0099 ヴォルスク村
村に入ると、かまくらみたいな家からひょっこり顔を出した男の子と目が合った。
四歳くらいだろうか。白いモコモコの服が雪だるまみたいだ。
「うじぇ!? けけちょ! おんもにみんじゅすおっとぞ!」
村の外から人が来たことがそんなに珍しかったのか、男の子は驚いて大きな声を出して再び家の中に戻っていく。
共通語とは違う言語で喋っているのか、リゼラたちだけ男の子が何を言ったのか分からず首を傾げている。
俺は召喚時に付与された翻訳魔法のおかげでなんとか理解できたけど、それにしたって酷い訛りだ。
仮に凍土語のヴォルスク訛りとでもしておこう。
「うじぇ!? そこっちおるじょおんじでねじね!?」
すると今度はかまくらハウスから女の人が出てきて、ピピの背中に乗せたままのお爺さんに気付くと驚いたように声を上げた。
こっちもずいぶん小さいな。大人のはずだが、背丈が俺の胸くらいまでしかない。
やっぱり着ている服はモコモコで雪だるまみたいだ。
この人はさっきの子のお母さんかな?
「この人、洞窟のすぐそばで雪の下に埋もれてたんです。死にかけてたところをこの二人が助けて、ここまで運んできました」
「うんじょけ!? うーがごしびんぬずよーみづげぢぐれっじょねぇ。おぎぐずんろおんじのおんずんでねっじ! ぎぃず! うぢっちいっちね! ぬんもねどおれぜぜっじ!」
「……なんて?」
女の人を指差し、アーシュラがキョトンとした顔で俺を見た。こらこら。
「あのひどい吹雪の中でよく見つけてくれましたね。お客さんたちはお爺さんの恩人です。ぜひ家に来てください。何も無いけどお礼をさせて。だってさ」
「全っ然わかんねぇ……」
「おぎぐずんずろいっぢぶりじょっぢ。とぼとぼよぉきぃぬねぇ。こごっぢヴォルスクのむろず! しびじぃむろだども、ねっごろじでっぢねぇ! へにいじぐでうっちごっちどげどぉども」
「……今のは?」
「お客さんだなんていつぶりかしら。遥々よく来たね。ここはヴォルスクの村よ。何にもないけどゆっくりしてって。変な暑さであちこち溶けてるけど。だってさ。歓迎してくれてるみたい」
と、女の人はウキウキと軽い足取りで俺たちを家に案内する。
こんな雪と氷に覆われた土地だし、お客さんなんてまず来ないのだろう。
「何となく分かってきたかも。あ音の母音が無いだけで基本は共通語とそう変わらないみたいね」
「すげぇなお前!?」
どうやらリゼラは今の短い会話で言語の構造を概ね理解したらしい。
この村には宿なんて無さそうだし、もてなしてくれるというならありがたくお邪魔させてもらおう。
女の人の後に続いてかまくらみたいな半球形の家に入ると、家の中は外より一段低くなっていて、思ったよりもずっと広々していた。
床には綺麗な刺繍入りの絨毯が敷かれていて、直接そこに座る形式のようだ。
床そのものが発熱しているらしく、座ってみると暖かくて気持ちがいい。
「お邪魔するよっ☆」
「なんでアンタまで入ってきてるのよ……」
背後から自己主張の塊みたいな声がして嫌々振り返ってみれば、さも当然のような顔をしてラヴァエルがそこにいた。
あまりの厚かましさにリゼラも呆れ果てている。
「嫌だなぁ! ボクと君たちの仲じゃあないか! 仲良くしようよ! ハハッ☆」
ラヴァエルが俺の隣に腰を下ろし、白い歯をキラリと光らせ満面の笑みを向けてくる。
めちゃくちゃグイグイくるなぁ……。
強引な手段では俺を連れて行けないと悟って、フレンドリー作戦に切り替えたらしい。
「思うに、ボクと君たちの間には不幸な行き違いがあったと思うんだ! 一度冷静に話し合おうじゃあないか☆」
「俺のこと燃やそうとしたくせによく言うよ」
「あれは武器だけ燃やそうとしたんだ。抵抗されてボクの美貌に傷が付いたらつまらないだろう? それにこのボクが火加減を間違えるはずもない。そうだろ? なにせこのボクだからねっ!」
その武器が俺にとって思い入れのある品だということまでは想像が及ばなかったらしい。
つくづく苦手なタイプだ。
「でもゼロスさんのことは殺すつもりなんでしょ?」
「それが我らが神のご意思だからね。必ず見つけ出して抹☆殺してやるさ」
「じゃあカミサマが殺れっつったら、テメェは罪のない赤ん坊でも殺すのかよ」
と、アーシュラが険しい顔で口を挟む。
「ハハッ! 神が罪もない赤ちゃんを殺せなんて言うはずないじゃあないか。もしそんな神託が下りたとするなら、それはきっと未来の魔王だよ。どうしてそんなことを聞くんだい?」
そう口にしたラヴァエルの瞳はどこまでも純粋で、悪意もまるで感じられなかった。
……初めて会ったときから感じていた気持ち悪さの正体はこれか。
同じモノを見ているはずなのに、俺とこの人とでは、モノの見え方がまるで違ってるんだ。
「……チッ。話にならねぇ。反吐が出るぜ」
「どうして君はさっきからそんなに怒っているんだい? 確かにゼロスはかつて世界を救った英雄だけど、ボクが調べた限りじゃ清廉潔白な善人じゃあ決してない。だから神も彼を殺すべきとお考えになられたんじゃないかな?」
「もういい、ウンザリだ」
怒りも顕わにラヴァエルとの問答を一方的に打ち切ったアーシュラは、そのまま尻尾を向けて黙り込んでしまった。
明確に拒絶の意思を示され、ラヴァエルはいよいよ訳が分からないと首を傾げた。
「……ボクは彼女に何か失礼なことをしてしまったのかい?」
彼の問いに誰も何も言わなかった。
何となく居心地が悪くてリゼラに視線を投げると露骨に目を逸らされてしまう。
え、これ俺が言わなきゃいけないの?
「……アーシュラはエスペリサ王国の出身なんだ」
仕方なく俺が答えると、ラヴァエルは「そうだったのか」と悲しげに目を伏せた。
彼には人の痛みを理解するための想像力も、思いやりの心もある。
じゃなきゃ、こんな反応は出てこない。
ただ根底に据えている善悪の基準が俺たちと少し違うだけだ。
────話し合い、か。
確かに、俺も少し壁を作りすぎていたかもしれない。
するとラヴァエルが弾かれたように顔を上げ、口を開いた。
「でも、それこそ不幸な行き違いじゃあないか! あれだって結局、すべての元凶は魔族だったんだろう!? それがどうしてボクらまで悪者みたいに追い出されなきゃいけないんだい!?」
「……何もかも強引過ぎたんだよ。例えあなたの信じる教えが良いものであっても、急に今までのやり方をぜんぶ捨てて右に倣えなんて無理だし、それを強制されたら不満や軋轢だって生まれるさ」
「強制だなんて!」
「同じだよ。聖神教を国教にしたのは王様なんだから。みんながみんな受け入れてたワケじゃない。元々あった信仰を変えたくない人たちだって大勢いたさ」
「でも嵐の被害に遭った人々を助けたいという思いは本物だったはずだし、多くの国民がそのことに感謝して、神の教えに耳を傾ける気になったからこそ、王様もそういう決断をしたんじゃないのかい?」
「それは……当事者じゃないし、なんとも言えないけど」
痛いところを突かれてしまい、しどろもどろになってしまう。
それでもラヴァエルは畳みかけるようなことはせず、俺の回答を待ってくれた。こういうところは素直にいいヤツなんだよな。
数秒ほど考え、チラリとアーシュラの方を見やりつつ俺は自分の考えを言葉に出した。
「────でもオーランにいた聖神騎士団の態度は横暴だったし、宗教的な弾圧や差別もあった。教えそのものがどんなに良かろうと、それを信じている人たちがそういう態度なら、嫌われるのは当然じゃないかな」
「うーん……。けど、オーランに派遣されていたマイト騎士長もアンデッドに成り代わられていたと聞いているよ? 確かに横暴な聖兵が一人もいなかったとは言い切れないけど、それでも責任者が成り代わられていたんだ。組織内にそういう空気が蔓延してたとしてもおかしくないだろう?」
「あ……。そっか。そういう可能性もあるよね」
「だろう? それをラルフ王子がクーデターを正当化するために利用して、聖神教そのものを悪者にした。ボクにはそう見えるけど?」
やっぱり、この人は話のできる人だ。
自分の考えはしっかり口に出すけど、それでもこちら側の考えを否定するような話し方ではない。
もう少し踏み込んでみようか。
「……確かにエスペリサの件は、みんなが抱いていた不満や水面下の軋轢をラルフ王子が利用した側面もあると思う」
「ほらやっぱり! それだって結局は個人の意思じゃないか。みんなが納得したわけじゃない。聖なる神の教えを心から信じる善良な市民だっていたはずさ」
「そうだね……。確かに今のオーランはそういう人には息苦しいと思う。けど全員が納得できる答えなんてこの世のどこにも無いんだよ。だから声が多い方の意見を拾うしかないし、ラルフ王子はそれを実行した。歴史を振り返っても、あれ以上の手はそうそう無いよ」
あの国の状況と似たようなことは、人の歴史の中で何度も繰り返されてきたことだ。
ハルトの記憶の中にも、そうして滅びていった国はいくつもある。
地球の歴史がそうだったように、人が人である限り、どんな世界だろうとそれは変わらない。
もしもあのまま大多数の中にある不満や怒りを放置していたら、きっと行き着くところまで行ってしまって、もっと犠牲が出ていたはずだ。
「そんな……。でも、だって! 神がいなくなるのが最善なんて、そんなことあるはずが……あっていいはずがない!」
過去のトラウマでも蘇ったのか、ラヴァエルは顔を真っ青にして頭を抱えてしまう。
「ああ、そうさ。そうだよ! そうだとも! だって司祭様が村に来てくれなかったら、ボクは魔物の生贄にされてとっくに死んでいたんだ! ……ああ、思い出したくない。やめろ、違う! ボクはもうあの頃のボクじゃない!」
そうか。ようやく分かった。
彼は聖神教が説く綺麗ごとに救われた人なんだ。
先に聖神教の悪い側面ばかりを知ってしまった俺とは真逆。道理でいつまでも平行線なわけだ。
「……そうとも。ボクは司祭様に命を救われて、神の教えと出会った。それを誰よりも忠実に守ったから、神様はボクを天使にしてくださったんだ! 変われたんだよ! 誰からも必要とされなくて、自信なんてこれっぽっちもなかったボクがっ!!」
────だから、神様がいなくなった方がいいなんて、そんな悲しいこと言わないで。
ラヴァエルの頬を伝い落ちた雫がポタポタと絨毯にシミを作る。
それは紛れも無く彼の本音。むき出しになった心の傷だった。
「……俺も聖神教の教えそのものは善いものだと思うし、それを信じるあなたを否定するつもりもないよ」
ハルトが聖典を読んでくれていたおかげで、こうして思い出そうとすれば細部までハッキリと思い出せる。
人を愛し、礼節を弁え、感謝の心を忘れず、強き者は弱き者を守り、弱き者は強き者を支えよ。
もしもあなたが生きるために仕方なく罪を犯したのなら、神を信じ、心を入れ替え、命尽きる時まで正しく生きなさい。
さすればあなたの魂は楽園へと導かれるだろう。
他にも細々した戒律は沢山あるが、大事な部分を要約すれば大体そんな感じだ。
そこに書かれているのは、魔物や魔族という外敵が存在する世界で人が人として生きていくために必要なルールであり、正解の存在しない人生における一つの指標だ。
「だけど俺は、その善だけが絶対の正解じゃないってことを知ってる。この旅の中で出会った人々が、それを教えてくれた」
師匠も、ハルトも、そして俺がこれまで出会った強敵たちも。
みんなそれぞれに過去があり、背負った痛みがあり、信念があった。
だからといってデリングやティリア、ドラジスのやったことが許されるとは思わないし、許してもいけないとも思う。
それでも彼らの人生においてはそれが最善策で、正義でもあった。
「……善悪や正しさなんて、時代や立場、置かれた状況次第でいくらでも変わってしまう。確かに聖神教は多くの国々で信じられているけど、今はそう、というだけなんだ」
ラヴァエルは俯いたまま、何も言わない。
きっとそんなこと考えたこともなかったのだろう。
────六〇〇年前の人魔大戦では、多くの国が滅びた。
生き残った人たちは日々を生きるだけで精一杯で、彼ら彼女らの中にあった倫理観のラインはどんどん引き下げられ、あるいは無自覚の内に歪んでいった。
日々の生活から余裕が失われた時、人は生きるために自分を少しずつ変えていく。
それはどんなに善良な人でも変わらない、人間という生き物に備わった性質だ。
老いた親のため。子どものため。頑張った自分への正当な対価。
言い訳はいくらでも作れるし、最初の一歩を踏み出してしまえば、それが日常に変わるまでそう時間はかからない。
それでも、どんなに頑張って生き延びても、人はいずれ老いて死ぬ。
人は老いを意識し始めると、善行を積んで過去の罪を精算しようとする。
そんな時に心を軽くしてくれる優しい物語と出会ったら、縋りたくもなるだろう。
そしていつの時代も、己を省みることができるのは今を生きるのに十分な余裕のある人だけだ。
得てしてそういう人は十分な教養を積んできた人で、社会的な影響力も強い。そういう人たちが社会のルールを作ってきたからこそ今の世の中がある。
だけど六〇〇年前に作られた善悪の物差しが、一〇〇〇年後も正しく機能しているなんて保証はどこにもないのだ。
「何度も言うけど、あなたの信仰を否定するつもりはまったくないんだ。多くの信者たちは俺が見た罪とは無関係だし、きっと何も知らないと思う。悪いことをした奴が悪い。それも分かってる」
俺は言葉を探りながら、少しずつ自分の気持ちをラヴァエルに打ち明けていく。
正直、アシュモネの記憶に触れたことで、俺の中で聖神教に対して負のバイアスがかかっている部分は大いにあると思う。
ラヴァエルの言う通り、聖神教の良い側面を知れば見え方も変わってくるのかもしれない。
だけど、それでも。
「……ごめん。俺はまだ聖法国には行けない。知らなきゃいけないことがまだ残ってるんだ。それを知るまでは、あなたたちが信じる正義だけに染まるわけにはいかない」
「そう……かい……」
俺の意思を伝えると、ラヴァエルはしゅんと肩を落とし、それっきり黙り込んでしまった。
少し言い過ぎたかな。
それでもかなり真に近いものは伝えられたと思う。後は彼がどう受け取るかだ。
「話は終わったか?」
聞きなれない声に振り向けば、絨毯の上に寝かされていたドワーフのお爺さんが目を覚ましていた。
この人は普通に喋るんだな。
「おんじ! おきっじょね!? ててずでぇじょぶけ?」
「ほれ、こんとぉりじ。しんぺぇけけっじのぅ」
お茶を淹れてくれていたお母さんがお爺さんの下へ駆け寄り、気遣わしげにその背中をさすると、お爺さんも凍土語で「心配をかけた」と申し訳なさそうに謝った。
「ほいで、すけっちじみっけっちじょ?」
「……いねず。どうぐつぬめぇできぃうしぬっちずで。そっけれねもおぼえずっぢ」
どうやらお爺さんは村の外へ助けを求めに行ったが、洞窟の前で力尽きてしまってそこから何も覚えていないらしい。
と、そこまで話し終え、お爺さんは俺たちの方へ向き直り頭を下げた。
「オルペが家に招いたということは、君たちがワシを助けてここまで運んでくれたのだろう? 礼を言う」
「いえ、そんな。命が助かってよかったです」
「本当にギリギリだったのよ? あんな吹雪の中にどうして」
リゼラが尋ねると、お爺さんはもじゃもじゃの頭をボリボリと掻いて話題を変えた。
「それより君たちはどこから来た? 普通の方法ではここへは来れまい?」
「ゼロス・バルトホークという名前に心当たりはありませんか?」
俺が転移門の鍵を取り出すと、お爺さんは驚いたように目を見開き、それからどこかホッとしたように表情を緩めた。
「なんだゼロスの知り合いか。ならば話が早い」
「というと?」
「ワシはゼロスを頼ろうと迷宮都市を目指していた。吹雪に阻まれて途中で力尽きてしまったが」
と、お爺さんが懐から菱形の結晶を取り出して、俺に見せる。
じゃあこの人がゼロスさんが言っていた古い友人なのか。
ちょっとでもタイミングがズレていたら永遠に会えなくなるところだった。
「何があったんですか?」
「できればゼロスに直接話がしたい。奴はいまどこに?」
「あー……。その、実は────」
俺は迷宮都市で起きた一連の騒動をかいつまんで話した。
「────それで、今あの人がどこにいるのか分からないんです」
「そうか……」
俺が話を終えると、お爺さんは困ったように黙り込んでしまった。
「あの、俺たちで何か力になれることはありませんか? これでも一応、金等級ですし」
「ちょっとヒロト! また勝手に!」
「ゼロスさんはこの村を拠点に神代の遺跡を攻略しろって言ったんだ。つまりこの村の協力がないと攻略は難しい。こういうときは持ちつ持たれつだよ」
「それは……。そうかもしれないけど……」
「それに師匠なら、きっとこうすると思う」
「……はぁ。分かったわよ」
俺が師匠を引き合いに出すと、リゼラも呆れ交じりに頷いてくれた。
今の言い方はちょっとズルかったかな。
「ただし、やるかどうか決めるのは話を聞いてから。それとアリアにもちゃんと説明して、行動するのもあの子が合流してからよ! いいわね!?」
「分かった」
以前、オーランで指名手配されたのがよっぽど悔しかったのか、ものすごく念を押されてしまった。
と、いうわけなんだけど、アリアはどう思────。
「《面白そうですしやりましょう!!!!》」
そういうと思った。
念の通じる相手は話が早くて助かるよ。
「アーシュラもそれでいいかしら?」
「……ああ」
まだ感情の整理がつかないのか、アーシュラはこちらに尻尾を向けたまま不機嫌そうに答えた。
仲間内での相談を終えると、俺たちの話を聞いていたお爺さんは驚いたような顔で髭を撫でた。
「なんだ。お前たちもあの遺跡に用があったのか」
「お前たちも、というと、村の問題もそこに?」
「ああ。話せば長くなるがな」
そう前置きして、お爺さんは村の事情を話し始めた。




