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【2章完結】平凡勇者は挫けない【6章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
第二章 湾港都市オーラン編

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0051-b話 回想 ハカイのヒ

本日は2本立て!

 ──六年前 日本──


「何度言ったら分かるの!」


 家に帰るなり、耳障りな怒声が耳を打った。

 またか。

 思わず口から零れ出そうになったうんざりした気持ちを堪え、ドアの隙間から正義がそっとリビングを覗き込む。


 やはり予想通り、母親が癇癪を起していた。


 どうせ原因は大したことはない。

 弟が遊んだオモチャを片付けなかったとか、そんなところだ。


 だが放っておけば弟の身に危険が及ぶ。

 恐怖心をぐっと堪え、正義は何食わぬ顔でリビングに顔を出した。


「ただいま。どうしたの、母さん」


「ああ、おかえり正義。ううん、なんでもないのよ。なんでも。ほらハルちゃんも、お兄ちゃんにお帰りって言いなさい」


 正義が尋ねると、母はまるで何事も無かったかのように態度を変え、作り物めいた笑顔を浮かべる。


 だがついさっきまで怒鳴られていた幼い弟がすぐに取り繕えるはずもない。


 正義が依然として大声で泣き叫ぶ晴喜はるきをチラリと見やり、すぐに母親へ視線を戻すと────すでに笑顔の仮面が剝がれかけている。


「ただいま、ハル。二階で一緒に遊ぼっか」


 正義が優しく語り掛けると、晴喜はまるで縋るように正義の腰に抱き着き、涙と鼻水でくしゃくしゃの顔を服の裾に埋めた。


 まだ四歳の弟を母の怒りから遠ざけるように、背中をさすってやりながら二人で二階へ向かう。

 リビングを出る際、横目でチラリと母の顔色を窺い────ゾッとした。


 母の顔は、怒りと憎しみに染まり切っていた。




 ◆




 小学四年生の(つるぎ)正義(まさよし)にとって、母親とは忌むべき存在であった。


 見た目の良さだけで父に選ばれ、性格と頭の悪さに愛想を尽かされて、この家に封印されたバケモノ。

 それが母という生き物に対する正義の客観的な評価だった。


 それでも父が離婚という選択肢を取らなかったのは、偏に息子の存在があったからだろう。


 どんなに馬鹿で最低な女でも、母親というのは法的に強い。

 裁判で親権を争えば、父親に勝ち目はまず無い。

 刑事の父は、仕事柄その手の事情をよく知っていた。


 たまに家に帰ってくると必ず一緒に風呂に入ろうと誘われたのも、今になって思えば母親から虐待を受けていないかのチェックだったのかもしれない。


 もしあの時、自分の身体に(あざ)の一つでも残っていたら、弟が母からあれほど憎まれることも無かったのではないか。

 それを思わない日は無いが、しかし仮にそうだったとしたら弟が生まれてくることもなかったはずなので、やはり詮無きことである。


 ────物心ついた頃から、母のご機嫌を取りながら生きてきたという自覚がある。


 テストで満点は当たり前。

 一点でも落とせば母の気が済むまで「何故」の嵐を浴びせかけられるから。


 幸い、教科書の内容は一度目を通せばすぐに覚えられたし、勉強で躓いたことは一度もなかったため、そんなふうに詰められたのは一回きりであったが。


 母は基本、自分が誰かに自慢できるような『理想的な良い子』でありさえすれば機嫌がいい。


 機嫌さえよければ美人で優しい母である。

 ならば常に自分が母の機嫌を損ねなければいいだけのこと。

 人より少しだけ賢い子供だった正義がそう気づくのに、さして時間は掛からなかった。


 スポーツの大会も、金メダルを取れば母はご機嫌だった。

 一位を逃がすと露骨に夕飯のおかずが貧相になりはするものの、それでも何かしら結果を残せば父が褒めてくれたし、母に内緒でこっそり外食に連れて行ってもくれたので別に構わなかった。


 正義には母のご機嫌を取る才能があった。

 それゆえ、表面上は上手いこと回っていたのだ。────弟が生まれるまでは。


 何をトチ狂ったのか、父は母との間に二人目を設けた。

 親の情事に想像を及ばすなど(おぞ)ましいことであるが、母は常々二人目が欲しいと口にしていたし、おそらく寝込みでも襲われたのだろう。


 頭の中身はおがくずでも、見た目だけはいつまでも若々しく美しい母である。

 そんな妻に迫られては、仕事で忙しい父が我慢できなくなっても仕方のないことだったのかもしれない。


 だが、母が自ら望んだはずの二人目は、彼女の望み通り育たなかった。


 一人目が特別聞き分けの良い、手間のかからない子供だったというのもある。


 しかしそれゆえに母は普通の子育ての苦労を知らず、幼児特有のイヤイヤ期に入る頃には、母の弟に対する愛情はすっかり冷めきっていた。


 弟の顔が平凡な父親に似たのも災いした。


 自分に似て美しく、それでいて賢い自慢の上の子と比較して、下の子は何もかも平凡すぎたのだ。

 親であるなら誰もが通る道であったとしても、母にとって晴喜を育てることは耐えがたい苦痛となった。


 顔を合わせる度、子育ての不満ばかりを口にするようになった女に父はとうとう嫌気がさしたのか、家を空ける日が多くなった。

 丁度その頃、父の所属先が県警本部に変わった影響もあるだろうが、仕事を言い訳に家庭から逃げたのは聞かずとも分かった。


 母の苛立ちは次第に父への憎しみへと変わり、その怒りが父によく似た弟へと向けられるようになるまで、そう時間はかからなかった。


 そんな母の姿を見て、正義は自分が母から愛されていなかったことを悟った。

 母が笑顔を向けていたのは自分にではなく、【自慢の息子】という記号そのものであったのだと。


 それ以来、正義の中で何かが変わった。


 表面上は今まで通り、どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子の演技を続けた。

 そうしている限り、母は自分の前では【良い母親】を演じようとする。

 長年母のご機嫌を取り続けた結果、知らず内、母にはそういうクセがついていた。

 

 幼い弟を守るため、それを利用した。

 自慢の息子が家にいる限り、あの女は【良い母親】を演じなければならない。


 父の書斎にあった心理学の本を参考にするようになってからは、効果は目に見えて現れるようになった。


 言葉や視線、息遣いで母の動きを誘導し、怒りの矛先が弟へ向かないよう工夫を重ねた。


 そんなことを毎日繰り返している内、他人を意のままに動かす極意のようなものを掴み、中学に上がる頃には小道具を使えば「そこに無いモノ」をあると錯覚させられるようにもなった。


 次第に弟への虐待も鳴りを潜め、正義がそうと意識せずとも、母の機嫌の良い日は多くなっていった。

 そんな妻の変化を肌で感じ取ったのか、父もまるで様子を見るように時たま家に帰ってくるようになった。

 そう仕向けたのだから当然である。


 父と母、自分と弟。

 四人になった家族は、表面上だけとはいえ、上手く回り始めた。


 このまま優等生であり続ければ、いつか本当に本物の家族になれるかもしれない。


 そんなふうに思い始めていた、ある日のこと。

 中学三年生のあの日。父から自分のスマホに電話があった。


『家が燃えている。無理心中かもしれない』


 荷物も持たず、慌てて学校を飛び出した、その帰り道。

 (つるぎ)正義(まさよし)は異世界に召喚された。 




 ◆




 ──六〇〇年前 緑の大地北部 とある農村──


 いやに蒸し暑い、夏の日だった。


 その日もイカリは朝早くから田畑の手入れに精を出していた。

 日中の気温が三十五℃を超えると精霊たちに囁かれ、朝の涼しい内に虫払いや草分けを済ませてしまおうと思ってのことである。


 イカリはこの地で七代続く農家の跡取りだ。


 人当たりも良く夫婦仲も良好で、昨年の冬には念願の長男が生まれたばかりだった。

 これからますます仕事に精を出さねばと笑顔で語っていたのは村人たちの記憶にも新しい。


「ほーれ、虫っ子ども~。すまねぇけどあっちさ行ってけれ」


 イカリが穏やかな口調で語り掛ければ、赤々と実ったトマトに付いていた虫たちが一斉に何処かへと飛び去っていく。


 エルフの農耕は他種族のそれと比べても異質だ。

 彼らの作業は一にも二にも精霊に願うことから始まる。

 そうすることで作物の生育を妨げる草花たちに田畑の畔へ移動してもらったり、虫や鳥獣たちに退いてもらうのである。


「うん、うめ」


 大ぶりのトマトを一房収穫して齧り付けば、甘酸っぱくも瑞々しい旨みが口いっぱいに広がる。

 今年は雨が長く続いた影響で夏野菜の出来が心配だったが、ここ数日の快晴のおかげもあり、野菜たちはどれも瑞々しく実ってくれた。


 納得のいく出来にイカリが満足げに頷いた、そのとき。

 北の山の稜線を超えて、聞き慣れない音が彼の耳に届いた。


「なんだぁ? あれ」


 それは一見すると鳥のように見えた。

 だがどれだけ記憶を探っても、あんな形の鳥は見たことが無い。

 ぶーん、と、どこか虫の羽音にも似た音を響かせ、奇妙な鳥は徐々に村へと近づいてくる。


 やがて村の上空に差し掛かると────卵だろうか? その奇妙な鳥が何かを産み落とし、ヒューンと、どこか間抜けな音が響いた。

 次の瞬間。


 閃光。


 その眩さにイカリが僅かに目を細めると、彼の身体は田畑もろとも一瞬にして燃え上がり、跡形も無くこの世から消滅した。

 一拍遅れてやってきた破滅的な熱風は村の家々を破壊し、彼の子も、妻も、仲の良かった隣人も、その悉くを一瞬にしてこの地上から消し去っていく。


 やがて巻き上げられた粉塵が黒い雨となって地上に降り注ぎ、かろうじて生き残った村人たちが瓦礫の下からおそるおそる這い出た、そのタイミングで。


 再びの閃光。


 小さな農村は今度こそ地上から跡形も無く消し飛び、生き残った者は誰一人としていなかった。


 精霊歴一〇二〇四五年 葉月六日。

 その日、春風の大地南部から飛び立った魔帝国軍の爆撃機隊は、合計五〇発にも及ぶ新型の破壊兵器を緑の大地へ投下した。


 原子爆弾。

 核分裂連鎖反応を利用した熱線と爆風で効果範囲を破壊し、爆発と同時に撒き散らされる放射性物質による被害は長期に及ぶ二次被害を齎す。

 それはまさしく物質化した魔族たちの憎しみそのものだった。



 ────────

 ────

 ──



 同年、師走月九日。


 勇者マサヨシ一行は緑の大地を目指していた。


 先のゼスファー平原における戦いで魔王ドラジスは初めてその姿を人類の前に現した。


 ディルレアの手記いわく、文字として書き起こされたドラジスのステータスを見るなり、勇者マサヨシは顔を引きつらせたという。


 能力値、オール五〇〇〇万オーバー。


 それは理論上ブラックホールに放り込んでも自力で脱出可能と言われるほどの数値である。

 正面から挑んだところで勝ち目が無いのは明白だった。


 そこでマサヨシたちはエルフの知恵に頼ることにした。

 遥か太古の時代より世界中の文献を収集し続けてきたフリードレア連邦の大図書館であれば、魔王ドラジスを弱体化させる方法も分かるかもしれないと期待してのことである。


 かくして緑の大地を訪れたマサヨシたちであったが、そこで彼らを待ち受けていたのは想像を絶する光景であった。


『ねぇ、あれって緑の大地だよね……?』


 オーランから船に揺られること二週間あまり。ようやく水平線の向こうに見え始めた陸地を指差し、ヴィエナが声を震わせる。


 その美貌と隔絶した強さを指して獣姫の異名で呼ばれ、数々の戦場を渡り歩いた歴戦の戦士であるヴィエナだが、そんな彼女をしても、ここまで徹底的に破壊され尽くした光景を目の当たりにするのは流石に初めてのことであった。


『森どころか草の一本も残ってねーじゃん! ていうか港どこ!? ウチら上陸できなくね!?』


 陸地の九割を占めるという太古の森は見る影もなかった。

 地形が変わるまで核兵器が使用されたのだろう。

 見た限り、船が接岸できそうな場所はどこにもない。


 緑の大地は大陸の全周が断崖絶壁となっている。

 伝承によれば外界との接触を嫌った古代エルフ王族が魔法でこのような地形にしたと言われているが、真偽のほどは定かではない。


『仕方ない。ここから魔法で飛んで上陸しよう。頼めるかいディルレア』


『できれば魔力は温存しておきたかったのだがな……』


 いずれにせよ大陸唯一の港が破壊されてしまった以上、空を飛んでいくしか上陸する方法は無い。

 正義の提案にディルレアが渋い顔で頷くと、勇者一行の身体がふわりと宙に浮かび、矢のような速度で陸地に向かって飛んでいく。


 元の地形が分からなくなるまで破壊し尽くされた海岸線を飛び越え、一行は速度を落とさずそのまま北上した。


 そうしてしばらく飛び続けると、未だ焼けずに形を残した太古の森が見えてくる。

 大きな木の根元に着地すると、濃い緑の匂いが一行を包んだ。


『この辺りはまだ緑が残ってるね』


『緑の大地は中心部に近づくほど迷いの霧が濃くなると聞く。森が残っているのもその影響だろうな』


 この地が完全に滅びたわけではないと分かり、マサヨシが僅かに安堵の息を漏らすと、ディルレアが大木を見上げながら答えた。


 周囲には言われてようやく気付く程度の霧がうっすらと立ち込めており、湿気を吸って重くなった尻尾をヴィエナがしきりに気にしている。


『だがそれも時間の問題じゃろう。魔族どもの憎しみは常軌を逸しておる。彼奴らが物量に任せて森を完全に焼き払う作戦に出ても最早驚かんわい』


 と、二人の会話を聞いて忌々しげに顔を顰めたのは、勇者一行の最年長、ゼロス・バルトホークだ。


 ゼロスはとある王国に仕えていた錬金術師だった。

 だが魔帝国による先制核攻撃により一瞬にして祖国を失い、新たな働き口を探して彷徨っていたところを正義まさよしに拾われ、今に至る。


『あっちからエルフとガルダのニオイがする。多分港から逃げてきた生き残りだと思う。数は五〇人くらいかな』


『合流しよう。迷いの霧がある以上、この森を僕らだけで進むのは無理だ』


 避難者たちのニオイを嗅ぎつけたヴィエナの後に続き、森の中をしばらく進むと、五〇人ほどの集団と合流した。


 代表者に話を聞けば、彼らは各地の集落に物資を届ける商隊で、核攻撃が行われる直前に緑の口を発っていたためどうにか生き延びることができたのだという。


『我々はこのまま生き残った同胞たちを拾いつつ首都を目指して北上するつもりです。あそこは精霊結界で守られていますし、ハルト様もおられます。魔族どもも易々とは手出しできないでしょう』


『でしたら護衛は任せてください。僕らもエルフェリアの大図書館に用がありますから。実力については六魔将を三人倒していますし、道中の安全は保障しますよ』


『なんと!? それは心強い。是非お願いします!』


 かくして生き残ったエルフたちを引き連れて、正義たちは一路エルフェリアを目指すこととなった。


 人数こそ増えたが、精霊魔法が使えるエルフが加わったことで、むしろ移動速度は格段に上昇した。

 なにせ行く手を阻む木や草が自発的に避けてくれるだけでなく、地面の起伏や凹凸もある程度均されるのだから、まさしく雲泥の差である。


『木や草の方から避けてくれるなんて、まるで御伽噺みたいだ』


『我々からすればごく当たり前の光景ですよ。ですが孫の世代にはこの光景も御伽噺になってしまうのでしょうな』


『……もしかして、森が焼かれたことと何か関係が?』


『それも確かに大問題ではあるのですが、実を言うと我らは世代を経るごとに精霊の存在を感じ取れなくなってきているのです』


『そうなのですか?』


『私などはまだぼんやりと姿を見ることができるのですが、息子は声だけしか感じ取れません。そのことと関係があるかは分かりませんが、寿命も世代を重ねるごとに短くなっています。今後生まれてくる子供たちは、きっと五〇〇年も生きられないでしょうね』


『いや五〇〇年でも十分長いっしょ』


 正義と商隊長の会話を横から聞いていたヴィエナが呆れ顔でツッコミを入れる。


『五〇〇年など研究に没頭していたらあっという間だろう。親父とお袋がよく言っていた。やりたいことが多すぎて時間が足りないと』


 そう横から口を出したのは勇者一行の最年少。ドワーフ族のデオだ。

 エルフの次に長生きと言われるドワーフだが、彼自身はまだほんの十代の少年である。


 人族の感覚と照らし合わせても十分幼いと言える年齢だが、それでもやはり長命種ゆえか、時間に対する捉え方が人族とは根本的に違うらしい。


『そうじゃそうじゃ。なんならワシも一万年くらい寿命が欲しいぞ』


『貴様ならそれくらい生きても不思議でないと思えるあたり、本気でどうかしている』


 が、やはり何事にも例外はあるようだ。

 デオの言葉にゼロスがしきりに頷いて同調すると、ディルレアがこめかみを抑えてやれやれと首を横に振る。

 瞼を閉じれば妙な発明品を振り回す白衣の妖怪がありありと想像できた。


 事実、ゼロスは戦後になって長寿の霊薬を発明し、永きに渡って様々な分野で名前を残すことになるのだが、それはさておき。


『今日はこの辺りで休みましょう。夜の森は危険ですからね』


 ディルレアの支援魔法でガルダたちの足を強化し、一日でかなりの距離を進んだ一行は、陽が暮れる前に小川の近くで歩みを止め野営の準備に取り掛かる。


 ここでもエルフの精霊魔法が大いに役立ち、通常なら一時間はかかる準備が一瞬で終わってしまいディルレアなどはしきりに感心するばかりであった。


『本当に便利なものだ。人の世を豊かにする魔法とはこういうことなのかもしれん』


『……そうじゃな。人々が日々の豊かさに目を向けられる、そんな平和な世界にしたいものじゃ』


 滅びた故郷のことを思い出したのだろうか。食事の準備を始めたエルフたちを遠巻きに眺め、ゼロスが物憂げな顔で紙巻き煙草に火を点ける。

 それからゼロスは紙箱の底を叩いてもう一本取り出すと、ディルレアに『どうだ』と勧めた。


『いただこう。というかお前、いつもどこで仕入れているんだ? 最近では町でもなかなか入手できないというのに』


『ワシを誰だと思っておる。煙草の代替品くらい自分で作れるわい』


『そういうことはもっと早く言え。……ふむ、悪くない。売れるぞこれは』


 一ヵ月ぶりの煙を美味そうに飲み込み、ゆったりと吐き出すディルレア。

 余程気に入ったのだろう。彼にしては珍しく眉間の皺が解けて目尻も僅かに下がっている。


『一箱八〇〇ガメルでどうじゃ。ほぼ原価、お仲間価格の出血大サービスじゃ』


『それでも高いぞ』


『材料自体が値上がりしとるからの。今後も物価は上がるじゃろう』


『魔王を倒す理由がまた一つ増えた。二箱くれ』


 先にディルレアが代価を支払い、ゼロスが白衣の懐から取り出した煙草を手渡そうとした────その時。


『────ディル! アレが来る! いつものよりデカいよ!』


 ヴィエナの声が響いた。

 その大きな耳で魔帝国軍の爆撃機の接近を聞きつけたのだ。


 ディルレアが舌打ちしつつ長杖ロッドの石突で地面を突く。

 すると、みるみる周囲の土が盛り上がり、野営地全体を分厚い土の壁がすっぽりと覆い尽くした。


 土の壁が完全に閉じられる直前、絶望を知らせる爆撃機のプロペラ音が一行の耳にも届き────。


 激震。


 万物を焼き尽くす破壊の余波が土壁に覆われた野営地を揺るがし、あちこちから悲鳴が上がる。

 やがて轟音が止み、耳が痛くなるほどの静けさが辺りを満たすと、ディルレアが息も荒くその場に膝をついた。


 見れば滝のような汗で全身びしょ濡れで、目尻と鼻からは止めどなく血が流れ出ている。

 魔法の同時使用による反動だ。


 脳が魔法演算領域となっている人間は、同時に複数の魔法を使えない。

 これは人間という生物の構造的な仕様である。

 しかしディルレアは系統外スキル【完全並列思考】を使うことで、この問題を強引に解決し、同時に二つまでの魔法を使うことができた。


 だがそれは脳に多大な負荷を強いる諸刃の剣。

 多用すれば脳機能が破壊され、自らの死をも招きかねない奥の手だった。


 余程の強敵でもない限り使うことのない切り札を彼がこの場面で使った。

 その事実に不穏なものを感じつつ、正義は急いでディルレアの下へ駆け寄り声をかける。


『大丈夫かい!? ほら回復薬』


『はぁ……っ。はっ……。なんだ、今のは!? 今までのものとは比較にならない威力だったぞ!?』


 受け取った回復薬を一気に飲み干し、ディルレアが酷く混乱した様子で声を荒げる。

 今まで魔帝国の軍勢と戦う中で、ディルレアはその卓越した魔法力をもって原子爆弾の脅威から仲間たちを幾度も守ってきた。

 そんな彼がここまで狼狽するほどの破壊力となれば、思い当たるモノは一つしかない。


『……水素爆弾』


『以前言っていたアレか』


 ここまでの旅の道中で正義が話していたことを思い返し、ゼロスが顔を青ざめさせる。

 水素爆弾。

 原子爆弾を起爆装置として用い、核分裂反応で発生する放射線と超高温、超高圧を利用して、重水素や三重水素の核融合反応を誘発し莫大なエネルギーを放出させる大量破壊兵器である。


 この兵器の最も恐ろしい点は、熱核反応を起こす物質を追加すれば理論上どこまでも威力を上げられることにある。

 無論、燃料を追加すればその分重量も増すため、破壊力を上げるほど運搬が困難になるという問題も出てくるが、その問題点を魔帝国は航空機の超大型化によって強引に解決したようだった。


『僕の見通しが甘かった……っ。奴ら、本気で人類を滅ぼすためだけに動いてるんだ!』


 原子爆弾の製造技術があるのなら、遠からず水爆にも到達するだろうとは正義も予想していた。

 事実、地球史における人類初の水爆実験『アイビー作戦』が実施されたのは、広島と長崎に原子爆弾が投下されてから僅か七年後のことである。


 そのことから最短でも五年はかかるだろうと見込み、魔王との決戦に向けて人類勢力の各所と調整を進めてきたのだが、魔族たちの憎しみは正義の想像を遥かに上回っていた。


 そもそもが相手を滅ぼすことを目的とした絶滅戦争である。

 費用対効果など考えず、殺意と憎しみの赴くまま国力のすべてをそこに投入することで、僅か数ヵ月の間に爆発実験にまで漕ぎつけたのだろう。


『そのスイカ爆弾? って、確かめっちゃヤバい爆弾なんだっけ?』


 うろ覚えの話をどうにか思い出しヴィエナが首を傾げると、ゼロスが「スイカならどれだけよかったか」と溜息交じりに頷いた。


 科学的な知識がある分、事の深刻さを深く理解しているのか、ムードメーカーの彼にしては珍しく表情に絶望の色がありありと浮かんでいる。


『理論上いくらでも威力を上げられる爆弾じゃ。おそらく港の破壊痕も新型爆弾の爆発実験だったのじゃろう。上空から見たクレーターの直径から計算して、威力はざっと今までの三〇〇倍といったところか』


『三〇〇!? ……って、え、ヤバくね? 前の爆弾だって一発で町が吹っ飛んじゃうくらいだったのに、こっから先はもっと強力なのがドカドカ落ちてくるってコトっしょ!?』


 ここまでの旅で目の当たりにしてきた町の惨状を思い出し、ようやくイメージが湧いたのか、ヴィエナの尻尾が不安げに垂れ下がる。


 こんな時、いつだって逆転の策を思いつくのは正義だった。

 自然と、仲間たちの視線が正義へと集まる。


 長い、長い沈黙があった。


 仲間たちの期待を一身に背負いつつも、正義は俯いたまま『見えない本』のページを捲るように手を動かし続ける。


 【冒険の書(ゲームブック)

 

 正義に与えられた、二つある異能の内の一つである。

 本人いわく、限定的な未来予知と確率の操作が可能とのことだが、なにぶん歴史上初めて見つかったスキルであるため、正義自身もこの力でどこまでできるのか理解しきれていない部分があった。


『……もう一刻の猶予も無い。早くこの戦争を終わらせないと、あと三ヵ月で人類は滅びる』


 やがて『見えない本』を閉じ、正義が顔を上げる。

 だがセリフの割にその表情に焦りの色は見当たらない。


『何か策があるのだな?』


 どこか縋るような眼差しでデオが問うと、正義は迷いなく頷いてみせた。


『大英雄ハルト。彼を仲間に引き入れる。人類が滅びを回避する道はそれしかない』


 それは数万年の時を生きると伝えられるエルフ族の大英雄の名だった。

 ────その選択が後の世にどのような傷を残すことになるか、この時の彼らには知る由も無いことだった。

本日はさらにもう1話公開します


18:30公開です。お見逃しなく!

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