0036 受け継がれる遺志
「だから言ったじゃない! 王宮を爆破すれば全部解決なのよ! 今すぐ行って木っ端微塵にしてやるわ!」
アリアの推理を聞き終えるや、リゼラは鼻息荒くズカズカと大股でテントから出て行こうとする。
「それじゃ関係ない奴も巻き込んじまうだろうが! いいから落ち着きなって!」
「ぬがーっ! 放せぇぇぇっ!」
また暴走し始めたリゼラをビキニアーマーの女剣士が羽交い絞めにする。
今日のリゼラは駄目だ。怒りでバーサーカーになってる。
「でもリゼラの言うことも一理ありますわ。敵が次の手を打つ前に動かないと、もっと取り返しのつかないことになりますわよ」
「城ごと木っ端微塵は流石にやり過ぎだが、ようはバレねぇように忍び込んで淫魔の息の根止めりゃいいんだろ」
アーシュラさんが拳を鳴らして黒幕への殺意を滾らせる。
アリアの推理が正しいなら、黒幕の淫魔はケルセスに嵐の笛を与え、間接的にこの国の人々を虐殺したことになる。
俺だってそんな奴、絶対に許せない。
「でも忍び込むってどうやって? 本当に王宮に淫魔がいるなら警備は厳重だと思うんですけど」
「王宮の地下へ通じる抜け道がある」
俺が尋ねると、アーシュラさんがテーブル上の地図を指でなぞって答える。
それを聞き、冒険者たちの空気が変わったのを肌で感じた。
「……危険な道、なんですか?」
「この国で一番強いオレでも超えるのは命がけだ。オレが護衛についても、鉄等級のお前らが全員生きてあのルートを超えられる確率は良くて三割」
決死の覚悟を宿した瞳が俺たちを射抜く。
あまりの気迫に、その場の全員が息を飲んだ。
「だから王宮にはオレ一人で行く。お前らはまだガキだ。事が終わるまでここで待ってろ」
「冗談でしょ!? 私も行くわ! やられっぱなしで黙ってられるもんですか!」
「わたくしも行きますわよ! アーシュラさま一人では敵に捕まりに行くようなものですわ!」
「ここまで来て置いてけぼりはないですよ!」
「……チッ、お前らはそう言うと思ったよ」
瞬間、アーシュラさんの身体が残像を残して掻き消え、俺の意識はそこで途絶えた。
◇
「────そいつらのこと、頼んだぞ」
「頼んだぞって。姉さんまさか!?」
「待つだよ姉さん! 姉さ────んッ!!!!」
大翔たちを手刀で気絶させたアーシュラは、呼び止める後輩たちの声を振り切って疾風の如くベースキャンプを飛び出した。
彼女の鼻は一度会った相手のニオイを決して忘れない。
幸い王宮には仕事で何度も出入りしており、国の要人たちのニオイも記憶済みだ。
怪しい者がいればニオイを嗅げばそれだけで分かる。
(子は護るべき宝。そうだろ、お父さん……!)
首から下げた銀のリングを握りしめ、アーシュラは胸の奥に秘めた誓いを思い出す。
◇
──回想 冒険者アーシュラ・ベオウルフの記憶──
父に抱かれ、船の舵を握る。
まだほんの小さい手が舵輪を回せば、船はその通りに動いてくれた。
自分よりずっと大きな船が、意のままに動く感動。
それがアーシュラの原点。思い起こせる中で最も古く、温かな記憶である。
彼女の両親は海賊だった。
父は船長で、母は副船長。
二人が率いる海賊団は悪人からしか奪わないことを絶対の掟と定め、特に奴隷の解放には力を注いでいた。
時に無法者に捕らえられた人々を解放しては故郷へ送り届け、またある時は人狩りに荒らされた村の復興を手伝う日々。
彼らは常に貧しく弱い立場の人々のために力を振るい、富を分け与えた。
奴隷のいない世界を作る。
その理想を実現するため力を振るう両親は、アーシュラの誇りであり、憧れでもあった。
────だが、そんな両親との別れの時は唐突にやってくる。
天地がひっくり返りそうなほどの、大嵐の夜。
海の怪物クラーケンが海賊団を襲ったのだ。
『畜生! なんてデカさだ! こんなのが出るなんて聞いてねぇぞ!』
『船長が泣き言ぬかすんじゃないよアホたれ! このルートにしようと決めたのはアンタじゃないか! 責任取って死ぬ気で舵取りしな!』
二人の奮闘も虚しく、百戦錬磨の海賊団は一隻、また一隻と水底へ沈められていく。
相手はクラーケンの中でも特に巨大な異常個体。
山はおろか、島と見紛うほどの化物を前にしては、海賊団の武器ではまるで歯が立たなかった。
残るはギオドラの操る旗艦のみとなり、力任せに舵輪をぶん回す父の怒声が嵐の波間に響く。
『もう無理だ! アーシュラだけでも逃がせ!』
船長ではなく、父親としての判断に母が頷く。
海に落ちないよう結び付けられていた縄が解かれ、母が幼いアーシュラを抱きかかえる。
『いやだ……! やだっ! お父さんとお母さんは!? 一緒に逃げよう!』
『……ダメだ! 俺たちはこの船を離れるわけにはいかねぇ!』
あのとき。あの瞬間の父の横顔が今でも忘れられない。
雨に打たれたその顔は、己の不甲斐なさに怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
すると父は右手で舵輪を操作したまま、左手の中指に嵌めていた指輪を歯で抜き取り、アーシュラの小さな手にそれを握らせた。
『いいかアーシュラ、これだけは忘れるな! 俺たちはお前をいつまでも愛してる! このリングを俺だと思って肌身離さず持ってろ! そうすりゃ運命がいずれまた俺たちを引き合わせる!』
父が目配せすると、今にも泣きそうな顔の母が頷き、アーシュラをしっかりと抱えて船尾へ向けて走り出す。
二人が大波に攫われそうになる度、父はまるで背中に目が付いているかのような舵捌きで船体を操り、妻と娘を守った。
時間にして一分にも満たない大冒険の果て。
どうにか船尾へ辿り着いた母は、脱出用の大樽の蓋を開け、そこにアーシュラを押し込んだ。
そして最後に別れを惜しむように強く、痛いほどに強く娘を抱きしめる。
『樽の底に食糧が入ってるからね。きっちり七日分だ。配分を考えて食べるんだよ』
『やだ……! いやだ! オレも残る! オレはギオドラ海賊団のアーシュラだ!!!!』
『ああ、アーシュラ。アタシらの一番の宝物……っ。お前は強い子だからきっと大丈夫。どうか誰かに拾われるまで生き延びるんだよ!』
抱擁を解かれ、力いっぱい樽の底へ突き落される。
ずぶ濡れになった泣き笑いの顔。それが最後に見た母の顔だった。
すぐさま外から蓋が固く閉じられ、暗闇の中、強烈な浮遊感がアーシュラを襲う。
『いやだ! お父さん! お母さ────────ん!!!!』
────────
────
──
アーシュラの入った樽はクラーケンが生み出す魔の海流を運よく逃れ、七日七晩海を漂った末にオーラン近海へと流れ着く。
そこへ通りかかったのがエスペリサ王国第一王子、ラルフ・ガルドア・エスペリサの乗った船だった。
王子はこの日、趣味の釣りを楽しむため沖へ船を出しており、船乗りの一人が沖に浮かんでいた樽を偶然にも発見したのだ。
『王子! 流れてきた樽の中に人が! 女の子ですぜ!』
『この耳、狼人族か────』
ゴッ!!!!
不慮の事故だった。
気を失っていたアーシュラの顔をラルフが覗き込んだ瞬間、アーシュラが跳ね起き二人の額がごっつんこ。
あまりの勢いに数メートルほど吹き飛んだ王子は、そのまま甲板の上をゴロゴロ転がり、やがて死体のように動かなくなる。
下手人の少女は頭を打った衝撃で再び気を失い、船上は大パニックだ。
『お、王子! 大丈夫ですか!?』
『────だ、これは』
船のクルーがラルフに声をかける。
するとラルフがゆらりと上体を起こし、額を押さえてぼそりと口を開いた。
『額がじんじん……いやズキズキする! なんだこの感覚は!? 新感覚だ!』
『それって、痛いってことですかい?』
『痛い? そうか、これが痛みか! すごいぞ彼女! この私に痛みを! ハァ……! ハァ……!』
『お、王子……?』
これはアーシュラが後に知ったことだが、ラルフは生まれつき【海神の加護】というスキルを持っていた。
その効果は全ステータスに対する特大の上昇補正と、受けた物理攻撃の威力を一〇分の一に減らしてしまうというもの。
おかげでラルフはこの時この瞬間まで、一度も痛みというものを感じたことがなかった。
そして生まれて初めて受けた痛みは、強烈なインパクトを伴い彼の脳を焼いたのである。
その後、アーシュラはマゾっ気を開花させた王子から十五年以上に渡って熱烈なアプローチを受けることとなるのだが、それはさておき。
ラルフによって海から拾い上げられたアーシュラは、すぐさまオーランの治療院へと運ばれた。
そこで手厚い治療を受けた後、身寄りのなかった彼女は神殿が経営する孤児院に入ることになる。
────────
────
──
孤児院に入った当初、アーシュラは周囲の誰とも関わりを持とうとしなかった。
胸の内に渦巻く不安や怒りを晴らすように、毎日のように街へ出かけては喧嘩に明け暮れる日々。
戦いの中に身を置いている時だけは、クラーケンを前に何もできなかった不甲斐なさや、両親を失った悲しみを忘れられた。
もともと天賦の才を持って生まれた彼女である。
喧嘩の度に身のこなしを覚え、地元の喧嘩では負け知らずだった。
誰とも群れず、権力にも媚びないアーシュラの生き様は瞬く間に不良たちの尊敬を集めたが、大人たちからの評判は下がる一方であった。
『────あらアーシュラ。今日もこんな時間までお散歩かしら?』
『うるせぇ気安く呼ぶんじゃねぇ!』
『まあ怖い。でもそうやって人を遠ざけて、一番傷ついているのはあなた自身ではないかしら』
『……チッ。分かったような面しやがって。ムカつくんだよッ!』
『あらあら』
だが、そんな彼女を決して見限らず、惜しみない愛を注いだ大人がいた。
当時神殿で神官長も務めていたマーサである。
アーシュラが何度拒絶してもマーサだけは諦めず声をかけ続け、傷を作って帰ってくれば理由も聞かず手当てをしてくれた。
そんなマーサにいつしかアーシュラも少しずつ心を開き、悪態交じりに本音で語るようになっていった。
────────
────
──
『アーシュラ、またラルフ王子をぶったそうですね? 聞けば彼に助けられたという話だったのに、どうしてそんなことを』
アーシュラがオーランに流れ着いて一年が過ぎた頃。
月の隠れた静かな夜のことだった。
いつもより深い傷を作って帰ってきたアーシュラの手当てをしつつ、マーサは世間話でもするかのような調子で話題を振った。
『わざとじゃねぇ! ……たまたま肘が顎に入っちまっただけだ。起きたら起きたで殴るなら私を殴れとか鼻息荒くして迫って来るし! 気持ち悪いんだよアイツ!』
『確かに彼の愛情表現はちょっとだけ歪ん……ゴホンッ! そう、個性的だけど、すべてはあなたを想ってのこと。あまり邪険にしては可哀想よ』
『気色悪ぃこと言うな!』
『今日だって彼が止めてくれなかったら、今頃あなた、人殺しになってたかもしれないのよ?』
『……チッ。女を無理やり裏路地に連れ込もうとするクズなんざ死んだ方が世のためだろうが』
今日の出来事を振り返り、アーシュラがしかめっ面で舌打ちする。
この日のアーシュラはどちらかと言えば被害者側であった。
気ままに散歩していたところを酒に酔った下級貴族に襲われそうになり、自衛のために反撃したというのが事の発端である。
ただし最終的にアーシュラが相手の顔の骨が陥没するまでタコ殴りにしてしまい、そこをたまたま通りかかったラルフ王子が止めに入り────振りかぶった肘が偶然にも顎に入ってしまいバタンキュー、というわけだ。
そこへタイミング悪く衛兵たちが駆け付けてしまい、貴族への暴行容疑で取り押さえられたアーシュラは留置場へ連行された。
最終的に目を覚ました下級貴族が何も覚えておらず、王子の取りなしもあって釈放されたが、それはそれ。
『あんなクズを野放しにしといて、オレだけ悪人みたく散々言いやがって! あの腐れ衛兵……ッ!』
自分を散々悪し様に罵った中年衛兵の憎たらしい顔を思い出し、怒りに尻尾の毛を逆立てるアーシュラ。
取り調べ中、彼女は聞かれたことに対して正直に答えたが、普段からの素行の悪さが仇となり、まったく信じてもらえなかったのだ。
『相手は下級とはいえ貴族だもの。比べてあなたは町の不良娘。世の中何を言ったかではなく、誰が言ったかなのよ。残念なことにね』
『納得いかねぇ!』
『手を出さず逃げるべきだったわ。そうすれば私がありったけの呪詛を送り込んで苦しめてやったものを』
『え』
『尿管結石と不能の呪詛は当然として、偏頭痛と痛風と口内炎もつけておきましょうか。ふふふ……。下級貴族の次男風情が、誰に手を出したか思い知らせてやるわ』
なにやら怖い笑顔で突然ブツブツ言い出したマーサを前に、アーシュラは怒りに逆立てていた尻尾をぺたんと下ろす。
そうこうする間に包帯をきっちり巻き終えたマーサは、すっかり不貞腐れてしまった少女の手に皺だらけの手をそっと重ねた。
『とにかく、あなたは立ち回りが不器用すぎるのよ。いい加減、丘の生き方を覚えなさい』
『……余計なお世話だ、クソが』
『まったく、小さい頃の父親そっくりね』
遠い過去を懐かしむように目を細めたマーサは、訥々と昔話を語り出す。
アーシュラの父、ギオドラ・ベオウルフとの出会い。
そして彼が如何にして義賊と呼ばれるまでになったのかを。
『────ここオーランよりも遥か西。古の獣の大地でギオドラは……あなたの父親は生まれたわ』
故郷の村を多頭蛇の人狩り部隊に襲われ親を失ったギオドラは、まだ幼い弟妹たちと共に闇奴隷として攫われてきた。
やがて彼を乗せた運搬船が嵐に遭い、運よく檻から逃れたギオドラは、船の残骸にしがみつきこのオーランまで流れ着く。
『ギオドラもこの孤児院で育ったのよ』
『そうだったのか!? ……けどそんな話、一度も』
『ギオドラは死に向かう弟と妹に何もしてやれなかったことを常々後悔していたわ。彼もまた、愛する人を喪う痛みを知る者だった』
あの父にそんな過去が。
形見に貰ったリングを握りしめ、アーシュラは父ギオドラの顔を思い浮かべる。
暗い過去など微塵も感じさせないくらい、記憶の中の父はよく笑う人だった。
『だけど彼は痛みを乗り越えた。良い友と出会ったことで、彼は生まれ変わったの』
『……生まれ、変わる』
『彼は誰よりも勇敢な青年に育った。そしてかつての自分と同じ境遇の人々を助けたいと言って、親友と共に海へ出たのよ』
そう語るマーサの表情は誇らしげながらも、どこか寂しげで。
それだけで父ギオドラがこの場所で愛されて育ったのだと、アーシュラは子供ながらに理解した。
『そのリングは旅立ちの餞別に私から彼へ贈ったものなのよ。ギオドラの願いが果たされ、いつか彼が海へ出なくともいい日が来ることを願ってね』
『そんな大切なモノを、オレに……』
『あなたはギオドラからそれを受け継いだ。あなたの血潮の中には、彼の強く気高い魂が宿っている。あなたがそれを忘れない限り、彼らは永遠にあなたの中で生き続けるわ』
『……でも、オレはお父さんみたいに強くない』
『強さとはなにも肉体的なものだけを指す言葉ではないわ。心の強さもまた強さよ』
『心の、強さ……』
『大丈夫、あなたならきっと乗り越えられる。そしてそれを手助けするのが私たちの役目。私はあなたを決して見捨てない』
父の過去とリングに秘められた物語、そして両親の遺志を知り、アーシュラの心に火が灯った。
世界から奴隷を無くし、不幸な人々を一人でも減らそうと戦っていた両親の想いを受け継げば、二人の魂は永遠に不滅のものとなる。
二人の魂を消すも残すも、すべてはこれからの自分次第。
それを理解したアーシュラは、形見のリングに一つの誓いを立てた。
それはギオドラ海賊団が仕事をする前に必ず唱えていた誓いの言葉。
我らが力は世に満ちる悪意と戦うために。
不幸の海へ沈みゆく者に救済を。邪悪に鉄槌を。
────────
────
──
誓いを立てたあの日からアーシュラは少しずつ変わっていった。
困っている人がいれば手を差し伸べ、喧嘩があれば止めに入り、悪さをする者がいれば衛兵より先に駆け付け鉄槌を下す。
言葉遣いだけは変わらなかったが、それでもそんなことを続ける内に町の大人たちからの評価も徐々に変わっていった。
人から頼られることも増え、数こそ少ないものの、気心の知れた親友も何人かできた。
────────
────
──
午前中まで雲一つ無かった空を分厚い黒雲が覆ったのは、アーシュラがオーランに流れ着いて五年が経ったある日のことだった。
何の前触れもなく現れた黒雲に、両親が沈んだ夜のことを思い出したアーシュラは、可能な限り多くの人々を連れてオーランで一番高い位置に建つ王宮へ逃げた。
その行動が後の明暗を分けることになる。
まもなくして弾丸のような大雨が降り始め、日が沈む頃には王宮を除いたオーランのほぼ全域が水中に没した。
どうにか屋根の上に逃れた人々も、近くを通りかかった商船や漁船に拾われた者は助かったが、運悪く誰にも拾われなかった人々はそのまま帰らぬ人となった。
翌々日の明け方には雨風も収まり、太陽が真上に昇る頃にはそれまでのことが嘘のように水位も下がっていた。
もともとエスぺリサ王国は優れた治水技術で栄えてきた歴史がある。
運河が氾濫したときのために建設された排水設備がここで生きた。
『────町を見てくる』
『待ちなさいアーシュラ。あの様子では、もう……』
『運よく生きてる奴がいるかもしれねぇだろ!』
止めるマーサを振り切り、アーシュラは一縷の望みを胸に抱いて汚泥に塗れた町へ飛び出していく。
あの日、声を掛けに行けなかった知り合いが何人もいた。
もしかしたら、瓦礫の隙間で助けを待っている者がいるかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
『誰か! 誰かいないか!? 返事しろノーラ!』
泥だらけの花屋に駆け込み、親友の名を呼ぶが……やはり返事はない。
それでも諦めきれず家の中を探すと、倒れたタンスの下から細い腕が飛び出ているのが見えた。
『大丈夫か!? 今助け────』
持ち前の怪力でタンスをどけると、彼女はすでに事切れていた。
物静かな、優しい少女だった。
両親を早くに亡くし、家族は年老いた祖母が一人だけ。
暴漢に襲われそうだったところを助けてからというもの、妙に懐かれてしまい、親無しという共通項があったためか自然と打ち解け、気づけば親友と呼べる間柄になっていた。
『……ッ。将来は、小説家になるんじゃなかったのかよ』
アーシュラが語りかけるが、やはり返事は無い。
つい先日も一緒に買い物をしたばかりだった少女は、今や微かに腐臭を放っており、生前の愛らしい笑顔は見る影もなかった。
『────っ!』
ズルズルと。
何かを引きずるような音を耳が捉え、アーシュラが振り返る。
『誰かいるのか!?』
微かな希望を胸に表へ飛び出すと、全身を鱗で覆われた犬のような魔物が向かいの家から死体を引きずり出そうとしていた。
おそらく腐臭につられて地下の禁足地から出てきたのだろう。
ほんの一瞬、魔物がアーシュラに鼻先を向ける。
だが生きた肉には興味が無いのか、すぐにこちらへの興味を失い死体をどこかへ持ち去ろうと動き出す。
『……待てよ』
震える声で呼び止めるが、魔物には届かない。
魔物が引きずるそれも、やはり泥まみれで顔は判別できなかったが、この一帯に住んでいた住人は全員が顔見知りだ。
沸々と沸き上がる怒りにアーシュラの毛が逆立ち、バチバチと紫電が迸る。
『待てよ!!!!』
アーシュラが魔物に飛び掛かる。
稲妻を纏った蹴りは魔物の顎を一撃で砕き、頭蓋を爆散させた。
血の雨が降り注ぐ中、ぐったりと道に転がった死体を仰向けにして顏の泥を拭ってやる。
店の前で始まった喧嘩を止めてくれたお礼にと、アーシュラに山ほどのパンをくれた気のいい店主だった。
来月には初子が生まれると笑顔で話してくれたことはまだ記憶にも新しい。
おそらく家の中には彼の妻と、生まれてくるはずだった赤ん坊もいるのだろう。
新鮮な血のニオイにつられて、新手の魔物がぞろぞろと姿を見せる。
姿形はカエルにそっくりだが、サメのような鋭い牙が生えていた。
今度の魔物は生きた獲物も喰らうのか、アーシュラに狙いを定めてじりじりと飛び掛かる機会を伺っているようにも見える。
《いいかアーシュラ。一刻を争う時ほど、慌てず騒がず冷静に、だ。焦った頭じゃ逆転の策なんざ浮かんでこねぇからな》
ふと、いつか父が口にしていた言葉を思い出す。
深呼吸一つ、やり場のない怒りを胸の内に押し込め、アーシュラは今後のことについて思考を巡らせる。
じきに王宮へ避難した人々が家の様子を確認しに町へ下りてくるはず。
食料や家財は泥まみれで使い物にならない。
町は死体を漁りに地下から出てきた魔物だらけ。
ここはすでに人の住める世界ではない。
幸い、自分の力が通用することは、たった今証明された。
自分がやらねば。誰かが死ぬ。
『────テメェら全員、今日の晩飯にしてやるよ』
◇
──オーラン直下 海底洞窟──
遺跡群を抜け海底洞窟に駆け込んだアーシュラの行く手に、深海の魔物たちが続々と立ちはだかる。
「邪魔だッ!」
アーシュラが腹の底、丹田のあたりに力を込める。
すると彼女の髪や尻尾の毛がバチバチと帯電して逆立ち、真っ暗な海底洞窟を青白い輝きがぼんやりと照らし出す。
刹那、グロテスクな魔物たちの合間を縫うように、一筋の雷光が走り抜けた。
雷気操作。
周囲に存在する電子を自在に操り、想像しうる限りの電気的な超自然現象を引き起こすアーシュラの異能である。
電磁力で身体を超加速させて繰り出される武技の数々は、まさしく一撃必殺。
反応する間も与えられず、高圧電流を帯びた刺突を急所に叩き込まれた魔物たちが痙攣しながらバタバタと倒れていく。
アーシュラは強い。
今日ここに至るまでの戦いの日々が、一人の少女を戦士に変えた。
しかし深海の魔物たちも黙って倒されるばかりのヤワな生き物ではない。
海底洞窟を奥へと進むほど、魔物からの反撃でアーシュラの肌は傷だらけになり、毒を受け手足は鉛のように重くなっていく。
それでもなお、彼女の足は止まらない。
止めるわけにはいかなかった。
敵の目的がなんであれ、今回の黒幕があの大嵐をこの地に呼び込んだ真の元凶だというのなら、絶対に許してはおけない。
あの嵐で多くの命が失われた。
これから幸せを掴むはずだった友も、新たに生まれてくるはずだった命も、親切なパン屋の親父も。
みんな流され、家具に潰され、汚泥に塗れて死んだのだ。
誰も彼も、あんな惨めな最期を迎えていいような人々ではなかった。
「────殺してやる」
彼女はまだ知らない。
この道の先に待ち構える敵の恐ろしさを。
港町の英雄は自ら繋いだ絆の糸に絡めとられるように、破滅へ向かい突き進む。
彼女の運命を変える鍵は────未だ眠りの中。




