0006 落とし物
──異世界生活 二五日目──
魔法都市に着いてからというもの、師匠との特訓は筋トレを中心としたメニューに切り替わった。
筋トレの効果を上げてくれる魔法のリストバンドを装備して、筋肉をいじめ抜いてはベヒモス肉を食ってを繰り返す。
そんな生活のおかげもあってか、俺の身体には早くも変化が表れていた。
「ふふふ……。とうとう割れたな」
朝の稽古を終え、ひとっ風呂浴びてさっぱりした後のこと。俺は脱衣所の洗面台の前で、あれこれポーズを取りつつ自分の身体を眺めていた。
板チョコみたいにパキっと割れた腹筋に思わず顔がにやけてしまう。
「なに鏡見てニヤニヤしてるのよ。気色悪いわね」
「うわっ!? なんだよ! ノックくらいしろよ!」
俺が悦に浸っていると突然脱衣所の戸が開かれ、寝起きのリゼラが入ってくる。
ああびっくりした。寝起きで化粧だってしてないだろうに、なんでそんなに美人なんだよ。心臓に悪いなぁ。もう。
「実家で何をしようと私の勝手でしょう。アンタこそ居候なんだから遠慮しなさいよ」
「ぬぐっ……」
「ほら、使うんだからさっさと出てって」
なんて、指先をスパークさせながら睨まれたら居候の身としては大人しく出ていくしかなかった。
やっぱり、どうにも壁を作られている感じだ。
────別にどうだっていいだろ。嫌ってくれるならむしろ好都合じゃないか。
……そうだろ。俺もいつまでもここにいるわけじゃないんだから。
「ああヒロト、ここにいたか」
なんだか少し寂しいような、自分でも訳の分からないモヤモヤを抱えたまま脱衣所を出ると、廊下で師匠とばったり出くわした。
口ぶりからしてどうやら俺を探していたようだが、どうしたんだろう。
「今日は竜の塔へ行くぞ。たった今マリエラから連絡が合ってな。研究が一段落ついたから会う時間を作ってくれるそうだ。例の件を相談してみよう」
「分かりました。すぐ支度します!」
「正門の前で待っているぞ」
高鳴る鼓動に押されて、俺は駆け足で自分の部屋へと戻った。
来た、ついに来た! いよいよだ!
俺が屋敷に到着してからというもの、マリエラさんとはまだ一度も顔を合わせていない。
忙しい人というのは事前に聞いていたが、まさか十日も待たされるとは思っていなかっただけに、どうしたって期待も高まってしまう。
世界最高の魔法使いなら元の世界に帰る方法を知っているかもしれない。
◇
──竜の塔──
師匠と共に屋敷を出発した俺は、正面から塔の中に入った。
一階は広々としたエントランスで、フロアの中央には上階へ向かうエレベーターが横一列に並んでいる。
やけに未来的な建物だな。魔法も科学も、ある程度まで発展すると行きつくところは案外同じなのかもしれない。
この塔は上に行くほど重要な研究をしているらしく、関係者以外は立ち入りできなくなっているそうだ。
一階の受付で入場登録を済ませ、師匠と一緒に一二〇階まで一気に上がり、廊下を進んで指定された部屋に入る。
するといきなり雰囲気がガラッと変わって急にファンタジーな内装になった。
部屋の中央には見上げるほど大きな天球儀が浮かんでいて、壁際の棚には不気味な形の植物や、何かの目玉が瓶に入れられ並んでいる。
天球儀の手前には広めのテーブルがあり、何かの書類が所狭しと積まれていた。
「あなたがヒロトちゃんね? はじめまして」
そんな書類の山の向こうに目当ての人はいた。
リゼラと同じ真紅の髪を背中に流した、たれ目がちの目元が優しげな美人さんだ。
如何にも魔法使いっぽい黒いローブを見事に着こなしている。
あと、何がとは言わないけどめっちゃデカい。……肩凝りそうだな。
「すでに名前は聞いていると思うけど、私がマリエラ・クラウロードよ。よろしくね」
「あ、はい! は、はじめまして!」
「ふふっ、聞いてたとおり可愛いのね。ごめんなさいね、仕事が忙しくて中々時間を作れなくて」
不愛想な娘とは似ても似つかない、ほんわかした雰囲気の人だった。
何をどうしたらこんな優しそうな美人ママからあんなトゲトゲした娘が生まれてくるんだ……?
「それで、ヒロトちゃんは元の世界に戻る方法を知りたいのよね?」
「はい。……俺、帰れるんでしょうか」
「今は無理ね。英雄召喚の儀について記された魔導書は読んだけど、これはあくまで、何処かの異世界から英雄の素質を秘めた人物を呼び寄せるだけのものでしかなかったわ」
テーブルの上にあった本に手を置き、マリエラさんは残念そうに首を横に振った。
そんな……。それじゃあやっぱり、俺はもう二度と。
「でも、可能性が無いわけじゃない」
「────え?」
絶望が俺の膝を折るよりも早く、マリエラさんは両肘をテーブルに突き、不敵な笑みを浮かべた。
「呼び寄せることができるのなら、当然行くことだってできるはずよね? 異世界と自由に行き来できるようになる魔法なんて研究テーマとしておもしろすぎるもの。これにチャレンジしないようなら賢者の称号は返上しないといけなくなるわね」
「じゃ、じゃあ!」
「一年、時間をちょうだい。必ず完成させてみせるわ」
その言葉は今の俺にとって、先の見えない暗闇に差した一筋の希望だった。
一年待てば帰れる。そう言って貰えただけで、心がぐっと軽くなって、この先どんな困難が待ち受けていようと耐えられそうな気さえした。
……帰れる。帰れるんだ!
「ルキウスも里帰りできるし、頑張らないとね?」
マリエラさんが茶目っ気たっぷりにウインクを投げると、師匠は意外そうに目を丸くした。
「俺はお前たちを置いて元の世界に帰るつもりはないぞ」
「だから二つの世界を自由に行き来できる魔法を作るんじゃない。あなたが時々寂しそうな顔をしてるの、気付いてないと思ってたの?」
「そ、それは……。すまん」
「いいのよ。あなたのためにも頑張るから、期待して待ってて」
「……ありがとう」
「死が二人を分かてど、魂の絆は永久に不滅。でしょ?」
マリエラさんがうっとり微笑むと、師匠が赤面してわざとらしく咳払いした。
俺を気にして師匠がめずらしくモジモジしている。なんだろう。
「弟子の前だ。勘弁してくれ」
「ふふっ、ごめんなさい。半年ぶりだからつい」
すっかり照れてしまった師匠にマリエラさんがくすりと笑う。
魂の絆は永久に不滅……か。もしかして師匠が送った言葉なのかな。普段あまり会えていないようだけど、夫婦仲は良好みたいだ。
「ああ、そうそう。忘れないうちに。近いうちに長期休暇が取れそうよ」
「そうか!」
思い出したようにマリエラさんが今後の予定を伝えると、師匠の顔が分かりやすいほど「ぱぁっ!」と明るくなった。
なんだか飼い主が帰ってきたときの大型犬みたいだと思ったのはここだけの秘密にしておこう。
「リゼラちゃんの誕生日までには必ず帰るから、みんなで盛大にお祝いしましょ」
「そうだな。リゼラもきっと喜ぶ」
娘のことを話し合う二人を前に、俺は少し疎外感を感じてしまう。
師匠や屋敷の人たちは、この世界で身寄りのない俺にとてもよくしてくれている。
けど、それはあくまで客人としてだ。
────俺はこの家族の一員にはなれない。
目の前の光景にそのことを突き付けられた気がして、たまらなく寂しさを覚えた。
「────と、いうわけなんだが、よければヒロトも手伝ってくれないか」
「えっ!? はい!」
ぼんやりしていたところに話しかけられてしまい、俺はよく聞きもしないまま返事をしてしまった。
「そうか! ありがとう。親目線だとどうしてもプレゼントの内容が偏るからな。歳の近いヒロトの意見を聞かせてほしい。そうと決まれば早速だ! 今から見に行くぞ!」
「えっ、あ、その!?」
「あらあら」
何やら一人で盛り上がっている師匠に急かされ、俺はよく分からないままマリエラさんの研究室を後にしたのだった。
◇
──異世界生活 二七日目──
「あれ……無い!? 石が無い!?」
覇龍山脈の麓の村で貰った綺麗な石が無くなっていることに気付いたのは、夜も遅い時間。ベッドに横になってからのことだった。
ここ最近、俺は寝る前にあの石を眺めるのが日課になっていた。
あの不思議な色合いを眺めていると、女の子の「ありがとう」の言葉を思い出して温かい気持ちが沸いてきて安心できるからだ。
あれが無いと嫌なことばかり思い出して寝られない。
「落としたとすれば屋敷の中だけど……」
今日訪れた部屋を一つずつ探してみるが、見つからない。
まさかと思い図書室へ行ってみると、リゼラが勉強していた。
「……なによ、こんな時間に」
「石を探してたんだよ。これくらいの、青くてつやつやした綺麗なやつなんだけど」
「そんなの、失せもの探しの魔法で探せばいいじゃない」
「……まだ一人じゃ魔力励起できないんだよ」
師匠も簡単な魔法ならいくつか使えるとのことだったので、修行の合間に魔力励起の練習に付き合ってもらっているが、これがどうして中々成果が出なかった。
師匠が補助してくれている状態なら上手くいくのに、一人だとどうしても魔素と反応させる工程で躓いてしまう。
「そんな初歩の初歩で躓くなんて、よっぽど才能無いのね」
「うるさいな! ……頼む。探すの手伝ってよ。大事なお守りなんだ」
俺が頭を下げるとリゼラは意外そうな顔をして、それから「仕方ないわね」と嘆息した。
「ほら、私が補助してあげるから自分で探しなさい」
軽く目を瞑り、呼吸を整え自分の内側に意識を向けていく。
心の裏側、物理的に存在しない場所でパチパチと魔力の火花が弾ける。
そこへ外界から取り込んだ魔素を────。
「違う。そうじゃない。こうするのよ」
俺の背中に軽く触れ、リゼラが俺の魔力を整えてくれた。
少しくすぐったいような。気持ちいいような。不思議な感覚がピリピリと肌の裏側を駆け巡る。
まるでコンロのつまみを捻ったようにあっさりと。
取り込んだ魔素と生体魔力が混ざって燃え上がり、身体の奥底に力が満ちていく。
……そっか。今ので少し掴めたかもしれない。
「我を失せものへ導け」
呪文を唱えると俺の指先から細い光の糸がつぅ、と、どこかへ向かって伸びていく。
光の糸を頼りに進んでいくと、俺の部屋の前に辿り着いた。光の糸はベッドの下を指し示している。
床に這いつくばってベッドの下を覗き込むと、奥の方にキラリと光るものがあった。
「あ、あった! ……よかった」
多分、寝ている間に転がり落ちてしまったんだろう。
見つかってよかった。
「そんなに大事なものなの? それ」
と、珍しくリゼラのほうから話しかけられ、あんまりにも意外過ぎて俺は口を開いたまま固まってしまった。
「なによ」
「え、ああ、ごめん。覇龍山脈の麓の村で貰ったんだ。ベヒモスの咆哮に吹き飛ばされた女の子をピピと一緒に助けて、お礼にって」
「ふーん」
「……この世界に来て、初めて人から感謝されてさ。それがすごく嬉しかったんだ。だからこの石を握りしめると、なんだか勇気を貰える気がして」
多分プラシーボ効果ってやつなんだろう。それでも思い込みの力というのも案外バカにできない。
実際、あの村へ行くまで、俺はロクに眠れもしなかった。
慣れない環境。先の見えない不安。故郷の母さんたちのこと。いろいろな不安が頭の上にのしかかって、俺を眠りから遠ざけていた。
それがこの石を貰って、あのときのことを思い出すようにしてから随分と良くなった。
俺はこのお守りがある限り、心を強く持つことができる。
ある意味これも魔法みたいなものかもな。
「そのまま手に乗せてじっとしてなさい」
「な、なんだよ」
「いいから。すぐに終わるわ」
リゼラはポケットから細い銀のチェーンを取り出し、指先をくるりと回して魔法をかける。
するとチェーンが石に絡みつくように編み込まれ、俺の首元に飛んできてカチッと繋がった。
ペンダントにしてくれたのか。
「それなら無くさないでしょ。その思い出は大事になさい」
少し寂しそうな顔でリゼラは踵を返し、そそくさと部屋を去ろうとする。
「あ、待って! 何かお礼を……」
「いらない。明日も稽古なんでしょ。早く寝なさい」
呼び止めても突き放すような態度で躱されてしまい、そのままリゼラは出て行ってしまった。




