0024 休息
──エスぺリサ王国 川沿いのゴーストタウン──
点検用のはしごから地上に上ると、町はずれの小屋の中に出た。
外へ出ると東の空はすでに白み始めていて、朝霧に覆われた町に人の気配はなく、どこか神秘的な静けさだけが漂っている。
ひとまず昨夜お世話になった宿へ向かうが、宿屋のオヤジも女将さんもいなくなっていた。
「まさか町の人たちも全員幽霊だったなんて」
「……そうね。出された料理も普通のものだったし、あれじゃ気付けないわよ」
リゼラがブルッと身体を震わせ、青ざめた顔で言った。
そういや俺たち、オバケの料理を食べちゃったんだよな。普通に美味しかったけど。
やけにみんな顔色が悪いなとは思っていたが、まさか全員死んでいたなんて完全に予想外だった。
冥界の町が無人だったのは死者たちが現世に行っていたからなんだろうな。
「お腹空いたな……」
「結局ほぼ徹夜だったものね。厨房の食材使わせてもらいましょ」
「その前にお風呂ですわよ! 二人とも蟲のネチョネチョまみれでくっせぇですわ!」
と、そんなわけで朝風呂でさっぱりした後、俺たちは厨房を借りて自分たちで簡単な朝食を作ることにした。
女将さんが朝食用に用意していたのか、作りかけの野菜スープがそのまま寸胴鍋に残っていたのでそれを温めなおし、パンをスライスして火で炙ってトーストにする。
「裏の小屋でコッコちゃんが卵産んでましたわ!」
「いいわね、目玉焼きにしましょうか」
アリアがよっこいせと抱えて持ってきたのは、一抱えもある巨大な卵。
こっそり裏の小屋を見に行くと、恐竜サイズの怪鳥が朝を告げる元気な雄たけびを上げていた。
俺の知ってる鶏じゃない……。
なんだか怖くなって、俺は裏の勝手口のドアをそっと閉じた。俺は何も見てない。
ともあれ、朝の食卓には特大の目玉焼きと野菜スープ、厚切りのトーストが並んだ。
いただきます。
「それで、次はどこへいくんですの?」
切り分けた半熟の目玉焼きをちゅるんと飲み込み、アリアが話題を切り出す。
「ひとまず川を下って首都のオーランに行きましょう。そこのギルドで冒険者登録して、後は……その時の展開次第ってとこかしらね」
「オーランに着いたらお父様たちにお手紙送りませんと! わたくしがミミックに生まれ変わったと言ったら、みんなきっと驚きますわ!」
「そ、そうね」
無邪気に喜ぶアリアに、リゼラは曖昧な笑みを返した。
本当はすぐにでも両親を元に戻す方法を探しに行きたいはずだ。
けどそれを言えば、エルデンバーグ王国で起きた惨状をアリアに伝えなければならなくなる。
「……? どうしましたの? 二人とも顔色がよくありませんわ」
「えっ!? いや、なんでもないよ。ちょっと眠いだけ」
「そうですの? 確かに色々ありましたものね」
とっさに誤魔化してしまった。
一緒に旅をするなら、真実はいつかは伝えなきゃいけない。
けど、夢にまで見た冒険の旅に胸を躍らせているアリアに、今それを伝えるのはあまりにも酷に思えた。
なんだか微妙に気まずい空気のまま朝食を終えると、俺はそのまま部屋に向かいベッドに倒れ込む。
余計なことを考える間もなく、疲れ果てた身体は眠りの底へと落ちていった────。
◇
──いつかどこかの風景──
町が燃えていた。
見渡す限りの建物は瓦礫と化し、そこから吐き出された煙が新月の夜空をさらに黒々と染め上げている。
俺から見て少し先、二〇歩の位置で血まみれのリゼラがこちらに杖を向けていた。
奇しくも師匠の屋敷で対決した時と同じ間合い。
……今なら剣を投げずとも一歩で届く。まさかこんなことで自分の成長を実感することになるなんてな。
これはあり得たかもしれない可能性。
ボタンの掛け違えでたどり着いていたかもしれない、一つの未来。
「……なんでだよっ。なんでこんなこと!」
「アンタには分からないわよ」
リゼラの手には禍々しい気配を放つ一冊の本。
分からない? そんなわけあるか。
両親を目の前で殺され、飛ばされた先で偶然にも死者復活の方法を見つけてしまったんだ。それに縋りたいと思う気持ちは分かる。
俺にだって蘇らせたい人はいる。だけど、こんなのは。
こんなものが正しいだなんて、絶対に認めない。
「分からない……? 分からないだって!? 話そうともしなかったくせに!」
「やめてよ、そういうの」
突き放すような冷たい視線に、喉を締め付けられる。
「英雄ごっこは楽しめた?」
「何を……」
「アンタは私に優しくして幼稚なヒロイズムを満たしていただけ。両親を目の前で殺されたなんて、いかにもな悲劇のヒロインだものね」
「ち、違……っ」
「……知ってたわよ。アンタの心が故郷に向いてることくらい」
今度こそ言葉に窮してしまい、俺は黙り込むことしかできなかった。
────あの日。すべてを失ったリゼラはその時一番近くにいた俺に温もりを求めた。
拒絶すれば今度こそ本当に壊れてしまうと思った。
だから……だなんて、それも言い訳か。結局リゼラを受け入れたのは俺自身の選択で、求められるまま、状況に流されるまま、旅の中で何度も身体を重ねた。
もちろん美乃梨のことは一度だってリゼラに話したことはない。
それでも、いつかどこかのタイミングで、俺の中に故郷への未練があること、俺がどこかで一線を引いていることにリゼラは気付いたのだろう。
ひょっとすると、最初からすでに……。
「ただ……して……だけで……のに」
痛みを堪えるように、リゼラが胸の前で拳を握り込む。
あまりに小さな呟きは風に搔き消された。
俺が……俺が悪いって言うのか。俺だって自分の意思でこの世界へやってきたわけじゃないのに!
「……勝手だよ」
俺の言葉には何も答えず、虚無を宿した青い瞳が天を仰ぐ。
ズシンッ。と、地面が大きく揺れ、建物の影から巨大な影が顔を覗かせた。
ぬらりと艶めかしい光沢を放つ鱗と、太く強靭な手足。長い尾は蛇のように大地を這い、首から背中にかけて白いたてがみが靡いている。
時折炎を吐き出すその顔は、いつか見せてもらった写真の少女と瓜二つだった。
幼いリゼラのたった一人の親友────アリア。
大好きだった。そう語ったリゼラの悲しげな顔が今でも忘れられない。
リゼラの近くで歩みを止めた怪物は低く身を伏せ、まるで敵から守るように長い尾を親友の身体に絡ませる。
尻尾の先がボコボコと泡立ち、幼い少女の上半身へと形を変えていく。
「リ……ゼラ。リゼ、ラ」
「なあに? アリア」
「笑……ッテ。笑顔。ニッコリ。ネェ?」
「ええ、そうね。笑うわ。あなたがそう望むなら」
歪な親友を愛おしそうに抱き寄せ、どこか無理っぽく笑みを浮かべるリゼラ。
するとアリアは嬉しそうに笑ってリゼラの身体を抱き返し、そのままグズグズと崩れて泡立つ血の塊に戻ってしまう。
「そんなものが本当にお前の親友だって言うのかよ!?」
「魂はそこにあるんだもの。肉の器はこれから元の形に近づけていけばいい」
「それでどれだけの人が死ぬと思って「関係ないわよ!」
俺の言葉を遮り、リゼラの叫びが黒く塗りつぶされた夜空に木霊する。
「進むしかないのよ」
師匠と同じ色合いを湛えた瞳は、凄絶な光を宿している。
ある朝、リゼラは俺の前から唐突に姿を消した。
たった一言、「さよなら」と綴られた手紙一枚だけを残して。
俺はリゼラを探して世界中を巡った。
そしてようやく手掛かりを掴み、この町を訪ねた。
────あれから二年。何もかも手遅れだった。
「させない」
これ以上、師匠の娘に罪を重ねさせちゃいけない。
もし師匠がここにいたなら、きっと同じようにしたはずだ。
俺が鞘から剣を抜き構えると、一瞬、リゼラの顔が悲しげに歪む。
「────そう。ならアンタも敵よ」
長杖の頭が俺に向けられ、リゼラの周囲に無数の砲弾が形成されていく。
もうお互い後には引けない。やるしか、ないんだ。
剣の柄を握りしめ、一息に飛び掛かる。
剣士が魔法使いを相手にするときは、そもそも相手に魔法を使わせない。それが大前提で、そうでなければまず勝てない。
狙うは首。ためらうな。
それは優しさなんかじゃない。迷いが生まれれば太刀筋が鈍って痛みを与えてしまう。だから……!
「……ッ」
分かっていた、はずだった。
「……変わらないのね」
白い首筋から血の雫が滲み、刃を伝って俺の手を濡らす。動けなくなった俺を前にリゼラはどこか昔を懐かしむように苦笑した。
殺れよ。動けよ腕! 頼むから……っ。
「その中途半端な優しさが嫌いだった」
リゼラの煤けた頬を一筋の雫が伝う。
それが何を思っての涙なのか、俺には最後まで分かってやることができなかった。
「……さよなら」
爆炎が俺の視界を埋め尽くし、それっきり真っ暗になった。
◇
──川沿いのゴーストタウン 宿屋──
目を覚ますと、窓の外はまだ朝だった。……もしかして丸一日寝てたのか?
何かとても悲しい夢を見ていた気がするけど、思い出せない。
身体もだるい。熱があるみたいだ。
やけに重く感じる身体でもぞもぞと寝返りを打つと、俺のおでこにひやりと小さな手が触れる。冷たくて気持ちいい。
「母、さん…………?」
「まぁ、どうしましょう。随分と大きな息子ができてしまいましたわ」
熱でぼやけていた視界が焦点を結ぶと、ベッドの横にアリアがいた。
間違って母さんと呼んでしまった。恥ずかしい。
どうかしてる。熱のせいだ。
「風邪ですわ。きっと疲れが出ましたのよ。食欲はございまして?」
「……柔らかいものなら、なんとか」
「でしたら、スープの残りでパン粥をこさえてきますわね。まったく、二人とも風邪で寝込むなんて。わたくしがいなかったら大変なことになっていましてよ?」
「リゼラも? ……ごめんね。迷惑かけて」
「迷惑だなんて。ヒロトさまはリゼラと引き合わせてくれた大恩人ですもの。これくらいのこと、なんでもありませんわ」
言いつつ優しく微笑んだアリアは、まるで母親がそうするように俺の頭をそっと撫で、にょきっと宝箱の底から足を生やして部屋を出ていく。
……こんなふうに風邪をひくなんていつぶりだろう。
もう随分と風邪なんてひいてなかったからな。こんなにだるかったっけ。
こうして横になると、どうしても魔法都市や王城の光景が頭をよぎる。
もし俺ではなく、劔がこの世界に来ていたら、違う結果もあったんじゃないか。
そんなことばかり考えてしまう。
「ぎゃー!? 鍋が噴火しましたわ! どうして!? どうしましょう!? 暴れるんじゃねーですわよ! このすっとこどっこい!」
熱っぽい頭でしばらくぼんやりしていると、下の階からどったんばったん聞こえてきた。
本当に大丈夫かな?
あれでも元はお姫様だ。料理なんて作ったことないだろうに。
……お姫様、だよな?
「ぜぇ……ぜぇ……。で、できましたわ! 味見もしましたし、ちゃんと食べられますわよ!」
数分後、全身ボロボロで黒焦げのアフロになったアリアがパン粥を持って再び部屋を訪れる。
なんでそんなボロボロなんだ。ティリアと戦ったときよりひどいぞ。
「オ、オホホ。お鍋さんが言うこと聞きませんでしたから、ちょっと立場を理解らせるのに手間どってしまいましたわ」
「調理工程が激しく気になる……」
「さ、遠慮せず召し上がれ! よければあーんして差し上げますわよ?」
「い、いいって。自分で食べれるから」
年下の女の子にそこまでされたら、いくらなんでも情けなさすぎる。
あれ? でもリゼラと同い年なら、むしろ年上なのか?
深めの器に盛られた粥を匙で掬い、匂いを嗅いでみる。
普通に美味しそうだ。いただきます。
「美味しい」
「お口に合ってなによりですわ。初めてのお料理でしたから少し不安でしたのよ」
それにしては後引く旨味があって、食欲が無くてもするする喉を通る。
身体が温まると少しだけ元気も出てきて、あっという間に完食してしまった。
幽歩のときもそうだったけど、さてはこの子、才能の塊なのでは?
前世じゃ病気のせいで思うように動けなかったから自分でも気づいてないだけで、実はめちゃくちゃハイスペックなのかも。
「ずっと張り詰めたようなお顔をされていましたから、少し心配してましたのよ」
「……そんなに?」
「それはもう。葬式会場かと思うほどでしたわよ。わたくし自分の葬式にしか出たことありませんけども!」
笑っていいのか分からないジョークに思わず顔が引きつる。
しまった。顔に出てたなんて。……もっとしっかりしないといけないのに。
すると、こちらの心内を知ってか知らずか、アリアがひんやりした手を俺の手にそっと重ねてくる。
「こんなときくらい、誰かに甘えてもいいんですのよ」
「…………ごめん」
何か言わなければと思い言葉を探したが、結局それしか出てこず、無性に情けなくなった。
大人になろうって、決めたじゃないか。なのにこんなふうに迷惑ばかりかけて……弱い自分が嫌になる。
すると、はたと何かに気付いたようにアリアが顔を上げた。
「今気付いたのですけど、わたくし、ヒロトさまのことお名前以外何も知りませんわ!」
「そういえば」
「よかったら故郷の楽しい思い出話とか聞かせてくださいませんこと? もちろん無理にとは言いませんが」
故郷の楽しい思い出か。改めて聞かれると難しいな。
しばらく考えて、俺はふと商店街の福引でA5ランク松坂牛のすき焼きセットを当てたことを思い出した。
お肉ってこんなに美味しく育てられるんだなと俺自身も感動したし、目をキラキラさせながら食べる朱莉の顔は見ているだけで幸せな気持ちになった。
母さんも仕事の疲れが吹き飛んだと喜んでくれて、嬉しかったなぁ……。
「それは素敵な一日でしたわね」
そのことを話すと、アリアは目尻に涙さえ浮かべて大いに共感してくれた。
反応が大げさでちょっと照れ臭いけど、幸せな記憶を思い出したおかげか、いつの間にか身体も少し楽になっていた。
「クリスマスまでには帰れるといいな……。朱莉のプレゼントも用意しなきゃ」
「ヒロトさまの故郷はここから遠くていらっしゃいますの?」
「……そうだね。日本って国なんだけど」
「まぁ、やっぱり! 勇者マサヨシも黒髪黒目だったそうですし、お名前の響きも珍しいので、もしやと思っていましたのよ!」
「マサヨシ……? もしかして、劔正義?」
「あら、ご存知でしたのね。やはりニッポンでも有名な方でしたの?」
どういうことだ?
どうしてここで劔の名前が出てくる。
「ご存知もなにも。俺は車に轢かれそうになってたアイツを突き飛ばしてこの世界に来たんだ。……じゃあもしかして、アイツもあのときに?」
「そうでしたの!? でも別々の時代へ同時に召喚されるなんて、そんなことが本当に……」
アリアが顎に手を当て考え込む仕草をする。
「別の時代って?」
「マサヨシ・ツルギが召喚されたのは今から六〇〇年前。魔王ドラジスが猛威を振るった人魔大戦の時代ですわ」
「そんなに……」
日本で言ったら室町時代の話だ。
時代が離れすぎていて、実感がまるで湧かない。
「五人の仲間たちと世界を駆け巡り、当時の世界人口の六割が犠牲になった大戦争を終わらせた人類の救世主。彼らは六英雄と呼ばれ、その物語は今でも世界中で語り継がれていますわ」
そこまで聞いて、俺の脳裏にふと一つの可能性が浮かび上がる。
「もしかして劔って、神の加護を二つ持ってたりしなかった?」
「ええ、確かに彼は聖神の加護を二つ持っていたそうですわ。歴代の英雄の卵の中でも、召喚時に二つの加護を持っていたのは彼が最初で最後だったとか」
やっぱりか。
枢機卿に化けていた赤骨の化物はこう言っていた。彼方の世で不測の事態が起きたとしか思えない、と。
あのとき俺が劔を庇ったせいで召喚の術式に何か不具合が起きたのだとしたら。
もしかしたら本来この世界に召喚されるはずだったのは、劔だけだったのかもしれない。
そこへ俺という異物が紛れ込んで、そのせいで色々とおかしくなったんじゃないのか。
「……劔はその後どうなったの?」
「終戦後、彼は戦火で国を失った人々のために、自由で開かれた国をという志のもと、エルデンバーグ王国の建国に尽力したそうですわ」
「え、じゃあもしかしてアリアって……」
「玉座に着いたのは六英雄の一人、大魔法使いディルレアですわ。なのでわたくしは彼の直系ということになりますわね。……まあ、今となっては『元』ですけど」
と、アリアはどこか寂しげな苦笑を零す。
何故か意味も無くホッとしてしまった。なんでホッとしてるんだろう、俺。
姿形と記憶はそのままでも、今のアリアはミミックだ。代々受け継いできた血の繋がりは生まれ変わった時点で無くなってしまっている。
ちなみにマリエラさんの実家は三代前に王家から分かれた大公家なので、リゼラもディルレアの血を引いているらしい。
「劔はどこへ行ったの?」
「王立図書館に保管されていた歴史書によれば、開国祭の直前に忽然と姿を消してしまわれたそうです。彼の行方を尋ねられたディルレアは『互いに成すべきを成すのみ』と言ったそうですわ」
「成すべきを成す……。元の世界に帰ったのかな」
「勇者マサヨシの消息はそれ以降途絶えていますし、その可能性もありますわね」
「……ははっ。それじゃあ、俺、本当にただ空回りしてただけじゃん。…………バカみたいだ」
悔しくて、惨めで、涙が止まらなかった。
俺は放っておいても助かってた奴を助けて、そのせいで巻き込まれたんだ。
「劔なら、みんな救えたのかな……」
口に出すとドロドロした劣等感が沸き上がってくる。
────そうさ。そうに決まってる。アイツなら誰一人取りこぼさなかった。
エルデンバーグの王様を……アリアのお父さんを死なせてしまったのは俺に力が無かったからだ。
哀れみの色を帯びた黄金の瞳。
アリアのそれと同じ色合いを秘めたあの瞳が、ビー玉のように弾けたあの光景が、今でも瞼の裏に焼き付いて消えてくれない。
「ヒロトさま……」
「……ッ。ごめん。疲れてるみたいだ。大丈夫」
「こちらこそ、余計なことを聞いてしまいましたわね。ごめんなさい」
滲んだ目元を手の甲で拭って、これ以上心配させまいと無理やり笑顔を作ると、気づかわしげに背中をさすられベッドに寝かしつけられる。
あまりにも慣れた手つきだったから、されるがままになってしまった。
「最後に一つだけ。ヒロトさまだからこそ救われた魂がここにいると、それだけは覚えておいてくださいまし」
無様な顔を見られたくなくて寝返りを打つと、開いたスペースにアリアが腰かけ、ベッドが軽く軋んだ。
「あの暗闇の中、わたくしだけで目を覚ましていたら、きっと怖くて動くことさえできなかったはずですもの。わたくしが今こうしてここにいるのは、他でもないあなたのおかげですのよ?」
目を閉じ、あの時のことを思い返してみる。
確かにあのとき聞こえた歌声は、今にも消えいってしまいそうなほど、か細く弱々しいものだった。
だとすると、初めて出会ったときの妙なハイテンションは……。
「……頼りなくてごめん」
「いいえちっとも。もしあのまま闇の中で一人ぼっちのままだったら、わたくしは心まで魔物になっていたでしょう。ヒロトさまの勇気がわたくしを、ひいてはリゼラを救いましたのよ」
「……俺に勇気なんてない。あるとしたら、それは渚のものだ」
「ナギサ、さま?」
背中越しにアリアがきょとんと首を傾げたのがなんとなく分かった。
そういえばこの世界に来てから渚のことはまだ誰にも話してなかったっけ。
「双子の姉だよ。いつも明るくて、元気で、何をやってもすぐにできて……俺に無いものを全部持ってた」
だから渚のことを思い出すたび、罪悪感で押しつぶされそうになる。
どうして俺だけが。何もできない無能の俺なんかが生き残ってしまったのか。渚だったらもっとうまくやれたのに。何かあるたび、そう思わずにはいられない。
「渚が事故に遭ったのと、俺が心臓の発作で死にかけたのは同じ日でさ。それで渚の心臓がそのまま俺に移植されたんだ」
「そう、でしたのね」
「だから【勇気】のスキルも、頼りない俺に渚が力を貸してくれてただけなんだよ」
そもそも美乃梨に告白する勇気さえなかったヤツが、急に勇敢になんてなるはずがないじゃないか。
理不尽を跳ねのけられるほどの力も無い。勇気さえも死んだ姉からの借り物。
こんな情けない奴のどこが英雄だっていうんだ。卵と呼ばれることさえ恥ずかしい。
「それでも、実際に行動したのはヒロトさまですわ! すでに戦いで傷ついてボロボロだったのに、あなたはわたくしを探しに来てくれた。それはどうして?」
「それは……。だってアリア、泣いてたじゃないか。無視なんてできないよ」
「人の声真似をして獲物をおびき寄せようとしている怪物かもしれなかったのに?」
言われて気付いた。
そうか、そういう可能性もあったのか。我ながら迂闊すぎる。
「それでもあなたは泣いていたわたくしを探しに来てくれた。その優しさは誰が何と言おうと、ヒロトさまだけのものですわ」
「そう、かな……」
「ヒロトさまは先程、勇気がご自分のものではないかのように仰いましたが、わたくしはそうは思いません。あなたはお姉さまから命と一緒に勇気も受け継ぎましたのよ」
「勇気を……?」
「受け継いだのですから、その勇気はもうヒロトさまのものですわ。だからあなたは誰よりも勇敢で優しい人。あなたに救われたわたくしが保証しましてよ」
ふと、死にかけたときに聞いた渚の声を思い出す。
この心臓はもうお前のものだと、渚はハッキリそう言った。
生きているのだから、やろうと思えばなんだってできる。恐れずに挑戦していくための勇気は、もう俺の中にあるのだとも。
「病弱で何もできなかったから、自分に自信が無い。その気持ちはわたくしもよく分かりますわ。それでも、あなたは変わることができたではありませんか」
「変われた、のかな」
「わたくしが今こうしてここにいられるのも、ヒロトさまが与えられたチャンスを逃すまいと必死に食らいついて、ひたむきに努力した結果ですわ」
渚の言葉を思い出したおかげだろうか。アリアの言葉は思いのほか素直に、すっと胸に収まった。
……そっか。変われたんだ。
「さあ、目を閉じて。ぐっすり寝て元気になれば、迷いもきっと晴れますわ」
ひんやり冷たい小さな手がおでこに触れると、自然とまぶたが重くなってくる。
「おやすみなさい。よい夢を」
そんな優しい声を最後に、俺は深い眠りへと落ちていった。




