0014 館の秘密
──いつかどこかの風景──
月の隠れた夜空を悪意の炎が赤く染めている。
火を放たれた街並みは黒煙を吐き、道端には炎に巻かれて力尽きた黒焦げの死体がいくつも転がっていた。
普段であれば多くの屋台が立ち並び、夜でも賑わいを見せていた街の広場。
しかし今となっては、生々しい破壊の痕跡と死が散乱するばかりで、そこにあったはずの日常は見る影もない。
そんな広場の中心で。
この街に破壊と死を振りまいた悪意の化身からどうにか勝利をもぎ取った俺は、仰向けに倒れた敵の喉元に剣の切先を突き付ける。
竜を模したフルフェイスの奥で、今や敵と成り果てた幼馴染が力なく笑う。
「……あーあ。負けちゃった」
厳つい外見からは想像もつかない、涼やかな少女の声。
その声音はどこか胸のつかえが取れたような、ひどく穏やかなものだった。
「どうして……ッ。なんでこんなことを!!!!」
堪えきれず、頬を伝い落ちた雫がぽたぽたと漆黒の竜戦士の仮面を濡らす。
────守りたかったものはすべて、俺の手の届かないところへ逝ってしまった。
リゼラ。アリア。ハルト。アーシュラ。シド。数々の苦難を共に乗り越えた、かけがえのない仲間たちは、もういない。
「なんでだろう……。自分でも、よく分からないや」
「…………ごめんッ。俺がもっと早く助けていれば!!!!」
悔やんでも悔やみきれない。運命の歯車が噛み合わなかっただなんて、言い訳にもならない。
こんなふうになる前に助けてあげたかった。伝えたい想いだって、あったのに……ッ。
「伝えたいって、思ってたこと。あったはずなのに……。ごめんね、もう何も思い出せないや…………」
「……っ! ダメだ! やっぱりこんなの!」
「 」
「……美乃梨?」
呼びかけるが、返事は無い。
漆黒の鎧が砂のように崩れていく。風が吹いた後には何も残らなかった。
涙さえ出ない。そんな機能はとっくの昔に壊れてしまった。
「……何が勇者だ」
本当に守りたかったものは何一つ守れなかったくせに。
肩書ばかり立派になって。馬鹿みたいだ。
「何が英雄だ!!!! ふざけるな!!!!」
こんな結末、認めない。認めてたまるか。
何年……何万年かかっても、必ず覆してやる。
最高のハッピーエンドに辿り着くまで、絶対に諦めてやるものか────。
◇
──霧の館 客室──
草木も寝静まった真夜中。
悪夢から跳び起きると、寝汗でシーツがぐっしょりと濡れていた。
「……嫌な夢」
やけにリアルな夢だったけど、なんだったんだろう。
ぼんやりした頭でうつらうつらしていると、急におしっこに行きたくなった。
リゼラを起こさないようそっと部屋を抜け出し、眠い目をこすってフラフラと廊下へ出る。
「どうして美乃梨が、あんな……」
口に出しかけて、慌てて首を横に振り嫌な想像を頭から追い出す。
やめよう。あれはただの夢。そうに決まってる。こんなホラー映画じみた屋敷に泊まってるから変な夢を見るんだ。
「ていうか、トイレどこ……」
寝る前にトイレの場所を聞いておくんだった。
いざとなったら窓から放水しちゃおうか。なんて眠い頭でぼんやりヤバいことを思いつつ館の中をさまよっていると、廊下の角でミリーア様とばったり出くわした。
薄手の白いワンピース姿で、なんとなく寝る前に会ったときと少し印象が違うような気がする。
なんというか、年相応に幼くなったような感じだ。
「ああ丁度よかった。トイレを探してたんです」
俺から声をかけるとミリーア様はにこりと笑い、俺に背を向け廊下をとてとて駆けていく。
なんとなく後ろをついていくとミリーア様はひょいと廊下の角を曲がった。
「……あれ。どこ行った?」
俺が角を曲がるとミリーア様の姿が見当たらない。
どこかの部屋に入ってしまったのだろうか。そう思い近くのドアを開けると、そこがトイレだった。
木の床に用を足すための穴が開いていて、暗い穴の奥から水の流れる音が聞こえてくる。どうやら出したモノを地下水道に直接落とすタイプらしい。
貴族のお屋敷なのに随分と原始的なトイレだな。
音の響きからして、穴はかなり深そうだ。
まあ掃除はちゃんとされてるし、汚くなければなんでもいいや。
と、ズボンのベルトに手をかけた────次の瞬間。
バキッ!!!!
「へっ?」
突然床が抜けて、俺は暗い穴の底へ真っ逆さまに落ちていった。
うわああああああああ!?
◇
──霧の館 客室──
夜中、ふと目が覚めたリゼラは、ベッドからむくりと身体を起こした。
隣を見れば、そこにいたはずの大翔がいつの間にかいなくなっている。
白銀の剣は置きっぱなしにされたままで、寝る前に仕掛けておいた外部からの侵入をできなくする結界が破られた様子もない。
「……どこ行ったのかしら」
急に不安が込み上げてきて、リゼラは漆黒の杖を胸に抱き寄せる。
大翔が寝ていたベッドに手を触れると、まだ温かかった。
「温かい……。ったく、トイレに行くなら一声かけなさいよね」
などとぶつぶつ文句を言いつつしばらく待ってみたが、一向に大翔は帰ってこなかった。
「おかしい。トイレにしても長すぎる。……何かあったのかしら」
胸の内で燻っていた不安の火種が徐々に大きくなっていく。
仕方ないかと溜息一つ、ベッドを出たリゼラが人差し指をひょいと振るう。
すると彼女の目の前にぽっかりと黒い穴が開いた。簡易的な収納魔法だ。
空中に開いた穴に白銀の剣と漆黒の杖を大事に仕舞い、愛用の長杖に持ち替えたリゼラはそのまま杖の石突で床を「カツン」一突きする。
すると杖頭を飾る宝玉が光を放ち、そこから一本の光の糸がドアの方に向かって「つぅ」と伸びていく。失せ人探しの魔法だ。
光の糸が指し示すのは大翔が今いる場所への最短コース。
魔法の定義上、死者と生者は明確に区別される。つまり人を探す魔法が発動したということは、少なくともヒロトはまだ生きているということだ。
そのことにひとまずホッとしつつ、屋敷の住人に気付かれぬよう自らに透明化の魔法をかけたリゼラは、そっと部屋のドアを開けた。
光の糸を辿り不気味なほど静かな廊下を進んでいく。
壁に飾られた肖像画は歴代の当主たちだろうか。透明化はまだ解けていないはずだが、さっきからずっと絵に見張られているような気がしてならない。
一階へ下り、窓の無い廊下を進む。
やはりこの屋敷、何かが変だ。うなじの裏がひりつくような感覚もそうだが、窓の殆どが板で塞がれているのも気になる。
光は廊下の一番奥のドアへと通じていた。
まず熱源感知魔法でドアの向こうに誰もいないことを確認し、魔法で音を消して部屋の中へ素早く滑り込む。
部屋の中は真っ暗で何も見えない。
暗視の魔法を自分にかけると、暗闇の中に物体の輪郭が白い線で浮かび上がる。
どうやらここは書斎のようだ。
壁は一面本棚になっており、部屋の中央には立派な執務机と革張りの椅子がある。
────クスクス。
「っ!?」
廊下から響く幼い少女の笑い声。
背筋にうすら寒いものを感じ、リゼラは透視の魔法で外の様子を伺い見る。
しかし廊下にそれらしき影は見当たらない。と、次の瞬間!
バサバサバサッ!!!!
「ひゃあああああ!?」
背後の物音にリゼラが跳びあがる。
見れば本棚から本が抜け落ちたようだった。
「な、なんなのよ、もぉ……」
先程から気味の悪いことばかりが続いている。
正直もう何もかも放り出して、ベッドの中で朝までうずくまっていたかった。
それでも大翔に万が一のことがあってはと思うと後にも引けず、リゼラは落ちた本を拾い本棚に差し込んでいく。
「……あら? 入らない」
が、最後の一冊がなぜか入らない。
床に落ちていた本を空いている隙間に入れたのに、入らないとはどういうことだ。
不思議に思い本棚全体を視界に収めると、ここでリゼラはあることに気付く。
「この列だけジャンルがバラバラね」
他の本棚はきちんとジャンルごとに整理されているのに、本を納め直した列だけなぜかジャンルがバラバラなのだ。
手に持っていた最後の一冊の背表紙を見ると、その本だけタイトルが書かれていない。開いてみるとどうやら執事セルブスの日記のようだ。
日付は二〇年以上前のもので、内容はどちらかと言えば日々の業務の備忘録に近い。
そこから書き手の感情は伺えず、なんとも無機質な印象を受ける。
なんとなく最後までパラパラとページをめくっていくと、他と明らかに毛色の違う記述が目に留まった。
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神歴一八七九年 三月二一日
奥様のご寵愛を賜った。
旦那様が留守の間はティリアと名前で呼ぶようにとも。
心拍数が上昇している。明らかなバイタルエラー。
だが不思議と、不快ではない。
これはいったい、なんだ。
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「これって……」
領主婦人と執事の不倫。大スキャンダルだ。
これ以上知ってはまずいと思いつつも好奇心を抑えきれず、リゼラは不倫に関する記述だけを探して日記を読み進めていく。
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神歴一八七九年 六月一〇日
日に日にティリア様のことを考える時間が増えていくのを実感する。
奇妙な感覚だ。
胸の内が暖かかったり、ひどく冷たくなったり。うまく言語化できない。
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神歴一八七九年 六月十三日
答えは旦那様の書架にあった。
これは「感情」だ。
暖かいのは好意。冷たいのは恐怖、あるいは不安。
もっと知りたい。
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神歴一八八〇年 三月一日
ティリア様のご寵愛を賜るたび、いつも大事なものを落としてしまったような表現しがたい感覚に襲われる。
どうやらティリア様は私に何か術をかけているらしい。
そのことは少し悲しかったが、それでも私の気持ちは変わらない。
私はあの方を愛している。
だがティリア様は私に心があることを望まない。
ならばこの想いは胸の内にのみ秘めておくことにしよう。
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神歴一八八一年 六月十五日
最近、ティリア様の体内に別の魔力波長を感じる。
どうやら妊娠されたようだ。
だがティリア様はそのことについて何もおっしゃらない。
ここ数ヵ月、旦那様は屋敷を離れていた。父親は間違いなく私だ。
事が旦那様に知れれば私は処分され、ティリア様も離縁され露頭を迷うことになるだろう。どうすれば。
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神歴一八八一年 六月十六日
旦那様が屋敷に帰ってきた。
ティリア様が子供ができたと告げると、旦那様は「そうか」としか言わなかった。
どうにも妙だ。自分が館を留守にしている間に妻が子を身籠ったにしては、反応が薄すぎる。
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神歴一八八一年 十一月九日
母子ともに健康。
旦那様はすっかりティリア様の嘘を信じ、腹の子を自分の子だと思い込んでいる。
元々あまり喋らないお方ではあったが、最近ではひどい頭痛に寝込むことも増え、輪をかけて口数が減られたように思う。
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神歴一八八二年 四月二〇日
ティリア様は難産の末に女の子をお産みになられた。
お子の名はミリーア。
生まれて初めて涙を流した。
涙とは悲しいときにしか流れないものだと本で学んだが、嬉しいときにも流れるらしい。
父親としてあの子に接することはできずとも、傍に寄り添い護ることはできる。
ただの実験体だった私の命に、初めて意味が与えられた気がする。
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神歴一八八二年 四月二二日
ティリア様の産後の経過があまりよくない。
八方手は尽くしているのだが、日に日に痩せ衰えていくばかりだ。
不安で胸が苦しい。早く良くなって欲しい。
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日記はちょうどそこで最後のページになっており、それ以降の記録は途絶えていた。
リゼラの見立てでは執事のセルブスは二〇代前半、ミリーアに至ってはどう見ても十歳そこらの子供だった。日記の日付と内容が事実だとするなら、セルブスたちはもっと高齢でなければ話の辻褄が合わない。
これ以外に執事の日記はないかと本棚を眺めるが、それらしきものは見当たらなかった。
大翔へ通じる光の糸は目の前の本棚を示している。この本棚に何か仕掛けがあるのは間違いないだろう。
「……背表紙の頭文字、もしかして」
本棚を眺めていたリゼラの脳裏に、ふとある考えが浮かぶ。
背表紙の頭文字をミリーアの名前になるよう、本を入れ替えていく。
するとさっきまで入らなかった本がピタリと棚に収まり────。
ゴゴゴゴゴ……!
本棚が横にスライドして、地下へ通じる隠し階段が現れた。




