0126 時の最果て
──時の回廊──
回る。廻る。
世界がぐるぐる巡り、回る。
────違う。回っているのは俺の方だ。
鏡合わせの幾何学模様がキラキラと絶えず形を変えている。
まるで万華鏡の中に迷い込んだみたいだ。
わけも分からないままふわふわ浮かんでいると、世界が漫画のコマ割りみたく無数の線で切り取られていく。
すると一つ一つのコマの中に俺の顔が映り込む。
それぞれ異なる角度で切り取られた自分の顔。
その一つに意識を向けると、神眼石の義眼を通じて“別世界の自分”の記憶が流れ込んできた。
────炎に沈んだ町を背景に、俺と漆黒の竜怪人が戦っている。
旅を共にした仲間たちは全員血の海に沈み、もうピクリとも動いてくれない。
死闘の果て、どうにか勝利をもぎ取った俺は、仰向けに倒れた敵の喉元に剣の切先を突き付ける。
竜を模したフルフェイスの奥で、今や敵と成り果てた幼馴染が力なく笑う。
一周目。
劔を庇って車の前に飛び出した俺は、気づけば見知らぬお城の中にいた。
混乱する俺に真っ先に声をかけてきたのはエルデンバーグ王国のアリア姫。どうやら俺は魔王を倒すための勇者として異世界に召喚されたらしい。
それからしばらくは剣聖から戦い方を教わり──殆ど運動音痴の矯正だったけど──この世界に召喚されて二ヶ月後、俺はとうとう魔王討伐の旅に出ることになる。
旅立ちには師匠の娘であり凄腕の魔法使いでもあるリゼラと、アリア姫も同道した。
どうやら幼い頃から冒険の旅に出るのが夢だったらしく、王様に内緒でこっそり城を抜け出してきたらしい。とんだお転婆姫である。
なにはともあれ、俺の旅はそうして始まった。
各地を巡って魔王軍を倒し、神様から授かった時間跳躍の力【あの温かな日々】で致命的なピンチはすべて回避しつつ、魔王城へ向かうためのヒントを得ながら次の町へ。
奇妙な縁に導かれ、アーシュラ、ハルト、シドの順に頼もしい仲間も増えて、気づけば故郷のことを思い出す日も少なくなっていった。
そうして長い旅の果てに、俺はとうとう魔王ドルガモスを討ち倒す。
だがエルデンバーグへ凱旋した俺たちを待ち受けていたのは、煉獄纏う漆黒の竜怪人。
いったいどこから現れたのか、エルデンバーグ王国は竜怪人の手により一夜にして滅びてしまっていた。
一人、また一人と仲間たちが殺されていく。
国境を超える前日まで戻って逆方向に逃げても、遭遇する場所が変わるだけで結果は同じ。
竜怪人からは逃げられない。まるでそれが定められた運命であるかのように、俺たちはどこかのタイミングで必ず出会い────仲間たちは全員殺される。
ならばと腹をくくって戦いに臨んだが、何度挑んでも仲間たちは誰一人生き残れなかった。
そうして挑み続けること一万回。俺は真の絶望を知ることになる。
竜怪人の正体は異世界にいるはずの幼馴染、藤谷美乃梨だったのだ。
なぜ。いつから。どうして美乃梨が。
その時から、真実を知るための孤独な旅が始まった。
────黒いもやに覆われた町。
そこかしこから痰がらみの咳が響き、仲間たちの顔色も心なしか悪く見える。
五周目。この頃になると多頭蛇について断片的な情報が集まり始め、この世界の裏側で何が起きていたのかが少しずつ分かってきた。
だがそれは同時に、本来なら出会わなかったはずの敵の影を踏むということでもある。
この周で俺はすべてを間違えた。
気づけば町には従来の魔法薬では治療不能な新型の感染症が蔓延し、俺とハルト以外の全員が病にかかり命を落とすことになる。
────薄汚れた路地裏。
表通りにまで餓死者の死体が溢れ、群がる羽虫の音がひたすら不快だ。
十七周目。美乃梨の情報を集めることに夢中になるあまり、俺は魔王軍と戦いながら世界を巡るという本来の流れを逸脱し過ぎた。
その結果、魔王軍の大侵攻を許し、広大な穀倉地帯が焼かれたことで多くの人々が飢えに苦しむことになる。
その中には本来であれば仲間になるはずだったシドの姿もあった。
彼は町の人々を逃がすため魔王軍相手に孤軍奮闘したが、深手を負い、逃げ延びた先でもまともな食事にありつけなかった。
俺がようやく彼を見つけた頃にはすべてが手遅れで、シドは俺の見ている前で息を引き取ることになる。餓死だった。
────燃え盛る世界樹と空を埋め尽くす円盤の群れ。
空に向かい弓を構えるのは、力を使い果たし老い衰えたハルトだ。
一二四周目。度重なる時間跳躍の影響か、一〇〇周目を越えた頃から正史では起こりえなかったイベントが突発的に発生するようになった。
魔帝国の復活もその一つである。
恐るべき科学力で復活を遂げた大魔王ドラジスは、魔帝国の残党とその子孫からなるドルガモス軍を吸収し急速に勢力を拡大。全世界へ向け同時侵攻を開始した。
歴史的な因縁もあり特に激しい攻勢を受けたフリードレア連邦は、攻撃開始から三日目にしてとうとう首都エルフェリアが陥落。
開戦から共に肩を並べて戦ってきたハルトも、ついには力を使い果たし、志半ばでその生を閉じることになる。精霊力の枯渇による老衰だった。
────燃え盛るオーラン王宮に神の御旗が高々と掲げられる。
三六八周目。この頃になると俺は単騎で魔王軍を滅ぼせるほど強くなっていた。
そのためこの周では召喚された翌日に城を飛び出し、早々にドルガモスを討ち取り、多頭蛇に関する情報収集に徹した。
魔帝国復活の兆候も見られず、諸悪の根源はすでに滅ぼしている。だから竜怪人の襲来まで悲劇は起こらないだろうと、俺は余裕ぶっていたのだ。
だからこそ、聖法国がエスぺリサ王国を神敵認定したことも、四天使による先制攻撃でかの大国が一夜にして滅びたことも、寝耳に水としか言いようがなかった。
後で知ったことだったが、アリアとラルフ王子は婚約関係にあったらしい。
正史では俺の旅についてきたことで輿入れが遅れたが、本来なら俺が城から旅立った翌日にはエスぺリサ王国へ嫁ぐことが決まっていたそうだ。
それがこの周では俺が単騎で魔王を倒してしまい、アリアは予定通りエスぺリサ王国へ嫁ぐことになり────その先で戦争に巻き込まれ命を落とすことになる。
────生臭い空気の垂れ込める地下牢に、男たちの下卑た笑い声が響く。
四二三周目。この頃には俺も多頭蛇が魔人計画のために孤児や浮浪者を誘拐している事実を突き止めており、実験施設の場所を特定するべく積極的に奴らのアジトを襲撃するようになっていた。
リゼラとアリアが消息を絶ったのは、大規模なアジトを襲撃した翌朝のことだった。
八方手を尽くして探し回った先で、俺は自分がどれほどの巨悪を敵にしていたのかを思い知ることになる。
俺がその地下施設に足を踏み入れた時、アリアはすでにこと切れていた。
度重なる薬物の投与と連日連夜のように続いた性的暴行で身体も心もボロボロにされ、かろうじて息の残っていたリゼラも最後は俺の顔を見るなり狂ったように叫びだし、舌を噛み切って自殺した。
────どこかの町の広場。虚ろな顔でリゼラが俺に杖を向けている。その足元で蠢くのは髑髏の影。
五八九周目。この頃の俺はより一層、多頭蛇の駆除に力を入れていた。
時間跳躍で過去に戻りすべて無かったことになってもリゼラたちをあんな目に遭わせたクズ共が生きているという事実が許せなかったし、なにより奴らを放置しておけば美乃梨が魔人に改造されてしまう。野放しにしておく理由は無かった。
そうして悪漢の血で全身が染まり、顔を合わせる度アーシュラから顔を顰められるようになった頃。あるニュースが耳に飛び込んでくる。
なんと師匠が殺されたというのだ。
新聞記事によると師匠は魔法都市で多頭蛇の幹部と目される女と会敵し、戦闘に発展。
だが市民を守りながらでは流石の師匠も実力を発揮できず、女幹部は卑劣にもマリエラさんの身体に乗り移るとそのまま師匠を殺害。現在も逃走中とのことだった。
それからだ。リゼラがおかしくなり始めたのは。
最初は酷く落ち込んでしまい、アリアに慰められる日々が続いた。
そんな日々を一週間ほど過ごし再び戦線に復帰したリゼラは、情け容赦のない戦い方をするようになった。
────あの時感じた違和感をもっと大事にしていれば、違う結果もあったのだろうか。
ある朝、リゼラがいなくなった。
四二三周目のトラウマが脳裏を過り、俺はあらゆる手を尽くしてリゼラを探し、以前とは違う理由で絶望することになる。
訪れたのは吹き溜まりの港。退廃的な空気漂うその町は、他ならぬリゼラ自身の手により地獄と化していた。
不死魔王の影に囁かれたリゼラは、殺された父を蘇らせるため町の住人すべてを生贄に捧げ、死者復活の儀式を完成させようとしていたのだ。
何故こんなことを。
そう問うた俺に対し、リゼラが返した言葉が今でも耳に残って離れない。
『────白々しい。全部知ってたんでしょ。パパが殺される運命も、何もかも!』
違う。こんなの今回が初めてだった。
自分の口から出た否定の言葉は、驚くほど白々しく響いた。
『別にどうでもいいでしょ。アンタだけは無かったことにしてやり直すんだから。……アンタのこと、ずっと気持ち悪かったのよ』
今まで切り捨ててきた全ての未来から背中を刺されたような気分だった。
誰一人死なせない。そのことに固執するあまり、俺は最も大事な部分を疎かにしていたらしい。
────お前にだけは、そんなふうに言ってほしくなかったのに。
今までの努力が全て無駄になった気がして、何もかもどうでもよくなった。
気づけば俺の手は血に濡れていて、リゼラは血だまりの底に沈んでいた。
何度も、何度も、何度も。
“別世界の自分”は幾度となく過去へ飛び、様々なルートで魔王討伐の旅をやり直した。
まだ行っていない場所へ行き、様々なパターンを試し、死に物狂いでヒントを集めた。
だが、あちらを立てればこちらが立たず。
美乃梨を救おうとして一周目のルートから外れるほど、必ず仲間の誰か──あるいは全員──が悲惨な結末を迎えてしまう。
様々な『もしも』を見せられ、そのたびに違う地獄を見た。
病気、貧困、寿命、戦争、略奪、裏切り、実力不足。
理由は様々でも結末はやはり同じ。“別世界の自分”は誰一人救うこともできず、多くの死を目の当たりにする。
気付けば無数の右手が俺をぐるりと取り囲み、こちらを指差していた。
お前のせいだ。
言葉は無くとも、そんな無言の圧が指先を通じて俺に訴えかけてくる。
回る、廻る。世界が回る。
右手は拡大と縮小を繰り返し、俺の周りをぐるぐるぐるぐる。
四次元を可視化した図形のように身体の内側と外側が絶えず入れ替わり、内臓が外にまろび出ては再び内側へと格納されていく。
パチンッ!
俺を取り囲んでいた右手が一斉に指を鳴らす。
瞬間、俺の意識はそこでパタリと途絶えた。
◇
──時の最果て──
気がつくと、俺は映画館にいた。
正面のスクリーンには黒い骸骨が大地を飲み込みながらぐんぐんと巨大化していく様子が映し出されている。
「やはり君は他の鈴木大翔とは何か違うようだ」
いつからそこにいたのか。
右隣からの声に視線を向けると、魔具職人がそこにいた。
ポップコーンが入った紙バケツを小脇に抱え、じゃらじゃらの氷がいっぱい入ったコーラまで持っている。
「呑気に劇場鑑賞かよ」
「君の分もありますよ」
と、魔具職人が指差す先を見れば、左隣の席に俺の分のポップコーンとコーラが置いてあった。
誰が食べるか、こんな怪しいモノ。
「……ここは?」
「時の最果て。不死魔王が死んだことで、その制御を離れた時空魔法が暴走したのです。そして巡り巡って君はここへと流れ着いた。」
まったく予想外の展開ですよと、魔具職人はわざとらしく肩を竦めてみせる。
いちいちムカつくな。
「……そのキャラ自分でやってて恥ずかしくないの?」
「我は汝、汝は我。私の姿は鈴木大翔の内なる混沌が形となった一つの可能性」
などと、魔具職人は恥ずかしげもなく中二臭いセリフを吐いてニヤリと意地悪な笑みを浮かべると、
「大人ぶって賢しく振る舞ってばかりいるとこうなるのです。直視なさい、未来の自分の姿を!」
言葉のナイフで俺にトドメを刺してきた。
ぐわあああああああっ!!!!
「ふっ、他愛もない」
「くっ! いつまでもウジウジ理想にしがみつくお子様メンタルのくせに!」
「ぐふっ!? ……やめましょう。誰も得をしない」
「……うん」
一時休戦の提案に俺は頷いた。
どれだけ言ってもブーメランにしかならない。
ドラ●もんにこんな話あったな。タイムマシンで過去に戻って自分同士で喧嘩するやつ。
赤いストローでコーラをずずっと啜り、ため息一つ、魔具職人が正面のスクリーンに視線を戻す。
「この際です、疑問があればお答えしますよ。ここで起きたことは夢の中の出来事も同然ですから」
「いつから銀髪にしたのさ。目も赤いし」
「認識阻害魔法の応用ですよ。魔法少女の変身みたいなものです」
キラッ☆ と真顔で横ピースする魔具職人。
魔法少女て。
「未来の自分の姿を見たいというのであれば解除しますが?」
「……いや、いい」
俺とコイツは赤の他人。
いい歳して中二病を患って闇落ちした未来の自分なんて直視したくない。
魔具職人は聖神に加護を与えられた世界線の俺だ。
能力は……おそらく時間跳躍。コイツが任意の時間軸に飛べるとするなら、すべてのことに説明がつく。
思い返せば今までにもヒントはいくつかあった。
師匠に対して見せた執着もそうだし、厳冬の大地で刃を交えたときもそう。あれは間違いなく闘気だった。
あの異常な再生力は「たいりょく」の数値だけを闘気で底上げしていたのだろう。
我ながら随分と器用なことをする。
「お前が劔に神殺しを持ちかけたのか」
「発案者は彼ですよ」
「そうなの?」
「私は仲間たちの身に降りかかる死の運命を回避できればそれでよかった」
魔具職人が辿ってきたいくつもの世界がスクリーンに映し出される。
それは血と絶望に塗れた凄惨な暴力の記憶だった。
「ですが、どれだけ悲劇の原因を取り除いても、必ず別の形で仲間たちは悲惨な死を遂げた。……まるでそれが神によって定められた運命であるかのように」
一つでも運命の歯車がずれていれば、あそこにいたのは俺だったかもしれない。
そうと思うとたまらなく怖くなった。
「……お前の目的は理解したよ。けどそれならどうしてハルトを!」
「彼にとっての最良は未来への希望を託してあの場で終わることだった。それは君が一番よく分かっているはずだ」
刺すような視線に遮られ、俺は口を閉ざした。
……分かってるさ、そんなこと。
死ぬことと悲劇は必ずしもイコールじゃない。倦んだまま生き続けることは死ぬよりも辛くて残酷なことだ。
それにハルトと通じあったあの経験が無ければ、俺は迷宮都市でリゼラと合流する前にくたばっていただろう。
「────矛盾だらけの自分が嫌になりますよ」
自虐気味に鼻で笑い、魔具職人が目を伏せる。
そうしている間にも、スクリーンに映し出されたもう一人の鈴木大翔の物語は進んでいく。
多くの悲劇に打ちのめされた別世界線の俺は、仲間との出会いそのものを“無かったこと”にしようとした。
自分が召喚されたという過去を変えることで、今ここにいる自分を消そうとしたのだ。
「愚か者と笑いますか」
コップの底に溜まった氷をストローでザクザク刺しつつ、魔具職人が俺に問いかけてくる。
笑えるもんか。だってコイツは俺なんだ。同じ状況になったら俺もきっと同じことを考える。
だけど正規の手順を踏まなければ異世界人は元の世界に帰れない。
過去に戻って自分の召喚を止めても、この世界に来た理由が変わるだけで、結局はこの世界に取り残されてしまう。
「過去に戻り自分の召喚を阻止したことで、鈴木大翔は一五〇年後の未来で召喚されたことになった。ですが不思議なことに、私には過去改変前の記憶と一周目に与えられた加護がそのまま残っていたのです」
「じゃあお前は今、神の加護を二つ持ってる?」
「ええ。おかげで偶然にも面白いエラーを見つけることができました」
「エラー?」
「本来一人につき一つしか与えられない加護が二つになったことで、首輪の機能に不具合が起きたのです。おかげで神の不利益となる行動をとれるようになった」
「不利益って、直接殺すのは無理なのか?」
「それができるのならとっくに殺していますよ」
聖神が異世界人の心に干渉できないのは厳冬の大地で黒仮面から聞いている。
だから神は異世界人たちの行動を制御するため、加護を授けるという形で首輪を付けた。
ステータスシステムは元々、神に抗う力をこの世界の人々に授けるため父さんが開発したものだ。
今は聖神に大部分を乗っ取られているらしいが、システムが作られた本来の目的を考えれば、首輪が壊れたのはある意味必然だったのかもしれない。
「私の目的は美乃梨の救出と、仲間たちの身に降りかかる悲劇の回避だ。しかし八方手を尽くしても一人の力では限界があった」
「……もしかして劔が神の加護を二つ持ってたのは」
「我ながら巧妙なトリックだったと思いますよ」
魔具職人がどこか得意げに薄く笑う。
まず魔具職人は『鈴木大翔』が召喚される直前にタイムスリップして、英雄召喚の術式に細工をした。
すると聖神の加護を持たない俺がこの時代に召喚され、俺に与えられるはずだった加護は六〇〇年前に召喚された劔へと流れ込む。
その瞬間、魔具職人が聖神から加護を与えられた世界線Aは完全に消滅。
聖神から加護を与えられなかった鈴木大翔のいる世界線Bへ移行した。
世界線そのものが消滅してしまえば流石に魔具職人も消えてしまうように思えるが、現にコイツはこうしてここにいる。
詳しい理屈は分からないが、おそらく異世界人であることと、時間跳躍の加護も影響しているのかもしれない。
だから世界線Bへ移行した時点で、神に対抗可能な異世界人が劔と、俺と、魔具職人の三人になったわけだ。
まったく同じタイミングで地球から消失し、別々の時代へ召喚された俺たちだからこそできたトリックだ。
そうして魔具職人から話を聞いた劔は、神を殺して元の世界へ帰ることを思いつき、二人は共犯者になった────と。
我ながらよくもまあそんなことを思いついたものだ。
「お前、それでいいのか。自分がいた未来を消すなんて」
「あんな残酷な未来など無かった。それでいいのです」
そうは言うものの、その横顔はやはりどこか寂しげで。
スクリーン越しに眺める俺と、実際にあれらを体験してきた彼。根っこの部分は同じ鈴木大翔でも、そこに生じる温度感はまるで違う。
そしてその差がまるで別人のような違いを生んでいる。
なんとも奇妙な話だ。
「無論、今の世界線に移行してからも長い道のりでした。聖神の加護を持たない鈴木大翔は、英雄と呼ぶにはあまりにも弱すぎた」
劇場のスクリーンに世界線Bから分岐した無数の失敗が映し出される。
魔物に殺される俺。飢えて死ぬ俺。大穴に落ちて死ぬ俺。
ダンジョンで罠を踏み爆死する俺。川で溺れて死ぬ俺。池で溺れて死ぬ俺。
毒沼で溺れて死ぬ……って溺れすぎだろ!
MAD動画風にしやがって。嫌味か!
「ゆえに、特別な力を持たない君が死なずに成長できるよう、周囲の環境を整える必要があった」
「それならどうして師匠を剣にしたんだ!」
「彼はあまりにも強すぎた。そのままにしておけば君をあらゆる災厄から守り、成長の妨げになってしまう」
「……っ。だからって、街まで焼くことなかっただろ」
「魔法都市に蓄えられた知識と技術はこの世界でも最先端のもの。それこそ、特定の分野においては神代の技術さえ追い抜くほどだ。あの街の技術なら遠からず二人を元の姿に戻せてしまう。それでは君の旅立ちが遅れ美乃梨の救出が間に合わなくなる」
ふと、スクリーンの映像が切り替わる。
獄炎を纏う漆黒の竜怪人と、俺が死闘を繰り広げている。
画面の中で俺は必死に美乃梨へ呼びかけるが、竜の意思に飲み込まれた彼女にはどんな声も届かない。
一人、また一人と仲間が竜怪人の手にかかり、血の海に沈んでいく……。
「美乃梨の心を守るには君自身を短期間で爆発的に成長させる必要があった。師匠の強さに守られたままでは到底間に合わない」
「だったらお前が先んじて多頭蛇を壊滅させればよかったのに」
コイツだって根っこの部分は同じ俺なのだから、美乃梨をあんな目には遭わせたくなかったはずだ。
多頭蛇が存在しなければ美乃梨がこの世界へ召喚される理由も変わる。
おそらくはどこか別の時代に英雄の卵として召喚されるのだろうが、少なくとも人体実験のようなことはされずに済むはずだ。
だがそんな俺の甘い予想を否定するように、魔具職人はゆるゆると首を横に振った。
「仮に六〇〇年前にデリングを殺して多頭蛇の創設を食い止めても、別の組織が美乃梨を召喚するだけです」
「歴史の修正力ってやつ?」
俺の問いに魔具職人が首肯を返す。
ヘルグの話を信じるのなら、聖神がいる限り旧世界に存在した技術はいつか必ず誰かの閃きという形で発生してしまう。
異世界人の召喚魔法は旧世界にも存在していたし、それらに関する文献を焼いたところで意味は無い。
「彼女がこの世界に召喚されることは避けられない。君がいた時間軸で多頭蛇を滅ぼしても、美乃梨は一五〇年後に英雄の卵として召喚されてしまう」
スクリーンの映像が切り替わる。
処刑台の上で首枷をされた美乃梨が膝をつかされていた。
公開処刑の場に集まった群衆は口々に罵倒の言葉を浴びせ、石や生ごみを投げ込んでいる。
「一五〇年後に召喚された美乃梨は淫魔王アシュモネとの戦いで魂の覚醒を果たし、淫魔の力に目覚めてしまう。彼女はレティアの転生体だ」
「なっ!?」
似てるとは思ってたけど、まさか本当にそうだったなんて。
サキュバスプリンセスのコスプレが実は伏線だったなんて誰が気づくんだよ。
「……過去を変えられたら。生き残ったのが渚だったならと、そう常々思っていたから時間跳躍を授かったというのに、何度やり直しても私では美乃梨を救えなかった」
やりきれない思いを滲ませ、魔具職人が力なく俯く。
アシュモネとの戦いで前世の記憶を取り戻した美乃梨は、母殺しの罪悪感に耐えきれず精神を病んでしまう。
その後、淫魔の力を暴走させた美乃梨はアシュモネの亡霊に取り憑かれたかのようにかつての混沌を再現し、新たな魔王となった。
だが今から一五〇年後の世界には催眠魅了を完全に無効化するアイテムが存在した。
無効化防具で身を固めた四天使が相手では如何に英雄の卵といえど勝ち目は無く、あっけなく捕えられた美乃梨は処刑台へ送られる。
この時間軸でも魔具職人は手を尽くしたが、やはりすべて徒労に終わった。
召喚後に先んじて淫魔王を殺してもダメ。淫魔同士は霊的なパスで繋がっているため、アシュモネの死がレティアの記憶を呼び覚ますトリガーになってしまう。
ならばと召喚直後に保護してみたが、やはりこれもダメだった。
戦いから遠ざけても淫魔王との霊的パスは通じたままであるため、レベルを上げないままでいると精神を汚染され、時間経過で覚醒してしまう。
どのルートでも、美乃梨は悲惨な死を遂げることになる。
耐えきれなくなり、俺はスクリーンから目を逸らした。
……こんなの、いくらなんでもあんまりだ。
「……召喚を止められないのは分かった。けどそれならどうしてあんな改造手術を! お前なら多頭蛇の研究所から助け出すくらいできただろ!」
「あの改造手術を受けさせなければ、美乃梨は遠からず寿命で死ぬ運命だった」
「なっ!? 寿命って! だって美乃梨はまだ十五歳だろ!?」
「一度に大量の異世界人を召喚しようと術式に無茶な改変が加えられた結果、召喚された人間のステータスは三分の一に、寿命に至っては一〇分の一程度にまで削られるようになっていたのです」
魔具職人の言葉と連動して、正面のスクリーンに赤い屋根のこぢんまりとした家が映し出される。
東側の窓からは海を見渡すことができ、窓辺に置かれたベッドの上には髪の白くなった美乃梨が横たわっていた。
召喚直後に救出された美乃梨はそのまま魔具職人の庇護下で暮らすことになる。
だがステータス低下の影響か美乃梨は体調を崩しがちで、一度風邪をひけば治りも異様に遅かった。
日毎に食欲も失せてゆき、この世界に来て三年目の春にはとうとう寝たきりの状態になってしまう。
もちろん魔具職人も八方手を尽くした。
知りうる限りの治療を施し、幾度も時を超えて様々な時代の薬を掻き集め、神代の遺跡を掘り起こして過去の叡智に縋りもした。
それでも美乃梨の身体は良くならなかった。
無茶な召喚で負わされた霊的負傷が原因らしく、魔法で身体を治してもすぐに再発、ないし悪化してしまう。
そうして最後には生きたまま手足が腐り始め、命を落とすことになる。
そんな、嘘だ。
美乃梨があと数年も生きられないなんて……。
「勘違いをしているようなので訂正しておきますが、今の美乃梨であれば問題ありませんよ。なんであれば君が思う以上に長生きする可能性すらある」
「ほんとに!?」
「魔人になった段階で召喚時に負った霊的負傷が回復したのでしょう。そして体内の魔石が手術で取り除かれたことで体調も安定した」
よかった。とは、美乃梨が受けた苦痛を思えば口が裂けても言えないけども。
それでも針の穴を通すような細い道を辿って、美乃梨は今、心身共に無事でいるらしい。
そのことにホッとした。
「これで分かったでしょう。美乃梨を救うには君の辿ってきたルートしか無かったのだと」
「それにしたってやり方が回りくどすぎるだろ」
「鈴木大翔という人間が君と私の二人になった時点で、この物語の主人公は君になった。ならば私は脇役としての勤めを果たすまでのこと」
その言葉は、魔具職人の決意表明のように思えた。
俺もコイツも根っこの部分は同じ鈴木大翔だ。できることなら仲間たちを自分の手で救いたいという思いはあったはず。
だけどコイツは、自分のエゴで一つの世界を無かったことにしてしまった。
この男は自分が主人公だった物語を自分自身で破り捨てたんだ。
「……だからって、街を襲って住人を道具に変えるのはやりすぎだろ」
「デオ・ミスリルのことを言っているのであれば、その剣こそが答えですよ」
と、魔具職人は俺の剣を指差して言う。
「純度一〇〇%のミスリルの精錬は純度一〇〇%のミスリルを触媒としなければならないが、純度一〇〇%のミスリルを自然界から採掘することは不可能だ」
「何が言いたいんだよ。ややこしいな」
「つまりその剣は存在そのものが矛盾した『あり得ない物質』でできている。だからこそその剣は神の喉元にも届きうる」
「っ! じゃあデオさんの故郷を焼いたのは」
「神にデオ・ミスリルの存在を消させないためです。時にまつわる異能を持つ私が村人たちを道具に変えてしまえば、その時点で因果が確定し過去の改変は行えなくなる」
改めて、神霊剣に視線を落とす。
確かにデオさんも、この剣は持ち主の技量次第でどんなものでも斬れると言っていた。
実際、この剣があったからこそ俺は冥界での修行を完遂できたと言っても過言ではない。
けど黒仮面の話によれば、今の聖神は信者たちの祈りが生み出す力で不滅の属性を得ていて、どんな攻撃でも傷つけられないという。
理論上何でも斬れる剣と、絶対傷つけられない神様。
正しい意味での矛盾対決をしろとでも言うつもりか?
「彼は無事役目を果たしてくれました。彼の故郷の人々とヴォルスク村の住人は元に戻しておきましょう」
「お前っ!」
人の人生を滅茶苦茶にしておいて何様だ。
そう食って掛かろうとした俺を手で制し、魔具職人が苦笑を浮かべる。
「そう怒らないでください。その剣は君が元の世界へ帰るための鍵でもあるのですから」
「……鍵?」
「その剣は理論上、どんなものでも斬ることができる。それがヒントです」
「もったいぶるなよ!」
「すべて教えてしまってはつまらないでしょう。それに過度なネタバレは望まぬ未来を確定させてしまいかねない。物事には順序というものがあるのです」
魔具職人が指を鳴らすと、空間が割れた鏡のように砕けた。
すると突然、ふっと重力が消え、身体が宙に放り出されて踏ん張りがきかなくなる。
「今の君に話せるのはここまでです」
「待てよ! 魔法都市の人たちもちゃんと元に戻すんだろうな!?」
「師匠たちが元の姿を取り戻した暁には、ちゃんと元の場所に帰すと約束しましょう。壊れた都市も元通りにしてね」
魔具職人の声が遠ざかっていく。
コイツ、さては即死以外は全部無傷とか思ってるな?
死ななきゃ安いなんてのは、どこでも生きていける強者の理屈だ。
お前はいつからそんな傲慢になったんだよ。
「さあ行きなさい。どうか君が最高のハッピーエンドに辿り着けることを願っていますよ」
とうとう声は完全に聞こえなくなり、砕けた空間の中心にぽっかりと穴が開く。
空間の破片がまるで砂のように穴の底へ流れ落ちていく様子は、まるで蟻地獄のようだ。
────なんて俺が考えたからだろうか。
黒穴の底から「ぬぅっ」と、巨大な左手が這い出てきた。
理解不能のナニカを前に、俺はただ呆然とするしかできなかった。
なんだあれ。近づいてくる。分からない。怖い。
そのまま謎の左手にひょいと摘まみ上げられた俺は、穴の底へ引きずり込まれた。
あまりに意味不明で抵抗しようとさえ思えなかった。
回る、廻る、まわる。
身体が回る。世界が廻る。目がまわる。
鏡合わせの幾何学模様がぐるぐるぐるぐる。
何も分からないまま、どこまでも、どこまでも、落ちていく。




