ささやかなダイアローグ
――会食の結果。
リリフィーヌは当分の間《大砦》に滞在し、体力が回復次第という事で、パピの父親が村長を務める「村=洞穴クラスタ」への受け入れが決まったのであった。同年代の気心の知れる知人が居るという事で、少しホッとする。
翌日――風は少し強いものの、快晴だ。今日の風で、雪解けがいっそう進むに違いない。
竜体への変身はまだ禁じられているが、少しの間なら外を出歩けるという程に回復して来ている。リリフィーヌは、リハビリがてら――パピやパメラの手芸作業の手伝いの合間に、まずは部屋の窓の直下に見える緑地に降りてみようと思いついた。
直下に見える緑地は、気持ち良さそうな緑の芝草に覆われている。高原性の樹木を取り巻く緑の葉も、本番さながらの濃い緑色だ。
婆神官の話によれば、後1週間もすれば、ほとんどの村人が方々の洞穴クラスタに散らばる予定との事だ。その前日は大広間で《大砦》冬ごもり終了の打ち上げがあり、ちょっとしたお祭り騒ぎになると言う。パピやパメラ、他の村人たちにしても、その準備作業で大わらわだ。
繁忙期の人の時間を取るのは心苦しい。リリフィーヌは、手持ちの魔法の杖を梯子に変えると、窓から直接、降り始めた。地上の緑地まで5階層ほどの高さだ。何となく記憶にある、摩天楼が並ぶ街区の高層ぶりに比べれば、ドウという事は無い。
中ほどまで降下した頃だろうか――
「――何してる!?」
リリフィーヌは、ただでさえ神経過敏な状態だったのだ。以前は、絶対にやらかさないような間違いをした――
誰何の鋭い声音にギョッとした弾みで、手を滑らせ、梯子から転落したのである。己自身の失敗に愕然とする余り、悲鳴を上げる事すら忘れていた。
武官としての記憶通りに、素早く受け身の姿勢を取る。しかし、病み上がりに近い身で、しかも全身の鱗がほぼ失われている状態で――地上との激突に耐えられるだろうか?
――数秒後、リリフィーヌの身体を襲ったのは、地面の硬さでは無かった。リリフィーヌは目をパチクリさせる。
いつか見た覚えのある、蒼穹の色を映したような青い目がリリフィーヌをのぞき込んでいた。
*****
涼しい風が、樹林の間を吹き抜けて行く。
「悲鳴すら上げず、スーッと落ちて来るからビックリした」
――と、グーリアスは、硬い声でボソッと呟いた。
グーリアスは色々と言いたそうな顔をしていたが、最初に誰何で驚かせた側だという事もあるのか、それきり口を噤んだ。蒼穹の色を映したような青い目で、リリフィーヌをジッと眺めて来る。
――私、そんなに変な風に見えるんだろうか? 白緑色の髪は、確かに色が薄すぎる方だと思うが。今着ている服か? エスメラルダ卿いわく訪問着だから、確かに緑地を探検するには、少し妙な格好には違いない筈だが――
リリフィーヌは、梯子から落下した恰好そのままにグーリアスに抱えられて移動させられた後、少し先にある樹林の中のベンチに座らせられ、バツの悪い思いで、物問いたげなグーリアスの視線を受けるのみである。梯子は既に魔法の杖の形式に戻っており、今はベンチの脇に立つグーリアスの手に押収されている状態だ。
――流石に、辺境警備部隊の小隊を指揮する小隊長の1人と言うべきか。
一見して、くつろいだ風の立ち姿に見えるのだが、感心する程に隙が無い。不意を突いてタックルしても、逆に取り押さえられる羽目になるだろう。
リリフィーヌは未練がましく魔法の杖にチラリと目をやり、ついでに、グーリアスの背後に広がる『雪白』を眺めた。
こんな状況ではあるが、このベンチからの『雪白』の眺めは、まさに絶景だという事に気付く。此処にベンチを設置した人物は、この眺めを飽かず楽しんでいたに違いない。
「――美しい光景ですね」
「あぁ。綺麗だと思う」
地元の人でもそうなのだと、リリフィーヌは納得したのだが――どうも妙だ。グーリアスの視線は、『雪白』の方を向いていないような気がするのだが……
リリフィーヌが疑問顔でグーリアスの方を見つめると、グーリアスは何故か、あの時のように瞬きした。いつも『しかめ面』なせいか、分かりにくい男だ。おまけに、非常に口の重い――必要事項しか喋らないタイプらしい。
リリフィーヌは少し思案し、当たり障りの無い話題から始める事にした。
「この《大砦》には転移基地があると聞きましたが、私が湧いて来たと言う転移基地は、どちらに?」
「城門前の広場の真ん中だ。此処からだと、《大砦》の構造上、城門前広場とは隔絶されているから見えにくい。『見張り回廊』や正門扉からであれば見える」
――少しずつ事情を聞いてみれば、転移魔法陣の基底床の上で意識を失っていたリリフィーヌを、最初に確認した隊士だと言うでは無いか。リリフィーヌは思わずベンチから飛び上がり、身を乗り出していた。
「確認しますけどグーリアス殿、私の髪の色は、目の色は、その時から、こんな色でしたか!?」
グーリアスはリリフィーヌの剣幕にギョッとしたようだったが、シッカリとうなづいて来た。グーリアスは、あの時のようにジッとリリフィーヌの顔を眺め、過去の記憶と照合しつつなのだろう、ポツポツと語り出した。
「最初は竜人じゃ無い別の異形に見えた。あの時は雪が降っていて、転移基地の底は闇夜並みに暗かった――髪や鱗が白いと言う事よりも、全身重傷の状態の方が記憶に残っている気がする。目の色は見てない」
そこでグーリアスは一旦、言葉を切った。リリフィーヌが意味深な間に気付いて小首を傾げると、グーリアスは思案顔をしながらも、説明を付け加えて来た。
「救急処置が一段落した後、婆神官どのが、シルフィードの目の色の事を話した。暁星だったと。全身麻酔が切れた後、一瞬、意識が戻って、目が合ったとか」
リリフィーヌは暫しうつむき、足元の地面を見つめた。
――そう、ボンヤリとだが、あの時、目の前に見知らぬ老女が居てビックリしたと言う記憶がある。
まだ混乱が残っては居るのだが――此処に転移して来た瞬間から、この状態だったのだと、納得するしか無い。幾つかのハッキリしない断片を残して、過去とは、ほぼ縁が切れてしまったらしい。全てと言う訳でも無いだろうが。
自分の神経過敏の理由は、自分でも分析できている。
――根無し草。寄る辺の無い孤独感。
つらつらと思いを巡らせていると、自然に、この男が窓から顔を出して来た件を思い出した。実に奇妙な事態ではあったが――リリフィーヌは半ば困惑しながらも、呟いた。
「いつだったかは、花を有難うございます。パピがちょっと言ってましたが、珍しい花だそうですね」
グーリアスは、あたふたと顔をそむけた。ムニャムニャと、よく聞き取れない言葉を呟いている。注意深く観察してみると、どうも顔を赤らめているのでは無かろうか。どうやら、あの遭遇は、グーリアスにとっても決まり悪い出来事であったらしい。両者ともに、痛み分けと言ったところだろうか――
グーリアスは、樹林を透かして見える『雪白』を眺め続けていた。一陣の微風が流れ、暫しの沈黙が過ぎた後――
――グーリアスは『雪白』を背にして、再びリリフィーヌを振り返って来た。
「暁星の光で、『雪白』が不思議な――何処までも透き通るような――色合いに染まる瞬間がある。この一帯では、その一瞬を『エフェメラル・アストラルシア』と言っている。あの花の名前も、そうだ。リリフィーヌ殿の目の色は、そう言う不思議な色をしている。リリフィーヌ殿が元気になったら、この《大砦》の展望台から見せたい」
グーリアスを眺めているうちに、不意に――リリフィーヌの中で、確かな直感が閃いた。心臓が、ドキリと跳ねる。
リリフィーヌは絶句し、息を詰まらせるのみだった。




