恨(うらみ)は長し人魂(ひとだま)か…
…何のあの阿魔(海女)が義理はりを知らうぞ湯屋の歸りに男に逢ふたれば、流石に振離して逃る事もならず、一處に歩いて話しはしても居たらうなれど、切られたは後袈裟、頬先(ほゝさき)のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる處を遣られたに相違ひない、引かへて(それに比べて)男は美事な切腹、蒲團屋の時代から左のみの男(女遊びなど、いい加減な男、落語言葉で云う半公)と思はなんだがあれこそは死花、偉さうに見えたと云ふ、何にしろ菊の井は大損であらう、彼の子には結構な旦那がついた筈、取逃しては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふ者もあり、諸説乱れて取止めたる事なけれど、恨は長し人魂か何か知らず筋を引く光り物のお寺の山と云ふ小高き處より、折ふし飛べるを見し者ありと傳へぬ」
と、かかる名調子にて一葉はお力の最後をまるで新聞報道で事実だけを伝えるように、ただ淡々と描いております。お力の無念のほども源七の男冥利と云うか覚悟のほども、2人それぞれの口を使っては何も述べておりません。但し、こちらも一見感慨無さ気を装ってはいますが「恨は長し人魂か…」で始まる最後の3行にはお力の、あるいは一葉の(?)淡白を装った分だけ、実に深い恨み辛みが滲み出ているような気が致します。その恨み辛みとはお力で云えば自らを錯覚させているとは云え、やはり朝之助に添う前にダメ男(?)である源七に殺められてしまったことと、父・祖父から受け継いだ自らの因業を真っ正面から見つめて立ち向かい、これを解消できなかったがゆえでしょう。
〔※「にごりえ」原文はすべて文藝倶樂部・青空文庫から引用しました〕




