0022 怪人女王蟲ティリア 後編
────ドクンッ!!!!
消えかけていた魂の炎が大きく燃え上がり、手足に力が戻ってくる。
身体が熱い。心臓は元気に鼓動を繰り返し、俺に生きる力を与えてくれている。
「あれ、俺……生き、て……?」
「ヒロト!!!!」
わけもわからずぼんやりしていると、リゼラに強く抱きしめられた。
苦しくなって身じろぎすると、零れ落ちた雫が俺の肩を濡らす。
「よかった……っ。本当に」
「ごめん、心配かけた」
「……無事でよかった」
俺を抱きしめる腕から伝わる震えが、すべてを物語っていた。
キュリキア様の言う通りだ。一歩間違えれば俺がリゼラの新しいトラウマになっていたかもしれなかった。
さっきの赤い闘気。あれは多分、本当に命のすべてを燃やし尽くさないと出せないやつなんだろう。
あれはもう二度と使えないし、使わない。
もうリゼラは十分傷ついた。これ以上リゼラの心の傷を増やすようなことはしたくないし、してもいけない。
「あぐっおごごごごぎぎぎががが!? かゆいかゆいかゆいぃぃぃぃ!!!! おのれよくもやってくれたな小娘ェェェェッ!!!!」
「「っ!?」」
雷鳴のような怨嗟の叫びがホール全体を震わせる。
見ればティリアが自らの胸を掻きむしり、再生する肉と格闘していた。
まさか自分の心臓を抉り出そうとしてるのか!?
「どうやら気付かれたみたいね」
「気付かれたって?」
「魔導技術の応用で治癒魔法の術式をアイツの心臓に刺青みたく刻み付けたのよ。終了条件を定義せず術式がループするようにしてね。だから後はアイツ自身の魔力で自滅するのを待つだけだったのに……」
そんな裏技みたいなことをあの一瞬でやってたのか。
今のティリアは術式が刻まれた心臓を抉り出そうと必死で、他に気を回す余裕は無さそうに見える。
「でも自分の心臓なんて抉ったらアイツだってタダじゃ済まないだろ!?」
「私もそう思って心臓に刻んだのだけどね。おそらく素の回復力で再生できると踏んだのよ。もしアイツが賭けに勝てばもう打つ手はないわ」
「倒すチャンスがあるとするなら、今だけってことか」
正直、めちゃくちゃ怖い。だって相手は圧倒的に格上で、ほとんど不死身みたいな化物だ。それでも今を逃せばもうチャンスは二度と巡ってこないだろう。
気付けば俺は自分の足で立ち上がり、リゼラを背後に庇いつつティリアに短剣の切っ先を向けていた。
「タイミング合わせて」
「……勝算は?」
無理よ、やめなさい。とは言われなかった。
そこはかとない信頼に頬が僅かに緩んだのを自覚しながらも、俺は「分からない」と正直に答える。
「スリーカウントで撃つわ。壊したら承知しないわよ」
リゼラが白銀の剣を虚空から取り出し、俺に手渡す。
ボロボロの短剣から白銀の剣に持ち替え、柄を強く握りしめる。
まるで俺のために作られたかのように手になじむ。
大恩ある師匠を剣として使うなんて正気の沙汰じゃないのは分かっている。だけどティリアを倒せる武器があるとするなら、やはりこれしかないと思えた。
「どうか力を貸してください。師匠!」
俺の言葉に剣から鼓動が返る。
思う存分やってみろ。そんな想いが柄を通じて俺に流れ込んでくる。
「参!」
突き出すように構えた杖先に必殺の砲弾が形成されていく。
敵の防御を無視して内側から爆殺するリゼラの最強魔法。当たれば格上だろうと木っ端微塵だ。
狙うはティリアの首。
頭を切り離して身体を粉々に爆破してしまえばいくらなんでも再生できないだろ。
「あがっ!? おごぎがぎごげご!? ざぜるがぁぁぁッ!」
俺たちの動きに気付いたティリアが何かしらの魔法を発動させる。
ヤツの胸元に魔法陣が浮かび上がり、細胞の異常分裂が抑えられ、醜く膨れ上がっていた身体が辛うじて人型に戻っていく。どうやらリゼラの魔法を一時的に抑え込んだようだ。
不格好に折れ曲がった手足を出鱈目に動かし、ティリアが奇声を発しながら遮二無二突っ込んでくる。
「それはこっちのセリフですわよ! このすっとこどっこい!」
今の今まで壁にめり込んでいたアリアが横合いからすっ飛んできて、ティリアの脚に組み付き床に押し倒す。
「放せぇぇぇぇッ!!!!」
「放すもんですか! 大人しくくたばりなさいまし!」
ゴロゴロと転がりマウントポジションを入れ替えながら、崩れかけの怪人女王とアリアがノーガードで激しく殴り合う。
「弐!」
呼吸を整え、意識を刃に集中させる。
剣を身体の一部と捉え、血を通わせるイメージ。
一度限界まで闘気を使ったおかげか、この力の本質を理解できた気がする。
闘気とは命あるすべての存在に備わっているありふれた力だ。
寿命、生命力、あるいはもっと根元的な────そうか。すべては循環なんだ。
命も、魂も、形を変えて常に巡り続けている。
「壱!」
ゼロカウントよりも一瞬だけ早く、俺は剣を振りかぶった体勢のままティリアの眼前に虚空瞬在で飛び込んだ。
未だ瞼の裏に焼き付いて離れない、魔法都市で見た師匠の一撃。
すべてがスローモーションのように感じる中、俺は目に焼き付いたその軌跡をなぞり、白銀の刃を走らせていく。
まるで澄み切った湖面のように。
僅かな揺らぎもなく刃を覆った闘気は、醜く膨れ上がった亡者の首を滑らかに切り裂き────。
────斬ッ!!!!────
斬り飛ばした首が宙を舞い、どす黒い血しぶきが噴き上がる。
ティリアにマウントを取られていたアリアが俺に手を伸ばす。
小さな手を掴み、虚空瞬在。
前方の壁際まで転移した────次の瞬間!
「今っ!!!!」
俺たちの背後で大爆発が起きた。
爆炎が部屋を赤々と照らし、飛び散った血肉の雨が火照った頬に降り注ぐ。
「あ゛ッ、あ゛あ゛……ッ! 嫌、だ……! 消えたくない! セルブス! セルブスに会いたい! どこ、どこにいるの!?」
部屋中に飛び散った肉片がじりじりと蠢き、床に転がったままの首へと集まっていく。
そんな見るに堪えない生への執着を断ち切るように、ティリアの首を優しく抱き上げる者がいた。アリアだ。
「……もう終わりにしましょう。楽におなりなさい」
首を抱えたままアリアが宝箱の底へ沈んでゆき、フタがゆっくりと閉じてゆく。
「いや……。やだ……! 助けてセルブス!!!! 嫌っ! もう地獄は嫌あああああああ!!!!」
そのときティリアの成れの果てと視線が交わり、首から下げていた青い石のペンダントが強い光を放った。
光を通じて誰かの記憶が俺に流れ込んでくる。
△
────穏やかな日差しをキラキラと跳ね返す小川のほとりで、若い男女が二人、肩を寄せ合っている。
ティリアとセルブス。
領主の娘と、木こりの息子。身分の差こそあれど、幼馴染として育った二人は互いに深く愛し合っていた。
『もうすぐ、行ってしまうんだね』
寂しさを隠しきれないセルブスに、ティリアが静かに頷く。
『ティリア。僕と────』
セルブスが何か言いかけると、ティリアは最後まで言わせず首を横に振った。
『……お願い。それ以上は言わないで』
『でも! それじゃあ君の意思はどうなるんだ!?』
『関係ないのよ。私の運命は生まれた時から決められていたのだから』
『だったら猶のこと……!』
『どこにも逃げ場なんて無いのよっ!』
『っ!』
ティリアがセルブスを強く押しのける。
彼女の華奢な身体は凍えたように震えていた。
『……あなたはただの木こり。あの山を越えられるだけの力も、財もない。運よく山を越えられたとして、その先はどうするの? 運河を使って海に出ようとすれば確実に伯爵家に見つかってしまうわ』
『だったら歩いてでも!』
『手つかずの原野には魔物だって出るわ。あなたと私だけではとても生きられない。私のせいであなたが死ぬなんて、そんなの、嫌よ……っ』
最悪の想像をしてしまったのか、ティリアは顔を覆って泣き出してしまう。
そんな彼女を前にセルブスは悔しげに奥歯を噛みしめ黙り込むだけだった。
やがて涙を拭ったティリアが泣き腫らした顔を上げ、胸の内に秘めていた決意を口にする。
『……私の身一つ差し出せば、この村の人たちはもう冬の寒さを恐れなくて良くなる。あなたのいるこの村を守るためだと思えば、私、どんな苦労だって耐えられるわ』
『…………っ』
『そんな顔をしないでセルブス。あなたには笑って送り出してほしいわ』
『ならせめて、これを僕の代わりに持っていってくれないか』
セルブスが上着のポケットから取り出したのは、神秘的な輝きを放つ青い石。
それをティリアの掌に乗せ、そっと握らせる。
『……綺麗』
『今まで肌身離さず持っていた僕の宝物だよ』
『ありがとう。大切にする』
『たとえ運命に引き裂かれようと、僕の愛は変わらない。生涯君だけを愛するとここに誓う』
セルブスがティリアを抱き寄せ、その唇を奪う。
二人の愛を確かめ合うように。別れの刻限を惜しむように。
ティリアもセルブスを求め、二人は時間の許す限りキスを重ねた。
だが二人の想いが果たされることはなかった。
ティリアの兄が領主の父親と結託し、セルブスを捕らえて殺してしまったのだ。
『────どうしてっ!? なぜ彼を殺したのよ!?』
『これから他国へ嫁ごうとする娘が故郷に心を残したままでどうする! 伯爵の機嫌を損ねるようなことがあれば我が家への援助の話も無くなるやもしれんのだぞ!? 未練がましくそんな石ころなど身に着けおって! ええい寄越せッ!』
『ああっ!?』
紐で括ってペンダントにしていた石は父に奪われ、窓の外へと投げ捨てられてしまう。
ティリアは恋人を殺された悲しみが癒える間もなく、そのまま山向こうのエスペリサ王国に嫁がされていった。
窓の外へ投げ捨てられた石は庭の花壇に落ち、そこで石は新たな春を迎え、夏を過ごし、秋を見送り、冬を越した。
何度も。何度も。何度も────……。
やがて何度目かの春が訪れた頃、花壇の土に埋もれていた石を拾い上げる者が現れる。
「ママ! みてー! きれい!」
「あら本当ね。どこで見つけたの?」
「かだん!」
それは俺が覇龍山脈の麓の村で助けた、あの女の子だった。
石を覗き込んだ母親の瞳を通じて、新たな記憶が流れ込んでくる。
ティリアが嫁いだ数年後、領主と兄は謎の奇病を患い、随分と酷い死に方をしたようだった。
現領主と後継ぎが一晩の内にいなくなってしまい、次の領主として白羽の矢が立ったのがすでに家を出て独立していた末の弟だった。
強欲で居丈高だった前領主とは違い、温厚で人当たりのいい人物だった彼はすぐに領民にも受け入れられ、冒険者ギルドの事務で培った手腕と王都で築いた人脈で不作の年を乗り切り、少しずつではあるが領地を発展させていった。
やがて新しい領主は美しい妻を娶り、二人の間には珠のように愛らしい娘が生まれた。
そんなある日のこと。
海を越えてきたベヒモスが隣国エスぺリサ王国に上陸し、運河を破壊して覇龍山脈方面へ向かったというニュースが新聞の一面を飾った。
嫌な予感に駆られた領主は単身、隣町の冒険者ギルドへ相談に向かう。
ベヒモスが村に現れたのは、そんな領主の留守を狙うかのようなタイミングだった。
壊滅の危機に晒された村は、しかし偶然通りかかった剣聖の手により救われ、石は領主の娘を救った弟子の手に────俺の手に渡った。
▽
光が収まり、意識が現実に戻ってくる。
なんだ、今の。
ティリアだけじゃない。今までこの石に触れてきた人々の記憶が俺の中に流れ込んできた。でもどうして急に……。
石から発せられた光を見たティリアは、すべての苦しみから解放されたような安らかな表情になっていた。
どうやら彼女も俺と同じものを見たようだ。
「────あぁ。そこにいたのね。セルブス」
宝箱のフタが完全に閉じられ、何かを飲み込むような生々しい音だけがいやに耳に残った。
宝箱は何かを抑え込むようにしばらくがたがたと震えていたが、やがてピタリと静かになる。
首が消えたからか、飛び散った肉片たちも力尽きたように真っ黒に炭化して、ザラザラと空気に溶けて消えていった。




