0125 魂の不在証明
──不死魔王城 玉座の間──
力いっぱい振り抜かれた魔神の剛腕が、固く閉ざされていた大扉を吹き飛ばす。
俺たちが部屋に駆け込むと、手前から順々に左右の燭台に青白い鬼火が灯り、最奥の壇上で椅子に腰かけていた魔王の姿を浮かび上がらせた。
「何者でもなかった君がここまで成長するとは、中々に感慨深いものがあるよ」
魔王が穏やかな口調で俺たちを歓迎する。
玉座と言うにはややみすぼらしい、アンティーク調の椅子に腰かけていたのは、赤茶けた肌の老人だった。
よく見ると皮膚全体がざわざわと蠢いている。
「こうして顔を合わせるのは初めてだったね」
魔王が口を動かすたび、皮膚の表面を這っていた何かが床にボロボロと零れ落ち、その下に隠れていた白い骨が顕わになる。
零れ落ちた小さな何かがカサカサと床を這って魔王の身体に戻ると、隙間が埋まって骨は見えなくなった。
肉の代わりに大量の蟲が骨に纏わりついているのか。バルサン焚いたら効くかな。
「……お前が不死魔王?」
「そう露骨に不快な顔をされると流石に傷つくのだがね」
「鏡ってご存知? あなたのお顔がよーく映るとっても素敵な道具ですわ! 殺虫剤で顔洗って出直しなさいませ! このすっとこどっこい!」
「クカカッ! これは手厳しい。生憎と我が城の鏡は塔の上にあるものを除いてすべて割れてしまっていてね」
アリアの辛辣な物言いを笑い飛ばした魔王は、頬杖を突いてゆったりと口を開く。
「さて、改めて自己紹介といこうか。吾輩はヘルグ・ディムリット。君たちが不死魔王と呼ぶ、愚かな科学者の成れの果てさ」
「っ! ……どこかで聞いた名前と思えば、お前が聖神を作ったのか!」
「おや、もうそこまで知っているとは。彼のアドリブ好きには困ったものだ。勇者の冒険に相応しい試練をいくつも用意していたのに、おかげで殆どすっ飛ばされてしまった」
とは言いつつも、そう語るヘルグはどこか嬉しそうで。
神霊剣を見てる……? あげないぞ。
「けど、どうして神を作ったはずのお前が魔王なんかに」
「君は魂の存在を信じるかね」
「それは、実際にこの目で何度も見たし。それがなんだっていうんだ」
迂遠な前振りに眉をひそめると、ヘルグは何がおかしいのか愉快そうに笑った。
「そう答えを急ぐものではないよ。では質問を変えよう。君は魂とは何であると思うかね」
「何って……。すべての生命の根幹にあるものだろ?」
「ふむ。では問うが、考える脳を持たない細菌やクラゲにも魂はあると思うかね」
どうなんだろう。
人間みたいに何かを考えたりすることはなくても、生と死のサイクルの原則から考えれば、生きているのなら魂はある。ということになるんだろうけど……。
答え合わせのつもりで隣に立つアリアに視線を投げると、首肯が返ってきた。
「あるってさ」
「カンニングは感心しないが、まあ事実その通りだ。では質問を変えよう。魂とはいったい、いつから存在したものだと思うね」
誕生したばかりの宇宙には魂を持ち得る有機生命など、どこにも存在しなかった。
ならば魂はいったいいつ、どの時点で発生したのか。
魂無き世界で最初に生まれた生命、そこに宿った魂とは、いったいどこから来たものなのか。
まるで教養番組のナレーションみたいな問いかけだ。
「……もしかして魂もお前が創ったのか?」
「もう随分昔のことだ。吾輩の研究室に通っていたある学生に、先程君に投げかけたのとまったく同じ質問を投げかけてみたことがあった」
ヘルグは肯定も否定もせず、椅子の背もたれに身体を預け天井を仰ぐ。
深淵を湛えた空っぽの眼窩は、遠い過去を見つめているようだった。
「彼女はこう答えた。多くの人々が魂と錯覚している自我や神秘体験の多くは、イオンチャンネル電位変化と酵素による伝達で説明可能である。ヒトの手で再現可能な現象である以上、そこにくだらないオカルティズムの入り込む余地など無いとね」
「いかにも頭でっかちな答えですわね」
「しかし彼女は続けてこうも答えた。だからといってそれだけで魂が存在しないという証明にはならないし、その未知の暗闇を照らし解明するのが科学でしょう、と。実に科学の徒らしい答えだと思わんかね」
と、どこか誇らしげなヘルグが同意を求めるように俺へ視線を投げる。
未知の暗闇を照らし解明するのが科学、か……。
そういえば理科の先生も似たようなことを言ってたっけ。
だからちゃんと学べば水素水がインチキだと分かるようになるし、詐欺まがいの健康器具の広告を見た時にデタラメだと判別できるようになると最初の授業で熱弁していた先生の姿をふと思い出した。
「彼女は見目麗しく、聡明で、社会的な発信力もあった。……だが彼女の発言はいつしか本人の意図せぬ形に歪められ、一部分だけが切り取られて拡散されていった。そしてそれが反科学を掲げる過激な狂信者たちの目に留まった」
「まさか……」
「君の想像通りさ。彼女は見せしめとして心無い野蛮人たちに乱暴され、最後は生きたまま火を点けられて殺された。……混沌の時代だ。嘘が新たな嘘を生み、嘘から生まれた思想に感化された者たちが自分たちに迎合しない人々を悪と罵り、新たな対立構造を生み出す。愚かなことだ」
当時の状況を思い出してか、ヘルグは心底うんざりしたように顔を歪める。
魔王の口から語られた遥か大昔の出来事は、どこか地球の現代と似ていて、まるで少し先の未来の話を聞かされているような気分だった。
「……そんな世界を正すためにあなたは神を作った?」
「いかにも。そしてそのことは結果的に、この宇宙に魂という新たな法則を生み出すことにさえ繋がった」
俺が尋ね返すと、ヘルグは鷹揚に頷いた。
「神を創るにあたり、吾輩はその行動原理を【すべての人類を幸福にすること】と定めた。さて少し胡散臭い話になるが、君は幸福とは何だと思うね」
「そんなの人それぞれだろ。決まった答えなんてないよ」
「その通りだ。ゆえに吾輩はそれを【人が己の本懐を果たしその命を全うすること】と定義した。だが全人類の精神に干渉し加害行為を抑制したところで、人を不幸にする不測の事態は必ず起きる」
それはそうだろう。
人の心を操っても自然災害は止められないし、医療の行き届いていない地域なら些細な怪我でも命取りになる。
野生動物に襲われたり、冷害や猛暑で作物が育たず飢饉で大勢が餓死するようなこともあったはずだ。
「そうした理不尽に直面したとき、人は誰しも思うはずだ。【なぜ】とね」
「……だから神は魂を創った? 理不尽な死を遂げた人を救済するために」
俺がその答えに行きつくと、ヘルグはまるで学校の先生みたく「素晴らしい」と満足げに頷いた。
かつて十一次元に存在した聖神は、時間の前後さえも無視して宇宙全体に影響を及ぼせた。
だから神が「斯くあれ」と望めば、宇宙誕生の瞬間から魂は存在したことになってしまう。
「死者の安息を祈るというのは人間が獲得した最も原始的な信仰の一つだ。人類はいつの時代も死者を想い、死後の世界に思いを馳せ、様々な物語を生み出してきた」
そういえばキュリキア様も地獄は人の想念が生み出した霊的位相だと言っていた。
聖神が人々の祈りを元に魂を創ったように、人の祈りや願いが死後世界の形を変え、それが巡り巡ってこの宇宙の歴史さえも変えてきたのだとしたら。
いったい今の世界はどれだけの改変がされた後なのか……。
「……あれ? じゃあどうしてお前は改変される前の世界のことを覚えているんだ?」
「ようやく気づいたようだね。それこそが吾輩最大の罪であり、未だに死ねない理由でもある」
「前置きが長すぎますわよ」
「クカカッ。大学で教鞭を取っていた時にもよく言われた。しかし物事において最も重要なのは結果よりも過程ではないかね?」
ヘルグが手を正面に翳すと、骨ばった手の中に髑髏の錫杖が現れる。
そのまま魔王は杖をついて椅子から立ち上がり、しゃがれ声で本題を切り出した。
「仮に歴史改変前の世界を旧世界としよう。だが未だ世界中の遺跡には旧世界と同様の技術が眠っている。おかしいとは思わんかね?」
言われてみれば、だ。
歴史が変わったのなら人類が積み上げてきた技術や研究の成果もすべて無かったことになってしまうはず。
一つの技術、一つの学問が生まれなければ、そこから続く後のすべても消えてしまうからだ。
けど黒仮面が見せてくれた父さんの記憶では、歴史改変後の世界は人々の様子だけが変化していて、建物や乗り物の形、町の景観なんかはまるで変化が無かった。
ハッとなった俺に気をよくしたのか、ヘルグはさらに講義を続ける。
「これは持論だが、科学の発展こそが人類が幸福に近づける唯一の道だと吾輩は信じている。精神的な幸福を得るために科学を否定するなどカルトのやることだ」
「……そういうことでしたのね」
と、アリアが顎に手を当て僅かに俯く。
どういうこと?
「吾輩は新世界でも旧世界と同様の技術が発生するよう聖神にプログラムした。そして吾輩は新世界をこの目で見届けるため、自分自身を時空の因果から切り離した」
テストの答え合わせをするみたく、ヘルグが淡々と答えた。
そうか。聖神は人の心に干渉できるから、失われた旧世界の知識をあたかも本人の閃きであるかのように与えることもできるわけか。
「理想郷と呼ぶには些か人々の笑顔が不気味ではあったが、吾輩の目論見は成功したと言えよう。────さてここでサービス問題だ。自らの存在を時空の因果から切り離した人間は、死後どこへ向かうと思うかね」
死ねば魂は冥界へ向かい、禊ぎを経て次の生へと向かう。
旧世界がどうだったかは分からないが、少なくとも今の宇宙はそういう仕組みになっている。
「……死ねなかったのか」
俺が答えると、ヘルグは静かに首肯を返した。
「新世界で新たに誕生した魂という法則は吾輩には宿らなかった。だが神はそんな吾輩さえも救済せんと不死の祝福を授けた。異世界人たちが神に抗うため構築したステータスシステムを利用してね」
「救うべき魂が存在しないのなら、永遠の命を授けて今ある自我を幸福に導こうとした、と?」
魔王を見据えるアリアの眼差しに、哀れみの色が宿る。
「……知っているかね。人間の身体というのは、老化が進み五〇〇歳を超えると次第に手足の先から腐り落ちていくのだよ。ああなってはもうどんな薬も魔法も効果が無い。有機生命体の限界というやつさ」
骨身に纏わりついた蟲をどこか忌々しげに見下ろし、ヘルグが呟いた。
聖神がヘルグに与えたのは、ただ死なないだけの身体でしかなかったのだろう。
死なずとも身体は老いて、錆びついていく。
ふと脳裏を最悪の想像が過る。
生きながらに腐り落ちていく身体に群がる蟲。
生きたまま齧られ、身体の中に入り込まれ、肉を食らった蟲が自分の身体へと置き換わっていく。
その恐怖と絶望は、果たしてどれほどのものだったのか。
「皮肉な話さ。吾輩は自らの死の安寧と引き換えに、魂の不在を証明してしまったのだから」
自虐的な笑みを浮かべ、ヘルグが杖で床を「カツンッ!」と強く突く。
すると青白い光に照らされていた玉座の間が、みるみるうちに無限の星々が瞬く異空間へと塗り変わっていく。
「さて、ようやく本題だ。君はここへ至る旅の中で英雄としての資質を開花させ、大きく成長した」
このときを待ち望んだとばかり、ヘルグが高らかに笑い声を上げる。
「聖神の影響を受けた者に吾輩は殺せない。聖神がシステムを介して邪魔をしてくるからね。ならばどうする。答えは簡単だ! 吾輩を葬れる吾輩のためだけの英雄を育て上げればいい!」
「っ!?」
「あの夜、地下水路へ落ちたことが偶然だったとでも思うかね?」
ヘルグの言葉にあの夜の記憶が蘇る。
地下水路から冥界へと続いていたあの横穴は最初、ボロボロの鎖で封じられていた。
だけど俺が触れた途端、鎖は風化したように崩れて、猛烈な勢いで扉が開いた。
そのとき俺は誰かの高笑いを聞いている。
ずっと風の音だと思っていたけど、じゃあ、まさかあの時の声は……!
「お前だったのか。あの時の声は!」
「君のおかげで吾輩はこうして復活できた。礼を言うよ。狭間の世界に閉じ込められた状態では完全に滅びることはできないからね」
すると突然、アリアが何かに気付いたようにハッと顔を上げた。
「────では、ティリアに死者復活の方法を吹き込んだのも!」
「いかにも。現世の側から冥界の門が開かれれば、吾輩のいた狭間の世界にも道が通じる。あとは“彼”の神殺しに相乗りすればよかった。まさかここまで上手く事が運ぶとは思ってもみなかったがね」
……そんな。
それじゃあ、春風の大地が滅びた原因を作ったのは……!
「君も元の世界に帰りたかろう? 彼らは生きているだけで聖神を不滅の存在にしてしまっている。だから吾輩の軍勢に加わってもらったよ」
────俺のせいだ。
俺が不死魔王の封印を解いたから。
目の前が真っ暗になりかけた俺を挑発するように、ヘルグが露悪的に嗤う。
ここへ来るまで、幾つもの町や村の真上を通り過ぎた。
家々はそのすべてが真っ黒に燃え尽き、水場や畑は毒に汚染され、元の姿は見る影もなかった。
「クカカッ! これでも彼の要望通り、犠牲は最小限になるよう手加減したのだよ? 吾輩がその気になれば人類など二ヵ月もあればこの地上から一掃できるのだから」
炎に包まれた魔法都市の光景が脳裏を過る。
目を背けたくなるような惨状が次々とフラッシュバックして、眩暈がした。
犠牲は最小限? ふざけるな。俺だって元の世界には帰りたい。帰りたいさ!
だけど、だからって、そのためにあんなことをしていいはずが……っ。
「お前……! 命を、人の命をなんだと思って!」
「吾輩が憎いかね? 恐ろしいかね? 許せないかね? そうだろうとも。ならばその怒りを刃に込めて振り下ろすといい」
ヘルグは死にたがっている。
だから俺の逃げ道を塞ぎ、俺を怒らせるようなことを言って本気を出させようとしているんだ。
そしてそんなヘルグの個人的な思惑さえも利用して、劔は元の世界への道を切り開こうとしている。
すべては劔の掌の上。
それを思うと、どうしようもなく腹が立った。
できることなら今すぐにでもここから立ち去って、すべてを台無しにしてしまいたい。
けど、仮に俺がそうしたなら、ヘルグはもっと多くの人々を殺すだろう。
逃げるという選択肢は最初から用意されていないのだ。
強く、強く奥歯を食いしばり、震える手で剣の柄に手をかける。
するとヘルグは両腕を大きく広げ、無防備に隙を晒した。
「さあ勇者よ、悪の大魔王たる吾輩を殺して世界を救うのだ!」
「……ッ!!!!」
────斬ッ!!!!────
斬りかかる瞬間も、ヘルグは最後まで一切抵抗しなかった。
袈裟懸けに振り抜いた剣は、ヘルグの肩から胸にかけてを真っ二つに断ち切り……。
「ああ、これでようやく────……」
ごぽり、と切断面から粘性を帯びた闇が零れ出る。
そのままタールのような闇はゴボゴボと泡立ち、加速度的に増殖を続け────。
「ヒロトさま!」
「っ!?」
次の瞬間、傷口から一気に溢れ出した闇が世界を覆いつくした。




