0060 後悔
──世界樹 中腹──
世界樹の根元から昇降盤に乗って地上を離れること数分。
幹の中腹あたりにぽっかりと開いた大穴が見えてきた。
百人どころか、一万人乗ってもまだ大丈夫そうな大きなサルノコシカケの上に降り立つと、湿った風が前髪を揺らした。
キノコの淵から下を見下ろせば────ひぇっ、エルフェリアがもうあんなに小さい。
「こっちだよ」
ハルトに続いて大穴を潜ると、そこは鬱蒼と草木が生い茂るジャングルだった。
「すごい、木の中にジャングルがある!」
「世界樹は無数の幹がお互いを支えるように絡み合って上へ伸びているんだ。だからよく見ると隙間だらけで、内部は大小無数の区画に分かれてる。その隙間に入り込んだ植物の種が世界樹から魔力と養分を貰って独自の生態系を築いているんだ」
「「すげー」」
ぽかんと口を開けたアーシュラと一緒に上を見上げると、木々の隙間からドーム状の天井が見えた。
天井で光ってるのは何だろう。鉱石かな?
こんなときアリアがいれば知識を語ってくれるのに。
するとハルトが何もない空間に向かって小声で話しかけ、そこにいる「何か」の声に耳を傾けるように頷いた。
「……そう。ありがとう。少し前に敵がここを通ったみたいだ」
「特にニオイはしねぇが、エルフには分かんのか?」
「精霊たちに聞いたのさ。森の中でエルフに隠し事はできないよ。どうやら敵も上層を目指して動き始めたみたいだ」
アーシュラが関心すると、ハルトは表情を消して腰のベルトから肉厚なナイフを抜いた。
初めて見る彼の冷酷な顔に背筋が寒くなる。
こんな顔もするんだな……。
「敵が仕掛けた罠がないか見てくるから、君たちはここで待ってて。すぐに戻るから」
そう言うや、音もなくハルトはジャングルの中へ消えていった。
◇
──世界樹 中層 密林地帯(sideハルト)──
風のように軽やかな身のこなしで、白銀の影が樹上を音も無く駆けていく。
植物たちに視界を塞がれた密林の中でも、その足取りに迷いはない。
精霊たちが常に敵の居場所を彼に教えてくれるからだ。
(────奴らめ、性懲りもなくまた攻めてきたのか)
冷え切った瞳の奥に怒りの炎を宿し、最も過酷だった戦いの記憶を思い返す。
魔帝国。
かつて鉄砂の大地に存在した魔族の大帝国であり、今回の同時爆破テロの犯人である。
────六〇〇年前、豪鬼魔王ドラジス率いる魔帝国は、恐るべき科学力をもってこの星の全人類に対し絶滅戦争を仕掛けた。
一年に渡り続いたその戦争は後に人魔大戦と呼ばれ、その深い爪痕を後世にまで残すこととなる。
血と共に代々受け継がれた「憎しみ」と言う名の呪い。
昼夜問わず耳鳴りのように響く祖先たちの恨みの声に突き動かされた魔帝国の攻撃は、苛烈を極めた。
手始めに行われた先制連続核攻撃は、鉄砂の大地に隣接する炎の大地と春風の大地の沿岸部を焼き尽くし、壊滅的な打撃を与えた。
一夜にして春風の大地北西の海岸に橋頭保を確保した魔帝国軍は、同地に大量の陸戦部隊を投入。
完全機甲化を果たした陸軍の圧倒的な機動力を生かし進軍を開始し、最大目標である緑の大地への道を切り開くべく一路南を目指した。
魔帝国軍の前に立った者は老若男女、軍人と民間人の区別もなく、生まれたての赤ん坊さえ徹底的に殺し尽くされた。
魔族たちが抱える憎しみは凄まじく、開戦から勇者マサヨシ・ツルギが召喚されるまでの三ヵ月の間に世界人口の四割が死滅し、大小合わせて七〇の国が滅びたとも言われている。
歴史的な因縁もあり、フリードレア連邦に対する攻撃は苛烈を極めた。
大戦が終結する頃には緑の大地の九割以上が焦土と化し、首都エルフェリア以外のすべての集落は完全に破壊し尽くされていた────。
(……っ)
脳裏を過ぎった光景にハルトの顔が悲痛に歪む。
まぶたを閉じれば、あの日見た焼け野原が今でも鮮明に思い起こせる。
我が子を庇うようにして道端に倒れていた黒焦げの死体。
被爆の後遺症に苦しみ死んでいった同胞たちの無念の表情。
「またあんなことを繰り返そうというのか……っ」
過去の痛みを振り払うように、強い光を宿した翡翠の瞳が前を向く。
させない。二度と繰り返させてなるものか。
強く奥歯を噛み締め、烈火の如く湧き上がった怒りを胸の奥に仕舞い込む。
そんな彼の耳元へ精霊たちが「敵が近い」と囁きかける。
一切の音を立てず樹上から地面に下りたハルトは茂みの影に身を潜ませると、藪の隙間からそっと向こう側を覗き込む。
────いた。
六〇〇年前より随分と装備が進化してはいるが間違いない。魔帝国軍の兵士だ。
慣れない密林に放り出されて不安なのか、しきりに仲間と連絡を取り合っているようだった。
「こちらデルタワン、司令部、応答せよ。司令部! ……クソッ! 繋がらねぇ。これだからジャングルは嫌いだ!」
耳の奥で雑音ばかりを吐き出す通信機にデルタワンは悪態をつく。
魔帝国軍の潜入工作部隊として、これまでいくつもの戦場を生き延びてきた彼だが、これほど状況の悪い戦場は記憶にある限りでも五本の指に収まる程度しか経験がない。
世界樹の放つ力場は魔物を遠ざけるだけでなく、魔族の身体にも作用を及ぼし、ステータスを大きく弱体化させてしまう。
さらにエルフェリア周辺には魔族の侵入を防ぐ精霊結界が張られており、生身のままでは近づくことさえできない。
そのため彼らは全身を機械に置換してこの作戦に臨んでいた。
脳も含めた全身を純粋な機械に置き換えてしまえば、精霊結界は彼らを動く金属の塊と認識する。
生体部分が皆無であるため、世界樹の放つ力場によるステータスの弱体化を受けることもない。
魔法都市の結界も彼ら潜入工作部隊を魔族とは認識せず、内側から結界の基点を壊され破られている。
六〇〇年の静寂の中で、魔帝国は元から優れていた科学技術をさらに発展させ、力を蓄えてきた。
魔神の右腕を持ち去ろうとしたゲート発生装置や、潜入工作部隊のあらゆる装備品は、すべてが魔法を用いない科学技術の産物である。
『《こちらデルタワン。誰か近くにいたら返事しろ!》』
『《こちらデルタツー。蔓に引っかかって動けねぇ。助けてくれ》』
『《こちらデルタスリー。俺の方が近い。俺が行く》』
『《こちらブラボーワン。所在地を送る》』
『《こちらブラボーツー。すぐに合流する》』
デルタワンが短波通信で呼びかけると数名から返答があった。
それからしばらくして。
藪を掻き分けどうにか隊長の下へ集まってきたのは、たったの四人だけだった。
「これだけか」
デルタワンが集まってきた仲間たちを見渡すと、高性能の電探を搭載しているデルタツーが口を開いた。
「残りの反応はもっと上です。ブツも反応から見て最上層付近でしょう」
「そうか。では残りのメンバーを回収しつつ最上層を目指す。全員今の内に装備を確認しておけ」
装備の残弾を確認し、五人は隊列を組んで行動を開始した。
鬱蒼と草木の生い茂るジャングルの中にあっても、彼らの歩みに淀みは無い。
デルタツーが放ったドローンから送られてくる周囲の地形情報が彼らの視界にマップとなって表示されているからだ。
「……おかしい。マップの情報と実際の地形が違うぞ」
最初に異変に気付いたのはやはりデルタツーだった。
「そうか? こんな森の中だし、草木が邪魔してそう見えるだけじゃねぇのか?」
「いいや、確かに違う。マップ上にこんな岩は無かったはずだ。みんな気を付けろ! なにかおかし────」
デルタスリーの軽口をきっぱりと否定し、デルタツーが周囲に警戒を呼び掛けようとした、次の瞬間。
ヒゥン!!!!
鋭い風切り音と共に飛来した矢が岩に突き刺さる。
すると地図上に存在しない岩が赤々と灼熱し、突然大爆発を起こした。
「て、敵襲! 総員、光学迷彩展開!」
デルタワンが叫ぶと、全員の姿が透明になり粉塵の中に消えた。
『《デルタツー! 敵の位置は分かるか!》』
『《今調べて……うわぁぁぁぁぁ!!!!》』
────ブツン────
『《どうした!? デルタツー! 応答しろ!》』
デルタワンが短波通信でデルタツーに呼びかけるが、返事がない。
先程の弓の攻撃から見て、敵はおそらくエルフだろう。
かつての人魔大戦でもエルフはゲリラ戦法を多用し、緑の大地に上陸した陸戦部隊は誰一人として生きて帰ってはこなかった。
あまりに被害が甚大過ぎたために、途中から大陸全土に対して核による絨毯爆撃を実行するという正気を疑うような焦土作戦に切り替えられたほどだ。
『《こちらデルタワン、デルタツーがやられた。敵は手練れのエルフゲリラだ! 総員、全武装の使用を許可する! 小枝野郎を丸焼きにしてやれ!》』
デルタワンの号令の下、オークサイボーグたちの背中のハッチが一斉に開き、無数の小型ミサイルが周囲一帯へばら撒かれる。
高濃縮のナパーム燃料が散布されたジャングルは瞬く間に火の海になった。
『《へっ! ざまあみろエルフのクズが! 森と一緒に燃えちま……っ!?》』
────ブツンッ────
『《……おいどうしたブラボーワン。ブラボーワン!? くそっ! ブラボーワンがやられた! 敵はまだ生きt》』
────ザザッ────
『《どうした!? 状況を報告せよブラボーツー!》』
『《い、嫌だ! やめてくれ! もうたくさんだ! うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!》』
────ビー、ガガガ────
『《デルタスリー!? おい、返事しろ! どうした!?》』
ブラボーワン、ブラボーツー、デルタスリー、通信途絶。
デルタワンがどれだけ呼びかけても返ってくるのは不快な雑音ばかりだ。
機械の身体になって失ったはずの恐怖が掻き立てられ、胸の内を満たしていく。
生身のエルフがこんな炎の中で生きられるはずがない。それこそ不老不死の力を持っていたという伝説の上古エルフでもない限り……。
「まさか」
不意によぎったバカな考えを否定しようとデルタワンが口を開きかけた、そのとき。彼の思考にノイズが走った。
「っ!? なんだ、これは!? やめろ! こんなもの見たくない! やめてくれ!!!!」
苦痛に悶える我が子の泣き声がデルタワンの脳裏に反響し、封じられていた記憶が何者かの手でこじ開けられていく。
蠢く闇に飲み込まれ、鋭い牙に引き裂かれる強烈な死のイメージ。
それは六〇〇年前にデルタワンが実際に体験した死に際の記憶だ。
記憶の蓋が開いたことで、彼自身が無意識のまま胸の内に押し込めていた記憶と感情が溢れ出す。
「そ……んな……。妻も、子供たちも、帝国さえ、もうとっくの昔に……!? それじゃあ、俺は何のために……」
膝から崩れ落ちたデルタワンの首筋に、背後から忍び寄った何者かのナイフが突き刺さる。
アンフィスバエナの尾骨から削り出されたそのナイフは、遠い昔、怒りと憎しみに駆られ里を飛び出していった親友カシウスが唯一残していった形見の品。
失われた太古の呪いで幾重にも強化された白刃の切れ味は凄まじく、強化繊維の首がまるで絹でも裂くかのように滑らかに切断され、頭部を失った身体がどさりと倒れ込む。
「お前たちはそんな身体になってまで、まだ戦争がしたいのか」
地面を転がった首が木の根に受け止められ、氷のように冷え切った瞳と視線が交わる。
月の光を思わせる銀髪と新緑の瞳が美しい、まだ年若いエルフの少年だった。
────殺せ。何故。どうして我々が。
故郷を取り返せ。
我らを追いやったエルフに死を。
少年の姿を認識した途端、デルタワンの脳裏を怨嗟の声が埋め尽くす。
すべての魔族は生まれつき、非業の死を遂げた祖先たちの無念の声が耳鳴りのようにつきまとう。
それは血と魂に刻まれた呪いであり、無視しようとしてできるものではない。
事実、その声を無視できなかったからこそ、六〇〇年前に魔帝国は人類に対して報復攻撃を行ったのだから。
「……もういい。うんざりだ」
だがそんな耳障りな声も、今のデルタワンにはどこか遠くに感じられた。
それは生まれて初めて口にした彼自身の本音だった。
「ああ……。どうしてもっと早くに気付けなかったんだ……」
配線が切れたせいだろうか。デルタワンの目尻から漏れ出したオイルが無機質な頬を伝い落ちる。
デルタワンは自分の中に憎しみ以外の温かな感情があったことに初めて気付き、静かに嗚咽を漏らした。
頭の中で鳴り響く祖先たちの怨嗟を晴らし復讐を遂げること。
それは魔帝国の存在理由であり、国是にして国民の共通認識でもあった。
物心ついた時からそうであったし、宛がわれた妻との間に子を成したのも、一人でも多くの兵力を国に提供するため。
そこに愛は無く、自分の子が一人でも多くの敵を殺せればそれで十分なのだと、そう思っていた。
────それが自分自身の感情でないと気付かぬままに。
初めて我が子を抱いたとき、胸の内に灯った温かな想い。
この子には憎しみに囚われず幸せに生きてほしい。
怨嗟の声にすぐさま掻き消されてしまったあの気持ちを持ち続けていられたなら、少しでも違う結果があったのだろうか。
「俺はただ、子供たちに幸せに生きてほしかっただけだったのに……っ。どうして、あんな……」
「……気づくのが遅すぎたよ。お互いに」
デルタワンの慟哭を聞き、ハルトは血を吐くように小さく呟いた。
敵も味方も関係ない。あの戦争に関わったすべての人間がそうだ。
憎しみに突き動かされ、多くの命を奪い、誰かの平穏な暮らしを破壊した。
戦場で散っていった兵士たちにも、守りたいものや親しい人たちがいたというのに、誰も踏みとどまれなかった。
右手の人差し指にはめた翡翠のリングに触れれば、かつて双子の妹から託された願いが鮮明によみがえる。
『兄さんには憎みの連鎖を断ち切って欲しいの。敵も味方もなく、すべての子供たちが安心して暮らせるように』
奇しくも敵の言葉と妹の願いが重なり、ハルトの胸を苦い思いが満たす。
もっと早くに戦うことを止めていれば、妹が望んだ和解の道もあったのではないか。
無意味なたらればばかりが初雪のようにしんしんと降り積もり、ハルトの心を冷やしていく。
いまさら後悔したところで、この手で奪った命も、敵に奪われた仲間たちの命も、もう戻ることはない。
「……頼む、殺してくれ」
デルタワンの声で意識を今へと引き戻されたハルトは、足元に転がっていた首を空高く放り投げる。
間髪入れず放たれた矢は狙い違わずデルタワンの眉間を貫き、近くにあった木の幹へ射止めた。
「ありが……とう………………」
機械の瞳が弱弱しく点滅しながら光を失う。
全身を機械に置き換えられ表情を失ったはずの彼の死に顔は、どこか穏やかだった。
「……お願い」
ハルトが一言呟けば森の火は一瞬で鎮火し、黒く焼け焦げた木々や草葉がみるみる元の姿を取り戻していく。
デルタワンの首も植物のツタに覆い隠され、やがて一人の戦士の墓標を飾るように鮮やかな青色の花が一輪、小さく咲き綻んだ。
◇
──世界樹 中層 入り口付近──
ハルトは五分と経たない内にひょっこりと帰ってきた。
特に目立った傷は見当たらないが、少し焦げ臭い空気を纏っていた。
「お待たせ」
「随分早かったね」
「うん。何もなかったからね」
俺が尋ねるとハルトは何ともないような顔でけろりと答える。
「仕掛けられていた罠は解除したから大丈夫だよ。ついてきて」
「……ハルト、何かあった?」
俺が僅かな違和感を口に出すと、前を行くハルトの背中がほんの一瞬、何かに怯えたような気配を放つ。
「どうして?」
だが、振り返ったハルトの表情はいつも通りにしか見えない。
「いや、なんとなく。何もなかったならいいんだ」
「ははっ、変なの」
……やっぱり何か隠してる。
というより、少し無理をしているように見えた。
つらいのを押し殺して平気な顔を装うときの、あの独特の気配とでも言おうか。
仕事に追われて忙しい母さんが俺と朱莉を心配させまいと見せるあの笑顔。
今のハルトからはそれに近しい雰囲気を感じる。
ハルトが何か悩んでいるなら力になってあげたい。
けど軍人なら一般人には話せないことだって沢山あるはずだ。変に聞き出して困らせたくないし……どうすればいいんだろう。
「ほら、行くよ」
「あ、うん」
結局何も聞き出せないままハルトは先へと進んでいく。
モヤモヤしたものを抱えたまま、俺は草をかき分けハルトの後を追った。




