涼しき蒼穹の下、白妙の風(後)
――そこからは、どうやら呆然自失の状態だったらしい。
パメラとパピが慌てて「ゆだっちゃうわ」などと言いながら駆け寄って来た。ついでにリリフィーヌの頭を洗い、髪も清めてくれたらしいという事を、ボンヤリと感じる。
リリフィーヌは面目ない気持ちになり、ボソボソとお礼を呟いたが、頭がクラクラする余り何が何だか分からない状態だ。
リリフィーヌは薬湯風呂から引き上げられた後、パピの《火魔法》によって手際よく全身を乾燥させられた。此処の患者服の流儀なのだろうか、Vネックの物では無く、古典的なガウン型の寝巻のような物を着せられ、ベッドの上に戻される。
リリフィーヌは、まだ呆然としていた。
「私の髪は、もっと黒かったような気がする……、いえ……、色ムラは割とあったような気がするけど」
パピが、リリフィーヌの髪をしげしげと眺めて来た。
「緑色は付いてるわよ。淡いミントグリーンと言うか……光沢はあるから緑系の真珠色? 白緑色ってレベルだけど」
「髪が白くなる程の大変な思いをしたのね」
パメラが目をウルウルさせていた。リリフィーヌの母親に相当する年代――中年の年ごろと言う事もあり、リリフィーヌを娘のように思い始めているらしい。
婆神官は、杖立てから自分の魔法の杖を取り出して来ると、リリフィーヌの手の平を取った。
手相を読むようなスタイルで、リリフィーヌの《宿命図》を読み込んで行く。神官が専門とする魔法――《神祇占術》が稼働しているのだ。水晶玉の中で、透明感を増した青い光がチラチラとダンスしている。
「竜体は、平均より少し小さい方だね。その割には筋肉の質は良く、武官向き。厳しい戦闘訓練を受けてたのは確かみたいだね。熟練度が高い。地方によっては小柄な武官も居るから、余り変だとは思ってなかったよ。健康運は目下、弱いけど、或る程度なら回復の見込みはある。金運も問題ない。物欲が無さすぎるのが問題なくらいさ。恋愛運は、ちょっと注意が必要という感じかねぇ」
――はて。
過去のボンヤリとした記憶の中では、恋愛運は――と言うよりは、《宝珠》は――
「恋愛運……?」
リリフィーヌの聞き返しに、婆神官は珍しく、ブツブツとハッキリしない事を呟きながら首を傾げた。水晶玉の中の青い光も、首を傾げたような形になった。やがて、キラリと瞬いた後、平常通りのほぼ球形を満たす光の形となって、落ち着いたのであった。
婆神官は、パピがタイミングよく引いて来た大振りな椅子に腰を下ろし、再び口を開いた。
「リリーの《宿命図》は、竜体サイズに対して武官向きの相が強すぎるんだ。あんたの違和感が本当なら、転移魔法陣が稼働している間に事故か何かがあって、《宿命図》の様相が変化して、ドラゴン・パワー……竜体サイズが書き換えられたと考えられるんだがねぇ」
そこまで言うと、婆神官は暫し、魔法の杖の先端部にある青い水晶玉を撫で回した。水晶玉を撫で回すと言う古典的なやり方で、何らかの記憶情報を呼び出しているらしいと知れる。やがて婆神官は一つうなづき、説明を続けた。
「ふむ。金剛石級の基底床を使う魔法陣――《地》の橋梁魔法陣や《風》の転移魔法陣、それに《火》の溶鉱炉魔法陣なんかで、基底床そのものの変形を伴う、想定外の大事故が発生する事が稀にあるんだ。神官用語で『バースト事故』と言うんだけどね」
婆神官は、いつも通りのテキパキとした口調になった。しかし、リリフィーヌを見つめる、そのアクアマリン色の眼差しは気づかわしげである。
「滅多に無いケースだけどね。バースト事故に巻き込まれると、性質の似た《宿命図》が共鳴して、その様相が変化するらしい。大昔、竜王都の回廊と城壁を支える橋梁魔法陣のデカイのが吹っ飛んだ時、そこに居合わせた《地霊相》生まれの人の《宿命図》が大きく変化したという、真偽不明の伝承があるんだよ。何にせよバースト事故を切り抜けた生存者が居ないから、雲をつかむような曖昧な話だが」
リリフィーヌは、「そう言う事なら」と何となく納得した。初めて聞いた内容が多いが、竜王都の橋梁魔法陣に起きた大異変については、そんな感じの話を小耳に挟んだという記憶が、ボンヤリと残っているのだ。
リリフィーヌの納得顔を眺め、婆神官は思案深げな顔になって沈黙した後、再び話を再開した。
「転移魔法陣の誤作動――雷電シーズン中の落雷事故や、四大《雷攻撃》魔法による誤作動なら、無くは無いね。雷電シーズン中の転移魔法陣の使用が、厳しく禁じられている理由でもある。リリーも、その辺の一般常識は承知してると思うがね」
リリフィーヌは、婆神官のその確認に、うなづいて見せた。常識的な事は、何故か覚えている。
婆神官の話は続いた――その語りは、プロの語り部そのものだ。リリフィーヌは、暫し引き込まれていた――幼体が、歴史人形劇を上演する語り部たちの演技に引き込まれている時のように。
「転移魔法陣が四大《雷攻撃》の類を受けると、魔法陣の形が切り刻まれて、組み込まれていたエーテルが噴出するんだが、同時に雷撃が転移しまくって、あちこちの転移魔法陣に飛び火して感電事故を起こしまくるのがある。それに運悪く巻き込まれた竜人の髪、つまり竜体の時の鱗がマダラに脱色されちまった、記憶も飛んだ、という事例があるよ。リリーの火傷の半分は感電事故の物に似ていたし、そんな感じだったんだろうね」
婆神官は語り続けながらも、魔法の杖の先の水晶玉で、額をコツコツと叩いていた。思案している時のクセらしい。
「誤作動を起こした転移ルートを割り出すのは、カオス問題を解くのと同じで、不可能なんだ。リリーが何処から来たのかというのは流石に特定できないけど、相当に追い込まれていた状態だった事は確かだね」
婆神官の後ろでは、パピとパメラが興味津々で耳を傾けていた。相当に珍しい話だったようだ。この話も、《大砦》に居る他の人たちに広まるに違いない――身元不明の女に関する新情報として。
「誰か強い魔法使いが、バーサーク体を倒そうとして四大《雷攻撃》をやらかしたに違いないわ。麓や平原の方では本格的な戦闘があったとか、そういう噂が来てるし、バーサーク騒動もあったばかりだし」
「竜王都の大改革だか大政変だか知らないけど、とばっちりに巻き込まれる方としては、たまったもんじゃ無いわよねぇ。英雄公のとんでもない武勇伝とか……幾つもの街区が吹っ飛んだとか、転移基地が吹っ飛んだとか、仰天モノだし」
パピとパメラの時事雑談が、一段落した。
婆神官は、額にコツコツと当てていた魔法の杖を降ろし、思案顔を解いた。フッと息をつくと、リリフィーヌの方を振り向いて、アクアマリン色の目を面白そうにきらめかせる。
「凶星《争乱星》が入っているかどうかは、この婆には分からんが。リリーの《宝珠》の相は、フラフラしてる状態なんだ。『恋愛運は注意が必要』と言うのは、そう言う事だよ。明らかに独身で――まっさらな《宝珠》で、恋人の気配も婚約者の気配も皆無。しかも結婚適齢期なのに、《宿命の人》を見つけにくい状態だからね。その気があるなら、自分の目と耳と感覚をフル動員して、見つけな」
婆神官の説明が終わった。リリフィーヌは、呆然として呟いた。
「独身……、恋人や婚約者の気配が、皆無?」
――どういう事だろう?
強烈な違和感がぬぐえない――が、婆神官が言うからには、真実であるに違いない。
そこへ、パピがニヤニヤして口を突っ込んで来た。
「あーら、挙動不審なヤツなら、すぐそこに居るわよ」
パピはニヤニヤしていたが、すぐに、そのニヤニヤは盛大な吹き出し笑いに変わった。相方のパメラが、ヤレヤレと言った風に額に手を当てて首を振る。その横で、パピは腹を抱え、涙を流し、ピョコピョコ飛び跳ねながら、壁をドンドン叩いて大笑いする勢いだった。
「あの、いかつい顔で、一体どんな顔して花を花瓶に挿して行ったのかと考えると、あぁ可笑しいわ!」
エスメラルダ卿は「フォフォフォ」と笑い、リリフィーヌは目をパチクリさせた。




