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最北部の辺境という所(前)

薬湯風呂を使ってから3日後。


リリフィーヌの重傷の中で最も深刻だった腹部の傷跡が塞がり、遂に全ての包帯が取れた。


食事も徐々に、通常の物となった。辺境ならではの素朴なメニューである。筋肉が回復して来ると、病み上がりさながらに補助杖付きではあるが1人で歩けるようになって来て、衣服も襟の高い上衣アオザイを含む薄緑のパンツスタイルになった。流石に傷病者向けの、時代の影響を受けない簡素なデザインだから身に着けやすい。


この3日間、リリフィーヌは、《大砦》周辺の地理や歴史、生活スタイルについて、エスメラルダ卿とその弟子である若手の神官の男から、少しずつ教わった。若い男の神官は、やはり、婆神官の孫だった。


リリフィーヌは、どうやってか自分が、本当に世界の端に転移して来たのだと言う事実を知って、最初は呆然とするばかりであった。


真相は今なお不明だが、リリフィーヌは雷攻撃エクレール魔法を受けた中小型の転移魔法陣の誤作動に巻き込まれたと推測されると言う。そして、極めて出現確率の低い――幸運にも寿命の長い――分岐ルートに吞み込まれた。そこから次々に分かれて延長して行った小さな分岐ルートを渡って行き、最終的に、《大砦》の転移魔法陣に湧いて来た――らしい。


――此処、竜王国の最北部の辺境は、飛び地となっている竜王国領土の一つだ。周辺には、獣人、鳥人、魚人など他種族の王国領土が、やはり飛び地スタイルで散在している。緩衝地帯を兼ねた空白の土地が、あちこちにあるのだ。


いずれにしても深い峡谷に彩られており、夏の通商シーズンごとに回って来る辺境ルートの軍需物資の運搬業者や、深山幽谷を専門とする巡礼者や隊商――放浪癖のある変人の竜人や、渡り鳥タイプの鳥人が多い――以外は滅多に来る事は無いと言う徹底した僻地だ。


春・夏・秋の間の居住スペースは、竜人がまだ人体変身の能力を得ていなかった古代から変わらぬ、谷間に点々と掘られた洞穴である。洞穴の中に人体向けの集合住宅を建てて数世帯が共住するスタイルであり、そうした洞穴が十数個集まったクラスタが、村とされている。勿論、作業小屋となっている洞穴や、倉庫代わりとなっている洞穴もある。


そして、そうした峡谷の個々の洞穴クラスタ――村々をつなぐ人体向けの交通手段は極めて限られており、剥き出しの鎖場と梯子しか無い。


《大砦》とは別に、村ごとに魔物対策用の小ぶりな砦が分散している。春・夏・秋の間は村長が特別に、村ごとの担当の隊士メンバーと共に此処に詰めているのだ。


冬季は完全に連絡が寸断される。各々の洞穴に分散していた住民は、『雪白』の山おろしに襲われる厳しく長い冬の間、奇跡的に広い平地を伴う、麓に近い《大砦》に集まって冬越しをするのだ。転移基地を置ける程の平らなスペースがあるのは、此処しか無い。色々考えると、リリフィーヌは幸運だったと言えるだろう。


*****


1週間ほど経った後の日の夕方――


《大砦》の役人たちと、会食を兼ねて面談を行ない、リリフィーヌの今後の身の振り方を決めるという事になった。


リリフィーヌが歩ける程度に回復してから後も少し間が空いたのは、すこぶる強い魔物が《大砦》の城門前広場や転移基地に連日転移して来て、その撃退と始末に数日ほど要したからだそうだ。


リリフィーヌが転移基地に現れた際、尋常ならぬ大量のエーテルが飛び散った。周辺の魔物たちは日を追って痕跡を辿り、発生源たる転移基地にまでやって来た。退魔樹林に防護された城壁を乗り越えて、食い付いて来たのだ。ただでさえエーテルが希薄な地域なので、濃密なエーテルが大量に飛び散ると、そういう事が起きやすいと言う。


リリフィーヌは平身低頭した。婆神官が魔女さながらに含み笑いして言う所によれば、


「むさいのの手頃な運動になったんじゃ無いかね。フォフォフォ」


――と言う事ではあったが。


会食に先立って、パピとパメラと婆神官の手により、リリフィーヌの衣服が一そろい、用意された。元型を留めていなかった武官服から、どうにかして復元サイズを予測計算したに違いない。少し緩かったが、全体的には問題は無い――いや、あるのか。


問題と言うべきか、言わざるべきか。


辺境の人々の間では現役の日常着には違いないのだが、作業服の方にしても、中世さながらの古典的な衣装なのだ。実物大の歴史人形劇のコスプレをしているみたいだ。リリフィーヌは、時代錯誤にも感じられる伝統衣装を眺め、不自然じゃ無いのかどうかという点で、すぐに自信が無くなった。


舞台衣装さながらの極彩色では無いのだけが、せめてもの救いか。現代では礼装とされている伝統様式の上衣アオザイは、まだ自分でも実感のない目の色に合わせたのか、淡い藤色。中世衣装の定番「山岳用の袴」そのものの下衣は、オフホワイト。


武官服のようなシンプルな短い丈のものにしてもらおうとは思ったのだが、首回りを覆う高い襟から胸周りに向かって、白い糸で手の込んだ伝統刺繍が施されてあり、交換を申し出るのも心苦しい。


チラリと同年代の女性パピの衣装を見てみると、極彩色だ。白衣の下には、こういう類の衣装があった訳だ。茜色の地にマリーゴールド色の刺繍。ただしパピの場合、明るい赤銅色の派手な目をしているので、不自然では無い。


――郷に入れば郷に従え、と言う。この服の縫い方は、早く覚えておく必要がある。リリフィーヌは、固く心に留めた。


一方で、春夏用のハーフブーツは、すぐに気に入った。高山帯ならではの峻烈な気候と地形に鍛えられて進化したのか、履き心地が最高なのだ。寒気がきつくなる秋冬になると、防寒性を高める事も含めて、ロングブーツになると言う。


時代錯誤なまでの伝統衣装の着付けに奮闘して、早や昼下がりのティータイムの刻。


ようやくにして、髪型と、魔法の杖を挟むための古風なサッシュベルトが、やっと整った。ほぼ着付けが仕上がったところで、パメラは《大砦》の面々との取次のため、先に部屋を出て行った。


パピは出来上がりをつらつらと眺めて「良いわー♪」とコメントしてくれたが、リリフィーヌは物慣れぬ状況という事もあって、引きつった笑いしか浮かべられない。


――パピに倣って髪をゆるく下ろし、伝統紋様が織り出された幅広のリボンを、中世さながらにヘアバンド形式で巻いてあるのも、果たして合っているのかどうか。現代の花簪はなかんざしの元とされている、花組み紐の細工にタッセルを長く垂らした装飾が、ヘアバンドの両脇に施されている。


今となっては、以前の普段の髪型がどうだったのか、思い出せない。標準的な武官仕様ポニーテールだったであろう事は確かだが、何か違うような気がするのだ。


婆神官はリリフィーヌの反応を興味深そうに観察し、ユーモアたっぷりに片目をつぶって見せた。


「どうやら、リリーが今まで居た所は、いわゆる『ハイカラでアーバンでナウ』な街着が普通だったらしいね。此処じゃ《大砦》そのものの事情もあるんだが、気候も地形も峻烈すぎるから、こういうのが日常着さ。街着と言うよりは訪問着だから、当分の間は着回しが利く筈だよ。ま、取っときな」


*****


古代・中世の賓客さながらに、リリフィーヌは婆神官と2人の女隊士に先導されて、部屋を出た。付き添いを務めるパピが隣にいる事で、ようやくホッとする。


2人の女隊士フェリアとララベルは、要所要所で、ガイドさながらに《大砦》の中を説明して来た。


「此処は《大砦》の治療塔でして、リリー殿の部屋は、この塔の一室でもあるんです。円形塔の中階層の中央に治療室があって、入院療養のための部屋が窓側に沿って並んでます。地階層は薬草などの貯蔵庫。高階層の方は辺境の巡礼者のための礼拝所になっている所なので、テラスからの見晴らしは良いですよ。もう少し体力が付いたら、《大砦》内の散策コースとしてお勧めします」


リリフィーヌは、ふと、窓から顔を出して来た胡乱な武官を思い出した。では、あの男は、礼拝所テラスに梯子を掛けて降りてきたに違いない。状況を考えると、何だか段々おかしくなってくるのだが……


流石に傷病者向けの施設とあって、治療塔の出口からは緩やかなスロープといった廊下が《大砦》本館への入口に向かって続いていた。女隊士2人の説明によれば、リリフィーヌは担架に乗せられて、このスロープを運ばれて来たと言う。


通路の壁には、中世様式の欄間らんまと格子窓が並んでいる。夜間照明ともなる常灯は、中世さながらの、底面からタッセルを垂らす提灯タイプだが、光源はさすがに現代の物だ。


スロープのような廊下が尽きた所で、かなり大振りなサイズの、古代の石造アーチをした「洞門どうもん」入口が現れた。

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