表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/56

涼しき蒼穹の下、白妙の風(前)

続く数日の間、女は深く寝入っていた。


ハッキリしない夢と記憶の断片を漂い続けた――クリアな断片もあったが、所詮は断片であり、前後の脈絡が無い。


そして次に起きた時は、女はかなり体力が戻って来ていた。


前回に目覚めた時とは違い、掛け布団が身体の上に掛かっている。全身の骨格が、ほぼ修復されたに違いない。相変わらず全身、包帯をグルグル巻きにしている状態だが、前回の時の疼くような痛みは、ほとんど引いていた。


最低限の必要なエーテルも身体に補充されたようだ――前回に見かけた、可愛らしい白い風車を先端にくっ付けていた魔法の杖は、今はベッド脇のテーブルの花瓶から抜き取られ、まるで最初から、そこにあったかのように横たわっていた。


自分の名前すら思い出せない、全てを失った女にとっては、かつての身を偲ぶよすがだ。


――とは言っても、偲ぶような記憶すら、それ程ある訳では無いが。


婆神官から『リリフィーヌ』と言う新しい名前をもらった。《宿命図》に向けて念じてみると、『リリフィーヌ』が新しい名前として結ばれてあるのが分かる。しかし、それが自分の名前だと言う実感は、まだ無い。かと言って、前の名前は、今でも全く思い出せない。


――宿命は生を贈与して、運命は死を贈与する。しかしこれら二つのものは、一つの命の軌道を辿る――


――星の大海、星宿海。永劫の時を寄せては返す、星宿海の渚よ――


いつか何処かで――確かに、神殿隊士として学習した覚えのある言い回しだ。


真夜中の刻、広々とした丘陵地帯を、クラウン・トカゲにまたがって延々と駆け抜けていたような記憶は、ある。宝石箱をひっくり返したような星空、地平線に広がる『連嶺』。


その中で、ふと一息ついた時間があって、その時、確かに、こういうような言葉を思った。ハッキリしない夢の断片の中で、唯一、クリアに浮かび上がって来た記憶だ。


竜王国、竜王都、《宿命図》、バーサーク問題――こういった一般知識は、不便を覚えない程度には承知している状態なのに、自分の身元や来歴に関する事だけ、すっかり抜け落ちている。


婆神官に名付けてもらうまでは、『名無し』だった女は、何とも言えない気分になって、軽く溜息をついた。


窓の外は快晴だ。


身も心も吸い込まれそうな程に青く深く、何処までも澄み切った蒼穹が広がっている。窓から見える純白の山々の間を、まばゆいばかりに白い雲がたなびいていた。どうやら、正午に程近い刻らしい。


手前に見える背の高そうな樹木の枝で、輝くような緑の葉が勢いよく萌えている。この部屋は、《大砦》なる建物の中では、どうやら中階層といった場所にあるらしい。


目下ベッドから動けず、窓から地上を見下ろせない状態だ。窓の外にはチラチラと周辺の岩山や山脈の頂上が見える――しかも総じて雪をかぶっている――ところからして、相当に険しい山岳地帯の真ん中なのだろうという事は想像された。この辺りの大いなる主が、かの『雪白』なのだ。


パピかパメラが窓を開けておいたらしく、柔らかな微風と共に新鮮な空気が入って来ている。


気温は充分に上昇しており、風は涼しい。少し暖かみもあり、窓を開けても問題のないレベルである。標高差を考えてみると、麓の方では、既に濃い緑の季節に違いない。耳を澄ませば、何処か遠くから、微かな雪解け水の音も聞こえて来る。


リリフィーヌは、そろそろと慎重に身体を起こし、ベッドの端に枕を立てて寄りかかった。


身体の痛みは無く、違和感も皆無だ。婆神官が『得意中の得意』と言うだけあって、全身骨格の再構築は見事に仕上がっているようだ。頭のてっぺんから足の爪先まで、分厚い包帯に覆われている状態だから良く分からないが、傷口も、ほぼ塞がっているらしい。腹部の辺りには、まだ強い痛みが残っているが――


暫し時を忘れて、女は、窓の外に広がる『雪白の連嶺』を、飽かず眺めた。


すると――窓枠のずっと上で、何やら梯子が掛けられたような『ガシャ』という音がした。次いで、梯子がきしむような音が続く。誰かが梯子を降りて来ているらしい。


息を詰めて、待ち受ける。窓から、見知らぬ人物が顔を出して来た。


リリフィーヌはギョッとして、もたれていた枕から身を起こした。包帯しか身に着けていないと言う事もあり、反射的に半身をひねり、両腕で胸のラインを隠す。胸は包帯ですっかり隠れていて素肌は全く見えない状態なのだが、獣人や魚人と言った他種族と比べると、竜人は基本的に慎ましい性質なのだ。


「――失礼した、まさか起きていて……下着? 包帯……」


見知らぬ人物は一瞬、絶句した後、バツが悪そうな様子で謝罪し、驚愕の余りか無意識ゆえか、女性の顔を赤面させるような、デリカシーの無い言葉を続けて投げて来たのであった。ボソボソと呟いただけの低い声音だが、声の低さからすると、どうやら男らしい。


――早朝ならまだしも、既に日が高くなっている時刻なのだが……胡乱な男だ。


リリフィーヌは、武官としての記憶にある無意識の習慣で、黒みを帯びたミリタリー・グリーン――標準的な色合いの、竜人専用の武官服をまとった人物を、ジッと見つめた。


大型竜体では無いが、竜体としては大柄な方だと分かる。人体の状態であっても、そのガッチリとした大柄な体格の特徴は明らかだ。もう1回ほど脱皮して、文字通り『もう一皮むければ』、小型竜体の持ち主としては最高位に位置する、士爵クラスにも到達するに違いない。


同じような年ごろの、若い男だ。如何にも武官といった風の、いかつい顔立ち。明るめのオリーブ・グリーンの髪。まさに今日の蒼穹のような色をした、涼やかな青い目。竜人特有の、縦長の漆黒の瞳孔。


竜人以外の他種族の不審者が、人体変身した時の人体同士の類似性を利用して、竜人の振りをしてスパイ工作をして来るケースは意外に多い。しかし、同じ縦長タイプの瞳孔を持つ他種族であっても、竜人特有の瞳孔の形と色合いを真似るのは、意外に難しい。逆もまた真なりだ。


――この人物は明らかに、本物の竜人だ。激しく胡乱だが。


見知らぬ男は太い眉をしかめていたが、それは恐らく、包帯グルグル巻きのミイラ、なおかつゾンビの如き顔面の人物にジッと見つめられたが故の、戸惑いと困惑のためだろう。『ミイラゾンビお化け』だと言われた程の、己の不気味な姿を考えてみれば、確実に、お化け屋敷ホラー的な意味で恐怖される状況ではあるのだから――


リリフィーヌは不意に、妙な事に気付いた。


――何故なのか、いかつい顔をした男からは、最初に驚愕があった以外には、恐怖はおろか、生理反射的な攻撃の意思すらも感じない。


「あの……?」


リリフィーヌが警戒心満載で問い掛けると、無意識のうちにリリフィーヌを眺めていたらしい男は、ギョッとしたように瞬きし、何故か目の端を赤らめた。


「窓枠が壊れて無いか、見に来たんだ」


如何にも取って付けたような理由だ。スパイ偵察にしては、抜けている――抜けまくっている。窓枠には、おかしな所は無いようだが……胡乱だ。決定的に胡乱なヤツだ。リリフィーヌは口を引き締め、眉をキッと逆立てた。


リリフィーヌの表情の変化の意味を、即座に読み取ったらしい。男は焦ったように、窓枠の花瓶に新しい花を挿すと、サッと顔を引っ込めた。直後、再び梯子の軋み音が聞こえて来る。


焦っているのだろうか、不自然な程に速いペースで上の方に登って行っているようだ――おそらく、この辺りは見張り塔のような構造になっているのだろう。


(おかしな人……)


リリフィーヌは、小さな花瓶の中で新しく増えた花々を見つめた。


雪解けが進んだ時期の花だろう。陽光を一杯に受けるようにパラボラ形に開いた花弁は、仄かなラベンダー色だ。花弁が繊細なまでに薄く、裏がボンヤリと透けて見える。透明感のある、夢見るような不思議な色合いは、昔から気になり続けていた、そして好みになった色合いを思わせる――


リリフィーヌは暫く考えて、ようやく、暁星エオスに似ている花だと思いついたのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ