源七とは半井桃水
ですから実は、この今一人の一葉とお力こそが本当の一葉でありお力である分けですね。この本当の自分が現実の自分に対して自負心を持っている。一葉自身で云えば「私は女だてらに男と拮抗して小説を書いている。男に負けないほどの。のみならず私は書いた作品と自分との、引いては人生との一致を目指している。それもこんな貧窮の中にあってだ。私という女は大したものだ」てな具合いですね。お力で云えば先の述懐に加えて「私は酌婦だけどいつか朝之助の内儀になって見せる」でしょうか?で、ですよ。ですから、これが源七に投影した先の一姿という分けです。
では今ひとつの投影とは何だったのでしょう?
これは…敬愛する一葉さんの手前ちょっと云いにくいですが、そのう…半井桃水だったのではないかと思うのです。一葉に小説のイロハを手解きし一葉が(時に女として?)敬愛していた桃水は、往時朝日新聞の新聞小説家の地位にありましたが余り作品の評判が芳しくなく、経済的に困窮していたと云います。彼は門下生だった一葉の才能を見抜き、これにと云うか、それが嵩じて一葉自身に、好意的な感情以上のものを抱いていたとされています。妻帯者だったが既に離婚しており、また好男子だったこともあって、一葉の彼への想いも相当なものであったことは一葉が残した日記からも容易に知れます。すればどうでしょう?この関係とシチュエーションは源七とお力のそれに被りはしますまいか。であるならば、お力が源七を憎かろう筈はございません(例え生活に破綻を来たしていようともです)。この愛する源七に、(もし)半井桃水に殺められるのであればお力は、一葉は、敢てそれを肯じ得たかも知れないのです。ですからこれだけのことであったらば、決して前言の「御霊は浮かばれずに迷うたままなのでしょう」ということはないですね。




