0033 嵐の予兆
──ケルセスの記憶──
男がオーランの地を訪れたのは、今から三〇年も前のことだった。
海神信仰の根強いこの地に神の光を届け、報われぬ者たちの心を救済するため。
────などとというのは建前で、実際には何も知らない若造を布教の名目で送り込んでの現地調査。早い話がスパイ活動の一環であった。
しかし当時まだ司祭になったばかりだった若造に、そんな裏の事情など知る由もないことである。
男はこの異教の地に派遣されたのも自らへの試練と捉え、地道に布教活動を行うと神に誓った。
(……苛立ってはいけない。教えが中々広まらないのは私の信仰心が足りないからだ)
男はなかなか思うように進まない布教活動にも腐らず、日々の祈りも欠かさなかった。
ひたすらに神を信じる姿を示すことで人々の模範になろうとしたのだ。
そんな男の態度に心動かされ、少しずつではあるが信者の数も増えてゆき、赴任から十五年目の春には町はずれに小さな教会も建った。
教会を建てた功績を認められケルセスは司祭から司教へと昇格し、正式な活動拠点を得たことで布教活動も徐々に軌道に乗り始める。
(人は鏡だ。怒りをもって接すれば怒りが、敬意をもってせっすれば敬意が返ってくる。やはり誠実に向き合えばどんな人も心を開いてくれるのだ)
派手な功績こそ無いが、ケルセスの布教活動は概ね順調だった。
着実に成果を積み上げていった彼は、己のやり方が正しかったのだという想いを強めていく。
────だが男が地道とはいえ成果を上げていることを良しとしない者がいた。
『ここか。エスぺリサ唯一の教会というのは。なんとみすぼらしい。家畜小屋かと思ったぞ』
『……どちら様ですかな?』
『私はフェルナス枢機卿猊下の代理人ラーハルだ。今日は本国からの正式な通達を持って参った』
ケルセスがオーランに赴任して二〇年目。
枢機卿の代理を名乗る人物が街外れの教会を訪れたのは、いやに蒸し暑い夏の日だった。
居丈高な態度が鼻に突く若造で、両脇に屈強な聖騎士を二人も引き連れている。
ケルセスは最初、何かの冗談ではないかと疑った。
ラーハルはどう見てもまだ成人して間もない、少年と言ってもいい年頃だったからだ。
とても枢機卿の代理などという大役を任せられるような年齢ではない。
しかし首から下げている逆三角に三又槍のシンボルは、間違いなく彼が枢機卿の代理であることを示している。
『それはそれは。長旅でさぞやお疲れでしょう。どうぞこちらへ。狭いところで申し訳ありませんが、どうぞお寛ぎになられてください』
『いや、結構だ。お前への用件はここで伝える』
ケルセスが勤めて柔和な態度で代理人の少年を教会の中へ迎え入れようとするが、少年はそれを断り、悪意を隠しもせず通知文書を読み上げた。
『ケルセス司教。今年いっぱいを以て、お前への支援を打ち切りとする』
『そんな!? なぜです!』
『このみすぼらしい教会を見て分からないか? 成果が足りないんだよ、成果が! 来年までに目立った成果を上げないようなら、あなたの聖職位を剥奪するという話も出ている』
『ま、待ってください! この地は元より海神信仰が強く根付いた土地です! 波風を立てず神の教えを説くことがどれだけ大変なことか────!』
『神はこの世にただ一つ。聖なる神の他に神などいない!』
『……ッ』
護衛の聖騎士二人が、ケルセスの首筋に抜き身の刃を押し当てる。
顔を青くしたケルセスをラーハルは鼻で笑い、まるで「俺の方が偉い」とでも言わんばかりの態度で高説を垂れ始めた。
『聖なる神に仇なす者、これ即ち魔族なり。聖典第五章二八節にもこう記されている。天上の神を置いて他にも神がいるなどと吹聴し、これを信じるなど、これが神への反逆でなくてなんだというのでしょう』
『か、彼らはまだ神の愛を知らぬだけなのです。実際に、この二〇年で多くの者が……』
『黙りなさい! ならば何故、この国は未だに聖典を国教としていないのです? 二〇年もかけてまだ悪魔を信奉する者がいる。それがすべての答えでしょう。魔族なんですよ! この穢れた土地に住む亜人どもは!』
『な、なんてことを! 撤回しなさい! いくら枢機卿の代理とはいえ、今の発言は聞き捨てなりませんぞ!』
『おや、あなたは魔族の味方をすると。同じ神を信じているとは到底思えませんね? 今ここであなたの血の色を確かめるべきでしょうか』
首筋に当てられた刃が、まるで甚振るようにじわじわと押し込まれていく。
聖典を曲解したようなラーハルの言い分には大いに異論があったが、この状況では何も言えなかった。
『……成果とは、具体的にどのような』
怒りを飲み込みケルセスが渋々尋ねると、ラーハルは満足げに鼻を鳴らし、大きく開いた掌をぐいと突き付け、言い放つ。
『五つだ。最低でもこのオーランに教会を五つ建てろ』
『なっ!? それは無茶というものです!』
『現在、法王猊下のお身体の具合が芳しくない。……ここだけの話だが、長くて数年といったところらしい』
『な、なんと!? それは本当ですか!?』
『フェルナス様はこれを凶兆と捉えておいでだ。法王猊下がお隠れになられる前に、少しでも未開の闇を聖なる光で照らし、邪悪の芽は摘み取らねばならない。いいか、来年だ。来年までに成果を上げろ。さもなくば────後は分かるな?』
まるで突き放すように言い捨て、ラーハルは護衛の聖騎士二人を引き連れ威張り散らしたまま教会を後にした。
ケルセスは大いに焦った。
今のペースでやっていては、来年までに教会を五つも建てるなど到底不可能だからだ。
焦りは苛立ちを生み、苛立ちは人々を遠ざけ、人が遠ざかれば実入りも当然減る。
負のスパイラルに陥ったケルセスは現実から目を逸らすように酒に溺れてゆき、長年かけて地道に増やしてきた信者たちも一人、また一人と彼の下を離れていった。
『ちくしょうッ! ふざけやがって! 若造風情が偉そうに! くそっ!』
その日もケルセスは行きつけの酒場で酒に溺れていた。
期限まで残り半年。
半ばやけくそになっていたケルセスは、多頭蛇系列の闇金に金を借り、落ちるところまで落ちぶれていた。
『────どうしたの、怖い顔して』
酔いつぶれたケルセスに声をかけたのは、妖艶な雰囲気を纏った一人の街娼だった。
いつからそこにいたのか。気付けばケルセスの隣にいた女は、まるで獲物を見定めた蛇のように細い腕をしゅるりと首に絡ませてくる。
『ねぇ、私で遊んでいかない?』
女がケルセスの手に触れ、耳元で甘く囁く。
その顔は薄布のヴェールに覆われハッキリしないが、熟れた果実のように赤い唇がやけに印象に残る。
露出の多い踊り子の衣装を身に着け、グラマラスな肢体はどこか悪魔的な色香さえ放っていた。
────ザザッ────
翌朝、家に帰りついていたケルセスの手にはいつの間に手に入れたのか、風車の付いた横笛が握られていた。
深酒のせいか記憶が曖昧で、どこで手に入れたものかも覚えていない。
だが、その笛の持つ力と使い方だけはなぜかハッキリと覚えていた。
『────力だ。この力さえあれば、すべて私の思うまま……。フフッ、フハハ……ハハハハハハハハハッ!』
嵐の笛。
ひとたび奏でれば巨大な嵐を呼び寄せ、国さえ滅ぼしうる危険な呪具。
すでに落ちるところまで落ちぶれたケルセスは、笛の魔力に抗えなかった。
ケルセスは笛を使い、嵐を呼んだ。
そうして国全体が弱り果てたところで、今こそ神の教えを広める最大の好機であると聖法国へ強く訴えかけた。
ケルセスの訴えは聞き届けられ、聖神教はその総力を挙げてエスぺリサ王国の復興に尽力し、国民から絶大な支持を得ることに成功する。
民衆は親切な聖神教を大いに歓迎し、数年の後、国の危機を救った聖神教は国教に定められた。
その嵐が聖神教の司祭によって巻き起こされたものとも知らず。
ケルセスは聖地の最大派閥へ迎え入れられ、エスぺリサ王国での活動が再評価されたことで大司教へと出世を果たした。
◇
──ケルセス大聖堂 応接間──
映像が途切れると、ヒリヒリと焼け付くような沈黙が場を満たした。
恐る恐るアーシュラさんの様子を窺うと、強く握り込まれた拳からポタポタと赤い雫が滴り落ちて────。
「────殺す」
「ダメだ! 待ってアーシュラさん!」
慌てて肩を掴んで止めると、胸倉を掴み返される。
「止めるなッ! コイツのせいでどれだけ死んだと!」
「俺だってこんなクズ庇いたくないよッ!!!!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。
まさか俺なんかに気圧されたはずもないだろうが、アーシュラさんは面食らったような顔で僅かに身体を強張らせる。
「だったら邪魔すんじゃねぇ! 部外者は黙ってろ!」
「それでマーサさんたちが危険に晒されても!?」
今度こそ。
アーシュラさんはハッと目を見開き、動きを止めた。
もし今ケルセスが死ねば、聖神騎士団はどんな手を使ってでも犯人を探し出そうとするはずだ。
仮にリゼラが手を貸して証拠を全部消したとしても、相手はこの国の権力を握っている。
証拠があろうと無かろうと国家反逆の大罪人に殺人の罪を被せることなんてわけもないだろう。
そうなれば聖神騎士団は事件の調査を口実にして、今度こそ本格的に隠れ海神教徒の排除に動き出すかもしれない。
「マーサさん言ってたよ! アーシュラは何かの陰謀に巻き込まれただけだって! でもここでコイツを殺したら本当に言い訳できなくなる!」
「……ッ。じゃあどうすりゃいいってんだ!」
「罪を自白させるのよ。オーラン市民の前でね。私ならそれもできるわ」
内圧を下げるように息を深く吐き、リゼラが淡々と言う。
努めて冷静であろうとしているけど、リゼラも相当怒っているのが雰囲気で伝わってくる。
「わたくしもリゼラの意見に賛成ですわ。今ここでケルセスを殺してしまえば、この男の悪事は世に知れ渡ることもなく、死後も聖人として歴史に名を刻むでしょう」
「…………クソッ!」
俺たちの説得にアーシュラさんは振り上げた拳をどうにか下ろし、やり場のない怒りを壁にぶつける。
大理石の壁に大きく走った亀裂が、彼女の怒りの大きさを物語っていた。
「リゼラ、頼む」
「ええ、明日にはすべて変わるわ」
俺に頷き返し、リゼラはケルセス大司教に杖を向けた。
これで明日の朝にはすべてが明らかになるはずだ。
この外道はこの国の法で裁かれ、聖神教も真実を知った民衆の手でこの国から追い出されるだろう。
そうなれば孤児院の子供たちが攫われることも二度となくなるはずだ。
これが最適解のはず。
なのにどうして、喉の奥に小骨が詰まったような嫌な感じが消えないんだろう。
仕込みを終えた俺たちは、大聖堂をこっそり抜け出し、宿へ戻った。
◇
──宿屋──
翌朝。
バタバタと騒々しい足音に俺は叩き起こされた。
な、なんだなんだ!?
バタンッ!
ドアが乱暴に蹴り開けられ、白い装備で身を固めた兵士たちが部屋に雪崩れ込んでくる。
鎧の胸元に刻まれた逆三角に三股槍のシンボル。聖神騎士団だ。
「鉄等級冒険者スズキヒロト! 貴様にはケルセス大司教殺害の容疑がかかっている! 大人しくお縄につけい!」
「はぁっ!?」
まったく訳が分からなかった。
ケルセスが死んだ? なんで!? しかもどうして俺が殺したことになっているんだ。
何も分からないまま兵士に取り押さえられた俺は、あっという間に縄で縛られ捕縛されてしまう。
抵抗も虚しく、そのまま連行されそうになった、その時だった。
「どけ! 雑魚が!」
「ぐわぁっ!?」「ぎゃっ!?」「ぐえぇっ!?」
窓を蹴り破ってアーシュラさんが部屋に飛び込んできて、勢いそのまま兵士たちを蹴り飛ばす。
すると壁にぶつかった兵士たちの身体がバラバラに砕けた。
「ちょ!? え!? アーシュラさん!?」
「よく見ろ。スケルトンだ」
片手で頬を掴まれて、無理やり死体の方へ顔を向けさせられる。
直後、バラバラ死体から黒いモヤのようなものが立ち昇り、飛び散った血肉が消えて白骨死体だけが残った。
聖神騎士団ってアンデッドと戦う組織だよね!? なんでアンデッドが紛れ込んでるんだ!?
なんて混乱している間にもバラバラになった白骨死体がカタカタと震えはじめ、まるで磁石で引き寄せられたかのように人の形へ組み上がっていく。
すると再びスケルトンたちの身体を黒いモヤが包み────。
「「「見ぃ~たぁ~なぁ~?」」」
すぐさま部屋に突入してきたときと同じ状態に戻ると、目を血走らせて襲い掛かってきた!
ひぃぃぃっ!?
「持つもん持って準備しろ! 早く!」
アーシュラさんは俺の縄をナイフですばやく切ると、斬りかかってきた兵士を回し蹴りでブッ飛ばす。
彼女が時間を稼いでくれている間に急いで上着に腕を通し、枕元に置いてあった剣帯を引っ掴んで準備を整える。
すると首根っこをぐいと掴まれ、俺を小脇に抱えたアーシュラさんが窓枠に足をかけた。
「跳ぶぞ! 舌噛まねぇように口閉じてろッ!」
「いいいいいいっ!?」
その朝、俺は空を飛んだ。




