0094.a 進路決定
──迷宮都市ダンジョン ゼロスの隠れ家(side大翔)──
泥の底に沈んでいた意識が次第に浮上していく。
光に誘われるように目を開けるが────身体が重い。
どうにも思考が纏まらず、意識が空気中に霧散していくみたいだった。
しばらく天井の明かりをとりとめなく眺めていると、ぼやけていた視界がはっきりしてくる。
「知らない天井だ」
まさかこのセリフを冗談以外で言う日が来るとは。
辺りを見渡すと、そこは六畳くらいの狭い部屋だった。
荒く削り出した岩壁を、天井から吊るされたランプが白く照らしている。
俺が寝かされていたベッドの他に家具は何もなく、頭上から降り注ぐ白い光も相まって、なんだか独房みたいだ。
「ようやくお目覚めですわね!」
俄かに胸を満たした嫌な予感を吹き飛ばすように、元気な声が響く。
出入口に首を向けると、部屋に入ってきたアリアと目が合った。
ひとまず敵に捕まったわけじゃなかったらしいと分かり、そのことにホッとする。
「あれからダンジョン内時間で三日が経ちましたわ。ヒロトさまが一番遅いお目覚めでしてよ」
「三日も寝てたのか」
「かなりの強敵でしたもの」
まずいな。
無意識の内にかなりの闘気を使ってしまったようだ。
それだけデリングが強敵だったということだけど……。しばらくは安静にしたほうがいいかもしれない。
「……って、ダンジョン内時間?」
「ええ。わたくしたちは今、ゼロスさまの隠れ家の一つに身を寄せていますの」
なるほど。
美乃梨が運び込まれた隠れ家とは別の場所だったのか。
道理で見覚えがないはずだ。
「ちなみにこの三日で多頭蛇の地下施設にいた輩どもは全員もれなくポティーとおまるのオトモダチになりましたわ!」
「あ、うん。よかったね?」
……おまる????
「改造手術を受けた子どもたちは全員、リゼラの魔法で元通りの身体にして、ゼロスさまの知人が経営する孤児院へ送り届けましたわ。心の傷になりそうな記憶も消しましたし、院長先生も子どもたちの親探しに協力してくださるそうですわ」
「そっか。よかった」
そこは俺も気掛かりだったから、ひとまず一安心だ。
マーナちゃんのように親から無理やり引き離されて人体実験の材料にされた子どもたちは、きっと探せばまだ世界中にいるかもしれない。
それでも手の届く範囲にいた全員を救えたのは良かったと思う。
「あの胎児たちはどうなったの?」
「全員、リゼラの魔法で鳥にして野に放ちましたわ。できることなら人間として生まれさせてあげたかったのですけど、数が数でしたし、育ててくださる方のアテもありませんでしたもの……」
「……まあ、あの数だもんね。でもそんなことして大丈夫だったの?」
「キュリキアさまの許可も得られましたし、問題ありませんわ。おそらく今後、新たな種として少しずつ数を増やしていくことでしょう」
里親を探すにしても、あの数だ。人の子としての生を与えるのが現実的じゃないのは俺でも理解できる。
アリアとしても苦渋の決断だったのだろう。
それでも、事の結末を語ったアリアの表情は、鳥としての生を得た胎児たちの幸せを心から願っているように見えた。
「美乃梨は?」
「それが……」
────アリアの話によると、美乃梨は今、リゼラの魔法で醒めない眠りについているらしい。
いわゆるコールドスリープというやつだ。
黒竜との精神的な繋がりは断ち切ったものの、依然として魔石は美乃梨の体内に残ったままだ。
時間が経てば再び黒竜との繋がりは復活し、いつ竜の破壊衝動に飲み込まれて暴走してしまうか分からない。
そして黒竜との繋がりの復活はこちらの予想よりもずっと早く、美乃梨の調子は日に日に悪くなる一方だったそうだ。
「このままでは自分が自分でなくなってしまうと、ミノリさまご自身がリゼラに頼んで、眠りに……」
「リゼラの魔法で治せなかったの?」
「力を増した黒竜からどんな抵抗を受けるか分からないと、ゼロスさまが」
僅かに無力感を漂わせ、首を横に振るアリア。
魔物化した子どもたちですら元通りにしてみせた完全治癒魔法ならと思ったのだが、そう都合よくはいかないか……。
「精神的な後遺症を残さないためにも専用の道具を作る必要があるそうなのですが、それを作るにもここでは設備が足りないそうですわ」
もっと早く迷宮都市に来ていれば。
一瞬そんな考えが頭を過るが、すぐにそれが無意味な“たられば”だと気付いて歯噛みする。
デリングにはリカルド・ヴァイパーという表の顔があった。
リカルドは人道支援に力を入れている人格者として広く知られているし、そんな人物がまさかあんな人体実験を繰り返しているだなんて普通は思いもしないだろう。
今回、俺がデリングの闇に近づけたのは、美乃梨があの地獄のような地下牢を命からがら逃げだしてきたからだ。
もしも運命の歯車が一つでも狂っていたら、この結末はあり得なかっただろう。
「……ん?」
ここで俺は一つの違和感を抱いた。
なんだ。何が引っかかって……あ。
「……もしかして最初からリカルド・ヴァイパーが黒幕だって知ってた?」
「わたくしの前で聖人のふりは通用しなくてよ」
俺が尋ねるとアリアが腕組みして「むふー!」と得意げに鼻を鳴らした。
ポスターを見たときのアリアの反応はそういうことだったのか。
「ですがミノリさまが捕まっていたことまでは知りませんでしたし、今回の件は本当に歯車がピッタリ噛み合った感じですわね」
それこそ誰かの作為を勘ぐってしまうほどに。と、アリアが冗談っぽく笑う。
もしそうだと仮定するなら、今までの俺の旅路も、美乃梨を救い出すためだけに誰かが裏でイベント調整していたということになってしまう。
一瞬、劔の顏が脳裏を過る。
いやいや、まさかそんなこと。……ないよな?
「それはさておき! 今、外では大変なことになってますのよ!」
柏手一つ、アリアが強引に話題を逸らした。
アリアが言うには、地上はあの大崩落からすでに一ヵ月以上が経過しており、大崩落の責任の所在を巡ってかなりピリピリしているらしい。
「────と、いうわけで、今地上にノコノコ出ていったら、あっという間に聖法国にわっしょいされて短気な天使さまの尻拭いのために不死魔王の城へカチコミさせられますわ!」
「なるほど????」
「要はこのままだと聖神教の権威回復のための象徴にされそうということですわ」
聖神教において、神命は何があっても絶対に実行しなければならないものらしい。
そして今回大崩落を引き起こした聖盾天使エリアルは、ゼロスさんの抹殺という神命を実行するために動いていた。
エリアルの使った【神罰】というスキルは、聖神教の教義に照らし合わせて範囲内にいる人間を善と悪に振り分けるらしい。
そうして人々を善と悪に分けた後、神を信ずる善人には光の加護を、悪人は問答無用で焼き払う。
迷宮都市のあるウルファール共和国は聖神教を国教と定めているので、聖法国としては国教に背いた罪人を裁いたという言い訳が一応だが立つ。
とはいえここは様々な人種・宗教・イデオロギーが入り乱れる迷宮都市だ。
しかもアリアいわく、大崩落のあった第三区はエスぺリサ王国系の企業が殆どを占めており、事実上の飛び地扱いなのだという。
「ついこの前オーランで聖神教のマッチポンプが暴露されたばかりだというのに、立て続けにこれですもの。聖神教の信用はガタ落ちですわよ」
実際、今回のことが原因で聖法国関連の株価も大暴落したらしい。
そこに加えて不死魔王の問題も残されている。
不死者の軍勢は想像を超える速度で進軍しているようで、被害を食い止めるべく、四天使のうち残りの三人は全員そちらに出払っているらしい。
「ですので今後、聖法国は形振り構わずヒロトさまと接触を図ろうとしてくるはずですわ!」
「……どうしよう」
「今からみんなで迷宮都市脱出の作戦会議を開きますわ! ついていらして!」
と、アリアに肩を貸してもらい部屋を出る。
狭い廊下を進むと、奥の方から美味しそうないい匂いが漂ってきた。そういえばあれから何も食べてないな。
「みなさまー! ヒロトさまがお目覚めですわよー!」
案内されたのはごちゃごちゃと散らかったリビングルームだった。
中央に置かれた大きなテーブルの周辺だけひとまずといった感じで片づけられているが、壁際に追いやられた用途不明の道具たちが雪崩を起こしている。
「ん? おおヒロト! やっと起きたかこの寝坊助め! ほらこっち座れよ。腹減ってるだろ?」
と、骨付き肉にかぶりついていたアーシュラが俺を手招きする。
見ればみんなでテーブルを囲んで食事中だった。
さっきのいい匂いはこれか。
すると心配顔のリゼラがわざわざ腰を上げて俺の側にやってくる。
「具合はどう? 痛みはない?」
「心配かけてごめん。どこも痛くないよ」
「そう。よかった。熱は……平熱ね」
と、俺のおでこに自分のおでこを当て熱が無いことを確認し、ホッと胸を撫でおろすリゼラ。
ちょ、なんか距離感近くない!?
デリングと戦う前に美乃梨と何か話していたみたいだったけど、何か心境の変化でもあったのだろうか。
「だ、大丈夫だってば! それより見てたら俺もお腹空いてきちゃった」
「それなら野菜のスープがあるわ。三日も寝込んでたんだし、いきなり固形物はやめたほうがいいわね」
「わたくしの自信作ですわよ!」
リゼラに介助されながら絨毯の上に腰を下ろすと、アリアが器に野菜スープをたっぷりよそってくれた。
じっくり煮込んだのか、野菜は影も形もなく崩れ去ってスープに溶け込んでいる。
いただきます。……ほっ。胃に優しい味。
「さて、全員揃ったことだし会議を始めるぞい!」
と、音頭を取ったのは赤ら顔になったゼロスさんだ。
傍らには黄金色の炭酸がなみなみと注がれたガラス製のジョッキがある。
どう見てもお酒だよなアレ。緊張感ゼロだ。
「ヒロトさまには、目を覚まされた時にだいたいの現状を共有済みですわ!」
「そうか、なら話が早いな。どう向かうかは後回しにして、亡命先はエスぺリサ王国、あそこしかない! ミノリの手術に必要な道具の作成もあの国なら容易だからな」
ゼロスさんがぐびぐびお酒を喉に流し込むと、全員が頷いた。
確かにエスぺリサ王国なら王様とも顔見知りだし、お願いすれば色々と便宜を図ってくれるかもしれない。
「そうなるとやっぱり、どうやって地上の包囲網を突破するかが問題よね。海を渡るにも船は全部見張られてるでしょうし」
「やっぱりもう一度みなさまを冥界収納にぶち込んで、わたくし一人で脱出するのが一番簡単……」
「「「「却下!」」」」
「むぅ! わがままですわね!」
全員から猛反対され、アリアが拗ねたようにむっすりと唇を尖らせる。
確かにアリアの案が一番確実ではあるのだけど、冥界収納はできることなら二度と入りたくない。
なにせ収納されている間、ずーっと冥界の冷気に晒され続けることになるから、とにかく寒いのだ。
冷凍庫の比ではない。正真正銘、魂まで凍る冷たさである。
あそこでは現世の防寒具も魔法もまったく役に立たない。
あと少し出るのが遅かったら芯まで氷漬けになって死んでたかも。
「となれば、やはり転移門を使うしかあるまいな。それがいい! そうしよう! それしかない!」
冥界の寒さが余程堪えたのか、ゼロスさんがやけに大きな声で話を戻した。
「でも、オーランに通じてる転移門は爆発で吹き飛んじゃったんでしょう?」
リゼラが確認すると、ゼロスさんは「うむ! 木っ端微塵にな!」と豪快に笑い、さらに続けた。
「だが外の大地に繋がる門はまだ二つ残っておる。一つは古の獣の大地へ。もう一つは厳冬の大地へ通じる門じゃな」
「どっちも過酷な土地ね」
「そんなに?」
「厳冬の大地はその名の通り寒さの厳しい土地よ。……まあ冥界収納の中に比べたら暖かいとは思うけど。それと人食いの蛮族がいるって噂もあるわね」
自分で言って冥界の寒さを思い出したのか、リゼラはぶるりと身震いした。
人食いの蛮族。そういうのもいるのか。怖いな。
「古の獣の大地はオレの親父の故郷だな。沿岸部は比較的過ごしやすいみてぇだが、内陸の方に行くと山ほど巨大な魔物がうじゃうじゃいるって話だぜ」
アーシュラの説明に俺は覇龍山脈を跨いだベヒモスの姿を思い出す。
あれがうじゃうじゃいるのか……。
どう考えてもエンディング後に行く超高レベルエリアだな。今のレベルじゃ間違いなく死んでしまう。
「蛮族のいる極寒の土地か、人外魔境か。嫌な二択だなぁ……」
「だからこそ借金取りを巻くにはちょうどよかったのだ。それに蛮族とは言うが、彼らは独自の信仰を持つだけの狩猟民族じゃ。訛りはちとキツイが話してみれば気のいい奴らばかりじゃぞ」
「じゃあ実質一択じゃないですか」
「そうみたいね」
「だな」
「ワクワクしますわね!」
というわけで、次の行き先は満場一致で厳冬の大地に決定した。
「うむ。しかし厳冬の大地に向かったとしても、大きな問題が一つある」
「大きな問題?」
「港が無いのだ。海が凍っておるからの」
「じゃあどうやってオーランまで帰るんですか」
「一応、心当たりが無いわけでもない。……しかし不確定要素が多くてな。他に安全に海を超えられる方法があるならそっちを試した方がいくらかマシじゃろうな」
何だろう、その方法って。
気になったけど、ゼロスさんはそれ以上教える気はないらしく、視線で促しても無視されてしまった。
「ちなみに古の獣の大地には一応港はあるが、あそこは他に行き場のない無法者の吹き溜まりじゃ。正直オススメはせん」
余程嫌なことを思い出したのか、ゼロスさんが苦虫を噛み潰したような顔をした。
この人がこんな顔をするなんてよっぽどだぞ。
「じゃあ厳冬の大地へ行くのは確定として、どうやってオーランへ帰ろう」
「わたくしが船に変身するのも一つの手だと思いますわ! 人魚の涙もありますし航海の安全は保証しますわよ」
「うーん……。いくら人魚の涙があると言っても、あの小舟で凍った海に出るのは不安よね。それに全員で乗るには狭いんじゃない?」
アリアの案に難色を示したのは、意外にもリゼラだった。
霧の館のあった廃村からオーランへ向かう際、俺たちはアリアが変身した小舟に乗って川を下っている。
とはいえ運河と外洋では勝手も違うだろうし、クラーケンのような超大型の魔物に襲われたらひとたまりもない。
「むぅ……。じゃあどうしますの? わたくしのブレスで海を凍らせて、ヒロトさまと二人でソリでも引きます? 幽歩を使えば普通に歩くよりはずっと早いはずですわ」
「うーん、それもできればやりたくないかなぁ……。それよりラルフ陛下に手紙を書いて、飛行戦艦で迎えに来てもらえばいいんじゃないかな」
「それで来なかったらどうすんだよ。あんなのでも一国の王だぞ。オレらのためだけにあんなデケェ船、そうそう簡単に出港させらんねぇだろ」
「そうね……。まぁ、一応手紙だけでも送っておきましょうよ。来てくれるかは分からないけど、可能性は少しでも増やしておくべきだわ」
「アーシュラより愛を込めて。とでも書けば、政務をかなぐり捨ててでもすっ飛んできそうですわね!」
「あはは、確かに」
「や め ろ!!!!」
と、そんなわけでラルフ王宛てに同じ内容の手紙を何通か書いた。
リゼラが魔法をかけると、手紙はひとりでにパタパタと折り畳まれて折り紙の鳥へと姿を変える。
あとは空の見える場所に持って行けば勝手にオーランまで飛んでいくらしい。
「これでよし。それで、肝心の転移門はどこにあるのよ」
「第六区の外れじゃ。ここからだと結構距離があるし、厳冬の大地では何が起こるか分からん。しっかり休んで準備を整えてから出発するぞ」
そんなわけで今日明日は準備と休息に充て、明後日の早朝に出発することとなったのだった。




