源七とは誰?何者?
さて!(張り扇一擲!)あの方(客B)の横槍のせいで斯くも長き講談となってしまいました。へへへ。えー、では最後に、一葉の名歌一首を添えましてお力を弔い、終わりと致したいと存じます。
「いさゝ川渡らばにしきと計に散こそ浮かべ岸のもみじ葉」〔※いささ:小さい〕
まさにこの歌の通りのことでございます。あの紅葉すれば美しい、高木となる楓ではあってもそれが川岸に生えているならば、歩いて向こう岸に渡ることはできません。当たり前、へへへ。しかし美しく紅葉したもみじ葉であるならば、木から散ってこそ、あちら岸へと、彼岸へと渡ることがあるいは叶うやも知れません。そのもみじ葉とも云うべきお力は散って(散らされて?)彼岸へと、なかんずく悟りの彼岸へと到達できたのでしょうか?原文の「恨は長し人魂か…」を見る限りそうとは思えませんね。御霊は浮かばれずに迷うたままなのでしょう……しかし、しかしですよ、皆様。ここで改めて私が問いたいことは、このお力を殺めた憎っくき源七とは、これはいったい誰でしょう?何なんでしょう?……いやもちろん、小説で云えばそれは妻帯者でありながらお力に岡惚れして廓に通い続け、身上を潰しかねない男である分けなのですが、恐らく…この源七というのは作者・一葉も気づいていなかったかも知れない、一葉がこの男に投影したところの自己の一姿、いや二姿があったと思うのです。そのひとつは、この源七は一葉自身、引いてはお力自身の姿と云うか思い、姿勢だったのではないでしょうか。つまり一葉の中に居る今一人の一葉が現実の一葉に岡惚れしている分けです。あるいはお力が「私は凄い。菊の井にはもったいない程のイイ女だ」とばかりに自分に思い入れをしている…と見るのです。




