人は何の為に生きるか(1)
えー、実はかつて不肖このわたくしは「人生・人間とは何か、何の為に我々人間はあるのか、何の為に生きるのか、万生万物はすべて偶然の産物なのか、神は存在するのか…」などと、しょうもないこと(?)を真剣に悩み、それが嵩じた余り公務員職を投げ打って、その解答を求めるべく、広く世界中を放浪をして歩いた経験があるのです。えー、しかしそのお陰で今はほぼプータロー然として居るのですが(観客笑う)…。
まあ、あれですわな、そんな、歴代の蒼々たる哲学者のお歴々が追求しても分からなかったことを、最平凡人たるわたくし如きが追求したって分かる筈がない分けです。それこそ「井の中の蛙大海を知らず」の最たるものですな。えー、しかしですな、それじゃあまんず仕方なかっぺさと云って、うっちゃってしまえるほどに、わたくしが仕出かしてしまった「人生の無駄使い」ではない分けです。それで済ませてしまっては御先祖様に、また何よりもわたくし自身に申し訳が立ちません。
えー、それで、ちょっと話が飛ぶようですが1930年代の中華民国の女流作家で蕭紅という方がかつて居られました。作家紹介は避けますがその方の小説で「手」という作品がございまして、その中で蕭紅女史は「貧乏人は最後はおかしくなる」という一語を記しております。なぜおかしくなるかと云うと、そのう何と申しますか、わたくしのような貧乏人というものは偏見と差別に充ちて理不尽な世の中に、また財・権力者らの横暴(例えば私で云えば、睡眠さえ奪い満足に仕事にも就けさせない…等のことです)に抗って、色々と奮闘努力する分けですが、しかし遂には刀折れ、矢尽きて自暴自棄となり、最後は〝おかしくなってしまう〟という分けですね。あの、失礼ですがよく巷に居られますよね、やつれた風体をして「✕〇✕△✕〇✕…」とか「△✕〇✕〇✕△✕!」とか、分けのわからないことをつぶやいたり叫んだりして居られる方が。




