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竜王都の長い夜(後)

ゴルディス卿は、思わず呻いていた。この瞬間ばかりは、本気で驚いていたのだ。


「エレン君が、あの《風のイージス》だったのか……!?」


風のイージス――《風》の盾神官。


神殿の中で、最も謎めいた存在。《火》・《水》・《地》の、各々の盾神官の上に立つ――4人の盾神官のトップにして、神殿が誇る最高位の《上級占術》の使い手。なおかつ、かの『英雄公』ラエリアン卿の猛攻をもってしても崩れぬ、絶対防御の要――


――風のエレニス・シルフ・イージス。


そのエレン神官――『風のエレニス』は、余りにも若く、繊細さすら感じられる面差しを、ゆっくりとゴルディス卿に向けた。透明感のある淡い琥珀色の眼差しは、今は闇の中で、ペリドット色にきらめいている。その年には似合わぬ、底知れぬ深みと威厳をもった輝きだ。


「セイジュ師匠には、既に話しましたが――私は、この『バーサーク危険日』に先立って、宿命の凶星の呪いを受けた《風霊相》生まれの人の、一つの命の軌道を懸けて、秘法『星界天秤アストライア』を発動しています」


低い声で告白を続ける《風のイージス》は一旦、言葉を切って、うつむいた。ゆるやかにまとめられた髪型の下の表情は、氷を思わせる硬質さだ。食いしばっていると言っても良い程にきつく引き締められていた口元は、だが、やがて、ふと洩れた溜息と共に、あの柔らかな笑みを浮かべたようだった。


「――その人が、大いなる術『アルス・マグナ』をやり遂げたかどうかは、将来になってみないと分かりませんけど。今日の別件報告にあった、大型の転移基地の、四色を伴った大きな爆裂事故を考えると、恐らくは――」


ゴルディス卿は、再び息を呑んでいた。


セイジュ大神官は苦い顔をして沈黙しているが――弟子の選択を理解し、支持しているのは明らかだ。


――『星界天秤アストライア』は、秘法中の秘法だ。生と死を、天秤にかける――宿命の軌道と運命の軌道を精密に正面衝突させる事など、並の上級魔法神官に可能な所業では無い。


かつて『人類』なる種族の絶滅を引き起こした、かの全世界レベルの大変動にも、『星界天秤アストライア』の術が関わっていたと言われている――


――『アルス・マグナ』。宿命と運命の交差する瞬間、理不尽な生と非合理な死が出逢う、その究極の場でのみ発動する、大いなる変容の術だ。その本人が、自身の限界を超えるべく発動する大魔法。天地万物の相関と照応の有り様に、干渉するレベルの――


この世の相関構造は、可視にせよ不可視にせよ、総じてカオスとフラクタルだ。まさに『無限』と言う名の怪物なのだ。


秘法『星界天秤アストライア』は、その『無限』に干渉する術だ。たった一個人の中で偶然に起きた、『アルス・マグナ』による変容の波が、どのように拡大して行くのか、或いは、さほど影響を及ぼさずに静かに収束して行くのかも、全く分からない。


ゴルディス卿は、同情の意を込めた眼差しで、若いエレン神官を見つめた。


エレン神官にしても、『星界天秤アストライア』を発動する事を決断する際、深く懊悩した筈だ。


――為すべきか、為さざるべきか。それは常に、究極の――荒れ狂うカオスの深淵との応答だ。怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。深淵を覗くならば、深淵もまた等しく見返して来るのだ――


エレン神官は、遠い目で在らぬ方を眺めては居るものの、いつものエレン神官である。形の良い口元に、あの柔らかな笑みを浮かべている。その眼差しは穏やかだが、深い哀しみと喪失感を湛えているようだった。


「神殿が――神官たちが、内部から腐敗していると言うゴルディス卿の見立ては、正しかった。だから、いつか到来するであろう『星界天秤アストライア』の明日のため、ゴルディス卿にこそ、見て欲しいのです。神殿の中心、《神龍》の正体を」


エレン神官――『風のエレニス』は、ポッカリと広がっている空き地の方を見やった。


「今、《風の盾》による目くらましは消えています。魔法感覚で、ご覧になって下さい」


ゴルディス卿は再び、空き地を注目した。


――円形をした空き地いっぱいに、白金色に輝くエーテルの「柱」が立っていた。互いに密着した3本柱に見える。


不思議な白金色の3本柱は、遥か天球の彼方へと延びつつ――先端部が何処にあるのかは、全く分からない。柱の先端部は、天球の上に広がる星宿海の彼方に、無限なる宇宙の深淵のもとにある――と言うべきなのだろう。


その偉大な胴回りを覆うのは、樹皮と言うのか、竜の鱗のようにも見える幾何学的な文様パターンだ。各所で、宝石のような光がランダムな点滅パターンとなり、またある時は特定の点滅パターンとなり、複雑な様相を展開しながらキラキラときらめいている。


「初代竜王の弟だった、神殿の初代の大神官長は、これを《神龍》と呼びました。この『魔の山』が無限のエーテル資源に恵まれているのは、この3本柱の影響だと言う事が分かっています。何故3本柱なのかは分かっていませんが――この世が3次元空間と1次元時間で構成されている事と、関係があるのかも知れません」


ゴルディス卿は、心の底から感心していた。


「まさに世界樹だな」


――竜王国の繁栄を約束する、圧倒的な存在だったのだ――伝説の《神龍》は。成る程、大神官長たちや盾神官たちをして、聖なる物だと認識させる程の、壮大な存在だ。


「占術をもって、この名前の無い、偉大なるエーテルの柱から、神意を読み取った。神官は占術を行ない、その神意を伝える役割だった」


口承で伝えられる、いにしえの神殿秘史を呟いているのは――セイジュ大神官だ。


「だが、いつしか――絶対不可侵の権力という、ゴルディス卿の言う『迷信』と同化してしまった――らしいな」


セイジュ大神官は、やりきれないと言った複雑な表情をして、長く深い溜息をついている。ゴルディス卿が在らぬ方を向いて、「変人の神官も居るでは無いか」と、似合わぬ慰めを呟いた。


結論から言えば、《神龍》は、太陽やその他の天地万物の存在と同様、人知を超えた偉大なる大自然の相の1つであって、それ以上でも以下でも無いのだ。勝手に権威・権力の根源とされ、解釈され、更には歪んだ占術でもって、都合の良い理由をこしらえるのに利用されただけだ――


エレン神官は、再び魔法の杖を一振りした。瞬く間に《風の盾》が広がり、白金色のエーテルの柱を覆い隠して行った。


*****


満天の星空の下、王宮エリアの方角から轟いて来る激しい戦闘の轟音は、まだ続いている――


運悪く主戦場として選ばれた頂上に近い広大な諸街区の凄まじい壊滅ぶりは、もはや語る必要はあるまい。広大な更地となり、此処は将来、大市場のためのスペースとなる。


闇ギルド混成軍は、ラエリアン卿の、大型竜体ならではの偉大なるドラゴン・パワーの下に、完全に壊滅する事になるであろう。そして、大勢の強大なバーサーク竜や魔法使いを含む残党が、ラエリアン卿に対する更なる憎悪――もはや信仰レベルと化した憎悪――を抱きつつ逃げ散って行く。


ラエリアン卿は、この後『お礼参り』と称する、数々の狂信的な暗殺者グループの集中ターゲットとなるのだが――これは、また別の話である。


*****


一刻ほどの時間が経過し、聖所を出た3人は、即席の転移魔法陣を通じて喫茶室に戻っていた。


重役向けの喫茶室は神殿の中でも高い階層にあり、そこから伸びる展望テラスで、竜王都を取り巻く地平線が一望できる。


展望テラスに出た3人の眼差しは、自然に――地平線の彼方に広がる『連嶺』を振り仰いでいた。


遠い昔は『銀河』とも呼ばれていた、星々の密集する壮大な帯だ。凸凹の地平線が形作る手前のスカイラインが、シルエットとして、クッキリと浮かび上がっている。こうして眺めると、まさに、永劫の時が寄せては返す、星宿海の渚だ。


まだ見ぬ『星界天秤アストライア』の明日へと向かって天球は刻々と回転し、『連嶺』のギザギザの形状が、ゆるやかに移り変わって行った。

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