0037 依頼
──アンダーオーラン ベースキャンプ──
目を覚ますと、見知らぬテントの中だった。
魔物の骨を支柱にした大きなテントで、大人十人が横になってもまだ余裕がありそうだ。
俺、どうなって……。
「よかった。気がついたのね」
目を覚ました俺の顔を、安堵の表情を浮かべたリゼラが覗き込む。
もしかして気絶している間ずっと診ていてくれたのか。
「俺、どれくらい寝てた?」
「まだ三〇分も経ってないわ」
「そっか……。って、そうだアーシュラさんは!?」
「アーシュラさまは一人で王宮へ向かわれましたわ」
リゼラの代わりに答えたのは、折よく飲み水を持ってテントを訪れたアリアだった。
「やっぱり! すぐ追いかけ「追いかけてどうするおつもりですの?」
アリアが言葉を被せて問い返してくる。
その表情は、意図して感情を押し殺しているように見えた。
まさかそんなふうに言われるとは思わず、俺が言葉に詰まると、アリアが淡々と続ける。
「冒険者のみなさまから聞きましたわ。アーシュラさまは普段から、お一人でこの禁足地を冒険なさっているそうです。昇級の基準は覚えておいでですわね?」
冒険者の昇級基準は依頼の達成率や功績、そしてパーティー全体の戦闘力で決まる。
つまりソロで銀等級になったアーシュラさんは、個人で銀等級冒険者パーティーに匹敵する戦闘力があるとギルドが認めたということだ。
「それだけ強いアーシュラさまでさえ、命がけと仰った道のりです。わたくしたちが追いかけたところで、彼女の善意を無駄にするだけでしょう」
「で、でも!」
「では問いましょう。ヒロトさまは、何のために自分より強い彼女を助けに行きたいとおっしゃいますの? 行ったところで足手まといになるだけかもしれないのに」
「……っ」
アリアの問いに、俺はすぐさま答えられなかった。
俺とアーシュラさんは出会って間もないし、命を賭けてまで助けに行くほど親しい間柄でもない。
確実に死ぬと分かっている危険地帯に飛び込むのは勇気とは言わない。そんなのは単なる無謀だ。
でも、本当にこれでいいのか……? 何か重要なことを見落としてはいないか?
「……違う。アーシュラさんがこの国で一番強いからこそ、一人で行かせちゃだめなんだ!」
今回の黒幕は相当に狡猾な奴だ。
まず最初にアーシュラさんを指名手配にしたのも、彼女の逃げ道を塞ぎ、自分のいる王宮へ誘導するための罠だったとしたら……!?
もしこの国で最強のアーシュラさんが敵の手に落ちてしまえば、彼女に大きな恩があるこの国の人たちでは誰も手が出せなくなってしまう。
そうなればいよいよ詰みだ。黒幕を倒せる可能性は潰え、この国は完全に魔族の手に落ちる。
────今がマーサさんの言っていた時なんじゃないのか。
あの人、自分が傷ついたらどれだけの人が悲しむか、ちっとも考えてないんだ!
「もしアーシュラさんが操られてもリゼラなら元に戻せるだろ!? それに俺とアリアは視界の届く範囲なら虚空瞬在でどこにでも転移できるし、ミスリルの短剣が役立つ場面だってあるかもしれない!」
「では助けに行かれると?」
「今あの人を助けに行けるのは俺たちしかいないんだ! それに師匠ならこんなとき、自分の弱さを理由に人を見捨てたりしないよ! 俺たちだけじゃ危険だって言うなら、銀等級の先輩たちに護衛してもらえばいいじゃないか!」
「────待ってたぜ。その言葉をよ!」
と、話に割り込むように入り口の布を掻き分けて顔を覗かせたのは、猿顔のお兄さんだった。
すると他の冒険者たちも彼の後に続いてぞろぞろとテントの中に入ってきて、あれよあれよという間に俺は先輩たちに囲まれてしまった。
「お前さん、中々クールじゃないか。見どころあるよ」
と、ビキニアーマーの女剣士が俺の頭をくしゃくしゃ撫でてニッと笑う。
え? なに? どういうこと!?
「みんなアンタを試してたのよ」
未だ状況を理解できずにいる俺に、リゼラが苦笑してネタバラシした。
試された? 何を? なんで?
「お前が眠ってる間に、今お前が言ったこととまったく同じ内容でお嬢さん二人から説得されたよ。確かに一理あるとは思ったが、それでも経験の浅いお前らを連れてあのルートを進むのはプロの俺たちにとっても相当なリスクだ」
兎獣人の槍使いが腕組みして、クールな眼差しを俺に向ける。
それはそうだろう。役に立つかも分からない新人の俺たちを連れていくくらいなら、経験豊富な彼らだけで追いかけた方がまだ追いつける可能性は高い。
「だからオラたちからも一つ条件を出しただよ」
「護衛対象に感情任せに突っ走られたらたまんねぇからな。だからお前の頭が冷えてるか見極めさせて貰ったのさ」
黒鎧の大男が指を一本立てると、猿顔のお兄さんが「見直したぜ」と俺の肩に手を置いた。
そうか、それで。
俺がちゃんと答えられなかったら二人はどうするつもりだったのかと思わなくもないが、あえて聞く必要もないだろう。
二人も俺を信じてその条件を飲んだのだろうし、万が一の時は俺だけ置き去りにするつもりだった、なんて言われたら流石に傷つく。
改めてみんなの顔を見渡す。
俺にできることなんて何もないかもしれないし、アリアの言うとおり、足手まといになるだけかもしれない。
でも弱いからこそ、敵もそこまで警戒していないはず。
そんな俺たちにしかできないことは必ずあるはずだ。
枕元に置かれていた剣帯を締め直し、覚悟を決めて立ち上がる。
それから俺を囲む先輩たちの顔を見渡し、深く頭を下げた。
「……ただの杞憂ならそれでいいんです。助けに行ったらすでにアーシュラさんが淫魔をやっつけていて、俺たちが怒られる。それが最善のハッピーエンドだと思います」
だけど最悪の事態は、いつだってこちらの予想を超えて襲ってくる。
絶対に安全だと思っていた魔法都市が一瞬で陥落したように。
世界最強の剣聖が理不尽な力で剣へと変えられてしまったように。
この世界に絶対は無い。
けどそれなら、どんなバッドエンドだって覆せるはず。
「……俺にできることなんてたかが知れてます。それでも、自分の弱さを理由にするのは絶対に嫌だから!!!! だからどうか、皆さんの力を貸してください!」
「ハッ! 言われるまでもねぇ!」
「元よりそのつもりさね」
「んだ。オラたちに任せろ」
「お前の覚悟、確かに受け取ったぜ。プロの俺がな」
俺の言葉に全員が同時に力強く頷き、異口異音な返答に笑いが起きた。
「そうと決まれば改めて自己紹介だ。俺ぁビリー・マクガロン。一応これでも冒険者パーティ『青の潮騒』でリーダーやらせてもらってる」
と、猿顔のお兄さん改めビリーさんがニヒルに笑い、彼が率いる三人の仲間たちを紹介していく。
片手剣使いのラッチさん。弓使いのポーさん。棒使いのディグさん。
青の潮騒は全員幼馴染の男四人組だった。
「アタイはマリー・ホーリーライト。冒険者パーティ『荒波紅蓮隊』のリーダーさ。よろしく!」
続いて名乗りを上げたのはビキニアーマーの女剣士、マリーさんだ。
荒波紅蓮隊は彼女を中心に、魔法使いのミアさん、鞭使いのダリアさん、メイス使いのピナさんと続く。
こちらは女ばかりの四人パーティーである。
「オラはザック・トレジャー。『黒の渦潮』のリーダーだべ」
と、人懐っこい笑みを浮かべ、黒鎧の大男ザックさんが俺に握手を求めてくる。
パーティーメンバーは大盾使いのガンさん、大斧使いのドンさん、鎖鉄球使いのゴンさん。
黒の渦潮は屈強な強面ばかりだが、話してみるとみんな穏やかで優しい人たちだった。
「ダイン・ラピット。『白虎漣』のリーダーだ。雇われるからには報酬に見合った働きをすると約束しよう。プロとしてな」
最後に兎人族の槍使いダインさんがクールに断言した。
白虎漣はリーダー含めて全員が獣人だった。
虎人族の剣士グルガさん、山羊人族の弓使いメルルさん、猫人族の風の異能者ミーナさんと、前衛と後衛のバランスが取れたパーティー構成である。
俺は全員と順に握手を交わし、ここに契約は交わされた。
全員が歴戦の風格漂う経験豊富な銀等級冒険者たち。
命がけの大冒険が始まろうとしていた。
◇
──オーラン王宮──
灯りの落とされた薄暗い廊下に、甘い香りが漂っている。
嗅いでいると脳の奥が痺れるような、だがずっと嗅いでいたくなるような、摩訶不思議な妖しい香りだ。
常ならばそこかしこに人の気配が感じられるはずのこの場所も、しかし今だけはまるで死んだようにひっそりと静まり返っている。
香りの元を辿っていくと、そこは王の寝室。
耳をすませば部屋の中から熱を帯びた女の囁き声が聞こえてくる。
「フフフ、ほーら、どうしてほしいか言ってごらんなさぁい?」
「ぶ、ぶひっ! おみ足で踏んで欲しいぶひっ!」
「嫌よ、気色悪い。豚のくせに人の言葉を喋るなんて生意気よぉ?」
パンツ一枚の姿で床に這いつくばる王の顎をつま先で持ち上げ、女が蔑んだ笑みを向ける。
女が座る椅子は四つん這いになったこの国の大臣で、足置きはラルフ王子だ。
肌が透けて見える薄布だけを纏った女は、その一挙一動、指先の動きに至るまで、彼女を構成するすべてが魔性の色香に満ちていた。
自分を見下す人外の美貌に、王は興奮の熱を強める。
「ぶ、ぶひぃ! ぶひぃ! ぶひぃーっ!」
「アハハハハ! ほらほら、一国の王が人前に出られない顔になってるわよぉ」
女が足の親指で王の鼻をぐりぐりと潰して弄ぶ。
だが女の色香に夢中になっている王は何をされても喜ぶばかりだった。
「それで、国内の聖神教関係者は全員オーランに到着したのかしらぁ?」
王の鼻をぐりぐりと足で弄びながら女が問う。
「ぶ、ぶひ! 今朝方、全員が大聖堂に到着したと報告が上がっております。ぶひっ!」
「ふぅん。ようやくね」
「ぶぎゃっ!?」
王の鼻を弄るのに飽きた女は、その横っ面を容赦なく蹴り飛ばす。
鼻血を噴いて無様に転がった王は、うっとりと蹴られた左の頬を押さえて吐息を荒くする。
「舞台の手筈は抜かりなくお願いね」
「ぶ、ぶひっ! 必ずやご期待に沿えるよう、最大限努力いたしますぶひっ!」
「そういえば多頭蛇の支部長が自首してきたって聞いたけどぉ?」
続けて女はラルフ王子の頭を踏みつけて問いかける。
女もこれまで何度か多頭蛇の構成員を手駒にしようとちょっかいをかけたことがあった。
だがどの構成員も組織の不利益になるようなことをした瞬間、泡となって消えてしまっている。
「ワンワンッ! 支部長は身体の入れ墨が綺麗さっぱり消えていたそうです。ワン! 現在は支部長から得られた証言を元に、構成員の一斉摘発を実施中ですワンッ!」
「フゥン? どんな魔法を使ったのかしら……。まあいいわ。それより、指名手配にしたあの女の足取りは掴めたの?」
「誠意捜索中であります! ワンッ!」
「早くしてよね」
「ハァ……ッ! ハァ……ッ! ワンワンッ!!!! ありがとうございますワンッ!」
女が王子の頭をぐりぐりと踏みつけにすると、王子は息を荒げて犬のように鳴いた。
王も、大臣も、誰もが女の魔性に狂っていた。
それだけではない。今やこの王宮のすべてが女の掌の上だった。
すると突然、サイドテーブルの上に置かれていた風車のついた横笛がガタガタと震え出した。
「あら、ダメよ大人しくしてなきゃ」
女は笛を手に取ると、その表面に細い指を這わせて、まるで子どもをあやすように微笑みかける。
激しく震えながら妖しげな光を放っていた笛は、その光を次第に弱め────やがてピタリと静かになった。
「ふふっ。そう、いい子よ」
嵐の笛。
ひとたび吹けば猛烈な嵐を呼び寄せ、一度の使用で大国さえ滅ぼしうる禁忌の呪具。
ケルセスが殺されたことで魂を喰らいそびれた魔物は怒り狂っていた。
そんな太古の魔物の怒りさえも手玉に取り、女が蛇のように長い舌を笛に這わせて悪魔めいた笑みを浮かべる。
「もうすぐ世界が動き出す。楽しみね」




