0043 凪の海を超えて
王子に手渡されたマイクは、将校さんが背負うガラス張りの箱と線で繋がっていた。
箱の中には体長五センチメートル程度の妖精が三匹入っている。
妖精と言っても可愛さはまったくなく、一応人型ではあるものの顔の造りは昆虫に近い。
「あれは?」
「広域放送用の魔導具ですわ。中に入っている通信妖精はどれだけ距離が離れていても妖精同士で声を送り合うことができますの」
俺がこっそり聞くとアリアが答えてくれた。
通信妖精の力を魔導で増幅して広範囲の人々に音声を届けるらしい。
先程クラーケン襲来を告げた緊急放送の時、近くにスピーカーらしきものが見当たらなかったのに声がしたのはそういうわけか。
ちなみにこの世界で現在広く普及している魔導ラジオも、この技術が使われているのだとか。
王子は一つ咳払いしたあと、原稿も無しに全国民に向けて朗々と放送を始めた。
『────敬愛なるエスペリサ王国民へ告ぐ。私はラルフ・ガルドア・エスペリサ。これから私が話すことはすべて真実である。どうか心して聞いてほしい』
王子はマイクに向かい、この国の中枢で起きていたことを順を追って打ち明けていった。
国の中枢部が魔王に乗っ取られ、多くの貴族や文官、王族までもが魔王の力の影響を受けおかしくなっていたこと。
大司教ケルセスの凶行と、その結果起きた一〇年前の大嵐の真実。
ケルセスの罪を暴こうとした俺たちが魔王の罠にかけられ、無実の罪で指名手配にされたこと。
王子は魔王の術にかかったフリをしつつも、この一〇年、水面下で反撃の準備を進めていたこと。
若干の誇張表現はあったものの、それらの事実を舞台俳優のようによく通る声で朗々と語り終えた王子は、一呼吸置いてさらに続ける。
『────諸悪の根源たる魔王は勇者ヒロトたちの活躍により見事撃退された。しかし、しかしだ! そもそも王宮内に魔王を招き入れたのみに飽き足らず、国民には重税を課し、悪徳な貴族どもに私腹を肥やすことを許したのは果たして誰であっただろうか!? 我が恥ずべき父にして現王、アドリゴフ・ガルドア・エスぺリサその人だ! ゆえに私はこの国を立て直すべく、国を腐敗させた国王並びに、領民に不正な重税を課し私腹を肥やしていた貴族、聖神教の聖職者、国内に駐屯するすべての聖神騎士団を陸軍に逮捕拘束させた!』
そこまで一息で言い切り、王子は間を置かずさらに畳みかける。
『この国は今、生まれ変わろうとしている! 必ずや私が生まれ変わらせてみせる! 私は今、この放送を聞いているであろう国民すべてに呼びかける! 私がすべてを取り戻す! この十年で奪われた信仰とこの国の誇り、本来得られるはずだった諸君らの豊かな暮らしも! すべてだ! だからどうか諸君らの思いを私に託してほしい! 私は必ずや君たちの思いに応え、この国をより良くしていくとここに誓おう!』
どうやら王子は俺たちを秘密ドックに案内する傍ら、軍部を動かしてクーデターを実行していたらしい。
そしてクーデターは成功に終わり、彼は名実共にこの国の実権を握った。
手際の良さから見て、随分前から計画していたのだろう。
やっぱりただの変態じゃなかったんだ。
『現在、首都オーランに迫るクラーケンを撃退すべく、我が海軍はすでに港を出た。だが如何に精強な海の勇者たちと言えど、あれほどの怪物を前にどれほど持ちこたえてくれるかはまったくの未知数だ』
聞く者の心を揺さぶるように、情緒たっぷりに身振り手振りさえ交えて。王子の演説はいよいよ佳境へと差し掛かる。
『私もこれより極秘裏に作らせていた秘密兵器に搭乗し、作戦の指揮を執る。しかし秘密兵器の準備が整う前にクラーケンが到達してしまえばすべてが水の泡だ。万全を期すにあたり、より多くの戦力がいる!』
────ああ、これは騙される。
事件の詳細をある程度知っている俺でさえ、彼が次に何を言い出すのか気になってしまっているのだ。
事情を知らない人たちの心はとっくに鷲掴みだろう。
『そこで私から、冒険者ギルドへ緊急クエストを発注させてもらった!』
達成目標はクラーケンの撃退。
成功報酬はランクに関わらず参加者全員に一律五〇〇万ディア。
それを聞いた瞬間、銀等級の先輩たちから「おぉっ!」と歓喜の声が上がった。
五〇〇万ディアもあれば、贅沢しなければ数年は働かずに暮らしていける。
そういえばさっき大聖堂から大量の横領金が見つかったって将校さんも言ってたし、きっと報酬はそこから出されるんだろうな。
『勇敢なる者はオーランの港に集え! 諸君らの英雄にして我が国の誇り、アーシュラ・ベオウルフがそなたらを率いるであろう! 私と、君たちの手で! 愛する祖国を守るのだ!』
────以上、放送終わり。
と、演説を終えマイクを将校に返した王子は、アーシュラさんに向き直り深々と頭を下げた。
「私にできるのはここまでだ。……頼む。どうかこの国を救ってくれ」
「……ハッ。せいぜい生き残った冒険者への支払いに怯えてな」
「望むところだ。だから……必ず生きて帰ってこい」
「ったりめーだ! 行くぞテメェら! イカ退治だ!」
────応ォォォォォッ!!!!
冒険者たちの雄叫びがドックに木霊する。
オーランでの最後の戦いが始まろうとしていた。
◇
──オーラン港──
王子の演説効果は絶大だった。
秘密ドックを出た俺たちが港に向かうと、すでに港には演説を聞いて集まった人々が大勢押し寄せ、出港の準備を進めていた。
「あの船、あれも、あっちも! ぜーんぶ商船ではなくって? 大丈夫なんですの?」
「船の数が足りなくてギルドが商人たちから巻き上げたんだ。クラーケンを撃退できなきゃお前らも海の藻屑だぞ! ってね」
と、アリアの疑問に答えたのは、ギルドの受付のバネッサさんだった。
「あらおばさま、どうしてこちらに?」
「クエスト受注希望者がギルドに殺到して受付窓口がパンクしちまったからね。急遽こっちにも仮設の窓口を開いたのさ」
と、おばさんが指差す先を見れば、仮設テントの下に長テーブルが置かれ、ギルドの職員たちが長蛇の列を捌いているのが見えた。
現場仕事は大変だなぁ。
「そんなわけで冒険者ギルド特別出張所へようこそ。アンタたちも行くんだろ?」
「ええ、ギルドへ行く手間が省けたわ」
おばさんから渡された申請用紙にリゼラが綺麗な字で書き込み、クエストの受注を終える。
いよいよだ。
「いいかい。必ず無事で帰ってくるんだよ」
「当然よ。こんなところで死ぬつもりなんてないもの」
「アンタたちに海の加護があらんことを」
リゼラが強気に返すと、バネッサさんは苦笑しながらも俺たちの無事を海の神様に祈り、その足でテントの方へ戻っていった。
「よぉ災難だったな坊主!」
人々が慌ただしく行き交う中、おばさんと入れ違いで声をかけてきたのはギルドで色々と親切に教えてくれたおじさん四人組だった。
「しっかしこの手配書、全っ然似てねぇな! 誰のことかと思ったぜ!」
「ひひひひっ! 顔面傾国罪だってよ! 何度見ても笑えるぜ」
おじさんたちが手配書と俺の顔を見比べてゲラゲラ大笑いする。
よかった。手配書の内容が適当すぎて誰も本気で信じてなかったみたいだ。
「残ってる手配書は見かけたらすぐに燃やして頂戴」
「「「「お、おう……」」」」
俺の手配書を焼却したリゼラがにっこりと怖い笑みを浮かべると、おじさんたちは顔を青くして頷いた。
ここまで怒るなんて、よっぽどムカつくこと書かれたんだろうな。
「っと、話してる暇ねぇんだった。お前らも早く自分が乗る船決めて積み込み手伝えよ!」
「どの船に乗っても構わねぇが船選びは慎重にな! チャチな船だとクラーケンに煽られただけで船ごとドボンだぜ?」
「あのサイズなら大型船だろうとそう変わんねぇって!」
「ははっ、違ぇねぇ。せいぜい海の神様に祈ることだな!」
「おじさんたちもご武運を!」
おじさんたちの武運を祈ると、みんなそれぞれ「おーう!」と腕を突き上げて口々に笑いつつ人混みの中へ去っていった。
……全員生き残れますように。
「私たちはあの船にしましょう。アーシュラも乗るみたいだし。船首の像も海竜で縁起がいいわ」
「英雄沈まず、ですわね。ほとんど運頼みですし、とことんゲン担ぎしましょう!」
聞けば運の良さが数値として存在するこの世界では、ゲン担ぎをすると実際に運がちょっとだけ上がるらしい。
達成条件が困難なほど数値も大きく上がり効果も長続きするそうだが、今は時間が無いので二人が知る限りの簡単なゲン担ぎを片っ端から試しつつ、船に物資を積み込んでいく。
塵も積もればだ。
ちなみに俺たちが乗り込む船は超大型のガレオン船で、全長は二〇〇メートル近くもある。
地球のガレオン船は最大級のものでも五〇メートル前後だったはずだけど、この世界の船は強靭な素材や魔法があるおかげで総じてかなり大きいみたいだ。
「五〇メートルでも小型船のくくりになりますわね」
「そういえばこの世界も長さの単位もメートルなんだね。もしかして劔が?」
「ええ。メートルの他にもグラムやリットルといった重さの単位も彼が伝え広めた言われていますわ」
聞くところによると、それまでは各地で独自の単位が使われていたらしいが、後の争いの火種になるからと度量衡の統一には相当熱心に取り組んでいらしたらしい。
アイツ、そんなことまでやってたのか。
確かに地球でもヤーポン法とか親の仇みたく嫌う人いるけど、普通は魔王討伐の旅の最中にそんなことやろうなんて考えない。
やっぱ頭の良い奴は考えることが違うみたいだ。
「実はこの話には続きがありますの」
ここぞとばかりにアリアが生き生きした顔でうんちくを語ってくれた。
長らく劔が持ち込んだ十五センチ定規を基準にメートル法が定められていたそうなのだが、魔王ドラジス討伐五〇〇周年の年に当時の法王の指示でこの星の北極点から赤道までの子午線弧長が改めて計算されたらしい。
「そしたらなんと、この星だと一メートルの長さが地球より二五センチメートルも大きいことが判明しましたのよ!」
「そうなの!?」
二五センチメートルって言ったら随分な誤差だぞ。
それだけ違えば惑星の質量だって大きく変わるはずだし、重力も変わってきそうなものだけど、この世界に来た直後も身体が重くなったとは感じなかった
ひょっとしたら召喚の魔法に重力軽減の術式でも含まれてたのかも。
「それで現在はどちらを正しいとすべきかで聖神教内部でも派閥が真っ二つに割れていますのよ!」
「火種消せてないじゃん」
「ちなみにこの星を基準とした長さの単位は当時の法王の名前からヤード、重さの単位は法王の双子の弟から名前を頂いてポンドと呼ばれていますわ」
「よりにもよって過ぎるでしょ」
劔もまさか後世にヤードポンド兄弟が余計なことするなんて思わなかっただろうに。
……と、話が逸れた。
「そういえば港にある船って全部帆船だけど動かせるの? 今は風も波もまったく無いけど」
「魔導による水流操作と空力操作で動かしますから、風が無くても問題ありませんわ」
なるほど。魔法がある世界ならではの動かし方ってわけか。
などと話し込んでいると、俺たちが乗り込む予定の船に巨大な杖が運び込まれていくのが見えた。
なんだあれ。大人の背丈の五倍はあるぞ。あんなの誰が使うんだ。
「あれは大杖と言って、主に軍船や砦なんかに固定して使うクッソでっけぇ魔法の杖ですわ」
「クッソでっけぇ魔法の杖」
「魔法使いの杖には魔法や異能の威力を増幅する役割がありますの。杖が大きくなればなるほど攻撃魔法の破壊力や補助魔法の効果も大きくなりますのよ」
「大砲みたいなものか」
「ですので魔法使いや強力な異能持ちをどれだけ用意できるかと、杖をどれだけ大きくできるか。この二つの要素が海戦の勝敗を分けると言っても過言ではありませんわ!」
そんな海にまつわる雑学を聞きつつ積み込みを終えると、最後に巨大な正六角形の水晶柱が魔法使いの手によって船へと積み込まれていくのが見えた。
あの水晶柱は魔力結晶といい、この作戦の趨勢をも左右する超重要物資らしい。
船の動力源でもあり、魔法使いたちの魔力タンクにもなるのだとか。
「軍船は船全体が一つの魔導具になっていて、船に乗っている限り乗組員に魔力が供給され続ける仕組みですの」
なるほど。だから超重要物資か。
貯蔵魔力が尽きない限り、魔法使いや異能者は力を無制限に使えるというわけだ。
「仕組み自体は単純ですから、今は商船を軍船仕様に改造しているところですわね」
と、アリアが指差す先に視線を向ければ、積み込んだ魔力結晶に魔法使いたちが杖をかざし、船全体へ光のラインを血管のように張り巡らせているのが見えた。
「それでも、これだけやってもクラーケンには傷一つつけられないんだね」
「杖を大きくするにしても限界はありますもの。あれほどの巨大個体となると、すべてのステータスが一〇〇万以上はあると見ていいですわ」
ちなみにそれだけの個体にダメージを与えるとなれば、杖の大きさもざっと計算して三〇〇〇メートルは必要になるらしい。
ひどいインフレだ。
仮に傷を付けられたとしても『たいりょく』の数値が高すぎて小さな傷ではすぐに再生されてしまう。
だからこそ敵の再生が追いつかないほどの大ダメージを与える必要があるが、防御無視のリゼラの砲撃魔法でもあれだけの巨体相手ではどうしても威力不足だ。
三〇〇〇メートルの魔法の杖なんて作れたとしても持ち運べないし、固定砲台として利用するにしても維持費だけでどれだけかかることやら……。
「悔しいわね……。もっと破壊力と飛距離を出せればあんなイカくらい粉々なのに」
水平線の向こうでうねるイカゲソを睨み、リゼラが悔しそうに呟いた。
あの巨体を消し飛ばす爆発となると、やっぱり核爆発くらいか。
けど、俺が下手なことを言ってこの世界が核の脅威に晒されたりしたら目も当てられないし……黙っておくのが吉だよな。
「ああもう! 腕がパンパンですわ! クラーケンが自爆してくれればこんなに苦労せずに済みましたのに!」
「もうアリアったら。……いや、待って。そうよその手が……!」
と、アリアが零した愚痴から何かヒントを得たのか、リゼラは顎に手を当ててブツブツと呟きながら考え込んでしまう。
どうやら俺が何を言わずとも関係なかったらしい。
ま、まあ、新魔法なんてそうすぐに開発できるわけないだろうし、いくらリゼラが天才でも大丈夫だろう。……大丈夫だよな?
「姉さん。全船出港準備完了しやしたぜ」
そうこうしているうちに積み込みも終わり、港に泊まっていたすべての船の出港準備が整った。
ビリーさんからの報告を受け、アーシュラさんが「そうか」と頷き、近くを飛んでいた通信妖精をキャプテンハットでひょいと捕まえ帽子を被り直す。
ちなみに、現在彼女はリゼラの幻影魔法で見た目だけ元に戻ったように見せかけている。
いわく「キャプテンがチビのままじゃ締まらねぇだろ」とのことだ。
と、それはさておき。
「錨を上げろォ! 帆を張れ! 出港だぁぁぁッ!!!!」
────応ォォォォォッ!!!!
アーシュラさんの号令で錨が上げられると、船体後部に取り付けられた大型のリングが淡く輝きを放つ。
リングから吹き出た風を受け、帆がいっぱいに膨らみ、船が沖に向かってぐんぐん加速していく。
速い。
それなのにとても静かだ。
かなりの速度が出ているはずなのに、甲板に立っていても向かい風をまったく感じない。
湖のように凪いだ海を大船団が白い航跡を引きながら突き進んでゆく。
水平線の向こうにそびえ立つ山のような影が近づくにつれ、改めてその大きさに圧倒された。
近くで見ると凄まじいな……!
本当にこれが生物だなんて信じられない。
なんて感心している間にも、ぐぉぉぉぉん、と、大船団の頭上を一本の触手が通り過ぎていく。
「船の残骸が降ってくるぞ! 総員回避行動!」
アーシュラさんの指示で各船が舵を切る。
大船団が大きく散開すると、そこへ粉々に砕けた船の残骸がバラバラと降り注ぎ、海面に水柱がいくつもそびえ立つ。
いやいやいや、なんだ今の!?
触手の太さだけで何十メートルあるんだよ!?
「見えたぞ! 海軍だ! まだ生きてやがった!」
クラーケンの周囲を旋回しながら海軍の船が次々と魔法を撃ち込んでいた。
よくよく見ればクラーケンの体表面が白く凍りついている。
凍結魔法で海を凍らせて足止めしてくれていたようだ。
「総員戦闘準備ッ! 海軍を支援するぞ!」




