0015 闇の奥へ
──霧の館 地下水道──
突然トイレの床板が抜けて、足を踏み外した俺は暗闇の中を落ちて、落ちて、落ちて────ドボン! と急流の中に投げ出された。
ちょっ!? ま、おれ、泳げな……っ!?
溺れないよう必死にもがいていると、飛び出た岩に偶然手がかかり、死に物狂いでどうにか点検用の通路へと這い上がる。
「ぷはっ! あ、危なかった……。へっくし!」
地下だからか、とにかく寒かった。早く暖を取らないと凍えて死んでしまいそうだ。
濡れた服を脱いで水気を絞り、暖を求めて壁伝いにしばらく歩く。転んで怪我しないよう注意しないと。
それから一〇分ほど歩いただろうか。
ゆるやかなカーブの先、闇の中にぽつんと光が見えた。
すがるような思いで駆け寄ると、壁にかけられた松明の熱でそこだけほんのり暖かかった。
ふと、俺は手に触れる壁の感触が岩のそれでなくなっていることに気付き、顔を上げる。
「こんなところに……」
扉だ。それも見上げるほど巨大な、金属製のいかつい扉。
こんなにも存在感を放っているのに、どうして今の今まで気付かなかったのだろう。
扉には今にも朽ち果てそうなボロボロの鎖がかけられていた。
もしかしたら点検用の出入り口かもしれない。そう思い鎖に触れると、鎖は砂のように崩れ落ち、風に溶けて消えてしまった。
ア ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ…………!
「うわっ!?」
瞬間、扉が猛烈な勢いで開き、扉の向こうから押し寄せた悍ましい気配が俺の身体を突き抜けていく。
まるで亡者の笑い声みたいな音に背筋がゾッとした。
なんだろう。何か触れてはいけないものを解き放ってしまったような、そんな気がする。
それにこの扉も、よくよく考えてみれば点検用の出入り口にしては随分と大げさだ。
まるである日突然開いた地獄の入り口のような……。
「……風だ。やっぱり外に通じてるのかな」
開かれた扉の奥からは怪物の唸り声のような寒風が噴き出している。
壁から松明を取り、俺は意を決して横穴へと足を踏み入れた。
◇
──霧の館(sideリゼラ)──
本棚の仕掛けを解き、地下へ続く隠し通路を見つけたリゼラは、暗視の魔法を頼りに真っ暗な階段を慎重に下りていく。
しばらく下りると木の扉に行き当たる。飾り気も何もない簡素な扉だ。
罠が仕掛けられていないか慎重に探りつつ、中に入る。
そこは埃っぽい地下室だった。
ちょうど学校の教室くらいの広さで、部屋の中央には大きなテーブルがあり、左右の壁は棚で塞がれている。
テーブルの上は本やメモ書きで散らかっており、壁際の棚にはよくわからない物体や、目玉の浮かんだ小瓶など不気味なものばかりが並んでいた。
「これは死者復活に関する論文、こっちは錬金術の本。中身は……ホムンクルスの製造ね」
机の上に放置されていた本をパラパラとめくり、その内容からここで死者復活の研究が行われていたのだとリゼラは確信した。
現在の魔法学において完全な死者の復活は不可能と言われており、研究そのものも生命倫理に反するとして禁止されている。
ここにある論文はリゼラがかつて魔法学校の禁書エリアで見た本よりもずっと深く、専門的だった。
研究者自身が作った造語も多数見受けられ、内容を完全に理解するには少々手間取りそうである。
「随分と熱心に研究していたようね……」
ふと、テーブルの中央に置かれた一冊の魔法書に目が留まる。
タイトルは『輪廻転生の秘奥』。おそらくこの本との出会いがすべての始まりだったのだろう。
────あるいは、ここにある知識を使えばアリアを蘇らせることもできるのではないだろうか。
【開け。お前の求める叡智はここにある】
声が聞こえた。
まるで耳元に寄り添うように優しく、生まれた時からずっと傍にいたかのように温かな声音で。
リゼラの深層心理を読み取った魔法書が心に直接囁きかけてくる。
【友を蘇らせたいだろう? 自らの手で殺してしまったあの子に謝りたくはないのか】
ここにある知識を使えば、あるいは親友アリアの復活も叶うかもしれない。
真綿に水が浸み込むように。心の隙間に忍び込んできた闇がリゼラを動かし、ゆっくり、ゆっくりと、まるで導かれるようにその手が魔法書の表紙へと伸びる。
あと五センチ、四センチ、手が本に近づくほどリゼラの瞳から意思の光は失われ、抵抗しようという想いさえも奪われていく。
「っ!?」
本に手が触れるまで、あと一センチという時。
突然、テーブルの真上に収納魔法の穴が開き、そこから独りでに飛び出してきた漆黒の杖が強い光を放った。
光を浴びた魔法書は青い炎に包まれ燃え上がり、瞬く間に燃え尽きて真っ白な灰へと変わり────直後、我に返ったリゼラがテーブルに両手を突き息を荒げる。
「はぁ……っ、はぁ……っ、私、本に引き寄せられてた……?」
あとほんの一センチ手を伸ばしていたら、自分は自分でなくなっていたかもしれない。
ちらりと視線を床に向ければ、窮地を救ってくれた母はすでに光を失い、物言わぬただの黒い杖になっていた。
「ありがとう……ママ」
拾い上げた漆黒の杖を強く胸に抱きしめると、微かな鼓動が感じられた。
姿形は変わっても母はまだ生きており、意識も変わらずそこにある。そのことが分かっただけで、少しだけ救われたような気がした。
「……もう、惑わされたりしないから」
頭の片隅に残っていた邪念を振り払い、リゼラはテーブル上に残されていた資料に魔法の火を放った。
炎は他のものに飛び火することもなく、邪悪な知識が記された書類だけを綺麗に燃やし尽くしていく。
(私があの子を殺してしまった事実は何をやったところで変わらない)
アリアを邪悪な呪法で蘇らせて、それであの子が喜ぶはずもない。
自分のエゴで親友の魂を弄ぶなど、それこそ親友失格だ。
気を取り直して他に何かないかと探し回ると、部屋の奥で布をかぶせられた小さな箱を見つけた。
「なにこれ、鍵……?」
箱を開けると、中には不気味な形の鍵が入っていた。
取っ手の部分はいびつな髑髏のようにも、叫び声を上げる亡者のようにも見える。
鑑定魔法で呪いや罠の類が仕掛けられていないことを確認し、何かの役に立つかもとリゼラが鍵を拾おうとした────次の瞬間!
バタンッ!
「っ!?」
出入口のドアが勝手に閉じてしまい、リゼラは部屋の中に閉じ込められてしまう。
慌ててドアに駆け寄るが、ドアは何らかの力によって固く閉ざされており、押しても引いても開かない。
するとドアの隙間から大量の毒虫たちがわさわさと這い出してきた。
「ぎゃあああ!? 虫いいいいいいっ!!!!」
たまらず扉から飛び退いたリゼラは、ドアに狙いを定め炎弾をブチかます。
が、虫たちは燃え盛る炎を意にも介さず仲間の屍を踏み越えて部屋の中に次々侵入してくる。
「だったら!」
リゼラが杖の石突きで床を突く。
すると部屋の出入り口を塞ぐように水の壁が床から立ち昇り、水の壁はたちまち凍り付いて虫たちを閉じ込めた。
氷が隙間をぴったりと塞いでいるため新たな虫が這い出てくる様子もない。
ひとまずの危機が去りリゼラはホッと胸を撫でおろした。
とはいえ部屋から出るには氷の壁を溶かさなければならず、そうすればこの部屋は虫まみれだ。
全身にまとわりつく虫の大群を想像して身震いしたリゼラは、他に出口がないか部屋の中に視線を巡らせる。
「……テーブルの下だけ埃が積もってないわね」
奇妙に思いテーブルをどけてみると、床板の継ぎ目から僅かに風が流れ出ている。
杖の石突きを継ぎ目に差し込み、てこの原理でこじ開けると、地下へと続くはしごが現れた。
すると今まで途切れていた失せもの探しの魔法がはしごを辿って地下へと伸び、再び行き先を示し始める。
「アイツ、なんでこんなところに……」
穴の底を覗き込んでみるが、相当深いのか、底がどうなっているのかここからでは伺い知ることはできなかった。
ゴクリと生唾を飲み下す。ここでじっとしていても何も解決しない。
決意を固めたリゼラは、はしごを慎重に下りて行った。
◇
──地下水路 謎の横穴──
あれからどれほど進んだだろう。少なくとも一時間以上は歩いたはずなのに、ゴールはまだ見えない。
地下水路から続く横穴を奥へと進むと、やがて道は二手に分かれた。
その後も何度か分かれ道があり、行き止まりを引いては引き返してを繰り返す。
本当にこっちに来てよかったのか。引き返した方がいいんじゃないか。
そんな思いに後ろ髪を引かれかけたそのとき、通路の奥からカラコロと固い足音が響いた。
松明で暗闇の奥を照らすと、そこにいたのは────。
「カタカタカタカタ……」
動く白骨死体。
歯並びのいい顎をカタカタ鳴らし、刃こぼれしてボロボロの剣を持った腕をだらんと垂らしている。
「こ、こんばんわ」
意思の疎通を図ろうと軽く挨拶してみたが、何が気に食わなかったのかスケルトンはボロボロの剣で斬りかかってきた。
仕方なく俺も剣を抜こうとして────右手が空を切る。
しまった!? そういえば師匠を部屋に置きっぱなしにしたままだ!
間一髪、バックステップで敵の攻撃を躱し、松明を正眼に構えて敵の出方を窺う。
鋭い踏み込みからの胴を薙ぐ斬り払い。────疾い!
刹那の交錯。
相手の剣を松明で受け流し、そのまま剣を巻き上げ奪い取った俺は、すり抜けざまにスケルトンの首を切り落とす。
が、地面に転がった髑髏はまるで磁石に引き寄せられたかのようにふわりと浮き上がり、元の位置に戻ってくっついてしまった。
ならばと関節を狙って手足をバラバラにしてみるが、やはりダメ。すぐに元通りの形に戻ってしまう。
「うわっ!?」
背後からの斬りかかりを間一髪転がって躱す。
どこから沸いたのか、いつの間にかスケルトンがもう一体増えていた。
くそっ、退路を塞がれたか。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせるように小さく呟く。
考えろ。この状況を切り抜ける手を。こんなところで死んでたまるか。
「…………そうだ」
脳裏をよぎったのは師匠の言葉。
ベヒモス退治の後、師匠は確かこう言っていたはずだ。
『もちろんアンデッドに有効な闘気剣術を取り込みたいという思惑はあったのだろうがな』
つまり闘気剣術ならアンデッドを倒せる。
けど、結局俺はあの日々の中で闘気の習得には至れなかった。
できるのか。俺に。
「……違う、やるしかないんだ」
できるかできないかじゃない。やらなきゃここで死ぬ。
スケルトンから奪ったボロボロの剣を構え直し、細くゆっくりと息を吐く。
師匠は俺に闘気の使い方を教えるとき、腹の底に眠る力を呼び覚ますようなイメージと言っていた。
呼吸で心拍を制御して、内なる力を呼び覚ますのだと。
剣を持ったスケルトンが斬りかかってくる。
受け止めるのではなく受け流し、敵の剣を巻き取るように跳ね上げ、ガラ空きの首を一閃。
だが剣に闘気が宿っていなかったのか、やはりスケルトンの首は磁石のようにくっついてしまう。
くそっ! もう一度!
二体がかりで組み付こうとしてくるスケルトンたち相手に、俺は何度も何度も斬りかかった。
焦るな。師匠の動きを思い出せ。
度重なる失敗の中、いつの間にかスケルトンの数は一体、また一体と増えてゆき、気付けば俺は五体の人骨に囲まれていた。
不死身ならではの捨て身戦法で連携してくる敵を相手に、俺の身体にも少しずつ傷が増えていく。
敵の斬りかかりを見切って躱し、反撃に一太刀浴びせる。
するとスケルトンの背後に隠れていたもう一体のスケルトンが、仲間の身体ごと俺を串刺しにしようと突き込んできた。
まずい。これは躱せな……っ!?
────ドクンッ!
避けようのない死の予感に心臓が跳ね上がる。
すると全身がカッと熱くなって、無意識の内に俺の行動を縛っていた枷が外れた。
こんなところで死ねない!!!!
「うぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああッ!!!!」
敵の突き込みを左腕で受け、骨と骨の隙間で敵の剣を巻き取りながら回転切りを放つ。
すると一瞬だけ剣先に無色のオーラが揺らめき、俺を囲んでいたスケルトンたちが纏めて吹き飛んだ。
直後、骨の身体はガラガラと崩れ落ち、黒い塵になって空気に溶けるように消えた。
……今、少し掴みかけた?
「がっ……!?」
貫かれた左腕が焼けたように熱い。
太い血管が切れたのか出血がひどい。Yシャツを破いて包帯代わりに巻いてみたが、中々血が止まらない。このままだと出血多量で死ぬ。
床に転がった松明が目に留まる。
炎は未だ衰えることなく燃え続けていた。
「うああああああああああああッ!!!!」
どうせこのままでは死ぬだけだ。
俺は勇気を振り絞り、燃え盛る松明を傷口に押し当てた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
あまりの激痛に目の奥がチカチカして意識が飛びかけるが、気合で堪えた。
「は……っ、はぁ……っ、はぁ……っ」
涙と鼻水を垂らし、歯を食いしばって痛みに耐える。
左手が痺れてうまく握れない。皮も突っ張って変な感じだ。
いっそ死んだほうが楽だったかもしれない。
俺、どうしてこんなことしてるんだっけ────。
────────
────
──
「~♪ ~~♪♪」
闇の奥から響く女の子の歌声に、俺はふと目を覚ました。
どうやら痛みのあまり気を失っていたらしい。あれからどれだけ経った? ……ダメだ何も分からない。
「~♪ ~♪ ~♪」
怖いのを紛らわせるために歌っているような、か細く震えた声。
自分よりも弱っている人がいる。そう思うと一周回って冷静さを取り戻せた。
「誰かいるの!?」
肚から声を絞り出して呼びかけるが、返事はない。
スケルトンとの乱戦の中で方向感覚を見失った俺は、自分がどっちから来たのかすでに分からなくなっていた。
奥から吹いていた風もすでに止んでいる。こうなればこの歌声だけが頼りだ。
破ったシャツの切れ端を使い、感覚の鈍い左手に松明を縛り付ける。
何が出てきてもいいようにスケルトンから奪った剣を右手に握りしめ、俺は声のする方へと足を進めていった。
歌声は徐々に小さくなり、次第に女の子のすすり泣く声へと変わる。
闇の奥から聞こえてくる泣き声に不安と恐怖をかきたてられる。
だけど、もしもこの闇の先で迷子の女の子が一人ぼっちで泣いているなら、放っておくことなんてできない。
さらに奥へ進み、声を頼りに分かれ道を右へ進むと、行き止まりの手前に宝箱を見つけた。
すすり泣く声は箱の中から聞こえてくる。
……開けてもいいのか、これは。
開けた瞬間恐ろしいモノが飛び出してきて襲ってきたりしないよな。
「……っ! ええい!」
青い石のお守りを握りしめ勇気を貰い、意を決してフタを開ける。
するとそこに入っていたのは……。
「────あら? 急に明るく……」
白い髪の女の子。
十歳くらいだろうか。襟と袖口に白いフリルのあしらわれた黒いワンピースを着ており、仕立ての良さからどことなく高貴な生まれのように思えた。
向こうもまさか誰か来るとは思っていなかったのか、泣き腫らした目をぱちくりと瞬かせると、それからすぐに顔を「ぱぁっ!」と輝かせ……。
「まぁ! ごきげんよう!」
と、俺に挨拶した。




