0097 魔神
──迷宮都市(sideゼロス)──
人気の無い裏路地にやや速足なヒールの音がコツコツと響く。
ついて来いと言うからついて来てやったというのに、あれっきりアシュモネは後ろを振り返ろうともしない。
(……ふんっ。どうせくだらんことでも考えておるのじゃろ)
不機嫌な鼻息を吐き捨て、黙々と妻の後を追うゼロス。
結構な距離を歩いたはずだが、ここまで誰とも出くわさなかった。
そろそろ口寂しくなりゼロスの手が白衣の懐に伸びかけたところで、ふとアシュモネが足を止める。
アシュモネの背中越しにゼロスが路地の奥へ目を向けると、袋小路に見慣れぬ機械が設置されていた。
三角形の台座に巨大なリングが組み合わさったそれは、まるで巨人の片眼鏡のようにも見える。
リングの中心は空間が歪んでおり、どこか別の場所と通じているようだった。
「なんだこれは?」
「神代の遺産よ。見せたいものはコレじゃないわ。付いてきて」
適当に返しつつリングの先に消えたアシュモネに続き、ゼロスもリングを潜る。
すると息の詰まりそうな裏路地の圧迫感が消え、どこか広い場所に出た。
そこは何かの工場、あるいは整備ドックのように見えた。
天井は高く、先端にフックの付いた太いチェーンが何本も垂れ下がっている。
「……ふん。どこへ連れて行くかと思えば、娘の葬儀すら出なかった臆病者が隠れ潜むにはお似合いの場所ではないか」
「……うるさいわよ」
背後から急所を刺され、苦々しい顔で押し黙るアシュモネ。
「ワシが治療薬を作っておらねば、今頃どうなっておったか。え? 言ってみろ!」
「……ふん。好きなだけ言えばいいわよ」
「なら言わせて貰おう! 四〇〇年ぶりに顔を見せたと思えば一言の謝罪もなく、あまつさえ人質まで取ってワシを操ろうとするなど! 恥を知れ!」
涙目になりながらも何も言い返してこないアシュモネに、ゼロスはやれやれとため息一つ、白衣のポケットから取り出した煙草に火を付ける。
娘を殺した聖神教が憎いのはゼロスも同じだ。
かつて世界が混乱に包まれた時も、内心ざまあみろと思ったものである。
それまで善人ぶって生きてきた者たちが、余裕がなくなった途端に嘘の密告で隣人を処刑台へ送る様子など、神の本性が暴かれたようで胸がすくようだった。
────だが、だから何だと言うのか。
無関係の人間がいくら死んだところで、あの頃の幸せが、レティアが帰ってくることは永遠にない。
そうと気づいたからこそ、ゼロスは治療薬を作ったのだ。
この世で最も愛した女が、世界を焼き尽くしてしまわぬように。
(……せめてレティアの墓前に花の一つも備えに来ていれば)
喉まで出かけた言葉を飲み込み、ゼロスは沸き上がった雑念を振り払うように煙草を踏み消し、話を戻した。
「それで、そこまでしてワシに何をさせたいのだ」
「……もうすぐよ」
アシュモネが巨大な金属扉の前に立ち、壁に取り付けられていたスイッチを押す。
すると喧しい警告音が響き、扉がゆっくりと左右に開いた。
一拍遅れて自動で照明が灯り、目の前に現れた『ソレ』の威容にゼロスは目を見開く。
「こ、これは……!?」
それを一言で表すならまさしく『黒鉄の巨人』だろう。
顔立ちは悪魔のように厳しく、その瞳から光が失われてから途方もない年月が経ったであろうに、今もその圧倒的存在感は健在だった。
「魔神デモンハウザー。その亡骸」
アシュモネが見上げた先、魔神の胸元にはぽっかりと大きな穴が空いており、まるでそこから命の火が抜け落ちてしまったかのようにも見える。
そういう意味では亡骸と表現しても間違いではないのかもしれない。
だが亡骸と言うにはあまりにも無機質で、磨き抜かれた黒鉄はどう見ても生物由来のものには見えない。
それでも一度これが動き出せば、神話に語られる通り、世界を破壊せしめる威力を発揮するだろうことは容易に想像できた。
「あの狂信者どもの目を掻い潜ってここまで集めるのは本当に苦労したわ」
「ま、待て。こんな……あり得ん! これがあると言うことは……!」
「創世神話は本当に起こった史実よ。聖神教の聖典は九割くらい捏造されてるけど」
その名を口に出すのも嫌なのか、アシュモネが眉間に皺を寄せて吐き捨てるように言った。
「それでも聖神は確かに存在して、この世界の人々に干渉している。そのことは紛れもない事実よ」
「アシュモネ! お前は何を知っている!? アレに何を……いや、アレをどう使うつもりだ!?」
「決まってるじゃない。神を殺すのよ」
ゼロスの顎を軽く持ち上げ、悪女めいた笑みを浮かべるアシュモネ。
四〇〇年ぶりに交わった二人の瞳の奥に宿るのは、今なお消えることのなく燻り続ける憎しみの炎だ。
「そんなことが本当に…………いや、可能なのだろうな。アレを使えば」
自分がここに連れてこられた目的を悟り、ゼロスは胸の内に沸き上がった狂喜に口の端が吊り上がっていくのを自覚した。
もちろんゼロスは神の教えなど欠片ほども信じてはいない。
────だが、もしも。もしもだ。
本当に奴らの信ずる神が実在するのだとして、この世界の人々の精神に影響を与え、人の世に干渉しているのなら……。
あの惨劇から四〇〇年。
憎しみは消えずとも、怒りの炎は虚しさという水をかけられ、とうに消えたと思っていた。
「あなたにはアレの動力源を再現して貰いたいの」
そんなゼロスの心を擽るみたく、アシュモネの甘い吐息が耳元を撫ぜる。
今になって不意に巡ってきた復讐のチャンス。
気づけば、ゼロスの口角は三日月のように大きく吊り上がっていた。
「できなくはないだろう。だが途方もない時間がかかるぞ?」
「問題ないわ。あなたが欲するすべての知識はここにある」
そう言ってアシュモネがどこからともなく取り出したのは、手のひらに収まるサイズの光り輝く立方体。
それは数ヶ月前、魔法都市から持ち去られたモノだった。
◇
──厳冬の大地 神山オソ 山頂付近──
しゅぽんっ!
空中に一瞬だけ開いた黒い穴からどこか間抜けな音を響かせ、炎の塊が雪深い山頂付近の岩場へ放り出された。
炎は降り積もっていた雪を一瞬で蒸発させ、そこだけぽっかりと剥き出しになった岩場に顔から墜落した一人の青年騎士が「がばっ!」と立ち上がる。
「ハーッハッハァ! ボク、参☆上! ……はて、ここはどこだろう」
辺りに人の気配は感じられず、それどころか生物がいるかどうかさえも怪しい。
見渡す限り、そんな寂しくも厳しい銀世界がどこまでも広がっている。
「ふむ……。雪山だ。果てしなく雪深い! ボクはどんな場所でも輝けるけど! できればっ! ボクを必要としてくれる人々がいる場所で輝きたい!」
誰に聞かせるでもなく演劇じみた仕草も交え、ラヴァエルは大きな独り言を吹雪の空へ垂れ流す。
「あっ! そうだいいこと思いついたぞ☆ ここの雪をボクの炎でぜーんぶ溶かしてしまえばいいじゃあないかっ! そしてこの土地を聖法国の領土にしてしまおう! そうすれば我らが聖法国も海に面することができる!」
やめろ! と、彼を止めてくれる者はここにはいない。
そんなことをすれば莫大な水が海へと流れ込み、海水面を急上昇させ、海に面した国家は水中に没することになる。
そればかりか星を巡る気流にも大きな乱れが生じ、各地で異常気象や天災が多発するだろう。
もしもそうなれば世界は破滅だ。
しかし自分へ向けられるであろう賞賛のことしか頭にないラヴァエルはそのことにまで頭が回らなかった。
「ふむ。幸い、ヒロト君もこの大地のどこかにいるみたいだ。こんな吹雪じゃ探すのも手間だし、やるっきゃないよねっ☆」
ラヴァエルの異能【星の目】は、吹雪の中でも大翔のいる方角を正確に捉えていた。
星の目は一度顔を見た者であれば、彼我の距離がどれだけ離れていようと対象が現在どの方角にいるのか感覚的に捉えることができる。
同時に【星の目】は、あらゆる偽装を見破る力も併せ持つ。
迷宮都市で大翔たちの居場所を突き止め、魔法による偽装を見破ったのはこの異能の力だった。
とはいえ【星の目】で捉えられるのはあくまで方角のみ。
上下方向の高低までは分からず、正確な位置は自分の足で探さねばならない。
しかしこの吹雪ではそれも難しいだろう。
尽きることのない承認欲求と、神から与えられた使命。
それらがラヴァエルの思考を鈍らせ、凶行へと走らせた。
「さぁ全人類よ! 刮目してボクを見よっ☆ 聖火天使ラヴァエル・グッドエンドの名に於いて、今ここに神の御業を再現せり!」
炎の翼を羽ばたかせ上空へ飛び立ったラヴァエルが人差し指を天高く突き上げる。
するとその指先に炎が凝縮され、火の玉がみるみる膨れ上がっていく。
「ボクの笑顔で照らしてあげよう☆」
やがてラヴァエルの身長の三倍ほどまで膨れ上がった火球は、勢いよく雪雲を突き抜け、空の彼方へと飛び上がっていく。
────瞬間、熱波が弾け、雪雲が吹き散らされて空に大穴が開いた。
他に遮るもののない青空には依然、ラヴァエルの放った火球が鬱陶しいほどの熱量を蓄え浮かんでいる。
その日、厳冬の大地の空に二つの太陽が登った。
◇
──エスペリサ王国 首都オーラン──
首都オーランを一望できる高台の上に建てられた絢爛豪華な王宮は、この数ヶ月でその雰囲気をガラリと変えていた。
まず、廊下を飾り立てていた壺や絵画が消えた。
王宮にあった多くの宝物は、歴史的な価値のあるもの以外すべて売却されたためである。
それらの代わりに廊下を飾り立てるのは、最新式の魔導武器や魔導鎧など、実用的かつ軍事色の強い品々ばかりだ。
────現在、エスぺリサ王国は国家大改造の真っ最中だった。
この数ヵ月でラルフは強権的に腐敗の温床となっていた各種制度を廃止し、兼ねてから温めていたアイデアを次々と実行していった。
同時に不正貴族たちへの制裁も断行され、それに先立ちラルフは前王を国家反逆罪で銃殺刑に処している。
肉親に対してさえ一切容赦しなかったラルフの態度に貴族たちは恐れおののいた。
期限付きで自ら罪を自白すれば恩赦を与えるという布令が出されると、命惜しさに多くの貴族が王宮へと押しかけ、自らの罪を自白したほどである。
そうした貴族たちへの罰は財産の一部没収に加え、二度と不正を行えぬよう魔法による精神改造を施すのみに留められたが、罪を隠そうとした者や逃亡を図ろうとした者に対し、ラルフは一切容赦しなかった。
長らく私腹を肥やし続けた挙句、自分可愛さに逃げ出そうとした貴族たちの末路は語るまでもないだろう。
質実剛健を体現したかのような王宮の模様替えも、新王の権威を見せつけんとするためのものだった────。
無骨な魔導鎧が肩を並べる廊下を、黄土色の制服が軍靴の音を響かせ進んでいく。
男は王の執務室の前で足を止めると、ネクタイを締め直し髪を軽く整えた後、ドアをノックした。
「陛下! 報告書を持参致しました!」
「入ってくれ」
「失礼します!」
部屋に入った士官が報告書を小脇に抱え、敬礼する。
ラルフが「楽にしろ」と促すと、士官は報告書を提出し、休めの姿勢を取った。
「ふむ、ではゼロス氏の話の裏付けは取れたのだな?」
目の前に置かれた報告書に目を通し、ラルフが士官に問うた。
エスぺリサ王国公認勇者であるヒロト・スズキを中心とする冒険者パーティー『聖銀の刃』。その所在は王が今もっとも気にするところであった。
「はっ! 厳冬の大地南西部に鍵の反応を確認しました」
「そうか。ではすぐにでも『オーラン』の出港準備を進めてくれ」
「はっ! それともう一つ、ご報告がございます。詳しくは資料の十七ページをご覧ください」
言われたページにラルフが目を落とすと、気になる報告が記されていた。
聖法国諜報部『神の耳』を名乗る男が、赤ん坊を連れて我が国への亡命を希望してきたというのだ。
「男の素性は確かなのか?」
「はい。鑑定師と精神系異能者を使い二重に調べさせましたが、どうやら本当のようです。ですが一番の問題は赤ん坊の方でして……」
「ふむ、報告書にも書けないようなことか」
報告書に再度目を通すが、赤ん坊に関しての記述は一切書かれていない。
これは何かあるなとラルフが居住まいを正すと、士官は緊張した面持ちで口を開いた。
「実はその赤ん坊も鑑定師に調べさせたのですが……女の子の名前はエリアル・フロストライン。【聖盾天使】のスキルを保有していることも確認されました」
「何っ!? ……どういうことだ」
ラルフは顎に手を当て考え込む。
【聖盾天使】【聖火天使】【聖槍天使】【聖水天使】
これら天使の名を冠する四つのスキルは、特殊な性質を有している。
まず【天使】スキルの保有者は、この地上に必ず一人ずつしか現れない。
そして先代の所有者が死去した場合のみ、スキルは世界中に存在する聖神教徒の中から無作為に選ばれた一人へと継承される。
現在、エリアル・フロストラインは迷宮都市で行方不明となっており、天罰の行使から一ヶ月が経った現在では死亡説すら出回り始めていた。
そんな最中に、渦中の人物と同性同名の赤子を連れた聖法国の諜報部員が亡命してくるなど、そんなことが本当にあり得るのだろうか。
「……確認するが、男の方は精神系の異能の影響は受けていなかったのだな?」
「はい。何度も確認させたので間違いありません。本人いわく、かの国の欺瞞に嫌気がさしたそうです」
「だからといって亡命先に我が国を選ぶだろうか……」
余程肝が座っているのか。あるいは腹に一物抱えているか。
どちらにせよ異能による判定で白と出た以上、本人の言葉を信じるほかない。
「赤ん坊は現在どうしている?」
「警邏隊の詰め所で持ち回りで世話をしております」
「……ふむ。いつまでもそのまま、というわけにもいくまいな。分かった。マーサ殿にかけあってみよう。男からは何か聞き出せそうか?」
「それがこちらが聞かずとも自分からペラペラ喋りまくっておりまして……。現在は諜報部に裏付けを取らせているところです。そちらは詳細が判明次第、報告書をお持ち致します」
「分かった。引き続きよろしく頼む」
「はっ! 失礼します!」
敬礼した士官がキビキビとした動きで退室していく。
また頭痛の種が増えてしまったと疲れた溜息を落としたラルフは、眉間にシワを寄せたまま窓の外を見やる。
「────淫魔王め。何を企んでいる?」




