0026-a 回想 ※ハジマリ
──二年前 鷹雨ヶ原中学──
学校の式典というものはいつの時代も兎角退屈なものである。
校長を筆頭に大人というのは歳を取るほど話が冗長になりがちだ。
どうしてああも退屈な挨拶を長々と話せるのか。
今日から中学生になる正義にはそれが不思議でならなかった。
「続きまして、新入生代表挨拶。新入生代表、劔正義くん」
「はい」
名前を呼ばれ正義が壇上に上がると、それまで眠そうにしていた女子生徒たちが俄かに色めき立つ。
程よく注目も集まったところで、正義は手元の原稿を学ランの胸ポケットに仕舞い、とても十二歳の少年とは思えぬほど堂々たる様で口を開いた。
「僕には夢があります」
少年の一言目は、有名な牧師のスピーチの真似からだった。
それだけなら稀にいる優等生の挨拶で終わっていただろう。
しかし挨拶が進むにつれて体育館に垂れ込めていた退屈な空気は消え失せ、果たして最後は正義の目論見通り、割れんばかりの拍手と歓声で飾られることとなる。
後に教師たちはこの時の様子を口を揃えてこう語ったという。
入学式の挨拶でスタンディングオベーションが起きたのは後にも先にもこれっきりだった、と────。
かくして大盛況のうちに入学式は幕を下ろし──入学式が大盛況というのも変な話だが──新入生たちが担任に引率され、それぞれのクラスへと戻っていく。
正義のクラスは一年二組。
総勢二四人の教室は、やはりというか後ろのスペースがやや余っていた。
八〇年代に建てられたという校舎は老朽化が進みあちこちボロボロで、ちょうど自分たちが卒業した次の年に建て替え工事が始まるらしい。
と、そんなことはさておき。
軽い自己紹介タイムを終え担任の山中が教室を空けると、ぽつりぽつりと話し声が聞こえ始め、次第に教室内が賑やかしくなっていく。
鷹雨ヶ原中学にクラス替えは無い。
つまりこの先何があろうと、否応なくこのクラスメイトたちと卒業まで同じ教室で過ごすことになる。
各々の人となりは早いうちに把握しておいて損はない。
それとなく周囲の声に聞き耳を立てると、正義はある一角だけ異様に静かなことに気づいた。
窓際一番後ろの席。
そこにいたのは────すわ月の精か。はたまた妖魔の類か。
人の顔を見て魂を抜かれたと感じたのは、これで二度目だった。
出席番号六番。
名前は確か……鈴木大翔。
よくある名字であるし、自己紹介のときも位置的に顔が見えなかったため気づくのが遅れたが、なるほど確かに見知った少女と瓜二つだ。
だがどうやら性格は姉とは真逆らしい。
大翔はいかにも不安そうな顔で自信なさげにオドオドしていた。
そんな様子さえ憂いを帯びた耽美な少年として映ってしまうのだから、恐るべき人外の魔貌である。
(あれから随分経つけど、渚は元気にしてるかな)
渚と競い合った幼少の日々を思い出し、正義の口元に自然と笑みが浮かぶ。
────その少女と出会ったのは、正義が小学二年生のときのことだった。
近場の剣道道場同士で行われた交流試合。低学年の部、男女混合の個人戦の決勝。
結果は正義の負け。
先に一本取られ、どうにか一本取り返したが、その後巻き返された。
それまで勝負事など勝って当たり前だった正義にとって、生まれて初めての敗北。
同時にあれほど印象に残る敗北は、後にも先にもあの一戦だけである。
『すげーなお前! おれから一本取るなんてさ』
試合後、人懐っこくも声をかけてきた少女の美貌を見たときの衝撃は今でも忘れられない。
陳腐な例えだが、まさしく全身に電流が走ったようだった。
まさか分厚い面の下からあんなお人形みたいな小顔が出てくるなんて誰が想像できようか。
『なぁお前、バスケやる? 野球は? テニスは? 何でもいいからもっと勝負しようぜ!』
『……えっ!? あ、うん。いいよ』
『やったー! じゃあ次はバスケで勝負な! 約束だぞ!』
正直、勢いに押された感はある。
だが生まれて初めて誰かと競うことが楽しいと思えたのもまた事実。
その日から約二年の間、二人は出場可能なスポーツ大会にはすべて出場し、全力の勝負を通じて友情を深めていった。
真剣勝負の場以外で顔を合わせたことは一度もなく、おおよそ小学生の付き合いとは思えない奇妙な関係。
それでも家庭の事情で小さな孤独を抱えていた正義にとって、気付けば渚との時間はかけがえのないものになっていた。
だが四年生の冬、約束していたバドミントンの試合に渚の姿はなかった。
風邪か、はたまた予選のどこかで負けたか。
あり得ない。何か事情があるに決まっている。
そう思って対戦相手に一人一人聞いて回ったが、誰も渚の名前すら知らなかった。
今までお互いの実力を信頼して連絡先の交換すらしなかったのがここへ来て仇となり、それ以降、渚と顔を合わせる機会は一度も巡ってこなかった────。
(……結局、あれっきり渚とは音信不通になっちゃったんだよね。僕のこと覚えてるといいけど)
あのときばかりは連絡先を聞いておかなかったことを酷く後悔したが、中学に上がれば近隣の学区からも生徒が集まってくるため、もしかしたらという淡い期待も抱いていた。
渚の口からも双子の弟がいるとは聞いていたが、まさかこんな形で巡り合うとは。
今に意識を戻した正義は改めてクラスの様子を俯瞰的に観察する。
小学校からの友人同士はすでにグループを形成しており、そうでない者たちも声をかけたりかけられたり、気の合う相手を探している最中らしい。
一方の大翔は────完全に孤立してしまっていた。
窓際一番後ろの席といえば漫画やアニメでは主人公の席と相場が決まっている。
だが入学初日の今に限ってその場所がハズレくじであることはあまり知られていない。
当たり前のことだが誰かと仲良くなるためにはまず会話をしなければ始まらない。
その点、窓際一番後ろの席というのは最悪だ。
そもそも隣近所と接する面積が少ないうえに、黒板側の角席と比べても声をかけて貰える確率が圧倒的に少ないためである。
学校という場おいて最初の一ヵ月というのは実に重要だ。
ここで誰かと関係を結べず孤立すれば、最悪の場合いじめの標的にされるということも十分にありうる。
大翔自身が受け身でも周囲に気のいい男子の一人でもいれば話は違ってくるのだが、どうやら彼は姉と違ってそうした運は持ち合わせていないようだった。
縦列、女子。
横列、女子。
斜めも女子。
中学生男子の接近を許さない絶対防御結界が完成してしまっていた。
しかも女子たちは三人とも大翔の魔貌にやられて魂が抜けてしまっている。あのままではスタートダッシュに乗り遅れてぼっち一直線だろう。
そんな残酷な未来予想が脳裏を過ぎったときには、すでに正義の身体は動き出していた。
「ちょっといいかな」
「えっ!? あ、うん。何か用?」
勇気を出して絶対防御結界を踏み越え正義が声をかけに行くと、大翔は驚きつつも普通に応対した。
どうやら自分からグイグイ行くことは無いが、普通に話せるタイプらしい。
「鈴木君って、もしかして双子だったりする?」
「う、うん。渚の知り合い?」
「やっぱり! 小二の頃に剣道の交流会で知り合ってさ。それから二年くらいバスケとかテニスとか、いろんな大会で競い合ったよ」
「……あ! そういえば昔、おれと張り合えるすげーヤツがいるって渚言ってたっけ」
多少なりとも接点があると分かって少しホッとしたのか、大翔の警戒心が薄れたのを正義は肌で感じた。
これなら少なくとも自分が気にかけてやればクラスで孤立することはないだろう。
「渚は別のクラス?」
「……小四の冬に、事故で」
ゆるゆると首が横に振られ、長いまつげが悲しげに下を向く。
────渚が死んだ。
まったく予期せぬ展開に、これには流石の正義も面食らってしまう。
大翔自身、まだ姉の死を受け止めきれていない。そんな顔だった。
「ご、ごめん。知らなくて」
「あ、ううん! こっちこそごめん」
正義がとっさに謝ると、大翔は慌てたように首を横に振って謝り返した。
優しいんだな、と、正義は素直に関心する。
心の傷に触れられたにも関わらず、嫌な顔一つせず逆に相手を気遣える人間というのは意外と少ない。
若干空気は気まずくなってしまったが、初日に特大の地雷があることを知れたのはむしろ収穫だった。
クラス内でうまく立ち回るためにも、こういう情報はあって困ることはない。
暗い話題で重くなった空気を打ち消すように、正義は努めて明るく振舞いつつ、大翔に利き手を差し出した。
「改めまして、今日からよろしく。鈴木君」
「あ、うん。こちらこそ!」
先程までの不安げな表情はどこへやら。
子犬のようにぱっと顔を輝かせた大翔が差し出された手を嬉しそうに握り返せば、少年たちのやり取りに聞き耳を立て手鏡でチラチラ様子を窺っていた隣近所の女子たちが一斉に鼻血を噴いて昏倒した。
────かくして、胸にぽっかりと開いた大穴を自覚せぬまま、劔正義の中学生活は始まった。
◇
──二年前 日本──
新緑に彩られたつづら折りの坂をバスの車列がぞろぞろと上っていく。
桜の季節は過ぎ去り、季節は初夏。
今年もゴールデンウイークの二日間を利用して一・二年生合同の林間学校が開催の運びとなった。
連休くらい休ませろと生徒からは大不評なこのイベントだが、一年二組の生徒たちを乗せた車内は和気藹々とした空気に包まれている。
「この時期にしては随分と仲のいいクラスですねぇ」
バスの運転手がどこか感心した様子で、一番前の座席に座るクラス担任の山中に話題を振った。
「すみません騒がしくて」
「いえいえ。こちらも元気を貰ってますので」
山中が頭を下げると、運転手が笑顔でハンドルを切る。
実際、教師歴十五年の山中から見ても、一年二組はいまだかつて無いほど雰囲気の良いクラスであった。
これは山中の持論だが、クラスの雰囲気というのは中心人物の性格に良くも悪くも影響を受ける。
そのためカーストの頂点がいじめっ子気質だと、周囲もそれに同調してしまいクラスの雰囲気が悪くなってしまう。
「大丈夫かい? 鈴木君」
「うぅ……。ぎぼぢわるい……」
「先生! 鈴木君の気分が悪そうなので窓を開けてもいいですか!」
バスの最後方からハキハキとした声が響く。
一年二組の中心人物、劔正義だ。
「全開にはするなよー。他に気分の悪い者がいたら開けていいからな。もう少しで着くから頑張れー」
車酔いしたらしい鈴木大翔にエールを送った山中は、自分の座席に腰を下ろすなり「やはり劔は頼りになる」とどこか誇らしげに唸った。
入学早々から才能の片鱗を見せつけた劔正義は、当然のように五月の時点で一年二組の中心人物になっていた。
剣道部では三年生を相手に完勝するなど華々しい活躍を見せており、端正な容姿も相まって早くも校内にファンクラブができたと聞く。
これほど優秀な生徒を受け持つのは山中も初めてで、天才とはいるものなのだなと素直に関心してしまったほどだ。
「ほら、着いたよ。立てるかい?」
「あ、ありがとう……うぷっ!?」
そうこうしている内にバスは目的地のキャンプ場に到着する。
クラス丸ごと異世界に召喚されるといった突飛な事件も起こらず、鈴木少年もギリギリのところでエチケット袋の世話にならずに済んだようだった。
予定通り全クラスがコテージ前の広場へ整列を終えたところで、学年主任の村谷が一同の前に出る。
ぐるりと生徒たちを見渡せば、やはり退屈そうな顔が目立った。
つまらない挨拶は勘弁して。そんな内心が透けて見えるようだ。
「テントは各班ごとに用意されてるから、説明書を読みながら全員で協力して立てるように。分からないことや困ったことがあれば近くの先生方に相談すること。では解散!」
手短な村谷教諭の号令を受け、コテージの前に整列していた生徒たちが各班ごとに散っていく。
広場の芝生にはテント設置の目安となる虎模様のロープがペグで打ち込まれており、その枠の中にレンタルのテントが袋に入った状態で置かれている。
ここでも正義のリーダーシップが発揮され、的確な指示と人員配置により教師たちの出る幕も無く、予定より三〇分早くすべての班がテントの設置を終えた。
「いやはや、劔は将来有望ですな」
あまりにやることが無かったため山中がコテージ近くの喫煙所で一服していると、同じく一服しに来た村谷が煙草に火を点けつつ話題を振ってきた。
「ええ、まったくです。あんなに優秀な生徒は自分も初めてですよ」
「でしょうなぁ。私もまさか入学式のスピーチで泣かされるとは思いませんでした」
ははは。と二人の笑い声と共に紫煙が山間の空へ溶けるように消えていく。
それから二人はやれ将来は政治家か官僚かと麒麟児の未来について語り合い、フィルターギリギリまで吸い切った吸殻を灰皿に捨てた。
煙草の値段は上がり続けるが、給与は一向に上がらない。世知辛い世の中である。
何はともあれ、レクリエーションの山林スタンプラリーは予定時刻通り行われた。
一年二組の藤谷美乃梨が生来の方向音痴を発揮してしまい迷子になりかけるというアクシデントこそあったものの、幼馴染の鈴木大翔により早期発見され一人の怪我人も出ずレクリエーションは無事終了。
その後もカレーで腹を満たし、キャンプファイヤーを囲んでフォークダンスを踊ったりとお約束のイベントを消化して林間学校一日目もあとは寝るだけとなった。
「やっぱりこの時期は夜になると冷えるな……。ん?」
寝る前に用を足そうと山中がトイレに向かうと、数人の男子生徒たちがトイレの裏手に回り込むのが見えた。
さてはいじめか。
生徒たちの後を追った山中はひとまず様子を見ようとトイレの壁の陰に身を隠すと、男子生徒の一人が口を開いた。
「で、何だよ。用事って」
「ああ、うん。単刀直入に聞くけど、小学校の頃、鈴木君と何かあったのかい?」
聞き覚えのある声だった。
どうやら文脈から察する限り、こんな時間にこんな場所へ男子生徒たちを呼び出したのは、劔の方らしい。
山中はまさかと思ったが、ひとまずもう少し様子を窺うことにした。
「何かって……なんもねぇよ」
「別に隠さなくていいよ。いじめてたんだろ? 彼を」
「はぁ!? いじめてねーよ! やってたのはりゅっちだし、りゅっちが引っ越してからは何も……」
「やっぱりそうなのか」
「あ、てめっ!? 騙したな!?」
「こういうのは“カマをかけた”と言うんだよ。それに勝手に喋ったのはそっちだろう?」
正義の父親は刑事だそうだが、ああいう誘導テクニックも父親譲りなのだろうか。
一瞬浮かんだどうでもいい考えを振り払い、山中は真剣に考え込む。
教師としては早くテントに戻れと注意すべき場面なのだろう。
しかし話題が話題である。ここで出ていってしまえば自分の受け持つ生徒へのいじめを見過ごすことにもなりかねない。
出ていくか。見守るか。
迷う山中を他所に、少年たちの会話は進んでいく。
「お願いなんだけど、さっきみたいに陰でヒソヒソ鈴木君を指差して笑うみたいなこと、しないでほしいんだ。はっきり言って不快だからさ」
「は? お前には関係ねーだろ」
「関係あるさ。君たちだって自分の友達が陰でヒソヒソ笑われてたら嫌だろう? タニガキトウゴ君。アサカミキヒコ君。ヨネダカズキ君」
「誰だよコイツに教えたの!」
「さて、誰だろうね」
「は? キモ。調子乗ってんじゃねーぞ」
「……調子に乗ってるのはそっちだろ。人間以下のクズが」
正義の声のトーンが一段下がる。
それだけで場の空気が凍り付いたのが、陰から聞き耳を立てている山中にも伝わってきた。
この角の先に得体の知れない何かがいる。
大人の山中にさえそう思わせてしまう迫力が、今の正義にはあった。
すると突然、生暖かい不気味な風がどぉっと吹き抜け、森の木々を騒めかせる。
「あ、虫」
正義の何気ない呟きに呼応したかのように不快な蟲の羽音が響く。
近隣の山々からすべての蟲が集まってきたかのような、大きな音だ。
「蛇だ」
「ひっ!?」
足元を通り過ぎる気配に山中が視線を落とすと、大量の蛇が地面を埋め尽くし男子生徒たちのいる方へゾロゾロと向かっていく。
さっきから正義の言葉がそのまま現実になっている。
そんなはずはない。
いくら頭で否定しても、足元を這いずる不快な気配は間違いなく本物だった。
「ひっ!? な、なんだよこれ!? さっきまでこんなにいなかったのに!」
「く、来るな! 来るなぁ!」
「うわああああああ!?」
男子生徒たちの悲鳴は木々のざわめきにかき消される。
影に隠れて聞き耳を立てていた山中は恐怖のあまり動けなかった。
パンッ!
と、柏手を打つ音。
たったそれだけで、それまで嵐のように荒れ狂っていた木々は大人しくなり、気付けば蛇もいなくなっていた。
「じゃ。話はそれだけだから。そこで聞き耳立ててる山中先生に怒られない内に君たちもテントに戻りなよ。おやすみ」
まるで何事も無かったかのように、普段の調子に戻った正義が男子生徒たちに別れを告げこちらに近づいてくる。
バレていた。いつから。まさか最初から気付いて……!?
混乱して固まったままの山中の横を、正義が軽く会釈して通り過ぎていく。
我に返った山中が慌ててトイレの裏手に回り込むと、そこには蟲も蛇もおらず、腰を抜かして泣きじゃくる男子生徒たちがいるだけだった。
その夜、山中は明け方まで嫌な動悸が収まらなかった。
────後日、三人の男子生徒は精神的な不調を訴え、学校に来なくなった。
保護者の話によると、アサカミキヒコとヨネダカズキは失語症を患い、見えない何かに怯えるように部屋から出てこなくなってしまったのだという。
タニガキトウゴも当初は二人と同様の症状を患っていたが、同年の六月七日。
彼だけがハサミで自ら喉を突き刺し、自殺した。
部屋には「もうしません。ごめんなさい」とだけ書かれた遺書が残されており、その字は何かに怯えたように酷く震えていたという。
◇
──五九七年前 エルデンバーグ王国──
魔王ドラジスの脅威が去って早三年。
魔帝国が使用した核兵器の爪痕は未だ各地に深く残り、生き残った人々を蝕んでいる。
だが終戦から間を置かず聖者ルグェルが完成させた放射能除去魔法により世界再生への目途も立った。
浄化の完了したいくつかの地域ではすでに新たな国が興り、人類は復興に向けて着実に前進している。
そんなある日のこと────。
「本当に王になる気はないのだな?」
もうこの質問も何度目だろうか。
半ば諦めつつもディルレアが問いかけると、やはり正義の答えはいつもと同じだった。
「僕にはやるべきことがあるからね」
「この戦争で故郷を失った人々のために新たな国を作ろう。そう言って俺を誘ったのはお前だろうに」
ディルレア自身もこの戦争で祖国を失っている。
だからこそ正義の考えに共感し、この三年間、理想の国を作るべく己の知識と魔力のすべてを注ぎ込んできた。
そうした努力の甲斐もあり、これまで人類未踏の魔境として知られていた覇龍山脈より南側の地域から危険な魔物は一掃され、国の威信を示すに相応しい城もつい先日完成した。
現在二人が顔を突き合わせているのも、真新しい調度品で飾られた城の応接間だった。
「君だからこそ任せたいんだ。僕ら六人の中で誰よりも聡明で、どんなピンチの時でも冷静だった君なら、きっと良い王様になれる」
「俺に言霊は通じんぞ」
耳心地のいい言葉にディルレアが目を鋭くすると、正義は「敵わないなぁ」とおどけたように肩を竦めた。
この少年は平然とこういうことをするから油断がならない。
正義の言葉にはスキルや魔法とは異なる【力】がある。
彼の言葉は聞く者の耳に心地よく染み入り、瞬く間に他人からの信用を獲得してしまう。
そういう力があるのだと認識して心に壁を作っていれば効果は無いものの、戦時中に正義の言霊にやられた権力者をディルレアは何人も見てきた。
「皆、お前が王になることを望んでいる。だというのにお前は責任だけ俺に押し付けて逃げようと言うのだな。この人たらしめ」
「その言い方は流石にあんまりじゃないかな?」
「事実を言ったまでだ」
腕組みしたディルレアが不機嫌顔で鼻を鳴らすと、これには流石の正義も「まいったな」と後ろ頭を掻くしかなかった。
────人類は魔帝国という驚異を前にしても一枚岩になりきれなかった。
それでも人類が魔族に勝利できたのは、正義の【言霊】と、彼自身に備わった天性のカリスマによる部分が大きい。
戦時中、正義が立ち会わなければ決裂していたであろう交渉は両手の指で数えきれない。
彼がいなければそれまで地域単位の小規模組合でしかなかったギルドが世界的に連携することも無かったであろうし、世界各地で集められた物資が必要な場所に届けられることも無かっただろう。
ディルレアたちが魔王との決戦に全力で挑めたのも、そうした後方支援体制があったからこそだ。
そんな裏方の調整を最前線で戦いつつこなしてみせたのだから、正義の方がよほど王に向いているとディルレアは思うのだが、どうやら本人はそうではないらしい。
「君じゃなきゃダメなんだ。ここで君が王になることに意味がある」
僅か十五歳の若さで世界に平和を齎した怪物が、確信に満ちた表情でディルレアの顔をまっすぐに見つめる。
正義がこういう顔で意味深なことを言うとき、それが最適解なのだということをディルレアは知っている。
そうやって最適解を選び続けた結果が今であるということも。
「……はぁ。わかったわかった。やればいいのだろう、やれば! ただしどんな結果になっても責任は取らんぞ!」
「大丈夫。君の思うままにやってくれれば、それでいいから」
「ふんっ。異世界への帰還術式は俺が必ず完成させてやる。だから時々は顔を見せに来い」
「…………ありがとう」
いつも通りの戦友の態度に苦笑を浮かべつつ、正義は最後にディルレアの肩を強く抱き、応接間を後にした。
何か悲壮な覚悟を纏った戦友の背中にディルレアは何か声をかけるべきかと逡巡したが、適切な言葉が思い浮かばず、ただ見送るだけに留まった。
────翌日、ディルレアは城に招待した各国の王たちの前で、自身がこの地の王となることを宣言した。
かくしてここに、エルデンバーグ王国は誕生する。
だがそこに勇者マサヨシの姿は無く、その後、彼がエルデンバーグの城を訪れることは二度と無かった。




