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【1章完結】平凡勇者は挫けない【5章まで毎日投稿】  作者: 梅松竹彦
第一章 霧の館編

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0019 幽玄冥道

 ──冥界──


 キュリキア様と共にバルコニーへ出ると城の前にとてつもなく巨大なモグラがいた。

 中学の校舎よりデカいんじゃないか? 大きい割に大人しそうで、つぶらな瞳をじっとこちらに向けている。


「モグ蔵くんだ。どうだ可愛いだろう」


「もぐ!」


「きゃー! モフモフですわー!」


 どこか自慢げにキュリキア様が口角を上げると、宝箱少女がたまらずモグ蔵の大きな背中にボフッと飛び乗り、思うさまにモフモフを堪能する。

 身体はちょっと、いや、かなり大きいけど、見た目は確かに愛らしい。

 ちょっと土くさいのはご愛敬だ。


幽玄冥道タルタロスまではモグ蔵で移動する。ついてこい」


 と、そういうことらしいので、キュリキア様に続いてバルコニーからモグ蔵の背中に飛び移る。

 わ、思ったより柔らかい。

 俺たちが乗り込むとモグ蔵は巨体に見合わぬ素早さで音もなく滑るように走り出した。

 モグ蔵くんの乗り心地は意外にも快適で、高い体温のおかげで寒さも感じない。


 銀色に輝く大河。

 木も草もすべてが白一色に染まった純白の森。

 冥界の神秘的な景色が凄まじい速度で後ろへと流れていく。


 やがて槍のように天を貫く山を越えると真っ赤に燃え盛る大穴の淵にたどり着いた。

 向こう岸は炎の熱でぼやけてよく見えず、その直径がどれほどなのか見当もつかない。


 モグ蔵くんの背中から身を乗り出し、そっと大穴の底を覗き込んでみる。

 底の方からすり鉢状の壁面に沿って螺旋の坂が続いており、あちこちから灼熱の炎が噴き出していた。

 よくよく目を凝らすと、ゴマ粒くらいの大きさの炎がぞろぞろと列を成し、坂を上っている。


「この燃え盛る大穴が地獄、そしてこの底が幽玄冥道タルタロスだ」


「出発するときも仰っていましたけど、タルタロスってなんですの?」


「死者が生前の記憶を捨て去る禊の場だ。生前の記憶を捨てきらずに幽玄冥道タルタロスを抜けると、ああして地獄に囚われる」


 宝箱少女の無邪気な質問に、キュリキア様は大穴の底に視線を向けたまま答えた。

 あれが地獄か。

 言われてみれば確かに、坂を上っている亡者たちのうめき声が微かに聞こえてくる。


「でもそれだと、冤罪で地獄行きになる人も出てくるのではなくて?」


 宝箱少女がそう尋ねると、大穴の底を見つめるキュリキア様の横顔に哀れみの色が混じった。


地獄(あそこ)は人々の集合無意識が生み出した霊的位相だ。人界の法は関係ない」


「そうなんですの?」


「多くの宗教世界において悪人が地獄へ落ちるとされているのは、それが力無き人々の願いでもあるからだ」


 完璧な人間などいないように、人の定めた法も絶対ではない。

 法の目の届かない場所で人は悪事を働くし、そうした悪事の被害者たちは得てして抵抗する力を持たない弱い人々なのだとキュリキア様は言う。


「だからこそ人は願わずにはいられない。自分たちを苦しめた悪人たちが、死後に無限の責め苦を与えられることを。それは人種や国境を問わず、人類に共通して備わった無意識だ」


「つまり、彼らは自ら望んであの中にいると?」


 宝箱少女の言葉に「そういうことだ」と頷き返し、キュリキア様は小さく溜息を吐く。


「人、物、土地、地位、金。人間は必ず何かに執着する。不快な記憶を捨てるのは簡単でも、生前の執着に紐づいた記憶を捨てるのは容易ではない」


 難しい話だが、自分自身に当てはめてみると少しだけ分かるような気がした。

 俺だって今まで集めてきたプラモは簡単には捨てられないし、捨てようとも思えない。故郷に帰りたいと思うのも、そこに未練があるからだ。

 家族や美乃梨のことを忘れてこの世界で生きていく決心ができたら楽なのかもしれないけど、それができたらそもそも最初から悩んだりしない。


 死者に残されているのは生前の記憶だけだ。

 それを捨ててしまえば今そこにある自分も消えてしまうのだから、簡単に捨てられるわけがない。


「今でこそああして地獄になってしまったが、あれも元は死者たちが捨てきれなかった記憶を無痛の炎で焼却する浄化機構だったのだ」


「それを人々の無意識が歪めてしまったのですわね……」


 悲しげな顔で目を伏せていた宝箱少女が、突然何かに気付いてハッと顔を上げる。


「────では、もしかしてあの城下町は」


「楽園、天界、死者の町、果ての海原。呼び方は様々あるが、概ねそういった概念に近い場所だ。まっさらになった魂はあの地で穏やかな時を過ごす。そして飽きれば再び新たな生へ向けて旅立っていく」


 キュリキア様がおもむろに上を指差す。

 そちらに視線を向ければ、地獄の灼熱が生み出す上昇気流に乗って大穴の底から人魂たちが火の粉のように空へ舞い上がり、城の方角へ飛び去っていくのが見えた。


「前世の記憶を残したまま転生すると、肉体が形成される過程で前世の形に寄ってしまう。ちょうど今のお前のようにな」


 キュリキア様が顔を上げ、宝箱少女に視線を戻す。

 そういえばお城でこの子のことミミックって言ってたけど、やっぱり普通は宝箱から女の子が生えてたりはしないらしい。


「でもわたくし、生きていたときのことは殆ど覚えてませんわよ?」


「記憶とは何も物語(エピソード)だけを指す言葉ではない。生前の姿形や学んで得た知識、それらも己を構成する要素だ」


 そういえばジャイアントワームの生態とか妙に詳しかったよな。

 宝箱少女もそのことに思い至ったのかハッとしていた。

 キュリキア様いわく、魂と肉体は相互に強く作用しているらしい。そのため前世の記憶を持ったまま転生することが当たり前になると、魂は次第に様々な生物の形を覚えたまま歪んでいく。

 そうして蓄積した歪みは正常な肉体機能を損なわせ、やがてはすべての生命が滅んでしまう。


「だからどんなに残酷なようでも、地獄の炎を消すわけにはいかぬのだ」


 険しい顔でキュリキア様が唇を引き結ぶ。

 大変なんだな、冥界の主も。


「……わたくし、ここから飛び下りたほうがよいでしょうか」


「よい。今回だけは許す」


 深刻な顔で腰を上げかけた宝箱少女の頭にキュリキア様がポンと手を置き、モグ蔵くんの背中に座らせる。

 すると宝箱少女は震えた手で俺の腰にしがみつき、ホッと小さく安堵の吐息を漏らした。

 怖いよね、こんなもの見せられたら。


「ここを超えれば目的地だ。怖いのなら目を閉じているといい」


 見ていて気分のいいものでもないので、言われるまま目を閉じる。

 するとモグ蔵くんがのそりと身体を起こし、再び走り出した。



 ────────

 ────

 ──



「着いたぞ」


 キュリキア様の声に目を開けると、俺たちは光る結晶に覆われた大洞窟の手前にいた。

 モグ蔵くんの背から滑り降りると、彼は大きなお尻を揺らして来た道をのっしのっしと引き返していく。

 バイバイ、ここまでありがとう。


「ここが幽玄冥道タルタロス。冥界と現世を繋ぐ唯一の抜け道にして、死者たちが生前の記憶を捨て、未練を濯ぐみそぎの場だ」


 まるで星空のように輝く洞窟の入り口を見つめ、キュリキア様が口を開く。


「門はこの先だ。ついて参れ」


 キュリキア様が顎をしゃくって俺たちを洞窟へと誘う。

 言われるまま後に続くと、キュリキア様は歩きつつ口を開いた。


「実は今、現世で『厄介な虫』が蔓延りつつあるのだ」


「虫、ですか?」


「宿主の意識を乗っ取り意のままに操る寄生体だ。本来は現世と冥界の中間位相に生息しているのだが、不死魔王にかどわかされた現世の魔法使いが偶然にも虫の女王を召喚してしまったようでな」


 不死魔王。

 エルデンバーグ城に配下のアンデッドを忍び込ませ、俺を襲わせた張本人。

 まさかここでその名を聞くことになるとは。


「妾と獄卒たちは冥界から出ることができぬ。女王さえ倒せば虫どもは無害化するゆえ、帰るついでに倒してきてくれると助かる」


 キュリキア様が大きく開いた胸元から何かのレシピが書かれたメモを取り出し、俺に渡す。

 ひゃっ! 冷たっ!? 体温低いのかな。


「虫下し薬のレシピだ。女王を倒した後、虫に寄生された者に飲ませるがよい。それで此度の事件は解決する」


「は、はぁ……」


 いきなりで何が何やらって感じだけど、ようは俺が使いっぱしりとして選ばれたということらしい。


「話は終わりだ。妾の動きを真似してついてこい」


 キュリキア様は不安定な足場をものともせず、滑るような身のこなしでぐんぐん先へと進んでいく。

 俺も見よう見まねで後を追うが、一向に距離が縮まる気配がない。

 コートを着ていても洞窟の冷気は俺の喉や肺をチクチクと凍てつかせ、あっという間に体力は奪われていった。


「ヒロトさまー! はやくはやくー! また迷子になってしまいますわよー!」


「わかっ、てる、よ……っ!」


 宝箱少女の足取りは人外じみて軽やかだった。

 足の生えた宝箱が岩から岩へ踊るように駆けていく様子はなんともシュールで、どこか妖怪じみたコミカルさもあって妙な笑いを誘う。


「あら? 何かしら。なんだかとっても懐かしいような……」


 ふと、ある結晶の前で宝箱少女が立ち止まる。

 淡く輝く結晶の中には分厚い本が閉じ込められていた。


「懐かしいって、これが?」


「ええ。なんだか随分昔に、誰かとこの本を読んだ気がしますの。……でも、誰と……?」


 宝箱少女が結晶に触れると、結晶はサラサラと光の粒子へ変わり、中に入っていた本だけがその場に残った。

 少女は本を大事そうに抱え、パラパラとページをめくっていく。

 どうやら魔物図鑑のようだ。

 偶然開いたページにはジャイアントワームのことについて書かれていた。


「やっぱり! この本、このページ! 見たことがありますわ! でも誰と……? とても……とても大事な人だったはずなのに!」


「今はとにかく先へ進もう。キュリキア様も言ってたじゃないか。ここは生前の記憶を捨てる禊の場だって。この先に他の記憶も落ちてるかもよ」


「……ですわね。この先に答えがある。参りましょう!」


 宝箱少女が図鑑を閉じると、本は光の粒子となって少女の胸元に吸い込まれていく。

 やがてすべての粒子が彼女の中に納まると、宝箱少女の全身が一瞬だけ微かに光を放った。


 気を取り直し、俺たちは前へと足を進めた。

 キュリキア様はつかず離れず、時折立ち止まってこちらの様子を伺い、げきを飛ばしてくる。


「そんなことでは永遠に追い付けんぞ! 身体の力を抜け。お前は無駄に力みすぎているのだ」


「そんな、こと、言われても……っ!」


 すでに手足に感覚なんてない。

 これ以上どう力を抜けというのか。


「お前の歩き方は生者のそれだ。肉体があることを前提にしているから無駄に力が入る。死者の歩き方を学べ。手本はすでに見せているぞ」


 そうは言っても俺はまだ生きているし、身体だってある。無茶言わないでほしい。


「あら? あらあらあら! まぁ! できましたわー!」


 疲れ果てた俺の周りを、宝箱少女が無歩行ですいーっと滑り回る。

 ゴツゴツの不安定な足場だというのに、その動きはまるでフィギュアスケート選手のように滑らかだ。


「なにそれどうやってるの!?」


「前に進みたいと強く念じたらできましたわ! オバケは足がありませんから、きっと思ったことがそのまま行動になりますのよ。ここは冥界ですし、肉体よりも霊魂の方が上位になっているのだと思いますわ」


 なるほど。言われてみれば確かに納得だ。

 幽霊に身体なんてないんだから、意思の力がそのまま行動になる。

 言われた通り身体から力を抜き、前に進みたいと強く思う。

 すると身体が重力から解き放たれたように軽くなり、前に向かって急激に加速し────。


「うわあああああああっ!?」


 大きな結晶に顔面から激突した。い、痛い……。


「何をふざけておる。お前にはまだ肉体があるのだから避けねばぶつかるに決まっておろう」


「そ、そういうことは、はやくいっへくらはひ……」


 俺の形に凹んだ結晶から身体を引きはがすと、一緒に小さなぬいぐるみがポロリと零れ落ちた。

 改めて周りを見渡せば、周囲の結晶の中にも一つ一つ色々な物が閉じ込められている。

 もしかして、これも誰かの記憶にまつわる品なのかな。


「あら、そのぬいぐるみ!」


 と、地面に落ちたぬいぐるみを宝箱少女が拾い上げると、ぬいぐるみが光の粒子へ変わり彼女へと吸い込まれていく。


「だんだん思い出してきましたわ。どんどん行きましょう!」


 ともあれ方法は分かった。あとは実践あるのみだ。

 再び谷の奥へと進み始めたキュリキア様の動きを真似して、俺たちもその後を追う。

 身体を使うのは何かにぶつかりそうになったときだけ。

 ジャンプは軽く、手は障害物に添えるだけでいい。

 もっと軽やかに、もっと速く!


 何度もつまづき、何度も手を滑らせ、身体はとうの昔にボロボロ。

 もう力を込めたって一歩も歩けやしない。

 けど、かえってそれが死者の歩き方を学ぶ後押しになった。

 遠かった背中は徐々に近くなり、ついに手を伸ばせば届く距離まで追いついた俺は、やっとの思いでキュリキア様の肩に手をかける。


「ぜぇ……ぜぇ……。追い……ついた……っ」


「それが幽歩アンブラだ。生きたまま冥界の地を踏んだことでお前の霊性は磨かれ、すでに霊魂の方が上位になっている。ここで身に着けた技は現世に帰ってからも使えるだろう」


 息を整え顔を上げると、目の前に一際大きな結晶がそびえ立っていた。

 中には大きな緋色の宝石が嵌め込まれたペンダントが入っている。


「……なぜかしら、とても懐かしいような。でも、少し悲しくもありますわ。どうして……?」


 まるで光に吸い寄せられるように、宝箱少女が結晶に向かってフラフラと近づいていく。

 少女の手が結晶に触れる。

 すると結晶は今までよりも一際大きな光を放ち、少女の全身が光に包まれた。


「────ごめんなさい。ごめん、なさい……っ」


 やがて光が収まると、宝箱少女はぽろぽろと涙を流していた。


「大好きだった……! けど、死ぬしかなかったわたくしは心のどこかであの子を重荷に感じて、だから、こんなところにっ」


「冥の精霊に囁かれたのだ。死者たちが地獄に囚われぬようにと、妾がそう命じた。お前が気に病むことは何もない」


 しばらくの間、すすり泣く声が止まることは無かった。

 泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣き通して。やがて少女が顔を上げる。

 強い意思の光を宿した眼差しは彼女が自分を取り戻したことを何よりも強く物語っていた。


「ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございます。ヒロトさまはわたくしの魂の恩人ですわ」


「そんな、俺は何も……。宝箱を見つけたのも単なる偶然だし」


「あら、それってとっても運命的じゃございませんこと? まるで物語の勇者様みたい」


 宝箱少女がボロボロの顔で微笑む。

 悲しみの涙はすでに止まっていた。


「行きましょう、ヒロトさま。私、あの子に────リゼラに会いに行かないと!」


「ああ! ……え、リゼラ!? じゃあ君、もしかして!?」


 俺が答えを聞く前に、宝箱少女は軽い足取りで駆け出していく。


「ついてこい。最後の仕上げに入るぞ」


 宝箱少女の遥か前方に一瞬で移動したキュリキア様は、瞬間移動を繰り返しながらぐんぐん先へと進んでいく。


「幽歩の応用だ! 魂を望む場所へ置きに行け! 魂とはどこにでも存在し、同時にどこにも存在しないものだ」


 キュリキア様のアドバイスを元に、イメージを拡張していく。

 思いの力で前に進む応用で、魂を置きに────。


「っわ!」

「きゃあ!?」


 ……行ったはいいものの、距離感を見誤り、宝箱少女とぶつかって派手にずっこけた。


「もぉー! 何を遊んでますの! ふざけてないで早く行きますわよ!」


「ご、ごめん」


 どうやら気持ちが強すぎると転移先がズレてしまうらしい。

 宝箱少女は流石というか、もうコツを掴んだのか応用技の瞬間移動も自由自在に使いこなしていた。

 いいなぁ、才能あって。俺も頑張らなきゃ!



 ────────

 ────

 ──



 ────あれからどれほどの距離を進んだだろう。

 随分と長かった気もするし、一瞬だった気もする。


 とうに身体に感覚は無く、どこまでが自分で、どこまでが世界なのか分からないほど芯まで冷え切っていた。

 そんな中でも自分で焼いた左腕が発する鈍い痛みだけが、俺に生きている実感を与えてくれている。


 限界ギリギリの綱渡りをどうにか乗り切り、俺が死者の歩き方をマスターする頃、洞窟の先に巨大な門が見えてきた。

 門の両脇には巨大な開閉装置があって、俺と同じコートを着た人たちが装置の最終チェックで忙しなく動き回っている。


「予定より大分遅れたが、まあ及第点だろう」


「あ、ありがとうございます……」


「これでお前は虚空瞬在(エクシスナーダ)を会得した。戦いの極意は位置を制すること。お前の戦闘力は冥界を訪れる前とは比較にならぬだろう」


 虚空瞬在(エクシスナーダ)

 未知の概念に無理やり当て字して翻訳したような、不思議な響きだ。

 どこにでもいて、どこにもいない。

 それは魂の本質を捉えた言葉であるようにも思えた。

 肉体を持つ俺が使えば、瞬間移動のように見えるだろう。


「見事なまでにボロ雑巾だな」


 ボロボロの俺を見下ろし、キュリキア様が苦笑する。

 目の前にベッドがあったら一秒とかからず寝れる自信がある。

 それくらい心身共に疲れ切っていた。


「っ!?」


 不意に。

 避ける間もなくキュリキア様に肩を抱かれ、唇を奪われた。

 舌で口をこじ開けられ、息を吹き込まれる。

 すると疲れが嘘のように消え、手足の感覚が戻ってきた。

 やがてキュリキア様がゆっくりと唇を離すと、俺と彼女の間に、つぅ、と唾液の橋が架かる。


「魂力を直接送り込んだ。そのまま現世に帰ってくたばられても困るからな」


 口元をそっと細い指で拭われ、キュリキア様が薄く微笑む。

 自分でもどうしようもないくらい動揺して、混乱して、ドキドキしていた。


 柔らかくて、ちょっと冷たかったな……。薔薇ばらみたいな香りもした。

 今まで死んだように静かだった鼓動がうるさいほど激しくなり、全身に熱が満ちていく。

 ここに来て俺は今までの人生で一番強く、自分が生きていると実感していた。

 ふと、左腕の痛みが消えていることに気付き、軽く動かしてみる。

 今までずっと麻痺していた左腕は、火傷の痕こそ残っているものの元通り動くようになっていた。


「多めに注いでやったから、多少無茶をしても一回くらいならなんとかなるだろう」


「あ、えと……そのっ」


「ふっ、随分と顔色が良くなったじゃないか。その方がずっといい」


 なんて笑いながら言われてしまえば黙るしかなかった。

 そ、そうだよ。うん。これは人工呼吸みたいなもんだ。それを変に意識したら逆に失礼だろう。そうさ、そうだとも。

 なんて俺が一人で悶々としている間にも、キュリキア様は宝箱少女に向き直り、彼女にも言葉を贈る。


「……そなたは本来あるべき流れに逆らい現世へ旅立つことになる。きっと多くの悲しみを背負うことになるだろう」


 キュリキア様が宝箱少女の首に手を回し、そっと抱きしめる。

 その手付きはまるで愛しい我が子を抱く母親のようだった。


「だが忘れるな。死は終わりではない。新たな始まりへ向かうための過程に過ぎぬ」


「キュリキアさま……? どうして、泣いて……」


「妾だけはそなたを永久とわに愛そう。例えそなたが妾を嫌う道を選ぼうとも、な」


 キュリキア様は最後に宝箱少女の頭をそっと撫でると、俺たちを門の方へ押しやった。


「さあ行け。汝らの生の果てに再び会おう」


 キュリキア様に見送られ、俺たちは門を潜る。

 振り返ると門がゆっくりと閉じていくのが見えた。


「っ、お世話になりました! またいつか!」


 俺が手を振るとキュリキア様が大きく頷く。その光景を最後に冥界の門は完全に閉じられたのだった。

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