0121 魂の湯治
落ちる。落ちる。どこまでも落ちていく。
物質と魂の境界、この世とあの世の狭間、無明暗黒の中をどこまでも……。
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──冥界(side大翔)──
ざっぱーん!!!!
どこまでも落ち切った先、俺はとうとう底に辿り着いた。
ごぼぼぼぼ!? なにこれ水!? いやお湯か!? ダメだ溺れ……。
「はいな!」
「ぷはっ! 痛っっっ!? なになになに!? 痛い痛い痛い!」
誰かに助け起こされて思い切り息を吸い込むと、全身に激痛が迸る。
見えない切り傷に塩水が滲み込んだみたいな痛みだ。ひー!
「酷い傷ネ。痛んで当然ヨ」
「……ぜぇ。……はぁ。誰?」
「ワタシ? ジョッピね。よろしくヨ~」
ジョッピと名乗ったのは、背中に光の羽根を生やした体長三〇センチくらいの小太りのおじさんだった。
何故かブーメランパンツだし、ムダ毛もかなり濃い。
妖精というにはあまりにも、その、うん……。失礼だし明言は避けよう。
「とりあえず浸かてるよろし。傷が塞がるまで出ちゃだめネ」
仕方ないので浅瀬に寝転がると、輝く結晶に覆われた冥界の空が見えた。
……そっか。冥界収納に落されて、そのまま冥界の底まで落ちてきたんだ。
呼吸をするたびにお湯が見えない傷に滲みて痛いが、ジョッピが見ているのでじっと我慢する。
「……あの。あんまり見られると恥ずかしいんですけど」
「気にしないヨ!」
「俺が気にするんです! 痛たたた!?」
「アイヤー。傷開くヨ。大声だめネ。しー、よ。しー!」
インド映画みたいなキレッキレのダンスを交えて喋るものだから思わず笑ってしまった。
はははwww 痛い痛いww 傷に滲みる! 何なんだよ!!!!
「ここはどこなんです?」
「ここ? 冥界の湯治場。湯~とぴあ別館ヨ! 本館はちょと遠いヨ」
田舎のスーパー銭湯みたいな名前だな……。
看板とか日に焼けて白くなってそう。知らんけど。
「ここは温泉だけヨ? 本館はレストラン、漫画コーナー、サウナ、ゲーセン、色々あるヨ~」
「完全にスパ銭じゃないですか」
世界観どうなってるんだよ。
発音が怪しいせいでインチキ外国人のセールストーク聞かされてるみたいだ。
それからしばらくぼんやり空を眺めながらお湯に浸かっていると、見えない傷に温泉成分がしみ込んで、だんだん痛みが引いていくのが分かった。
やがて痛みが完全に癒え、試しに湯船の中で立ち上がって軽くラジオ体操してみる。
うん、ぜんぜんへっちゃら! よく効く温泉だなぁ。
ズキッ!
「い゛っ゛!!!?」
なんて余裕こいてたら急に膝がクッキーのように砕けて足がもげた。
その拍子にバランスを崩してしまい、湯船に背中から倒れ込む。
着水の衝撃で防具は粉々に砕け散り、両腕と首が吹き飛んで全身がバラバラになった。
ぎゃー!? 痛い痛い痛い死ぬ死ぬ死ぬ!
「無茶するからヨ。しばらく浸かてれば治るネ」
「うぅ……痛い……。こんなバラバラでほんとに治る?」
「ジョッピ嘘つかないヨ。ホラ、身体集めてやるネ。寝てるよろし」
やっぱりインド映画さながらのキレキレダンスを踊りつつ、ジョッピはばらばらになった俺の身体を拾い集め、元の位置に浮かべてくれた。
俺、なんでこんなバラバラなのに生きてるんだろ。
これで本当に生きてると言えるのかな。怖いよぉ……。
「酷い有り様だな」
ふと、お湯に浮かんだ俺の顔に影が落ちる。
いつからそこにいたのか、見上げた先には黒ビキニ姿のキュリキア様がいた。
なぜビキニ。
キュリキア様は俺の頭を抱え込むように湯船にとっぷりと浸かると、胸の谷間から小瓶を取り出し、お湯に浮かんだ俺の口にそれを捻じ込んだ。
前もそうだったけど、そこに仕舞うのクセなんですか?
「薬だ。ゆっくりと、魂に落とし込むように飲みなさい」
言われるままゆっくり薬を嚥下すると、バラバラだった身体が強い力で引かれ合い、あっという間にくっついてしまった。
すごい効き目だ。
「まだ無理はするな。ひとまず魔剣の呪いは解いたが、今のお前は風が吹いただけで崩れてしまうくらい脆くなっている。魂がとぅるとぅるのぷるんぷるんだからだ」
「とぅるとぅるのぷるんぷるん」
思わず笑いそうになったけど、それでまた身体が崩れるといけないのでぐっと堪えて頷いておく。
「今からお前の魂を鍛え直す。地獄の灼熱で熱し、冥界の極寒で冷やし固める。何度か繰り返せばいい感じにととのうだろう」
そんなサウナみたいな。
そういえばサウナって今まで一度も入ったことないけど、実際どうなんだろう。
心臓が弱い人は入っちゃダメって聞いて今までずっと敬遠してたからなぁ。ちょっと怖くもある。
「先に言っておくが、かなりの苦行だぞ。覚悟しておけ」
猛烈に嫌な予感がしてきたけど、このまま現世に戻るという選択肢は無いらしい。
覚悟を決めるしかなさそうだ。
◇
──不死魔王城 中庭 茨の迷路(sideリゼラ)──
大翔が冥界でバラバラになっている頃。
リゼラはといえば……。
「無理無理無理無理!!!! なんで頑張って倒したのに増えるのよぉぉぉぉぉっ!!!?」
「「「「オパァァァァァァイッ!!!!」」」」
不死魔王城の中庭、茨の迷路でゾンビ軍団相手に逃げ回っていた。
揺れるたわわ目掛けて全力疾走するゾンビたちはとても楽しげで、腐って崩れかけの顔もどこか生き生きとしている。
生き生きしたゾンビとはこれ如何に。
迷路の地形を利用し、最初に出てきた一匹を聖杖で殴り倒したまではよかった。
聖なる一撃を脳天に食らい、塵となって消えゆくゾンビ。
しかし彼が死に際に放った一言は、城中の仲間たちを中庭へと駆り立てた。
『デカぱい!!!!』
それは男たちの夢。人類の希望。
例えその身が腐り果てようと、大きなたわわへの憧れだけは決して腐らない。
音に聞いた伝説を一目拝もうと、不死の身体で茨の壁を強引に突き破って現れるゾンビたち。
伸びる行列。濃くなる死臭。
蛆と蠅を引き連れ怒涛のように押し寄せる死体の群れは、さながら不潔の大津波。
男たちは浪漫を求め茨の迷路を突き進む。世はまさに大ゾンビ時代!!!!
「やかましいわ!!!!」
リゼラのツッコミが雷雲垂れ込める空に虚しく吸い込まれていく。
誰に対するツッコミなのか彼女自身もよく分かっていなかったが、ゾンビたちのうめき声が「おっぱい」と聞こえたせいに違いない。
と、それはさておき。
ここまで全力疾走を続けてきたリゼラだったが、そろそろ体力も限界だった。
一方のゾンビたちは、すでに死んでいるため疲れるということを知らない。つまりどれだけでも走ることができる。
彼我の距離はみるみる縮まり、それにつれて鼻を突く死臭もどんどん濃くなっていく。
正直もう息を吸うのも嫌なほどだ。
「行き止まり!?」
袋小路に迷い込み、息も絶え絶えなリゼラの足がとうとう止まる。
背後からはゾンビの大群。頼みの魔法もここでは使えない。
まさに万事休す。
聖杖を強く握りしめ、リゼラが戦う覚悟を決めた────そのときだった。
「リ~~ゼ~~ラ~~さ────ん!!!!」
空から少女の声が降り注ぐ。
直後、リゼラの眼前に一人の少女が舞い降りた。
均整のとれたしなやかな肢体。揺れる黒髪。
ふわりと香り立つ髪の匂いに、唇を奪われたあのとき記憶が蘇り、リゼラの心拍数が否応なしに跳ね上がる。
「ミ、ミノリ!? あなた捕まってたんじゃ!?」
「抜け出してきました!」
確かに今の美乃梨の格好は、部屋で運動していたところをそのまま抜け出してきたような風情だ。
大事そうに抱えている髑髏が気掛かりだが、何はともあれ無事でよかったとリゼラは胸を撫でおろす。
……が、それはそれとして、やはり少々目のやり場に困ってしまう。
「どうしたんですか? お顔が真っ赤ですよ♡」
「あ、あなたがそんな恰好してるからよ!」
ニマニマとからかうような笑みを向けられ、リゼラが視線を逸らす。
綺麗に割れた腹筋は同性さえも魅了するほどの艶めかしさを放っていた。
こんな時だというのにどうしようもなく身体が疼いてたまらない。
「もしかして、あのときのこと思い出しちゃいました?」
逸らされた視線の先へ回り込んだ美乃梨が、上目遣いで婀娜っぽく微笑む。
リゼラの頬に美乃梨の手が触れ、耳に甘い吐息がかかる。
思考が鈍り、理性の檻を破って淫らな本能が尻尾を出した。
「ダメよ、こんなところで……ぁ♡」
「こんなところじゃなかったら……いいの?」
「そうは言ってな……んむぅっ♡」
また強引に唇を奪われる。
仄かな期待に開きかけたリゼラの口腔に美乃梨の舌が忍び込み、ちろちろと舌先が絡み合う。
ゾンビたちは足を止め、茨の園に咲いた百合の花をうっとりと見つめている。
「ぷはっ! ダメだったら!」
最後の理性を振り絞ってどうにか美乃梨を突き放すと、まるで魂を引っこ抜かれたように身体から力が抜けてしまい、リゼラはその場にぺたんと尻もちを突いた。
本当はもう少し続けたかったなどという血迷った欲望からは全力で目を背ける。
一方、リゼラに突き放された美乃梨はといえば、飢えた獣のようにゆらりと向きを変え、ゾンビの群れに狙いを定めていた。
「……足リナイ」
「「「「「っ!?」」」」」
死の恐怖を忘れたはずのゾンビたちが少女の迫力に恐れおののき、じり、と後ずさる。
淫魔は霊魂に存在の重みが傾いている種族だ。
しかし精霊の血を色濃く残すエルフと違い、多くの種族の混血である淫魔は、肉体の若さを保つために霊的な捕食行為を必要とする。
それは淫魔という種族に備わった本能であり、食欲や性欲とも直結しているため我慢しようと思ってできるものでもない。
通常、淫魔は性行為を通じて相手の魂から生命の根幹たる魂力を吸い出し、それを補っている。
だが不死者しかいない城に監禁されていた美乃梨がそうした行為に及べるはずもなく────。
「あはッ♡♡♡」
ゾンビの群れ目掛けて一直線に美乃梨が突っ込んでいく。
それはまるで檻の中に投げ込まれた肉塊に飛びつく猛獣のようであった。
闘気を帯びた手刀の一振り。それだけで魂力を吸い尽くされた最前列のゾンビたちが一瞬にして灰に変わる。
この一ヵ月、山のように与えられたエロ本により性欲がある程度解消されていたこと。
リゼラに幻滅されたくないという思いから己に過酷な鍛錬を課し続けたこと。
霊的な飢餓状態の中で淫魔の魂が通常とは異なる成長を遂げたこと。
大翔との精神感応を通じて闘気を、魂力を操作する術を感覚的に身に付けていたこと。
それらの要因が奇跡的に絡み合い、淫魔の吸精と闘気格闘の融合────淫魔神拳はここに成った。
触れただけで相手の魂力を根こそぎ吸い尽くし、レベルさえも奪い取る恐るべき秘拳である。
アンデッドとは死んでも死にきれなかった魂の成れ果てだ。
己の死を受け入れられなかった死者の霊は、その強い念により近くの物質に憑依し、現世に留まろうとする。
その際、魂は通常の転生時と同じく魂力の生成を開始する。
本来であれば魂力の生成は誕生と同時に停止するが、アンデッドの場合、母体や卵から『生まれる』というプロセスが存在しない。
そのため、魂は半永久的に魂力を生成し続けてしまう。
アンデッドに物理的な攻撃を加えてもすぐさま再生してしまうのはこのためである。
その点、触れただけで魂力を吸い尽くす今の美乃梨は、まさしくゾンビたちの天敵と言えた。
本能と理性の狭間で研ぎ澄まされた少女の牙が今、猛威を振るう。
「あはははっ♡」
「「「「ヴァァアアアアッ!!!?」」」」
間髪入れず、回し蹴りが空を凪ぐ。
美乃梨の周囲を取り囲んでいたゾンビたちが末期の叫びを上げて消滅。
正拳突き、手刀、顎狙いの蹴り上げ。
どれ一つとっても素晴らしい技のキレであり、美乃梨が技を放つ度、数体から数十体のゾンビがまとめて吹き飛び灰になる。
その光景に後続のゾンビたちは恐怖を覚えるが、どういうわけか感情に反して身体は美乃梨の方へと吸い寄せられていく。
如何に淫魔神拳を会得しようと、淫魔王の直系たる魂の飢えがサンドバッグ代わりに与えられた闇スライム程度の魂で満たされるはずもない。
癒えぬ渇きを満たすべく、美乃梨の魂は獲物を誘い込むためにより強く、より濃密な色香を放つよう成長を遂げていた。
とはいえこの一ヵ月、美乃梨の近くにいたのは性欲の存在しないスケルトンと闇スライムだけ。
そのせいで彼女は自身の変化に気付くこともなく、また、本来であればその力の制御を教えてくれるはずの淫魔王もここにはいなかった。
結果、淫魔王以上に育った催眠魅了の力を無自覚のまま垂れ流す怪物がここに誕生する。
魔性の色香はゾンビさえも惑わし、練り上げた拳で魂を喰らいつくすその姿は、秘境の奥地に咲くという獰猛な肉食花を想起させた。
「────ふぅ……。ふふっ♡」
通路を埋め尽くしていたはずのゾンビたちは気付けばすっかり姿を消しており、舞い散る灰吹雪の中、どこか満足そうな顔の美乃梨が息を細く吐いて残身する。
時間にして一分とかからなかっただろう。
あまりの光景にリゼラが絶句していると、そこへ────。
カラカラコロンッ!
突如二人の前に頭部のない白骨死体が降り注ぐ。
すると骨たちは見えない力に引かれ合いカチカチと組み合わさって、地面に転がっていた髑髏を首にカチっと嵌め込めば、白骨死体が「よっこいしょ」と立ち上がった。
「ふいー。ひどい目に遭ったでヤンス」
「ひっ!? スケルトン!?」
口を聞いたスケルトンを警戒し、リゼラがへっぴり腰で聖杖を構える。
足は生まれたての小鹿のようにプルプル震えていたが、それでも丸腰の美乃梨を背後に庇おうとしたあたり流石は剣聖の娘といったところか。
「つーんつん♡」
「ひゃああああ!?」
が、突然背後からお尻を突かれたリゼラは大きく飛び上がり、そのままへなへなとへたり込んでしまう。
「何するのよ!!!!」
「彼は悪いアンデッドじゃないから怖がらなくて大丈夫ですよ。ね?」
美乃梨が水を向けるとスケルトンは頷いてみせた。
「……本当? 襲ってこない?」
「ウドでヤンス。ミノリちゃんのお世話係を仰せつかってるっス」
ウドが骨だけの手を差し出し、握手を求めてくる。
骸骨なので表情は分からなかったが、なんとなく笑っているのは雰囲気で感じられた。
恐る恐るリゼラが差し出された手を握り返すと、心なしか骸骨の鼻の下がデレっと伸びた……ような気がした。
「ほら、ミノリちゃんも! いい加減部屋に戻ってくれないとあっしが魔王様に怒られるでヤンス!」
「確かにちょっと汚れちゃったし……。リゼラさんも一緒に休憩しましょ♡」
「きゅ、休憩!?」
「ふふっ、リゼラさん顔真っ赤ですよ♡ 何を想像したのかなー?」
「な、何も想像なんてしてないわよ!」
「リゼラさんが望むなら私はそっちでも構いませんよ♡」
「ダメよ! ダメだからね!? その手には乗らな……ぁ♡」
美乃梨の細い指先がつぅ、と首筋を這いあがり、リゼラの頤が上を向く。
口では否定しつつも、切なく潤んだ瞳はやはりどこか物欲しそうで。
二人の視線が交わり、繋いだ手指が絡み合い────。
「イチャイチャするのは構わないッスけど、そういうのは部屋に戻ってからやって欲しいでヤンス。ほら、これ持ってて」
二人の唇が触れ合う寸前、突然ウドが間に割り込み自分の頭を「カコンッ!」と外して、それをリゼラの膝に乗せた。
一瞬でリゼラの顔から血の気が失せ、綻びかけた百合の花もムードを壊され萎れてしまう。
百合の間に挟まる男など万死に値するが、すでに死んでいてはどうしようもない。
一方の美乃梨は案外あっさりしたもので、ウドのツッコミに「それもそうか」と頷き返し、腰を抜かしたままのリゼラをお姫様抱っこで抱え上げる。
「舌噛まないように気を付けてくださいね」
「ちょ、ちょっと。何するつもり!?」
いやいやと首を横に振ってささやかな抵抗をしてみるが、腰砕けのリゼラが闘気を会得した美乃梨に腕力で勝てるはずもなく────。
「いちにのさんで飛びますからね! いち、にの、さんっ!」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
闘気を漲らせた美乃梨が大地を強く蹴り、空高く跳躍する。
雷鳴とどろく空へ向かい一直線に、二人は高く、高く飛び上がっていく。
直後、二人のすぐ近くで稲光が迸る。
強烈な音圧を浴びたリゼラはそこで意識を手放した。




