0051 船出
翌朝。
予定よりかなり早起きした俺は、朝市を見て回ることにした。
というのも、クラーケンがいなくなったことで近海の小島で足止めを食らっていた商船たちが一気にオーランへ押し寄せ、昨日から多くの商品が市場に並び始めたからだ。
「うわっ、すごい人!」
朝の市場は想像以上の熱気に包まれていた。
港近くの広場には所狭しとテントが建ち並び、新鮮な魚介はもちろん、見たことのない野菜や世界各地の珍品もたくさんあって目にも楽しい。
人混みに押し流されそうになりながらあれこれと商品を見て回っていると、どこからともなく食欲をそそる香りが漂ってきた。
匂いの元を辿っていくと、香辛料を扱う店に行き着いた。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
「ウチのスパイスは上等なモノばかりだよ! ぜひ見てってくれ!」
店先に並んだ商品を一つ一つ手に取り、香りを確かめていく。
籠やガラス瓶に入れられたスパイスたちは、どれも見たことのないモノばかりだった。
……あ、でもこの黄色い木の皮みたいなの、カレー粉みたいな匂いがする。
「ここからここまで、あるだけ全部ください」
「ぜ、全部!? 結構な額になるが大丈夫かい?」
「はい。お金はあるので」
昨夜の内にギルドで下ろしておいたお金を渡し、店先に並んでいたスパイスを魔法の袋に詰め込んでいく。
「ひーふーみー……はいピッタリね。毎度あり!」
「へへっ、買っちゃった」
スパイス屋のおじさんに笑顔で見送られ、俺は店を後にした。
これだけあれば日本風のカレーも再現できるはず。長い船旅になりそうだし船の厨房を借りてチャレンジしてみよう。
「おっ、我らが勇者様じゃねぇか!」
「ビリーさん! おはようございます」
人混みから抜け出して一息ついていると、偶然前を通りかかったビリーさんが声をかけてくれた。
「早起きだな。買い物か?」
「はい。いいスパイスがあったので買い占めちゃいました。ビリーさんは?」
「俺も買い出しにな。……っと、そうだそうだ。お前さんに渡したいものがあるんだった」
と、たった今思い出したようにビリーさんは腰のポーチから小粒の黒い石の嵌め込まれた指輪を取り出し、俺に手渡してくる。
「これは?」
「指に嵌めて石を軽くこすってみな」
言われたとおりにしてみると、目の前に「ヴンッ!」とウィンドウが開いて、ある映像が再生された。
こ、これはっ!?
「わっ!? ちょっ!? なんっ!? こ、これっ!?」
俺が慌てて画面を手で掻き消そうとすると、ビリーさんは「大丈夫だ」と、ニヤリと笑った。
「お前さんにしか見えてねぇから安心しろ。消すときはもう一度石をこするんだ」
慌てて指輪の石をこすると、目の前に開いていたウィンドウが「フッ」と消える。
な、なんてものを!
「やるよ。お前さんには必要だろ?」
「べ、別に! きょ、興味ないですから!」
「ひひひっ、照れなくてもいいっての。男なら普通のことだ」
「で、でも、こんなのもし誰かに知られたら……!」
もしもこんなのを見ているなんてリゼラに知られでもしたら……。俺の命はそこで終わってしまうに違いない。
しかしそんな俺の不安を他所に、ビリーさんは俺の肩に手を回してサムズアップした。
「大丈夫だ。万が一誰かに盗られても『中身』は男しか見れないようになってる。……仲間が女子ばっかだと色々と気ィ遣うだろ?」
「それは……。で、でも……」
「我慢は良くないぜ? 大事な仲間を傷つけねぇためにもな」
俺の密かな悩みなどお見通しと言わんばかり、ビリーさんはどこまでも澄み切った目で微笑んだ。
彼の率いる冒険者パーティー『青の潮騒』は男所帯だが、もしかしたら過去に女子ばかりのパーティーと組んだことがあるのかもしれない。
「それにこれは体調管理の一環でもあるんだぜ」
「体調管理、ですか?」
「おうとも。我慢が続けば寝不足にもなるし、ちょっとした刺激で【槍】が戦闘態勢になることだってある。もし魔物との戦闘中にそんなことになってみろ、普通に動きづらいし、下に意識が向いてたせいで死にましたなんて笑えねぇだろ?」
「た、確かに……」
冒険者の大先輩がそう言うのだから、なんだかそんな気がしてくる。
納得しかけた俺の手に指輪をしっかりと握らせ、ビリーさんは声を潜めてさらに続けた。
「……今入ってるヤツに飽きてきたら、色街の路地裏を探しな。大抵どこの街にも新しいヤツを入れてくれる店がある」
「……ごくりっ」
「お前を一人の男、いや、勇者と見込んでこれを託す。旅先で新しいのを仕入れたら俺のところへ持ってきな。言い値で買い取ってやるからよ。男と男の約束だぜ!」
俺の手首を掴んで無理やりグータッチしたビリーさんは「うまくやれよ」と言い残し人混みの中に去っていった。
◇
──オーラン第七埠頭──
市場でビリーさんと男と男の約束を交わした後、俺は一度宿に戻り、みんなと合流してから船着き場へ向かった。
「みなさーん! こっちです!」
時間通り集合場所に着くと、使節団の代表の人が俺たちを船の方へ手招きした。
身なりのいい金髪エルフの青年で、例に漏れずイケメンだった。
「お初にお目にかかります。自分はフリードレア連邦使節団長のエハトゥ・カシギ・ニシノミヤと申します。いやはや、まさかエスペリサ救国の勇者殿に護衛を務めていただけるとは! 光栄です!」
「い、いえ!? そんな大層なものではないですから、あんまり期待しないでもらえると……」
「またまたぁ、ご謙遜を! この国の裏で暗躍していた魔王の陰謀を暴いて退けたばかりか、クラーケンの体内に入って魔臓を止めるなど並の人間にできるはずもありません! あなたは紛れもなく勇者ですよ」
うわぁどうしよう。全部俺が一人でやったみたいに思われてる。絶対過大評価されてるよコレ。
かなり若そうに見えるけど、使節団長を務めてるってことはやっぱり見た目通りの年齢じゃないのかな。
「お仲間の皆様も……ひぃっ!?」
俺たちの顔を一人一人見渡していくエハトゥさんだったが、アリアと目が合った瞬間オバケでも見たように大きく仰け反って飛び上がった。
「……わたくしが何か?」
「ああ、いえ。失礼しました。一瞬だけあなたがとても恐ろしいモノに見えてしまって。……何故でしょう」
と、言われても、こちらとしては首を傾げるばかりである。
「と、とにかく、お仲間の皆様も錚々たる顔ぶれですし、これなら旅の安全は約束されたようなものですね! あなた方がクラーケンを退治してくれたおかげでようやく故郷へ帰れますよ。いやぁよかったよかった!」
「い、いえ。クラーケンを倒したのは海竜ですし、皆の協力があったからできたことで……」
「またまたぁ、聞けば勇者様は海竜の子と友情を結んだとか! きっと海竜があの場に出てきてくれたのも、勇者様の人徳あってのことでしょう! では自分は出港準備があるのでこれで!」
エハトゥさんはまるで誤魔化すように俺の肩をバシバシ叩いて大笑いすると、船乗りたちに指示を出すため行ってしまった。
なんだろう、絶対何か大きなトラブルのフラグが立った気がする。
それにしてもニシノミヤとは。また随分と和風チックな名前だな。偶然だろうか。
「なんだったのかしら」
去り行くエハトゥさんの背中とアリアの横顔を交互に眺めて、リゼラが首を傾げる。
「さぁな。何かエルフにしか感じ取れねぇものでもあったんじゃねぇか?」
アリアのニオイをしきりに嗅いで答えを探ろうとするアーシュラだったが、やはり原因は分からなかったのか首を横に振る。
「わたくし、怖くありませんのに……」
「くぇ……」
突然怖がられたのがショックだったのか、アリアはしゅんと俯いてしまった。
ピピもどこか不安そうな顔をしている。海の上で何も起きなきゃいいけど……。
────────
────
──
エハトゥさんと別れた後、俺たちも出港の準備を手伝い、船は予定の時刻に港を出発した。
最新鋭の高速船はあっという間にトップスピードまで到達し、オーランの港がぐんぐん遠ざかっていく。
船の後部甲板の手すりにもたれて、遠ざかる港をぼんやりと眺める。
……ほんの一週間にも満たない滞在だったのに色々なことがありすぎた。
どうかしばらく何も起こりませんように────。
なんて、柄にもなく黄昏れていたときだった。
びゅう。と、強い海風が吹き抜け、風に乗って飛ばされてきた一枚の紙切れが俺の顔にべしゃりと張り付く。
「ぶわっ!? な、なんだ!?」
顔に張り付いた紙を剥がし広げてみると、どうやら回収され損ねた手配書のようだ。
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『リゼラ・クラウロード』
・猥褻物陳列罪(Kカップ)←ココに注目♡
・甲一種禁止魔法使用
・環境型セクハラ罪
※新しいパパ募集中♡
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「……」
やけに谷間の強調された手配書を細かく破いて海に投げ捨てる。
潮風に乗った紙片は、あっという間に彼方へと運ばれていった。
俺は何も見なかった。何も見てない。見てない。
…………けー。Kかぁ……。
ABCDいー、えふ、じー……。
「くえっ!」
「わぁっ!? 何も見てないよ!」
「くえ……?」
「なんだピピか。脅かさないでよ」
なんとなく指折り数えていると、船内を散策していたピピが俺の方に寄ってきて、肩をクチバシでつついて「あっちを見て」と促してくる。
言われるまま海面に視線を向けると、俺たちの乗っている船に向かって黒い影が魚雷のような猛スピードで接近してきた。
な、なんだぁ!?
ザッパーンッ!!!!
船の真上を細長い影がアーチを描いて飛び越え、再び水中へ。
すると俺の足元にキラリと光るものが落ちてきた。
「あーっ! 俺の短剣!」
それはクラーケンの魔臓に突き刺したまま置いてきたはずのミスリルの短剣だった。
「きゅーぅ!」
聞き覚えのある声に振り返れば、海竜の赤ちゃんが波間からひょっこり頭を出してこちらを見ていた。
お、お前……! これが俺の大事なものだって覚えててくれたのか。
「ありがとーっ! またいつか来るから、元気で育てよー!」
「きゅう! きゅーう!」
また遊ぼうね。
波間から出した前ヒレをぱちゃぱちゃ振って俺たちに別れを告げると、赤ちゃんはそのまま海の底へ戻っていった。
「ちょっと大丈夫!? 凄い音したわよ!? …………アンタ、泣いてるの?」
騒ぎを聞きつけドタバタと後部甲板に上がってきたリゼラが心配そうに俺の顔を横から覗き込む。
「ううん、友達が忘れ物を届けてくれただけ」
滲んだ目元を拭ってミスリルの短剣を見せると、それですべて察したのかリゼラはそれ以上何も聞いてこなかった。
しばらく二人と一匹で揺れる波間を眺めてのんびりしていると、俺はふと、あることを思い出した。
「そういえば、ずっと気になってたんだけどさ」
「なによ」
「オーランに着いた最初の日に公園で何か言いかけてただろ? あれって結局何だったの?」
リゼラは大きく目を見開き、それから頬を少し赤らめて照れ臭そうに俺から視線を逸した。
「…………名前」
「え、なに?」
「な、名前で呼んでもいいかって聞きたかったのよっ!」
…………はい?
「それだけ?」
「そ、それだけって何よ! だってアンタ、私のことしれっと名前で呼ぶようになったじゃない!」
「えっ? ……あ! ご、ごめん! もしかして嫌だった!?」
「そうじゃなくて! 私だけアンタとかコイツだとなんか対等じゃないっていうか……とにかく嫌なのよ!」
「あれ? でもクラーケンの中で普通に呼んでなかったっけ」
「あ、あのときは! ……なんていうか、とっさに口に出たっていうか。ノーカンっていうか……」
もじもじモニョモニョ。
いつもは淀みなく物を言うリゼラが今に限って珍しくつっかえつっかえだ。
確かに最近、たまに言葉が突っかかるときが何度かあったけど、もしかしてずっと俺を名前で呼ぶ機会を伺ってたのか?
まさかそんな小学生みたいなこと気にしてたなんて。
「ああ、もう! とにかくこれからはヒロトって呼ぶから! そんだけ!」
顔を真っ赤にしたリゼラはそれだけ言うと、俺を置き去りにして逃げるように船の中へ戻っていった。
……え、なに今の『ドキッ』って。
「くーえ」
「な、なんだよピピ!」
まるでからかうようにピピが身体をこすりつけてきて、羽毛で鼻をくすぐってくる。
「へっくし!? やったな! モフモフしてやる!」
「くーえっ!」
「ぶへっ!?」
やられた仕返しに俺が飛びつこうとすると、尾羽で思い切りビンタされてしまう。
尻もちをついた俺に「ちゃんと責任取りなさいよね」と生暖かい視線を投げると、ピピはぷいと首を振ってどこかへ去っていった。
「待ってよピピ! 違うんだって!」
何に対する言い訳なのか俺自身もよく分からないまま、慌ててピピを追いかける。
が、ピピはそんな俺をからかうように広い船内をすばしっこく逃げ回り、ようやく追いつく頃には日もすっかり沈んでヘトヘトになっていた。
────かくしてオーランでの騒動は幕を閉じ、俺は勇者としての第一歩を踏み出した。
頼もしい新たな仲間を加え、冒険の舞台は次の大陸へと移る。
目的地は国土の大半が原生林に覆われたエルフの国、フリードレア議長連邦国。
そこにはあらゆる呪いを解くという神秘の霊薬、世界樹の雫があるらしい。
どんな冒険が待ち受けているのか少しだけワクワクしながら、俺たちを乗せた船は大海原を進んでいく。
◇
──船内(sideリゼラ)──
大翔が逃げるピピを追いかけ回している頃。
速足で自分の船室に逃げ戻ったリゼラは、勢いそのままベッドに飛び込み、枕に顔を埋めた。
そうしてしばらくジタバタ恥ずかしさに悶えた後、ごろんと仰向けになり、苦しくなった息を整える。
「……何やってんのよ私は」
ため息一つ、ほてりの冷めない額に手の甲を当てる。
呼び方一つ変えるだけのことで自分は何をやっているのだろうか。
冷静になって我が身を振り返ると、また恥ずかしさが込み上げてくる。
「……絶対変なやつって思われた」
無意識の内に口を突いた言葉に思考が引き寄せられる。
なんとなく、大翔にそう思われるのは嫌だと思った。
「対等、ね……」
ぼんやりと天井を眺め、考える。
我ながら実に言い訳じみていると思った。
本当にそう思っているのであれば、呼び方一つでこうも悩みはしなかっただろう。
天井のシミを数えつつ、リゼラはこれまでのことを一つ一つ振り返ってみる。
最初は父に拾われてきた変なガキだと思っていた。
図書室で初めて会ったときなど、まさしく絵にかいたような不審者だったのだから無理もない。
執事のギルスティンが止めに来なければそのまま警察に突き出していただろう。
それが気付けば命の恩人になっていて。
いつも無茶ばかりするアイツのことが心配で、なんだか放っておけず、気づけば彼を目で追うようになっていた。
オーランへ向かう船の中で料理が得意なことを知り、睫毛が長いことにも最近気づいた。
ふとした瞬間に見せるあどけない笑顔は可愛いと思うし、ときおり無防備に晒す鎖骨や腹筋もセクシーだと思う。
「ヒロトとどうなりたいのよ、私は……」
口にしてふと脳裏を過ったのは、実に突拍子もない馬鹿げた空想。
広い原っぱの丘に建つ、白い屋根の大きな家。
そこには自分と大翔と……子どもが二人。
できれば男の子と女の子がいい。
家にはときどき両親やアリアたちが遊びに来て、大翔が得意の手料理を振る舞うのだ。
それは何物にも脅かされることのない、平和で温かな居場所のイメージ。
クラーケンの中に飛び込んでも、大翔は生きていた。
大きな怪我も無く、自分が助けに行くまで無事でいてくれた。
それがどれほど嬉しく、どれだけ救われたことか。
大翔なら。
もしかして────。
「っ! 違う違う違う! 何考えてるのよ! 違うったら! 疲れてるのよ!」
必死に頭を振って、馬鹿な妄想をかき消す。
必死になって否定の言葉を探すが、出てくるのは胸の内にある強い感情を抑え込むにはあまりにも弱い言葉ばかりだった。
みるみる顔が熱くなっていくのを自覚し、誰に見られているわけでもないのに恥ずかしくなって、リゼラは両手で顔を覆い隠す。
「…………知らない。こんなの」
嘘だ。自分はこの感情の正体を知っている。
今まで物語を通じて触れてきた感触と、実際の感触が違い過ぎて気づけなかっただけで。
いいや、それも言い訳だ。
うすうす気づいていたが、気づいてしまえば傷つくと分かっていたから、目を逸らしていただけ。
「……どうしよう」
一人でいるのがどうしようもなく不安になって、剣と杖に変わってしまった両親を強く抱きしめる。
リゼラの弱弱しい問いかけに答えを返してくれる者は誰もいなかった。
第2章はこれにて完結!
いかがだったでしょうか?
明日は幕間のお話を2話投稿して、第3章へ続きます!
第3章 世界樹編
あらゆる呪いを解くという世界樹の雫を巡る冒険が今始まる!
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