0115 淫魔の目覚め
──春風の大地 不死魔王の城 監禁塔(side美乃梨)──
時は少々さかのぼり、大翔たちが厳冬の大地を出発する一ヶ月前。
捕らわれの身となった美乃梨は、監禁部屋から脱出するべく行動を開始した。
「チェスト────ッ!!!!」
気合一発。鋭い蹴りが黒い扉に突き刺さる。
が、やはり扉はビクともしない。
「うーん。やっぱ無理かぁ」
美乃梨が残念そうに肩を落とす。
案外あっさり出られるのではないかという淡い期待を抱いていたが、あの完全無欠の生徒会長、劔正義がそんな見落としをするはずがない。
「何事でヤンスか!?」
すると扉の外で待機していた世話係の陽気な不死者、スケルトンのウドが驚きの声を上げた。
「蹴ったら出られるかなと思って」
「無理に決まってるっス! この扉の素材にはアンデッドアメーバが練りこまれてるでヤンス。物理的な方法じゃ、ぜーったいに! 破壊は不可能でヤンス!!!!」
自分が作ったわけでもないだろうに、ウドは何故か得意げにそう答えた。
やけに強調するあたり絶対の自信があるのだろう。
「うーん……。じゃあリクエストいいですか?」
「大人しくしててくれるならいいっスよ。それで、何が欲しいでヤンスか?」
「サンドバッグ」
「え」
「だからサンドバッグです」
「わ、分かったっス。いくら壊れなくてもあんまりガンガン蹴られちゃたまんないっスからね」
「お願いしますね」
早速ウドがサンドバッグを取りにカラコロ音を響かせ扉の向こうから去っていく。
骨っぽい足音が遠ざかっていくのを聞きつつ、美乃梨は流れるような動作でベッドへ近づき、枕の下に隠した本を手に────。
「はっ……!?」
────取りかけて、はたと我に返る。
まったくの無意識だった。
本当にごくごく自然に、ウドの気配が消えたと分かるや、まるで息を吸うかのごとくエロ本の表紙を開いていた。
その事実に美乃梨は戦慄してしまう。
「ち、違うし! 片付けようとしただけだもん!」
などと言い訳がましくエロ本を再び枕の下に隠すが、やはり気になってしまいどうにも落ち着かない。
美乃梨も思春期真っ盛りの中学生だ。
親に隠れてそういうことをした経験は何度か────否、最早日課といっても過言ではない頻度でしていたが、それはさておき。
とにかく今は日本で暮らしていたときとは状況が違うのだ。
囚われの身になって真っ先にすることが【自主規制】だなんて、これではまるで変態じゃないかと美乃梨は頭を抱えてしまう。
(まさかこの本、呪いのアイテムなんじゃ……)
あまりにもお馬鹿すぎる自分の行動に、もしやこの本が悪いのではと疑い始める。
おそるおそる枕をめくりブツの表紙を眺めてみるが、やはりどう見てもただのエロ本にしか見えない。
「うへへ……。はっ!?」
そしてまた誘惑に負けそうになり、ハッとなる。
実際のところ、それらの本に人の精神に干渉するような力は一切ない。
淫魔王が手ずからたっぷりと魂力を込めたこと以外は、正真正銘ただのエロ本である。
おかしくなっていたのはやはり美乃梨自身。より正確に言えば魂の方であった。
────ここで一つ、淫魔についての話をしよう。
今より一〇万年前。
他種族との共存を訴えたがために呪いをかけられ森を追われた上古エルフたちの末裔。
それが魔族である。
森を追われ行く先々で迫害を受けた『呪われ』たちは極度の排他主義に染まり、そのことは狭い集落内での近親交配へと繋がった。
迫害を恐れ禁忌を重ねた結果、血にかけられた呪いはより強まり、祖先たちが受けた無念と屈辱の記憶を呪いと共に子々孫々と受け継いでいくことになる。
一方、淫魔は森を追われた『呪われ』の中でも他種族に捕らえられた者たちの末裔だ。
性奴隷として強制的に他種族と交わることを強要された淫魔の祖先は、その胎に混血の子を宿し、その子も、孫も、混血の子を宿し続けた。
そしてそのことは皮肉にも血にかけられた呪いを薄めることに繋がり、彼女たちに独自の進化を促すこととなる。
即ち、霊性の回帰。
多くの種族と交わり血を薄め続けた結果、呪いが解け、上古エルフの霊性が復活したのである。
しかし異種族の血が混じり過ぎたことでその身体はエルフから遠くかけ離れたものへと変化していた。
ここで淫魔という新たな種族が誕生する。
強力な免疫機能や催眠魅了の力など、世代を重ねるごとに様々な能力を獲得していった淫魔だが、中でも際立って異質な特徴がある。
不思議なことに淫魔は女しか生まれてこず、父親の美醜に関係なく母親そっくりの容姿に育つのだ。
淫魔は胎に子を宿すと、子に自分の魂を一部分け与え、魂の形を淫魔特有のものに変えてしまう。
そうすることで赤子は父親の美醜に関係なく母親そっくりの容姿で生まれてくる。
これは美しい者しか生き残れない極めて特殊な環境に適応した結果と言えよう。
だがそれは淫魔は死んで生まれ変わっても淫魔のまま、ということでもある。
通常、生前の記憶を捨てまっさらになった淫魔の魂は、本能に従い再び淫魔の胎に宿ろうとする。
一度形の決まってしまった魂は、その形からかけ離れた肉体へ宿れなくなるからだ。
しかし奇妙な偶然か、はたまた大いなる運命に導かれてか。
非業の死を遂げたレティアの魂は異世界へと迷い込み、前世と瓜二つの肉体を得て転生した。
それだけだったなら藤谷美乃梨という少女は己が何者であるかを自覚することもなく、一人の人間として平穏な人生を歩めたことだろう。
しかし何の因果か、前世の生まれ故郷に召喚された美乃梨は、紆余曲折の末に迷宮都市ダンジョンの最奥で最愛の幼馴染の魂に触れることとなる。
そのとき大翔の中に残されていた前世の母の記憶を覗いたことで、前世の記憶を間接的に思い出した魂は、淫魔として急速に覚醒しつつあった。
それは地球で暮らしていれば決して起き得なかった現象。
運命の悪戯によってもたらされた、ある種の奇跡。
とはいえ、本人はそのことにまったく気付いていなかったが────。
「────ミノリちゃん! サンドバッグ持ってきたでヤンスよ!」
「わっひゃいっ!?」
無意識の内にエロ本に読み耽っていた美乃梨がウドの声に飛び上がる。
脱出の手を考えようとウドを追い払ったのに時間をすっかり無駄にしてしまった。
こんなはずではと美乃梨が頭を抱えると、ここで部屋の外から悲鳴が上がる。
「って、この小窓からじゃサンドバッグは入らないっス!」
苦労して部屋の前までサンドバッグを持ってきたはいいものの、部屋の中にどう運び入れるかまでは考えていなかったらしい。
死んで骨だけ。頭蓋の中はやはり空っぽのようだ。
「……あ、そうだ! 先にガワとチェーンだけ入れて、後で闇スライムをぶち込めばいいでヤンスね! そしたら取り付けも簡単でヤンス!」
どうやって扉を開けずにサンドバッグを部屋の中へ入れようかと空っぽの頭を悩ませていたウドは、唐突に閃いたグッドアイデアに「カコンッ!」と顎を外す。
しばらくすると砂の抜かれた革袋と、吊り下げるためのチェーンが小窓から差し入れられた。
「てなわけで、ちょーっと闇スライムを捕まえに行ってくるヤンス!」
サンドバッグに詰めるための闇スライムを捕まえるため、ウドは再びすたこらと扉の前から去っていった。
忙しない骨である。
ともあれこれで邪魔者はいなくなった。
ならば当然ヤることは一つ。
「うへへ……じゃない!!!! 何チャンスとか思ってるの!? お、思ってないし!!!!」
誰に向かって言い訳しているのか自分もよく分からなかったが、とにかくこのまま欲望に流されたらロクなことにならないというのは何となく分かる。
正義の話を鵜呑みにするのであれば、自分がここに閉じ込められているのは大翔に試練を与え成長を促すためだ。
闇の聖域での精神感応を経て、大翔とはお互いに心の奥底に秘めていた願望や欲求、醜い部分も含めてすべて筒抜けになっている。
それでも大翔は美乃梨を好きだと感じ、ずっと一緒にいたいと心の底から想い、願ってくれた。
ゆえに美乃梨は大翔についてはまったく何の不安も抱いていない。
その段階はとっくに過ぎている。
問題はリゼラの方だ。
(────もし二人が助けに来た時、私がゴニョゴニョ……してたら)
リゼラもいずれ大翔と一緒にここへやってくるだろう。
もしもそのとき最悪のタイミングで二人がやってきたら……。
なにせ相手は箱入りのお嬢様で『狂気のガリ勉姫』だ。
魔法の習得にあたり医学も身に付けているため、もちろん知識としては知っているだろう。
だがリゼラは一番多感な時期を魔法の勉強だけに費やし、魔法学校の卒業後も両親に旅立ちを認めさせるため休む間もなく勉強に励んできた。
なんであれば【自主規制】さえしたことが無くとも不思議ではない。
そんな彼女が。
極寒の土地で寒さに震え、危険な目に遭っているかもしれない彼女が。
艱難辛苦を乗り越えいざ「助けにきたわよ」とドアを開けたその先で、自分がこの一ヵ月、暖かい部屋で【自主規制】ばかりしていたなどと知ったら、果たしてどう思うだろうか。
「……軽蔑されちゃう」
なんであれば大翔に相応しくないと大声で詰られても文句は言えない。
こんなくだらない理由で嫌われてしまう“もしも”の未来を想像し、美乃梨は顔を青くする。
リゼラに嫌われることは大翔に嫌われるのと同じくらい悲しい。
そんなことにだけは絶対になりたくなかった。
「そうだ型! 型をやろう! 邪念なんて拳でぶっ飛ばす!!!! 健全な精神は最強の剛拳にこそ宿るもんね!?」
混乱しすぎて元のことわざが行方不明になっているが、それはさておき。
小学生の頃から毎日続けてきた空手の型をなぞると、邪な気持ちも収まって……。
「んっふっ♡」
────くれなかった。
服が擦れた刺激で変な声が出ただけだった。もう何をしてもソッチに寄ってしまう。
膝からがっくりと崩れ落ちた美乃梨は、自分がこんなにスケベな女だったのかと絶望した。
自分でサキュバスプリンセスのコスプレ衣装まで作っておいて今更だろうとツッコんでくれる人は誰もいない。
「ふーっ♡ ふーっ♡ くっ……! 負けない!!!!」
別の意味で荒くなった呼吸を整えると、美乃梨はその場に胡坐をかいて目を閉じる。
へその少し下あたり、丹田に意識を集中し、息を深く吐いてゆっくりと吸い込む。
何をしてもダメなら、ひたすらじっとしているしかない。
頭の中に次々浮かび上がる卑猥な妄想を追い払うのに必死で、美乃梨は気づかない。
自らの身体から半透明のオーラが微かに立ち昇っていることに……。
◇
──古の獣の大地 深部 ンダイマガイ村──
獣王の墓所を目指す道すがら、ギオドラはシドを連れてとある村に立ち寄った。
自分が小人になったのではと錯覚するほど巨大な密林の中を掻き分け進むと、草陰の向こうに暖かな灯りがぽつぽつと見えてくる。
どうやら倒れた巨木をくり抜いて住居として利用しているらしい。
倒木の手前には大きな湖があり、その湖岸にギオドラ海賊団の旗艦アルカンシェルが停泊していた。
「すげー。なんだここ」
「ンダイマガイ村。この大陸最大の集落で、俺たちギオドラ海賊団の活動拠点でもある。この大陸は穴だらけで、あちこちに海と通じる湖があんのさ」
珍しい造りの住居に興味津々なシドに、ギオドラがどこか得意げな顔で村のことを教えてやる。
すると、ギオドラの姿を見つけた村人たちがわらわらと集まってきた。
猫人族、犬人族、鳥人族、熊人族などなど。
主に獣人が多いようだが、中には人族やエルフ、ドワーフの姿もちらほら見える。
「おんやギオドラさん! 今回は随分とデカい稼ぎだったみたいだね」
「おうよ! なにせヴァイパー商会本店の金庫まるごとだからな!」
「やあギオドラさん! いつも物資の補給助かってるよ!」
「よぉディー。そりゃお互い様だぜ。足りないもんがあればいつでも言ってくれ」
あっという間に村人たちに囲まれた二人は、挨拶もそこそこに人垣を掻き分けて村長の待つ倒木住居へと足を運んだ。
村長の家は長い階段を上った先にあった。
家の天井や壁には獣の意匠が彫り込まれており、家というよりは神殿のような雰囲気である。
赤と黄金の色彩が美しい手織り絨毯の上を奥に進んでいくと、目的の人物はちょうど茶を啜っているところだった。
「よぉ婆さん。そろそろくたばったか?」
「ふぇっふぇっ、生憎あと一〇〇年はくたばる予定はないねぇ。二人ともよう来た。ほれ、そこに座りなさい。いま茶を出そう」
いきなり失礼な挨拶をかましたギオドラに怒ることも無く、狐人族の老婆は笑顔で二人を出迎えた。
おそらく一〇〇歳は超えているだろう。
身体は随分と小さくなっているものの、病のニオイは感じられず、毛艶のいい九本の尻尾は確かにあと一〇〇年は永らえそうなほどの生命力に満ち溢れている。
老婆がひょいと人差し指を振るうと、絨毯の上に腰を下ろした二人の前にどこからともなく茶の注がれた湯呑が二つ飛んできた。
ちょうど喉が渇いていたシドが爽やかな香りの茶を一気に飲み干すと、あまりの苦さに顔色がみるみる青くなっていく。
「ぐぇぇっ!? 苦ぇ! なんだこれ!?」
「おう、この婆さんの出す茶は死ぬほど苦いから気をつけろよ」
「言うのが遅ぇよ!」
「ふぇっふぇっ、ワシの長生きの秘訣じゃ」
と、老婆はシドの目の前で同じ茶を顔色一つ変えることなく飲み干してみせた。
シドは思った。この婆さん只者じゃない。
「さて若き狼よ。お主がここを訪れる未来はもう随分と前から視えておった。この老いぼれの話を少し聞いていきなされ。お主のルーツと、これから向かうべき道についてじゃ」
苦い歓迎も済んだところで老婆はそう前置きし、もの静かに語り始めた。
「遥か神代の頃、光と闇の争いがあった。天は轟き、地は裂け、海は大いに荒れた。神々の争いを恐れた人々は空飛ぶ箱舟に乗り、この地を去った。そうして星の海を渡って遥か闇夜の彼方、エルガドゥの地へ降り立ったのじゃ」
「空の向こうに別の大地があるのか」
「うむ。エルガドゥの地へ渡った人々は、新天地を開くため自らの血と現地の獣の血を混ぜ、新たな生き物を生み出した。それこそが我ら獣人の祖じゃ」
老婆いわく、獣人の各氏族が頭に冠する狼や熊といった言葉は、エルガドゥの地に生息していた動物の名前なのだという。
強靭な肉体を持つ獣人たちは星の環境に順応し、地に満ち繁栄していった。
しかし獣人を作った神代の人々は、たび重なる天変地異と病によって次第に数を減らし、ついには獣人たちを残してエルガドゥの地を去ったのだという。
「やがて時代は進み、エルガドゥの獣人たちは神代の人々が残した知恵を読み解き、星の海を渡る力を得たのじゃ」
「じゃあ俺たちの祖先ってのは……」
「うむ。空飛ぶ船に乗って偶然にもこの始まりの星へ帰り着いた荒くれ者の一団。それが我らの直接の祖先にあたる。今より一万と一〇〇〇年ほど前のことじゃ」
古の獣の大地へ降り立った宇宙海賊たちは、持ち前の身体能力と神代の知恵を使い、この地にあった公国を一夜にして滅ぼすと、そこに村を築いた。
そうして殆どの者が海賊稼業から足を洗い、この地に居ついたが、ごく僅かに海賊としての本分を捨てきれない者たちもいた。
彼らは公国の人々を奴隷とし遥か星の彼方へと連れ去ると、それっきり二度と帰ってくることはなかったという。
「我らに深い恨みを抱くエリザベラ・ブラッドレイは、そのとき海賊たちに連れ去られた公国の姫じゃ」
「なっ!?」
「かの魔女がどのように時を超え、この地へ帰り着いたは知らぬ。じゃが、我ら獣人が千年の永きに渡り奴隷として扱われてきた歴史の陰には、そうした事情があったわけじゃ」
歴史の真実を教えられ、シドは驚き顔のまま固まってしまう。
ふとシドが隣に視線を向けると、予想通りギオドラは複雑な表情のままむっすりと腕組みしていた。
仲間を殺した怨敵の過去など、聞いていて気持ちのいい話ではないだろう。
するとギオドラは居心地悪そうに「ふん」と鼻を鳴らし、口を開いた。
「だからってこのままにはしておけねぇだろ。あの女はやり過ぎたし、こんなことはいつか終わらせなきゃいけねぇ」
「うむ。ゆえに我らは今こそ獣王国を復活させ、真に奴隷のいない世界を実現させねばならぬ。それこそが侵略者を祖に持ち、奪われる悲しみを身をもって知った我らの責任というものじゃろうて」
そう話を纏めつつも、老婆の昔話はさらに続く。
この地に定住することを決めた者たちは持ち前の身体能力を生かし、少しずつ生存圏を広げていった。
やがて大陸の外へ進出したことで人族との混血も進み、獣人たちの姿形も徐々に変わっていったのだという。
「この星に来たばかりの獣人たちは、今より獣の要素が濃かったそうじゃ」
「それって、獣化転神した時みたいな感じか?」
「まさしくそれじゃ。獣化転神とはこの身に流れる獣の血を呼び覚まし、獣人本来の力を取り戻す技。言ってしまえば身体操作の延長に過ぎん。ワシがうら若き乙女だった頃はそれこそ誰でも使えた。ちょっとしたコツがあるんじゃよ」
どれ見せてやろうと老婆が全身に軽く力を入れると、皺くちゃの顔がみるみる金色の体毛に覆われ、顔つきも獣のそれへと変化した。
「ご覧の通り、幼い頃にコツを教わればワシのようなババアでも自由自在じゃ。大人になってから習得しようとするから大変になるのじゃよ。右利きの大人を左利きに矯正するようなものじゃからのう」
老婆の説明にシドはなるほどと頷いた。
大人になってから獣化転神を習得した獣人が達人級の戦士ばかりなのは、彼らが身体操作のプロだからだ。
感覚と理屈の両方で身体の使い方を熟知していれば、利き手でない方の手を利き手と同じくらい自在に使いこなせるようにはなるだろう。
「ちなみに王家の血を引く女は胎に子を宿すと獣の因子の大半を子に受け継がせるゆえ、獣化転神を使えなくなる。王家と関わりのない血筋の女が王家の血を引く男の種で身ごもっても同様じゃ」
「そうなのか。けど何で俺にその話を? 俺は男だぞ?」
「ふぇっ、ふぇっ。そういう未来もある、ということじゃ」
そこまで話し終えると、老婆は力を抜くように「ふぅ」と息を吐く。するとモコモコの体毛で膨らんでいた身体が萎んで元の姿に戻った。
やはり老体では獣化転神を維持し続けるのは堪えるらしい。
「話を戻すぞえ。獣王国が滅びて以降、獣人たちは各地に散り散りとなり、獣化転神の伝授もこの村のようなごく限られた地域を除き途絶えた。このまま他種族との混血が進めば、いずれは幼子にコツを教えたとて誰も獣の姿には戻れなくなるじゃろう」
だからこそ。
そう前置きした老婆は、皺くちゃの瞼をカッと見開き、真剣な眼差しをシドに向ける。
「古き血を最も色濃く受け継ぐお主が、その身に眠る力のすべてを引き出し、王になると世界に宣言すること。それが重要じゃ。これ以上皆から獣の血が薄まれば、そう遠くない未来、誰も王の力を感じ取れなくなる。そうなってからでは手遅れなのじゃ」
最後に老婆が何かを伝えようと口を開きかけた、その時。
三人の耳に爆発音が届き、続けて大勢の悲鳴が聞こえてくる。
なんだなんだとシドとギオドラが慌てて表へ飛び出れば、湖から巨大なウミヘビが顔を出し鎌首をもたげているのが見えた。
湖から出ている部分だけ測っても一〇〇メートル以上はあるだろう。
「シーサーペント!? くそっ! さてはデカい稼ぎに浮かれて魔物除け使うの忘れやがったな!?」
即座に敵の正体と深海の魔物がここにいる理由に見当をつけ、応戦のためギオドラが飛び出そうとした、次の瞬間。
シーサーペントの顎下で爆発が起こり、その衝撃で巨大な頭部が『グンッ!』と跳ね上がる。
ふとギオドラが横を見れば、つい一瞬前までそこにいたはずのシドの姿がない。
続けざまに二発、三発とシーサーペントの喉元で爆発が起こり、爆発の衝撃で硬い鱗が砕け、その巨体が完全に水中から引きずり出される。
四発、五発、六発と爆発が起きるたび、シーサーペントは湖から遠く引き離されてゆき────続く七発目の爆発で顎が砕け、頭部が身体から切り離された。
ズゥゥン、と激しい地鳴りと共にウミヘビの巨体が村から離れた位置に落下し、驚いた鳥たちが一斉に飛び立っていく。
直後、燃え盛る一匹の人狼が湖の畔に「すたんっ」と軽やかに着地する。
遅れて降ってきたシーサーペントの頭部をがっしりと両手で受け止めた人狼は、まるで勝ち誇るようにそれを掲げてみせた。
「おーいオッサン! こいつ食えるヤツか!?」
「お、おう! 高級食材だ! この機会逃したらもう二度と食えねぇかもしれねぇから、たらふく食っとけ!」
「よっしゃあ! おーいみんなー! 獲物捌くの手伝ってくれ!」
シドが大声で呼びかければ、村の危機を救った英雄の周りに村人たちが続々と集まり始める。
早くもお祭りムードの村人たちを引き連れて、シドはウミヘビの胴体を回収に向かった。
そんな若人の背中を見やり、ギオドラは「もう馴染んでやがる」と苦笑を零す。
「あれぞまさしく王の血の成せる業よ。ギオドラよ、最後までシド様を頼むぞえ」
天性のカリスマを発揮するシドの姿を遠目に眺め、老婆は少し眩しそうに目を細めた。
獣王国を再興することはギオドラの悲願でもある。
あの薄暗く不潔な奴隷運搬船の中で、まだ幼かった弟と妹は「お父ちゃんとお母ちゃんに会いたい」と涙を流し、寒さに震え命を落とした。
もう二度と、あんな悲しいことは繰り返してはならない。
その思いを胸にギオドラは大海原へと漕ぎ出し、仲間を集め、とうとう夢の実現まであと一歩のところまで漕ぎつけた。
シドが世界に向けて王威を示し獣王国の再興を宣言すれば、多くの獣人たちが血の導きに従いこの地へ集まってくるだろう。
それは夢物語や希望的観測ではなく、すべての獣人の遺伝子に刻まれた本能であり宿命だ。
今ある悪意の根源を断つことも重要だが、人が人である限り、悪の芽が尽きることはない。
いずれ時代が廻れば新たな悪意が芽吹き、世界に蔓延ろうとするだろう。
だからこそ奴隷を作らせない仕組みを作らねばならず、そのためには国という大きな力が必要なのだ。
「────ああ。頼まれなくたってやってやるさ」
今へと通じる過去を思い返し、ギオドラは隣に立つ老婆に頷き返した。
獣王の墓所まであと僅か。旅の終わりは近い。




