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平凡勇者は挫けない【5章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
チュートリアル

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0004 崩山獣ベヒモス

 刈り入れ前の穀物の穂がざわざわと怯えたように揺れている。

 まばらに建つ建物はどれも固く戸が閉じられ、すでに辺りに人影はなかった。村人たちはどこかへ避難したらしい。


 山の方へ視線を向ければ怪獣サイズの漆黒の獣がしきりに鼻を鳴らしながら、こちらへゆっくりと近づいてきている。

 村内を突っ切って山脈側の出入り口でピピから降りた師匠は、腰の鞘からずらりと剣を抜き、その切先を漆黒の獣の鼻先へ向けた。


「ど、どうするつもりですか師匠!?」


「無論、斬る」


 師匠が無造作に剣を振るえば、地面に一本の線が刻まれた。


「この線から先には絶対に出るんじゃないぞ」


 肩越しに俺へ笑いかけた師匠は、自ら引いた線を跨いで迫り来る怪物を睨み上げる。

 そうは言っても相手は山を跨ぐ大きさだ。剣一本でどうにかできる相手とは到底思えない。

 そんな俺の不安を嗅ぎつけたのか、こちらに気づいた巨獣が口を大きく開き、吼えた。



 轟ッ!!!!



 嵐のような突風に飛ばされないよう、ピピの背中に必死にしがみつく。

 すると近くの小屋が風に巻き上げられて吹き飛び、中に隠れていた親子の姿が青空の下に放り出される。


「わあああああ!? ママー!?」


「リタ!?」


 小さな女の子がガラクタと一緒に飛ばされていく。

 まずい! あのままじゃあの子が!?


「────ッ! ピピ!」


 手綱を握りしめると、俺の意図を汲んだピピが走り出す。

 吹きすさぶ暴風の中、放たれた矢のように青瑪瑙の輝きが駆けていく。


 地面を蹴って大きく跳んだピピは、さらに建物の屋根を蹴って、空へ。

 狂ったように吹きすさぶ風をピピの翼が器用に捉え、女の子との距離がぐんぐん縮まる。

 真横から飛んできた小さな瓦礫を木剣でどうにか弾き、空に身を乗り出して、手を伸ばした。


「間に合え────ッ!!!!」


 間一髪。空中で女の子の手を掴んだ俺は力の限り小さな体を抱き寄せる。

 風に乗り滑空したピピがどうにか着地すると、女の子のお母さんが慌てて駆け寄ってきた。


「リタ! ああ、リタ! 怪我はない!?」


「うわぁぁぁん! ママー!」


「よかった! 本当に……! もう二度と離すもんですかっ」


 大泣きする女の子をお母さんが強く抱きしめる。

 間に合って本当によかった。


「ここは危険です! 二人とも頑丈な建物へ避難を!」


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


「ピピ! 二人を頼んだ!」


「くえっ!」


 親子をピピに乗せて避難させ、俺だけ師匠のもとまで走って戻る。するとベヒモスはすでに目と鼻の先まで村に近づいていた。

 鼻息が熱い! まるでサウナだ。

 身体が大きい分、体温も高いのだろう。


 あとめちゃくちゃ息がクサい! ゔぇ゛っ!!!!


「今から俺の全力を見せる。よく見ておきなさい!」


 白銀の剣にオーラを纏わせ、師匠が剣を大上段に構えた。

 未だにしぶとく生き残っている俺たちが気に障ったのか、巨獣が牙を剥き襲い掛かってくる。


 師匠が細く、深く、息を吐く。

 すると刃を覆うオーラが、薄く、鋭く、研ぎ澄まされていく。

 まるで師匠の周囲だけ時間の流れが遅くなっているように感じられた。


 大地を揺らし、踏み崩しながら、凄まじく大きな一歩でベヒモスがグングン迫る。

 だめだ、潰される!?



 ────斬ッ!!!!────



 風を断つ鋭い音だけが耳に残った。

 巨獣の牙は師匠の鼻先でピタリと止まっている。


 一秒、二秒……。

 三秒経ってようやく、ベヒモスの顔に縦一直線に線が走り、つぷりと血が滲む。

 そのまま黒い巨体がずるりと上下にズレて大地に沈み、裂け目から溢れ出た血が雨となって降り注ぐ。


「……やはりまだ届かぬか」


 だが、あれだけの巨体を一撃で斬り伏せたにも関わらず、師匠の顔はどこか浮かない。

 すると次の瞬間────。


 バキン!


 と、まるで役目を終えたと言わんばかり、師匠の剣が半ばから真っ二つに折れた。


「ちょうど昼時だな。飯にしよう。ベヒモスの肉は美味いぞ」


 折れた剣を鞘に納めた師匠は、呆然としたままの俺に振り返り、ふっと表情を緩めた。




 ◇




 あれからすぐにベヒモスの解体作業が始まった。

 師匠からおつかいを頼まれて村の鍛冶屋へひとっ走りして、ありったけの剣を買い占めて戻ると、ベヒモスの死骸の隣に巨大な湖ができていた。


「なんですかこれ!? いつの間に!?」


魔宝具アーティファクトで大穴を掘って、そこへ流し込んだベヒモスの血を真水に変えて湖にしたんだ。あのまま放置しておいたら血の塩分で土地が枯れてしまうからな」


 俺から剣を受け取った師匠がベヒモスの正面に立ち、刃を閃かせる。

 すると山のような巨体が一瞬でバラバラになった。


 さらに師匠がベヒモスの死骸に手をかざすと、切り分けられたブロック肉がふわりと宙に浮かんで、足元に置かれた魔法の袋へと吸い込まれていく。

 肉も骨も毛皮も、すべてが袋の中に納まると、村の入り口には大きな湖だけが残った。

 まるで神話の一幕みたいな光景に解体を見物していた村人たちから拍手喝采が巻き起こる。


 それからすぐに村を挙げてのお祭りが開かれた。


 近隣の村からも人が呼ばれ、壊れた村の修復を手伝ってもらう代わりにベヒモスの肉が振る舞われた。

 広場のあちこちで火が焚かれ、肉が焼ける香ばしい匂いが辺りに漂っている。


「いやはや、流石は剣聖様ですじゃ。村の危機を救っていただいたばかりか、あんなに大きな水源まで作ってくださるとは! 貴方様こそまさしく神が遣わした真の大英雄ですじゃ!」


「いえ、そんな。自分の使命を果たしたまでですので」


「ははは! 剣聖様は謙虚でいらっしゃる。ささ、どうぞどうぞ。大したもんはねぇけんど、村の酒です。飲んでっておくんなせぇ」


「やや、これはかたじけない」


 村のお年寄りたちに囲まれ、右から左から酒を注がれてみるみる師匠の顔が真っ赤になっていく。あれは当分解放されそうにないな。

 ジジババにモテモテの師匠を横目に、俺も頃合いを見て金網の上で育てていた肉串を一本手に取り、豪快にかぶりつく。

 いただきまぁす!


「あちちち! ハフッ! ハフッ!」


 塩振って焼いただけなのにめちゃくちゃ美味い。

 脂身は少ないけど、噛めば噛むほど肉の旨味が溢れてくる。

 焚火たきびの煙で軽くいぶされたおかげかスモーキーな風味も付いて、なんというか「肉食ってる!」という満足感がすごい。


 初めて食べるベヒモスの味に感動している合間に、別の串もいい感じに焼けてきた。

 こっちはお試しで自家製調味料に軽く漬け込んだやつだ。

 もうすでに食欲をそそるいい匂いがしている。たまらん。


「ホフッ! ホフッ!」


 つぷつぷと肉汁滴る塊を豪快に頬張れば、口の中いっぱいに旨味が広がった。

 にんにくっぽい風味とピリッと香るスパイス、油に漬け込むことでまろやかになった塩味が肉の持つポテンシャルをさらに引き立てている。

 ……炊き立てのご飯があればもっとよかったんだけどな。


「どうだぁヒロト、食ってるかぁ!」


 お年寄りたちの飲め食えアタックですっかりフラフラになった師匠が俺の隣にどっかりと座り込んだのは、追加の肉串が程よく焼けた頃のことだった。

 随分と顔が赤くなっている。かなり飲まされてしまったようだ。

 今夜はこの村に滞在かな。


「はい! ふまいへふ!」


「ヒック! それはなにより! ベヒモスの肉は食べるだけで基礎ステータスを底上げしてくれるからなぁ! どーんどん食べなさぁい! ヒック!」


 なんて酒臭い息を吐きつつ、俺にもっと食べさせようと師匠が金網の上に肉串を追加で三本乗せる。


「これなら毎日だって食べられそうです。それにしてもさっきのスキル、凄かったですね」


「ふふ……っ、そうかぁ? だがあれはスキルじゃなくてぇ……ただの斬り下ろしだぁ……。ベヒモスの突進を止めるのに慣性制御の異能は使ったがなぁ……ヒック!」


「そうなんですか!? ……あ、お水飲みます?」


「飲むっ!」


 お酒のせいか、いつになくテンションの高い師匠がふやけた顔で言った。

 ただの斬り下ろしがあの威力!? 流石は人類最強。俺なんかとは次元が違う。


「……ぷはっ! ふぅ……。強いて言うなら闘気を使ったくらいか……ヒック」


 俺が渡した水をがぶ飲みして多少は落ち着いたのか、師匠が眠そうな目で焚き火を眺めつつ口を開いた。


「闘気?」


「人体には生命力とでも言うべき力が備わっている。これはステータスにも表記されないすべての命が持つ基本の力だ」


「もしかして、あの半透明のオーラみたいな?」


「そうだ。生命力がステータスに表記されないように、闘気もまたスキルではない。この世界の法則システムの外側にある技術。俺はこれをアウタースキルと呼んでいる」


 アウタースキル……!

 そういうのもあるのか。かっこいい!


「闘気を操作できるようになればステータスを大きく底上げしたり、技の威力を高めたりもできる。習得は非常に困難だが、使えれば大きな強みになるぞ。いずれ闘気もヒロトに伝授するつもりだ」


「俺なんかが習得できるのかな……」


「できるさ。昨日だってヒロトは俺を飛びのかせたじゃないか。つい先週まで素人以下だったお前がだ。それに」


 ほら、と俺を促すように師匠が広場の一角へ視線を向ける。

 そこにはさっき俺が助けた女の子と、その両親らしき二人の男女がいた。

 さっきは気にしている余裕がなかったけど、よくよく見れば三人とも仕立てのいい服を着ている。

 三人はこちらに向かって真っすぐに歩いてくると、一家を代表してお父さんが師匠に握手を求めた。


「お久しぶりですルキウスさん。ご立派になられましたな」


「はて……。失礼ですが、以前どこかでお会いしたことがありましたかな?」


「ははは、無理もない。なにせ二五年も前のことですから。では改めて自己紹介を。この一帯の領主を務めております、アストン・アルブトーアと申します」


「アルブ……ああ! 王都の冒険者ギルドの!」


「思い出していただけましたか!」


 たった今思い出したように師匠が声を上げると、領主様の表情が俄かに明るくなった。どうやら二人は顔見知りだったらしい。


「ご実家をお継ぎになられたのですな。あまりに変わられていて一瞬誰だか分かりませんでしたぞ」


「ええ。父と兄が急逝して王都から呼び戻されましてな。ギルド職員時代、ルキウス殿の冒険者登録手続きを受け持ったことは私の社交界での語り草なのですよ。剣聖の活躍を新聞で見る度、誇らしい気持ちになります」


「いやはや、お恥ずかしい限りです。しかしそうでしたか……。そちらもさぞや苦労をされたでしょう」


「ええ、己の至らなさを痛感するばかりです。今日ここにルキウス殿がいてくださったことはまさしく聖なる神のお導き。この度は村の危機を救っていただき、誠にありがとうございました」


 きっとこの村はこの人にとって何か特別な思い出の場所なのだろう。

 涙さえ浮かべてお礼の言葉を口にした領主様の表情がすべてを物語っている気がした。


「ほら、リタ。お兄ちゃんに渡したいものがあるのよね?」


 と、今までお母さんの後ろに隠れてもじもじしていた女の子が背中をそっと押されて俺の前にトコトコ近づいてくる。


「たすけてくれてありがとう! これあげる!」


 つやつや光る綺麗な青い石を俺に「ん!」と差し出すと、女の子は恥ずかしがってお母さんの方へ走って行ってしまった。

 不意に妹の顔が脳裏を過り、すこしだけ胸が切なくなる。……朱莉、元気にしてるかな。


 すると今度は領主様がジャラジャラと音のする両手いっぱいの巾着袋を俺に差し出した。

 何だろうと思い縛り口の隙間から中を覗くと、銀貨がたっぷりと入っている。

 王国通貨か。


「この度は娘の命を助けていただき本当にありがとうございました。これは気持ちばかりのお礼です。お二人のおかげで村人に犠牲者は一人も出ませんでした。どうぞ受け取ってください」


 そうは言っても結構な大金だ。

 そんなつもりじゃなかったし、貰っちゃっていいのかな。

 どうすべきか師匠に判断を委ねると、師匠はどこか誇らしげに一つ頷き、俺の肩に手を乗せた。


「お前の勇気が一人の命を救ったんだ。よくやったな」


 今になってようやく実感が湧いてきて、少し泣きそうになった。

 王城ではただ見ていることしかできなかった。

 けど、今回は救えた。……救えたんだ。俺が、この手で。


「……っ。ありがとうございます。大事に使わせてもらいますね」


 俺が銀貨の入った袋を受け取ると、領主様はどこかホッとした様子で師匠に向き直り胸の前で聖印を切った。


「お二人はいつ頃お発ちになられるのですか」


「急ぐ旅ゆえ、明日の朝には出発するつもりです」


「そうですか……。本来なら屋敷にお招きして持て成すべきなのでしょうが、何か事情がおありなのでしょう。ささやかですが、どうぞ村の祭りを楽しんでいかれてください」


 最後に領主様は俺たちに軽く会釈すると家族と共に広場の方へと去っていった。

 三人の幸せそうな後ろ姿に、少しだけ報われた気がした。


「よかったな」


「……はいっ」


「さあ、肉はまだ沢山ある! 思う存分食え!」


「はい!」


 夕闇の向こうへ消えていく親子の背中を見送り、俺たちは再び焚火を囲んで食事を再開した。

 しばらくすると肉のニオイに釣られて村のお兄さんたちがお酒片手に集まってきて、飲めや食えやの大騒ぎが始まる。

 多分、体育会系の大学生の二次会とかこういう感じなんだろうな。完全に偏見だけど。


 せっかく落ち着いてきたところだったのに、若者たちの尊敬の眼差しに応えようと師匠が無茶な飲み方をして、また顔が真っ赤になっていく。

 多分大丈夫とは思うけど、この前師匠が教えてくれた二日酔いに効くキノコ、寝る前に水に浸けておこうかな。

 一晩も置けばいい出汁が出るし、念のため。


 やがて酒豪を自称していたお兄さんが軒並み酔いつぶれ、村のどこかから「剣聖様に乾杯!」と何度目かも分からない乾杯コールが響いた頃。

 

「────剣聖、か」


 ぱちぱちと爆ぜる炎を枝で突き、すっかり目の座った師匠がぽつりと声を漏らす。

 焚火のゆらぎを静かに見つめるその瞳は、ここではないどこかを見つめているようだった。


「……師匠の足元にも及ばないくせに、随分と名ばかり大きくなったものだ」


「師匠の師匠って、この前言っていた?」


「俺の故郷で剣神と呼ばれていた人だ。あの人にはいまだに勝てる気がしない」


 山より巨大なベヒモスを一刀両断した師匠ですら勝てないなんて、凄すぎてちょっと想像できない。

 ゆらぐ炎の向こうに懐かしい顔が浮かんだのか、師匠はわずかに目を細める。


「……まさしく剣神の異名に相応しい人だった。あの人は他者から向けられた敵意や悪意さえも切ってしまう。彼はそれを糸と表現していた」


「糸、ですか?」


「糸を切られた者は糸で繋がっていた相手に二度とその感情を向けることができなくなるそうだ。だから何者も彼の敵にはなり得ない。あの人の剣は敵対した者の命さえ護る。まさに武の極致だ」


 なんというか、すごすぎてため息しか出ない。

 強大な力で圧倒するのでなく、そもそも敵を作らないという意味での無敵。そういうのもあるのか。


「実を言うと、さっき見せた技も師匠の剣の模倣なんだ。だが聖神教秘蔵の聖別された業物を使ってようやくあの程度。しかも剣速と闘気が一致しなかったせいで剣が折れてしまった」


 あれでは話にもならん。と、師匠が振り下ろした小枝を焚火に投げ入れる。


「────剣聖という称号も、最初は妻と結婚するための単なる箔付けだったんだ。三女とはいえマリエラは大公爵家の令嬢。異世界から来た根無し草の俺とそのまま結婚というわけにはいかなかった」


 聞けば、赤骨の魔族が化けていたギルゲー枢機卿は師匠の奥さんの叔父にあたる人だったそうだ。そういえばあの時も師匠は枢機卿のことを義叔父上おじうえと呼んでいたっけ。


 聖神教では叙階を受ける時に家名を捨てる決まりがあるそうだが、それはあくまで形式上の話。

 そのため高位貴族出身の聖職者は故郷と教会、そのどちらでも強い影響力を持つらしい。

 師匠に剣聖の称号を与えるよう当時の法王に掛け合ってくれたのもギルゲー氏だったそうだ。


義叔父上おじうえは旅の仲間たち以外で俺とマリエラの結婚を祝福してくれた唯一の人だった」


 そう語る師匠の顔は本当に嬉しそうで。本物のギルゲー氏がどんな人だったのか、なんとなく想像がついた。

 ……きっと、いい人だったのだろう。あんな偽物とは比べ物にならないくらい。


「もちろんアンデッドに有効な闘気剣術を取り込みたいという思惑はあったのだろうがな」


「アンデッドって、枢機卿に化けてた、あの?」


 名前なんだっけ。確か……歯槽膿漏しそうのうろうのデブカラス?


「ヤツはアンデッドの中でもかなり高位の個体だった。おそらく本人の言うとおり、不死魔王直属の配下だったのだろう」


 絶対に違うだろう名前が浮かんだタイミングで頷かれてしまい、元の名前を永遠に思い出せなくなってしまった。

 ……まあ、いいか。あんな恐ろしい化物のことなんて、さっさと忘れた方が多分幸せだろうし。


「アンデッドは通常の攻撃では絶対に倒せない。依代よりしろにどれだけダメージを与えても霊体が無傷な限り元通り再生してしまう。そして聖典ではアンデッドを滅ぼせるのは聖なる歌と神の祝福を受けた武器、そして神に選ばれた四柱の天使だけということになっている」


「でも闘気はアンデッドにも効くって……あ」


 そうか、だからこそ放置したらまずかったんだ。

 異世界から来た旅人が聖神教とは関係の無い力でアンデッドを倒してしまったら、聖典が嘘を吐いているということになってしまう。

 無名の冒険者だったならまだしも、数々の冒険で名を上げた師匠を無視することはできなかったのだろう。


「剣聖の名に恥じぬよう、この二〇年、我武者羅に剣を振り続けた。気づけば世界最強などと呼ばれるようにもなったが、俺が未熟なせいで助けられなかった人たちも大勢いる」


 ────師匠なら彼らも救えただろうに。

 それは聞こえるかどうかというくらいの、小さな、本当に小さな弱音だった。

 焚火の灯りに照らされた師匠の横顔はどこか迷子の子供のようで、いつもは大きく頼りがいのある背中も今だけはとても小さく映った。


「それでも! ……それでも師匠がこの村を救ったのは事実じゃないですか! だから……。あれ、なんで、こんな……」


 視界が滲む。どれだけ拭っても次から次から溢れてきて止まらなかった。

 なんでだ。こんなつもりじゃなかったのに。


「……酒が入りすぎたようだ」


 気まずそうに後ろ頭を掻き、師匠は手に持っていた水筒を一気に傾けると水をがぶがぶと喉に流し込む。

 どこか誤魔化すようなその仕草に、俺は居たたまれない気持ちでいっぱいになった。

 俺が余計なことを聞いたせいで、師匠に弱音を吐かせてしまった。


「────ぷはっ。すまない。格好悪いところを見せてしまったな。やはり師匠の背中はまだまだ遠いらしい」


 水筒から口を離し、師匠が俺の頭をくしゃくしゃ撫でて苦笑する。

 その仕草がどうしようもなく記憶の中の父さんと重なってしまい、俺はわけも分からず泣き続けた。

 師匠は俺の涙が止まるまで、何を言うでもなく静かに背中を摩ってくれた。





「────ぐすっ。ずびばぜん……」


「いいさ。人間、生きていればそういう日もある」


 飲むか? と、師匠が水筒をちゃぽちゃぽ揺らす。

 恥ずかしさを誤魔化すように水を一気に喉へ流し込むと、多少はマシになった。


「────ぷはっ! でも、なんだか意外でした。まさか師匠がお酒に弱いなんて」


「五〇倍強くなっても元が下戸だからな。昔は一滴でもダメだったんだ。そのせいで手痛い失敗を何度もやらかした。……聞くか?」


「……やめておきます」


 お互い恥ずかしいところを見せあったせいか、どちらともなく自然と笑みが零れて、気づけば二人でくつくつと笑い合っていた。


 ひとしきり笑ってようやく酔いも醒めたのか、まるで仕切りなおすように「よし」と勢いをつけて師匠が立ち上がる。

 蒼い瞳を陰らせていた弱気の色はすでにどこにもない。


「剣の道は果てなく険しい。俺もお前もまだまだ道半ばだ。共に頑張ろう、ヒロト」


 この時、不意に差し出された手を、俺はどんな顔で見ていただろう。

 ゴツゴツした大きな手だった。

 何年も、何十年も剣を振り続けた、努力の証。


 ────望んでこの世界にやって来たわけじゃない。

 いきなり殺されかけて、大勢の死を目の当たりにして、混沌に包まれた街を抜け出して……今までずっと覚めない夢の中にいるみたいだった。


 それがどうしてだろう。

 たった今、ようやく長い夢から覚めたような、俺が立っているこの場所こそが現実なのだと、そう思えた。


「……っ。はいっ!」


 差し出された手を、強く、確かに握り返す。

 夢じゃない。手に返る熱と感触は紛れもなく本物で、確かなリアリティを伴ってそこにあった。

 握った手を通じて、自分の鼓動が感じられる。


(────渚……)


 俺が心臓の発作で死にかけたのと同じ日に事故で命を落とし、俺に命を預けてくれた双子の姉。


 今までずっと、自分だけ生き残ってしまったことの意味を探しながら生きてきた。

 この人と一緒なら、今度こそ見つけられるかもしれない。

 長いこと目の前を覆っていた霧が少しだけ晴れたような、自分が進むべき道が見えた気がした。




 ◇




 翌朝。

 村人たちから盛大に見送られて俺たちは村を発った。

 そのまま山沿いに平原を進み、大きな川を越えて、広大な森へと入る。目印も何も無い森の中でもピピはペースを落とすことなく走り続け、迷うことも無かった。


 森を抜けてからもいくつかの村や町に立ち寄りつつ順調に旅を進め、その道中で読み書きやこの世界の文化など、様々なことを学んだ。

 そうして王都を飛び出してから十六日目の夕方────。


「師匠、あれって!」


「魔法都市ベルパドーラ。長旅だったな」


「くえっ!」


 針葉樹の林の向こうにお椀を逆さにしたような形の岩山がポツンと突き出ている。

 山肌には未来的なデザインの建物が所狭しと立ち並び、山頂には雲を貫く巨大な塔が建っていた。

 魔法都市ベルパドーラ。やっと着いた!

5話は18:30公開です

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