0054 巨樹と霧の都エルフェリア
──緑の大地 エルフェリア近郊──
巨大樹の森を、緑の影たちが風のように駆け抜けていく。
フリードレア連邦使節団のエルフたちが駆る森林カラーのガルダだ。
そんな彼らの最後尾にぴったりと追従するのは青瑪瑙の風。リゼラとアーシュラを乗せたピピである。
片方は子供とはいえ、二人分の体重を背負っても一切衰えを見せないその足取りは、流石は剣聖の愛騎といったところか。
自動車並みの速度で疾走する一団を常に視界の端に捉えつつ、俺とアリアは周囲を警戒しながら枝から枝へ飛び移って後を追う。
────緑の口を出発して今日で十六日目。
奥へ進むほど、森は深い霧に覆われていった。
今や樹上に顔を出して周囲を見渡しても何も見えない。
俺たちは本当に先へ進んでいるのだろうか。
どこまで行っても森ばかりで、同じところをグルグル回っているような気さえしてくる。
変わり映えのしない景色に弱気になりかけた────その時
澄んだベルの音が木々の合間に木霊する。アリアが敵を見つけた合図だ。
俺たちはそれぞれの警戒範囲を事前に決めていた。
リゼラは魔法で広範囲を、アーシュラはニオイで中範囲を担当。
俺とアリアは目視で近くの敵を警戒し、敵を見つけたらそれぞれ音階の異なるハンドベルで知らせる。
そうすれば敵がどの距離まで迫っているか全員がすぐに分かるというわけだ。
アリアのベルの音を聴きつけたエルフたちがすぐさま一ヶ所に集まり、その外を俺たちで囲んで四方を警戒する。
リゼラが杖を掲げると木々の裏側に隠れていた敵の姿がサーモグラフィーのように俺たちの視界に赤く映し出された。
太くて長いシルエット。蛇か。
ズルズルと木々の合間を這い回り、二股の首の先から細い舌をチロチロと出している。
「アンフィスバエナだ! 毒霧を吐いてくるぞ。気をつけろ!」
敵の正体を看破したアーシュラが叫ぶと同時、リゼラから身体強化魔法が飛んできて、間髪入れず使節団の周囲にバリアが形成される。
俺は闘気でさらにステータスを底上げし、剛剣アダマスの柄に手をかけた。
鞘から刃を鋭く抜きつつ────虚空瞬在。
すると抜刀の勢いはそのまま、間合いだけが一瞬にしてゼロになる。
────斬ッ!!!!────
アンフィスバエナの片側の首が宙を舞うと、残りの首がバネのように力を開放して噛みついてくる。
虚空瞬在で頭上を取り、首を斬り飛ばす。
が、最初に斬り落としたはずの首がいつの間にかもう再生している。
くそっ、コイツ、二つの首を同時に落とさないと死なないのか!?
再生した蛇の頭が口を大きく開けて喉を膨らませる。
「させるかよッ!」
ズガンッ!!!!
すかさず飛び込んできたアーシュラの拳がアンフィスバエナの脳天に振り下ろされた。
その衝撃で口が閉じられ、毒霧がアンフィスバエナの体内へ逆流する。
直後、アンフィスバエナの胴体が「ボンッ!」と風船みたく膨らんで動きが鈍った。
「ヒロトさま! せーので合わせてくださいまし!」
「分かった!」
聖別された大斧を振りかぶったアリアに頷き返し、俺たちはタイミングを合わせてアンフィスバエナの頭上へ飛んだ。
「「せーの!」」
────────
────
──
「いやぁ助かりました! 流石は勇者様たちだ!」
アンフィスバエナがその巨体を大地に横たえ動かなくなると、一塊になっていたエルフ集団の中からエハトゥさんがこちらに駆け寄ってくる。
「皆さんが無事で何よりでした」
出発前から嫌な胸騒ぎはしていたけど予感が的中してしまうとは。
ともあれ全員無事で本当によかった。
「アンフィスバエナはニオイも無く、探知の魔法にもかからないのです。ですから気付いたときには音もなく忍び寄られている。奴が“死の運び手”と呼ばれる所以です」
エハトゥさんの解説に俺はなるほどと頷く。
道理であんな至近距離まで誰も気付かなかったはずだ。
「……変ですわね」
するとアンフィスバエナの死骸を観察していたアリアが難しい顔であごに手を当て「むぅ」と唸った。
「変って、何が?」
「魔物は世界樹の気配を嫌がるそうですわ。ですからエルフェリアの周囲に魔物がいること自体が異常ですのよ。……何も起きなければよいのですけど」
俺が聞くと、アリアは少し不安そうに森を見渡して答えた。
なんだろう、また大きな騒動の予感がする。
なにはともあれアンフィスバエナの死骸はひとまずアリアに保管してもらい、エルフェリアの冒険者ギルドで解体することに決めた。
かなり大きな魔物だし、それなりの稼ぎになるはずだ。
「エルフェリアはもうすぐそこです! 見たらきっと驚かれますよ! 早く行きましょう!」
エハトゥさんに急かされ、俺たちはすぐに準備を整え出発した。
戦闘のあった場所から三時間ほど行くと、次第に霧も晴れ、木々もまばらになって視界がぐっと開け始める。
やがて正面に水晶でできた巨大なアーチが見えてきた。
「────さあ着きましたよ! ここが叡智と霧の都、エルフェリアです!」
水晶のアーチを潜ると、そこは巨木と結晶が織りなす美しい都だった。
高層ビルにも匹敵する巨木群がまるで競い合うように空に向かって枝葉を広げている。
木々の幹には巨大なサルノコシカケがへばり付いていて、その上に小さな町がいくつも乗っていた。
巨木同士は水晶のつり橋で接続されており、太く立派な枝の上には鳥の巣箱みたいな家々も沢山見える。
「あれが世界樹! 本当に大きいですわ!」
そこへ加えて一際目を引くのは、都市の中心にそびえ立つ世界樹だ。
緑の大地に上陸したときも空を覆うように広がる枝が見えたが、こうして近くで見るとその大きさに圧倒される。
全幅を視界に納めきれないほど幹は太く、霧に覆われた頂上はどれほど高いのか想像もつかない。
「本で読んだことはあるけど、実際見ると壮観ね」
珍しくリゼラまで口を半開きにしてエルフェリアの景観に見入っている。
この景色の美しさを言い表すなら、どんな言葉がふさわしいだろう。
緑と水晶が織りなす森の奇跡? 過去と今を繋ぐ……うーん、陳腐だな。
言葉が見つからない。もっと真面目に国語の勉強しておけばよかった。
「なんか美味そうな匂いがするな。腹減ってきた」
どこからか漂ってくる香ばしい匂いに頬を緩めるアーシュラ。やっぱり花より団子らしい。
それにしてもなんの匂いだろう。
パンとも少し違う感じだし、後で時間ができたら探してみようかな。ああ、お腹空いてきた……。
「ひとまずカシギ家の別邸まで向かいましょう。依頼完了の証明はそちらでお渡ししますね」
「分かりました」
世界樹に向かってメインストリートを道なりに進むと、正面に大きなお屋敷の門が現れる。
全体的にどことなく和の雰囲気を感じるデザインだ。
「森の地形を利用した街づくりをしているエルフェリアでは、地面の上に広いお屋敷を持っているのは裕福である証なんだそうですわ」
と、アリアがここぞとばかりに豆知識を披露してくれた。
日本だとタワーマンションに住みたがるお金持ちが多いイメージだけど、こっちでは価値観が逆なんだな。
「そういや昔、エルフの冒険者が人間はみんな地面の上に家を建てていてすごいとか言ってやがったな。あれはそういうことか」
「大地に根付いて育つ植物になぞらえて、地面の上に家を持つことは一族の繁栄に繋がるという考え方ね。まあ単純に平地面積が狭くて地価が高いからって理由もあると思うわ」
ロマンもへったくれもないリゼラの補足に苦笑いしつつ屋敷の門を潜ると、着物姿のエルフ女中さんたちが俺たちを出迎えてくれた。
エハトゥさんの案内で俺たちはそのまま畳張りの奥の間へ通される。
屋敷の造りといい、畳といい、まるで日本みたいだ。
「父上! ただいま戻りました!」
「おおエハトゥ、我が息子よ。よくぞ無事に帰ってきてくれた」
エハトゥさんと着物姿の初老エルフが抱擁を交わす。
外見年齢は四〇代そこそこ。白髪交じりの金髪をオールバックにしており、例に漏れずやはり美形だった。
息子との抱擁を解いた初老エルフが俺たちの方に向き直り、改まった感じで口を開く。
「私はフリードレア連邦大議長、エリド・カシギ・ニシノミヤと申す。よくぞはるばるお越しくださった」
「銀等級冒険者の鈴木大翔です。お会いできて光栄です」
「貴殿らのオーランでの活躍はすでに聞き及んでいる。なんでもかの国の裏で暗躍していた魔王を退け、クラーケンを倒したとか」
「いえ、そんな。運がよかっただけです」
「またまたご謙遜を! 父上! 彼らのおかげで我ら使節団は死の運び手の脅威から生き延びました! 彼らは間違いなく当代随一の英傑ですよ!」
まるで好きなスポーツ選手について語るみたく、エハトゥさんが俺の肩に手を置いて興奮ぎみに口を開いた。
「なんと! それはまことか!?」
「ええ、もうついさっきのことです。四人の巧みな連携、父上にもご覧頂きたかった!」
「まさかエルフェリアの近くに死の運び手が出るとは。やはり森で何か起きているのか……?」
エハトゥさんの話を聞くや、エリドさんは腕を組み難しい顔で「うーむ」と考え込んでしまった。
「やはり、ということはエリドさまは何かご存じですの?」
「ひぃっ!?」
思考の海に没しかけたエリドさんにアリアが横から声をかけると、腰を抜かす勢いで両肩がビクンと跳ねた。
この人もか。なんなんだいったい。
「そんなに怯えなくてもいいじゃありませんの……」
「ああ、いや、すまぬ。実は最近森の魔物たちの動きが活発化していてな。現在ギルドに調査依頼を出しているところなのだ」
なんだろう。ちょっと事件のニオイがする。
「ともあれ君たちは息子の命の恩人だ。滞在中はこの屋敷を自由に使ってくれて構わない。旅の疲れを癒し、英気を養われるがよかろう」
「ご厚意、感謝いたしますわ」
アリアが淑女の礼を返すと、エリドさんはようやく自然な笑顔を見せた。
怖がってはいるけど嫌悪感はないらしい。なんというか、断崖の淵から谷底に咲く花を眺めるみたいな?
彼らが感じているのは────死の恐怖?
あの驚きようも、車に轢かれそうになってびっくりした時みたいだった。
だとすると余計に分からない。何故……。
「あ、そうだ忘れないうちに。こちらが依頼の完了証明書です。それとこちらは自分からの気持ちです。どうぞお納めください」
と、エハトゥさんから依頼の完了証明と追加報酬の金貨がたっぷり入った袋を渡される。フリードレア連邦の国家通貨『エイミー』だ。
美しいエルフの少女の横顔が刻印された金貨は、美術品としての価値も高そうだ。
「こんなにいっぱい!? いいんですか?」
「もちろんです! 今夜は当家自慢の料理人が腕によりをかけますので、そちらも楽しみにしていてくださいね!」
「ありがとうございます!」
「皆さまお疲れでしょうし、夕飯まではゆっくりとお寛ぎください。おーい! 勇者さまたちをお部屋までご案内してさしあげて!」
「かしこまりました」
エハトゥさんが声をかけると、襖の向こうに控えていた女中さんが俺たちを部屋まで案内してくれた。
一人一部屋。畳に障子に襖、壁には掛け軸まである。どこからどう見ても完璧な和室だ。
畳の上に横になると、懐かしい匂いに心が落ち着いた。
うーん、畳の匂いだぁ。岐阜の爺ちゃん家を思い出す。
こんなにのんびりできるのはいつぶりだろう。
「ここまで長かったなぁ……」
長旅の疲れもあってか天井の木目を眺めていると、だんだんまぶたが重くなってくる────。
◇
──いつかどこかの風景──
色とりどりの小さな花々が咲き乱れる原っぱがどこまでも広がっている。
小高い丘の上には背の高い一本杉があり、その根元でエルフの少年少女が肩を寄せ合っていた。
────これは俺の知らない誰かの、遠い遠い昔の記憶。
『エイミー。君にこれを』
金髪の少年が少女に金のイアリングを渡す。
少女の瞳と同じ色合いを湛えた大粒の宝石がはめ込まれており、精緻な細工が美しい。
それは婚姻のイアリング。
エルフは結婚を申し込む時、黄金のイアリングを送る。
決して錆びることのない不変の黄金は、悠久の時を生きた不老不死のエルフたちに尊ばれた。
イアリングを渡された少女────エイミーは、まず驚きに目を見開き、それから嬉しそうに顔を綻ばせる。
エイミーが自分の耳にイアリングをつけると、美しい顔が一層華やいだ。
『綺麗だ』
『ありがとうカシウス。これまでも、これからも、ずっと一緒よ』
送られたイアリングへの返事は口付けで返された。
それからしばらく二人は抱き合ったまま唇を重ね、やがてゆっくりと、惜しむように二人の顔が離れる。
するといつからそこにいたのか、一本杉の裏から銀髪の少年が現れ、二人に拍手を送った。
エイミーと瓜二つの顔立ちの彼は、彼女の双子の兄だった。
『に、兄さん!』
『ハルト! いつからそこに!?』
『一〇〇〇年前からさ。あと一〇〇〇年はかかると思ってたけど、やっと決心したようだね』
悪戯を成功させた子どものように無邪気な笑みを浮かべ、ハルトがカシウスに握手の手を差し伸べる。
二人は一日違いで生まれた幼馴染であり、親友でもあった。
不老不死のエルフは滅多に子どもを作らない。
そのため里内で同時期に子どもが生まれること自体が珍しく、二人の友情は何よりも固かった。
カシウスとエイミーが里のみんなに隠れてこそこそと仲を深めていたことを、ハルトは二〇〇〇年も前から知っていた。
しかし奥手なカシウスは最後の一歩をどうしても踏み切れず、またエイミーものんびり屋だったため彼を急かそうともしなかった。
妹を任せられるのはカシウスしかいないと考えていたハルトは、おかげで一人やきもきさせられていたのだが、そんな日々も今日で終わる。
『これで君は晴れて僕の義弟になるわけだ』
「義兄さんとお呼びすれば?」
「ははっ。背中が痒いからやめてくれ」
差し出された手を握り返したカシウスが少し意地悪に笑うと、ハルトは参ったと苦笑した。
「妹を頼む」
「大地と精霊に誓おう」
────この日、エイミーとカシウスが婚姻を結び、そのことは風に乗って里中へと広まった。
幼馴染二人がめでたく結ばれたことを誰もが喜び、それから数年後、二人の間には子どもが生まれた。
────────
────
──
まるで舞台劇のように突然場面が暗転する。
辺りは火の海だった。
森は枯れ果て、毒に侵されて悶え苦しむエルフたちの姿があちこちに見える。
上を見れば翼を広げた飛竜たちが里の上空を旋回しており、毒の入った樽を森に投げ落としていた。
「殺せ! エルフどもは皆殺しだ!」
「我らの楽園を取り返せ!」
「祖先たちが受けた屈辱を思い知らせてやれ!」
枯れ果てた木々の影から小鬼たちがぞろぞろと里に雪崩れ込み、毒で苦しむエルフたちを槍でめった刺しにしていく。
エルフたちはその身に備わった生命力の高さゆえに長く苦しみ、一人、また一人と力尽きていった。
「これ以上好き勝手させてたまるか!」
小鬼たちの残虐を見かねたカシウスが鞘から剣を抜き放ち、小鬼たちの隙間を縫って稲妻のように駆け抜ける。
直後、小鬼たちの首が一斉に宙を舞った。
だが敵は次から次から現れてキリがない。
数の暴力に押され、背後を取られたカシウスに憎しみの刃が振り下ろされ────
ヒュンッ!!!!
────上から飛んできた矢が小鬼の脳天に突き刺さり、寸でのところでカシウスを敵の刃から守った。
弓を構えたハルトが木の上から飛び降り、親友の背後を庇うように立つ。
「カシウス! 無事か!?」
「ハルト! ここはもうダメだ! 生き残った者たちを連れて逃げろ!」
「君はどうするつもりだ!」
「ここで敵の足止めをする! お前は王族としての務めを果たせ!」
襲い掛かってきた小鬼を斬り伏せ、カシウスが背中越しに叫ぶ。
ハルトはエルフの始祖に連なる王家の血筋だった。
敵は真っ先に王の住まいを空爆し、すでに里内で生き残っている王族はハルトとエイミー、そして彼女の血を引く赤ん坊だけである。
「……ッ。わかった。死ぬなよ!」
「誰に言ってる! 剣の腕で俺に敵うヤツなんてこの世にいない! ……エイミーと息子を頼む」
「頼まれなくても!」
「行けッ!」
カシウスが切り開いてくれた僅かな隙間に飛び込み、ハルトは駆けた。
駆けて、駆けて、駆け抜けて。まだ生き残っていた民と妹を引き連れ、彼は森の奥へと逃れた。
世界の輪郭がぼやけ、ゆっくりと解けていく。
もうすぐ目が覚める。




