリゼラの中にはそんな等身大の願望が芽生えていた。

 そうして「もっと、もっと」と知識を求める内、いつしかリゼラは魔法の才能を開花させ、周囲は彼女を天才少女と持て囃すようになる。


 流石は剣聖と賢者の娘。

 そんなふうに褒められることも多くなり、そう言われる度、幼心に誇らしく思ったものだ。

 しかし歳を重ね物事の分別がつき始めると、偉大な両親の娘として生まれたことへのプレッシャーが付きまとうようになる。


 初めてリゼラがそう感じたのは彼女が四歳の時のことだった。

 それまでリゼラにとっての両親は世間の言うような英雄ではなく、ごく普通の優しい父と母だった。

 それゆえ両親の活躍を綴った本を始めて読んだとき、現実とのギャップに大層驚いたものである。本の中に出てくる二人はあまりにも美化されており、同姓同名の別人かと思ったほどだ。

 そして少し思考を巡らせ、それが両親の素顔を知らない世間の人々から見た姿であることに気付く。


 ────なら、自分はどう見られているのだろう。


 流石は剣聖と賢者の娘。

 いつもの誉め言葉に含まれた期待の大きさに気付き、少し怖くなった。

 だからこそなのだろう。

 いつしか少女の根底には偉大な両親の娘として胸を張れる自分であるべしという考えが根付いていた。

 良く言えば向上志向。悪く言えば見栄っ張り。

 誰に「そうあれ」と言われた訳でもないのに自然とそうなっていたのだから、これはもう彼女が生まれ持った性分と言えよう。




 そんなリゼラに運命の出会いが訪れたのは彼女が五歳のとき。

 王立図書館の書架の前で次に読む本をしかめっ面で選んでいたときのことだった。


『────まあ! ラシュマーの伝記、しかも初版ですわね!』


『……知ってるの?』

 

 突然背後から話しかけられ振り返ってみれば、そこにいたのは人形と見紛うほど愛らしい少女であった。


『第二版からは聖神教の検閲が入って、あちこち書き換えられてしまったんですのよね。第二版も読み物として面白くはありますけど、やっぱり筆者の生の体験談が綴られた初版の方が迫力が違いますわ!』


『そう! そうなのよ! あなた分かってるじゃない!』


 雪のように白い髪と神秘的な黄金の瞳を持つ少女だった。

 名をアリア・オル・ディゼル・エルデンバーグ。エルデンバーグ王国の第二王女その人である。

 アリアもまた、俗にいう天才であった。

 生後一ヵ月で言葉を喋り始めたことなどまだ序の口。一歳で王城に保管されていたすべての本を読破し、三歳で数学分野における未解決問題を解き明かすなど、彼女の天才エピソードを語れば枚挙にいとまがない。


 アリアがその才能を発揮するたび誰もが王家に神童が生まれたと大いに喜んだ。

 生まれつき身体が弱く、たびたび熱を出すため周囲を心配させこそしたが、性格は天真爛漫てんしんらんまんそのもの。よく城を抜け出して騒ぎを起こすお転婆でもあった。


 偶然出会った同い年の天才少女たち。

 二人の間に友情が結ばれるのにそう時間はかからなかった。



『────ああ、楽しかった! こんなに話の合う子はあなたが初めてよ!』


『ええ本当に。とても有意義な時間でしたわ。今度城へ遊びにいらして! あなたならいつでも歓迎しますわ!』


『ありがとう! 私のことはリゼラでいいわよ』


『ではわたくしのこともアリアと。また会いましょうリゼラ』


『ええ、きっとよ!』



 本の感想を語らう内、すっかり仲良くなった二人は再会の約束を交わす。

 その後、彼女たちは何度も交流を重ね友情を深めていった。




 ────────

 ────

 ──




『今日は城下を探検しますわよ! わたくしが隊長ですわ!』


『了解よ、隊長』


 アリアの体調が良い時などはよく二人で城を抜け出し城下町へ冒険に出かけた。


 狭い路地裏。

 教会の塔のてっぺん。

 王都を囲う外壁の縁。

 薄暗い地下水道。


 普段遠くから眺めていただけだった王都の景色も、近くで見るとまったく違うもののように見え、何事にも興味を示すアリアの行動力は本の虫だったリゼラの世界を大きく広げてくれた。

 すぐにアリアの専属騎士カイルに見つかり、二人揃ってお説教されたことも今となっては楽しい思い出である。


 だが年齢を重ねるごとにアリアは体調を崩しがちになり、二人が八歳になるころには城から抜け出すことも難しくなってしまい、顔を合わせられる日も少なくなっていった。



 ────────

 ────

 ──



 二人が九歳になる頃には、アリアの病状は日ごとに悪くなる一方だった。

 この頃になるとベッドから起き上がることも困難になり、リゼラが見舞いに訪れても面会を断られる日も増えていった。

 さらに不運も重なった。

 その年の春、カイルが事故で帰らぬ人となってしまったのだ。

 この件の調査に当たった警官の話によれば、酒に酔って補修工事中だった教会へ迷い込み、そこで資材の崩落に巻き込まれたとのことだった。


 遺体の損壊が酷いという理由から死に顔を拝むことさえ許されず、カイルの葬儀は親しい者たちだけを呼び、密やかに行われた。

 その後、彼の遺体はそのまま貴族街の一角にある墓地へ埋葬されることとなる。

 兄のように慕っていた専属騎士の死はアリアから生気を奪い、生来の明るさも徐々に失われていった。




 ────────

 ────

 ──




 二人が九歳の夏。

 その日はアリアの方から招待があり、リゼラは城へと向かった。

 久々に顔を合わせたアリアはすっかり痩せ細っており、ベッドから出ることもできないような状態だった。


『久々に会えたのに、ベッドの上からでごめんなさい』


『無理しちゃダメよ。辛いことの後だもの。具合だって悪くなるわよ』


 この当時、リゼラはアリアの病状について体内魔力の異常によるものであると、本人の口からそのように聞かされていた。

 幼年期に稀に起きるもので、症状の悪化は十歳までをピークとし、それ境に容体は次第に改善して二十歳までには治るのだとも。


『私ね、今、治癒魔法の勉強をしてるの!』


『まあ、そうなんですの? 確か呪文のない高度な魔法でしたわよね』


『ええ! あなたの具合が悪くなったらいつでも治してあげられるようにと思って』


『……ありがとう、リゼラ』


『今が一番つらい時期なのは分かってる。二人で乗り越えましょう』


 弱気になっていたアリアに、リゼラは共に病を乗り越えようと励ました。

 そしてその日からより一層魔法の勉強に熱を入れるようになる。

 ────しかし、幼い二人の約束は果たされることはなかった。二人が十歳になったばかりの夏。アリアの容体が急変したのだ。


『アリア!? しっかりしてアリア!』


『痛い……。くるしい……。まだ、しにたくない……』


『待ってて! すぐに助けてあげるから!』


 その日、偶然アリアのそばにいたリゼラは覚えたての治癒魔法で親友の延命を試みた。

 呪文が存在しないために大人でも習得困難と言われる治癒魔法を僅か十歳で習得したのは流石であったが、このときに限ってはその才能が裏目に出ることになる。


『そんな!? どうして! どうして良くならないの!?』


 魔法は確かに発動した。

 しかしアリアの症状は良くなるどころか、さらに悪化してしまう。

 細胞の代謝を活性化させ傷病を癒す治癒魔法では、末期の魔硬化病に対してむしろ逆効果だったのだ。


 魔硬化病とは先天性の遺伝子疾患である。

 この病は主に三段階に分けて徐々に症状が進行していく。

 第一段階では高熱や吐き気など、風邪に似た諸症状が断続的に続く。

 これは年齢を重ねるごとに頻度が増えるため、三歳ごろまではそうと見分けがつかないことも多い。

 第二段階になると手足の痺れや意識の混濁が起きるようになり、第三段階まで進むと新陳代謝に伴って内蔵の魔石化が始まり、最終的には死に至る。


 それらの症状は魔素の吸収を司る細胞内の受容体が生まれつき異常発達しているために起こると言われている。

 この病の恐ろしい点は症状の進行を遅らせる手立てが殆ど存在しない点にあった。


 魔素とはこの星のあらゆる場所に存在する微小粒子だ。

 その大きさは物体を透過するほど小さく、普段の食事や呼吸などの生命活動を通じても、ごく微量ではあるが体内へ取り込まれている。

 肉体が一度に魔素を取り込める量には限界があり、普通であればその殆どは吸収されることなく尿や便と共に排出される。

 この吸収許容量は肉体が命の危機を感じた際などに一時的に増加することが知られており、魔物を倒すことがレベルアップの近道と言われるのもこのためだ。


 そうしてゆっくりと体内に蓄積した魔素が一定量に達したとき、肉体は魔素の許容量を増やすためより強く変化する。これがいわゆるレベルアップの仕組みだ。

 しかし魔硬化病の患者は普段の食事や呼吸を通じて、吸収許容量を超える魔素を取り込み続けてしまう。

 体調不良などの諸症状も、許容量を超えて急激に取り込まれた魔素が細胞を悪性変異させて発症する。


 当時、この病への効果的な治療法は存在しなかった。

 せいぜいが空間中の魔素濃度を下げるなどの対処療法で進行を遅らせるのが精一杯であり、魔硬化病の患者は平均して十歳まで生きられないとも言われていた。

 自分の病に治る見込みがないことを理解していたアリアは、たった一人の親友に見限られることを恐れ、自身が魔硬化病であるとリゼラに伝えていなかったのだ。



『い、嫌……っ! しっかりしてアリア! こ、こんなの何かの間違いよ!』


『リゼラ……最後に、このペンダントを、あなたに……』


『最後なんて言わないで! どうして治らないの!? なんで!? どうしてっ!』


『どうか……。わたくしの、果たせなかった夢を、叶え…………』


『……アリア? 目を開けてアリア! アリアっ!!!!』



 結果、リゼラの治癒魔法はアリアを救えず、たった一人の親友はこの世を去った。

 わけが分からなかった。

 なぜ。どうして。そんな疑問ばかりが頭に浮かび、自分がアリアの病を活性化させ命を奪ってしまったのだと気付いたときには、すでに親友は棺の中だった。


 自分が殺した。殺してしまった。


 大好きな、たった一人の親友を。


 棺に収まった親友の綺麗に整えられた死に顔。

 結晶化した睫毛まつげのどこか作り物めいた美しさを前にし、そのことに思い至ったリゼラは、ショックのあまり気を失った。



 ────────

 ────

 ──



 アリアの葬儀から数日後、目を覚ましたリゼラは王との面会を望んだ。

 自分を処刑するよう願い出るためである。

 王は面会に応じたが、返ってきた返答はリゼラの予想とはまったく違うものだった。


『私は王女殿下を殺した大罪人です。あの子を死なせてしまった私に生きている価値なんてありません……っ。どうか、私を処刑してください』


『ならぬ』


『そんな!? どうして!』


『……そなたは最後の時まで娘の良き友であった。友に尽くし、その命救おうとした者を罪に問おうなど、どうしてできようか』


 国王はリゼラを罪に問わなかった。

 王妃はアリアを産む前にも女の子を産んでいるが、その子も身体が弱く、生後一年を迎える前に亡くなっている。

 それゆえアリアを溺愛していた王妃は娘の親友だったリゼラのことも娘同然に可愛がっており、それは王も同じだった。



 ────どうか、わたくしが不治の病であることはリゼラにだけは秘密にしてくださいまし。



 少女たちが出会って間もない頃。

 アリア自身の口からそのように懇願された時、王と王妃は身が張り裂けそうな想いでいっぱいになった。

 不治の病に侵され籠の鳥となっていた娘にようやくできた、唯一の友。アリアは真実を知ったリゼラが傷つき、自分から離れていくことを恐れたのだ。

 しかしそれはリゼラにとってあまりにも酷なことである。ゆえに王と王妃は娘に完治の見込みがないことをリゼラに伝えるべきか最後の時まで悩み続け、娘がその短い生涯の中で唯一口にした我儘を尊重すると決めた。


『すべての罪は我らにある。そなたが気に病むことは一つもない。……今日は帰って休むとよい』


『そんな!? 王様! 待って! 嫌っ! 殺して!!!! 殺してよッ!!!! なんで!? どうしてッ!!!?』


 城を追い出されたリゼラは城門の前でただ立ち尽くすことしかできなかった。

 そこからどのようにして家まで帰ったかをリゼラは覚えていない。

 気付けばカーテンを閉め切った部屋に一人閉じこもり、ベッドの上で膝を抱えていた。


(どうして……。私はアリアを……あの子を殺してしまったのに……っ)


 父は今にも消えてしまいそうなほど傷ついた娘にどう接すればいいか分からず、優しい声をかけるばかりで叱ってはくれなかった。

 遠方の魔法都市で働いていた母も事態を聞いて慌てて駆けつけてくれたものの、叱るタイミングを逃してしまい戸惑うばかりだった。


(私は許されちゃいけないのよ……っ)


 大人たちの気遣いや戸惑いが、かえってリゼラに罪の意識を深めさせてしまうとは、この時誰も予想し得ぬことであった。


(……逃げて楽になるなんて許さない。私の人生は贖罪しょくざいのためだけに使う)


 あの日以来、リゼラは魔法を使うことに恐怖を覚えるようになった。

 それでも魔法を捨てて生きることは、アリアを殺した罪から逃げるも同然に思えた。

 魔法学校への入学を決意したのも、己が無知のままでいることを許さぬため。

 ひいてはアリアへの贖罪のためだった。

 かくしてリゼラは母の働く魔法都市へと移り住み、魔法学校の門を叩く。

 僅か十歳にして難関と言われる入学試験を首席合格したのは異例のことであった。


 リゼラは在学中、勉強と魔法の研鑽だけにのめり込んだ。それこそ死に物狂いと言ってよいほどに。

 だがそんな無茶が長続きするはずもなく────。


 そのときは唐突に訪れた。


 十一歳。汗ばむ陽気の続く初夏のことだった。

 始業の鐘に目を覚ます。いつもならとっくに起きて予習を済ませている時間だ。

 頭がひどく重い。身体を動かそうにも思い通りに動かなかった。

 結局布団から起き上がることもできず、その日、リゼラは初めて授業を欠席した。


 三日後。

 昼過ぎに目が覚め、空腹に耐えかね重い身体をどうにか起こし、這いずるように食堂へ向かう。

 丸三日も時間を無駄にしてしまった。

 言いようのない焦燥感と、不甲斐ない自分に対する重くへばりつくような怒りで思考が満たされる。


 緩慢な動きのまま食堂のカウンターでトレーを受け取り、席に戻ろうとしてトレーをひっくり返した。身体が言うことを聞かず、起き上がろうにも起き上がれない。

 食堂のおばちゃんが慌てて駆け寄ってきて声をかけてくれたが、どうしようもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになって、今すぐにでもこの場から消えてしまいたかった。


 ────何故、自分はこの期に及んでまだ生きているのだろうか。


 私のせいでアリアは死んでしまったのに。無知で愚かな自分に生きている価値なんて無いのに、三日も授業をサボり時間を無駄にした。こんな私は死ねばいい。死のう。それがいい。そうでなければならない。


 ふと、床に転がったフォークの先端が目に映る。

 このフォークで喉を突き刺せば、アリアは許してくれるだろうか。

 膨れ上がった希死念慮に誘われ、フォークの先端を自らの喉に向ける。


『うつ病だね』


 生気の失われた瞳をフォークから上げれば、自分を見下ろす小柄な影があった。

 くっきり浮き出た目の下のくまとダボダボの白衣がトレードマークの、まるで少女のような女性である。

 名前は、確か────なんだったか。

 思い出そうとしたが、いつまでも名前が出てこない。


『こうして直に話すのは初めてだったね。私はエヴァ。ここでは養護教諭を務めている。君の両親とは……まあちょっとした腐れ縁でね』


 疲れ果てたリゼラのペースに合わせるように、エヴァはゆったりした口調で名乗った。

 エヴァ・ガイエンターク。こと精神に作用する魔法においてはその道の第一人者と言われる高名な魔法医術士である。


『英雄の娘というのも難儀なものだ。なまじ基礎ステータスが高いばかりに無茶ができてしまう。ひとまず委縮した脳は元に戻しておいたよ。よく効く魔法薬を出してあげるからしばらく休みなさい』


 言われて、リゼラは重くのしかかるような頭痛が消えていることに気付いた。

 身体も思い通りに動く。だが心の裏にへばりついた自責の念だけはそのままだった。


『……ダメなんです。休んじゃ』


『まったく、マリエラめ。本来ならこうなる前にどうにかするのが親の役目だろうに……』


 またも塞ぎ込んでしまったリゼラに、エヴァはやれやれと溜息を吐く。

 マリエラから娘の面倒を見てやって欲しいと連絡が来たときは何の嫌味だと思ったものだが、なるほどこれは確かに重傷だ。

 ともあれワケを聞かないことには始まらない。

 フォークを握りしめたままのリゼラの指を一本ずつ解いてやり、冷たくなっていた少女の手に小さな手を重ね、エヴァは優しく微笑みかける。


『何があったか、話してごらん』


 エヴァの手から伝わる温もりが、凍り付いていたリゼラの心を溶かしていく。

 気づけばそれまで溜め込んでいたものが目尻からポロポロと零れ落ち、次から次から溢れて止まらなくなった。

 泣いて、泣いて、泣き続けて。

 心の膿を出し切る頃には、リゼラは胸の内にあった重荷をエヴァにすべて打ち明けていた。


『────そう。つらかったね』


『……当然の報いです』


『あまり自分を責めすぎてはいけないよ。鬱は人を殺す毒だ。魔法使いを目指そうという者が自分で自分の脳を使いものにならなくさせてどうするね』


 でも。と、リゼラが口ごもる。


『こんなことで足踏みしている自分が許せない?』


 気持ちを代弁され、リゼラは小さく頷いた。

 本当はすぐにでも勉強を再開したい。知らねばならない知識はまだまだ山のようにある。

 だというのに、一瞬でも死んで楽になろうとした自分の弱さが情けなくて、許せなくて。

 やはり同じ結論にたどり着きまたも塞ぎこんでしまったリゼラに、エヴァは一つの提案を持ち掛けた。


『それなら、君が自分を許せるようになるまで特別な魔法をかけてあげよう』


 聞けば、それは精神魔法の第一人者である彼女が独自に開発した、まだどこにも公表していない魔法なのだという。

 いわく、究極の催眠術。

 通常、催眠術のたぐいは時間経過に伴い効果が薄れ、いつか必ず解けてしまう。

 しかしこの術は無意識の“向き”を整え、対象者自身の精神活動により半永久的に効果を持続させる。


『薬でうつ病を治しても、君がそのままではいずれまた再発する。そんなことを繰り返していたらせっかくの優秀な脳みそが縮んでしまうよ。まあそうなっても私なら治せるがね。そう、私ならね!』


 ちなみにこれは君の母親にもできない超高等魔法なのだよ。と、やたら自慢げに高笑いするエヴァ。

 しかし苦笑すら返してもらえず、咳払い一つすぐに真顔に戻ると、かつて愛した男と同じ色の瞳を見つめ、諭すように問いかける。


『だが君は学生で、学生はいつか学び舎を巣立つものだ。いつまでもここにはいられない。それはわかるね?』


『……はい』


『君は魔法を極めた先に何を望む?』


『……旅を。世界中を見て回りたいです』


 それがあの子の最後の願いだったから。

 あの日から片時も離さず持ち歩いていた魔石のペンダントを握りしめ、少女は心の奥底に秘めていた願いを口にした。

 その旅の中で一人でも多くの命を救うこと。それだけが親友を殺した自分にできる唯一の贖罪なのだと。


『そうかい。ならなおさら、この魔法は君に効きそうだ』


 人の心とは難儀なものだとエヴァは苦笑する。

 この少女の救いが茨の道の先にあり、自らそれを掴みに行かねば救われないと言うのなら。

 やはりこの少女を救える魔法はこれしかない。

 ────本当は君の父親を略奪するために開発した魔法だったのだけどね。


『あの……』


『いや、いいんだ。忘れてくれ』


 リゼラが上手く聞き取れなかったのをこれ幸いと、エヴァはなんでもないと首を横に振った。


『この魔法は直接的な救いにはならない。あくまで背中を押すだけだ。君が進もうとしている道は果て無く険しい。それでも、この手を取るかい?』


 試すような笑みで、手が差し伸べられる。

 その一言が決め手だった。

 やろうと思えば、エヴァはリゼラの心を縛る罪の意識を永久催眠で消すことだってできたはずである。しかし彼女はあえてそうせず、自分の想いに寄り添ってくれた。そのことがリゼラにはとても嬉しく思えたのだ。


『お願いします』


 この日、リゼラの深層心理にいくつかの【ルール】が刻まれた。


【リゼラ・クラウロードは何があろうと自らの研鑽を怠らない】

【リゼラ・クラウロードは新たな知識を得るたび、強い喜びを得る】

【その喜びは気鬱きうつを掃い、生きる活力をリゼラ・クラウロードに与える】

【この術はリゼラ・クラウロードが自らを許すその時まで効果を発揮する】




 ────────

 ────

 ──




 そして入学から三年後。

 いっそ狂気的とさえ言えるほどの猛勉強の末、リゼラはとうとう史上最年少での魔法学校卒業という偉業を打ち立てる。

 かの剣聖と賢者の娘が偉業を打ち立てたというニュースは新聞やラジオを通じ世界中で報道され、誰もが彼女を天才とはやし立てた。

 だがそんな周囲からの評価など彼女にとってはどうでもいいことだった。

 元々が親友への贖罪のために始めたことである。ようやくスタートラインに立っただけで浮かれるなど、できるはずもない。


 魔法学校の卒業後、リゼラは両親に黙ってそのまま旅に出ようとした。

 かつてアリアが死に際に託してくれたペンダントと旅をし、その中でより多くの命を救うこと。

 それだけがアリアへの贖罪になるという考えは、あれから三年が経っても変わっていなかった。


 しかし旅は一日と経たず終わりを迎えることになる。

 最初、リゼラは自分の身に何が起きたのかまるで分からなかった。

 隣国のエスペリサ王国へ抜ける街道を歩いていたら急に意識が遠のき、次に気が付くと、そこは魔法都市の屋敷だった。

 自室のベッドで目を覚まし、最初は夢でも見ているのかと己の正気を疑った。

 だが次第にそれが現実だと分かると、あまりの気味の悪さにゾッとした。


『私たちが悪い人だったら今頃どうなっていたか、言わずとも分かるわね?』


 母の言葉で自分は連れ戻されたのだと気付き、リゼラは涙した。

 剣聖と賢者の力を欲する者は多い。中には娘の自分を誘拐して人質に使おうと企む者もいるだろう。

 一躍時の人となり、顏も広く知れた今なら猶更だ。


『人攫いの中には精神系の異能を使う輩だっているわ。胸の悪くなる話だけど、年頃の女の子が気づいたら闇奴隷として売られていたなんてことも外国では未だにある話よ』


 聖神教が戒律で奴隷身分を禁止していることもあり、それを国教とする多くの国では人間を奴隷扱いすることは重罪である。

 しかし法の目を掻い潜り悪事を働く輩というのはどこの国にも存在する。法的には『存在しない』ことになっている闇奴隷がどのような末路を辿るかは言うまでもないだろう。

 自分の思慮の浅さと実力不足を思い知らされ、返す言葉もなかった。


『あなたが成人するまで、これから毎月課題を出すわ。それらをすべて達成できたら一人での旅立ちを認めてあげる』


 悔しさに押し黙るしかなかった自分に、母は厳しい顔で道を示した。


『強くなりなさい。何をするにも、まずは自分の身を護れるようになってからよ』




 ◇




 ──クラウロード邸 図書室──


 アリアから託されたペンダントを握りしめれば、彼女が死んだ日のことを今でも鮮明に思い出せる。

 リゼラの考えは贖罪のために生きると決意したあの日から少しも変わっていない。


 母から出された課題は多岐に及んだ。

 高度な魔法の習得はもちろんのこと、関連分野の知識の習得や母が冒険者時代に培ったノウハウの伝授など、ここ五年リゼラは休んだ記憶が殆どない。

 だがリゼラは母の提案に頷いたあの日から、ただ一度の泣き言も漏らさず、毎月出される課題を着々とこなしてきた。

 おかげで魔法使いとしての技量は魔法学校卒業時点よりも格段に向上し、かつては呪文を詠唱しなければ使えなかった魔法も無詠唱で自在に扱えるようになっている。


 しかし、だからこそ。

 現在取り組んでいる最後の課題が高い壁となってリゼラの前に立ちはだかる。


 あらゆる病と傷を癒す完全治癒魔法。


 娘の旅立ちに向け母が密かに開発していたこの魔法の習得こそ、リゼラに与えられた最後の課題であり試練でもあった。

 母はあえて娘の心の傷に踏み込み、アリア姫と同じ病で苦しむ人々を救える唯一の魔法を娘に送ったのである。

 それは過去を乗り越え、前を向いて生きて欲しいという母からの言外のメッセージであり、あのとき側にいてやれなかったせめてもの償いでもあった。


 リゼラ自身、いつまでもこのままではダメだというのは理解している。

 だがやはり親友を死なせてしまったトラウマをそう簡単に払拭ふっしょくできるわけもなく。

 日々努力はしているものの結果は散々だった。


 二分三六秒。

 完全治癒魔法を発動させるまでの、現時点のベストタイムだ。

 通常、魔法の発動は呪文詠唱で最長二秒。無詠唱であれば一秒以内に発動できなければ実戦において使えないと言われている。

 再び人の命を奪ってしまうかもしれないというプレッシャー。

 それが無意識の内にリゼラの実力を縛っていた。


 母の伝手で病院を紹介してもらい、仕事中に手足を失った冒険者などを相手に毎日魔法の練習をさせてもらっているが、それでも中々成果が表れなかった。

 医療体制の整っている魔法都市の病院ならまだしも、一分一秒を争う旅先の現場でこのままでは話にもならない。

 今のままでは、母はこの魔法を習得したと認めてはくれないだろう。


 ふと、窓の外へ目を向ける。

 青と赤、二つの月がそれぞれ半分ずつ欠けているのが見えた。

 あの月が二つとも完全に満ちたとき、リゼラは十八歳の誕生日を迎える。


「最後の課題、絶対達成してやる……っ」


 成人まで残り半月。

 両手で頬を叩いて気合を入れ直し、基礎から見直すべくリゼラは魔法書に没頭していった。

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