最北部の辺境に来たりし者(前)
――竜王国の最北部の辺境。文字通り世界の端に位置し、「世界の屋根」の二つ名を取る山岳地帯である。
万年雪を頂く急峻な岩山と深い峡谷とが、縦横に走っているエリアだ。もっと低い麓の方では――ほとんどの大陸公路や竜王都の方では、既に緑の輝く季節と言うのに、この恐るべき高山帯は、やっと雪解けが始まったばかりだ。
方々に散らばっていた近場の竜人たちが、冬越しのために集まって来ている《大砦》――
その《大砦》は、峡谷を織りなす険しい岩山が高密度で林立する中で、ひときわ大きな岩山の頂上に、もう一つ岩山を乗せたかの如く聳え立っている。古代・中世様式の大きな円形塔や城館、高い城壁を備える、古風な外観と構造を持つ城塞だ。大所帯を収容可能な、一つの回廊&街区に匹敵する程度の居住スペースを備えている。
辺境の国境線がまだ確定していなかった古代・中世の頃は、大陸公路の版図を賭けて、毛色の異なる種族ごとのみならず、同族の有力者の間でも王位を争って対立していた戦国乱世であった。《大砦》創建当時の頃は、現在につながる統一版の竜王国の、王室の血筋が定まったばかりの時代に相当する。当時は、新興国・竜王国の威信をかけた壮麗な建築物であったのだ。
そして今や《大砦》は、竜王都創建の時代の記憶を伝える、風格のある歴史遺産といった風情だ。時の流れによって蓄積された、古色蒼然たる雰囲気が全体に滲み出ている。
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――雪解けが始まるか、始まらないか、と言う不安定な気候である。その日は季節の戻りがあり、未明から本格的な雪が舞っていた。
分厚い灰色の雲の下、《大砦》を囲む城壁内部の建築物の1つ――それも転移基地が、驚く程に明るく光った。今日の予定表には入っていないのに、いきなり転移魔法陣が稼働したのである。しかも、一定以上の長距離レベルか、一定以上の大量物資レベルだ。
「何か凄い光ったぞ! 誤作動か? 大量のエーテルが飛び散ってる」
「鳥人の誰かが、急性の鳥頭でも発症して、大量の荷物を間違って転送して来たか」
「有り得ん! 第一、此処の転移魔法陣は古代遺物も同然の『旧々々式』なんだ! 中央の軍事予算も、こんな辺境には滅多に回って来なくてな、設備更新が……」
「魔物か、バーサーク体か、それともドラゴンスレイヤーを持って襲って来た、人類の勇者の復活か!?」
《大砦》に詰めていた辺境警備の朝当番の隊士たちが、口々に騒ぎながら、夜明けの雪が降り注ぐ『見張り回廊』へと飛び出した。
この『見張り回廊』は、全方向への緊急出動に備えて、《大砦》の高階層をグルリと一周するアーケード回廊様式となっている。隊士たちの訓練場所であり、体力維持のためのランニングの場所であり、更には竜体でのジャンプや着地にも耐えられる、頑丈な造りとなっているのだ。
隊士たちは、武官として訓練された竜人ならではの、高い身体能力を発揮した。
竜体に変じるや否や、《大砦》を巡る『見張り回廊』を全力疾走し、転移基地の最寄りのコーナーから一気に飛び降りる。10数階層ほどの間をつなぐフライング・バットレス風の梁の上を、積雪に足を滑らせもせず駆け降りて行く。
この辺り一帯では、転移基地は《大砦》にしか無い。城門前広場の真ん中に堂々と立ち上がる、円筒形の吹き抜け構造の塔だ。
円筒形をした塔の頂上の周りには、足場となる細い張り出しがある。ほんの瞬きほどの間に、7体の竜体は各々の背中から四色とりどりの竜翼を広げ、フライング・バットレス風の梁から滑空しつつ飛び降りて、その足場に正確に着地したのであった。
吹き抜けの塔を煙突となさしめたかの如く、転移魔法陣から噴き上がる白いエーテル流束――それが渦を巻く柱となって、回転していた。大量放出されていたエーテル魔法は、次第にユラユラと揺れる煙となる。それが空中に漂う白いモヤとなり、やがて吹き流されて消えて行く。
転移魔法が終わった。
隊士(竜体)たちは各々の疑問顔を見合わせると、足場の上に身を屈め、円筒形の壁の頂上から首を伸ばして中の様子を窺った。独特の風音の残響が続いた他には、特に警戒すべき物音は聞こえて来ない。
少し間を置いた後、風音の残響の名残が尋常に消えた。吹き抜けとなっている円筒形の底を、なおも窺ってみる。吹き抜けとなっているのだが、その空間の底は、真っ暗だ。竜人の視力をもってしても、底の様子は分からない。
隊士(竜体)たちは、円筒形を成す塔の底に降りて、何があったか確認しなければならない事を理解した。
円筒形を成す吹き抜けの壁の内側は、創建当時と変わらぬ、異様にツルツルとした滑らかさを維持している。魔法の潤滑剤が掛かっているのだ。如何なる魔物であっても、この壁に取り付くには大変な努力が要ると、素人目にもハッキリと見て取れるであろう。
隊士たちは各々、人体に戻った。魔法の杖を梯子に変形し、足場にシッカリと固定する。
吹き抜けの塔の底に向かって梯子を降りて行くと共に、暗さが急速に増す。昼なお暗い空間だ。特に今日は雪空という事もあって、雪がちらつく円筒形の空間の底は、闇夜のような暗さだ。相当に夜目の利く竜人で無ければ、夜間照明も無しで底に降りるのには、非常な勇気が要る。
隊士(人体)たちは、いつでも戦闘モードたる竜体に変じる事が出来るように警戒しつつ、魔法の梯子を降りて行く。
その目の細長い瞳孔は、夜間と同じく既に最大級に開き切っており、微かな光をも反射していた。闇夜のような暗さの中で、梯子に沿って並んだ一対の目が7セットばかり、キラキラとペリドット色に光っている。
底に近付くと、円形をした金剛石製の一枚板――基底床に、幅と深さが一定した溝でもって、古い時代の転移魔法陣が、精密かつ慎重に刻まれているのが分かるであろう。今は積雪によって、ほぼ隠されている状態だが。
ノミを使って精密に刻まれた転移魔法陣は、創建当時としては最先端技術の限りを尽くした代物ではあるのだが、現代の最新型にして大型の物に比べると、随分と小ぶりなサイズだ。大陸公路を行き交う隊商の、それも山道仕様の中小型の荷車を、ギリギリ転移させられるという規模である。或いは、人体状態の小隊――突撃隊メンバー程度の人数を、頑張って転移させられると言う程度か。
転移基地――吹き抜けとなっている円筒形の空間の中は定期的に除雪されてはいるのだが、今日は、未明から降り続けていた雪が既に相当に積もっている状態である。
――先程の光は、この積雪をものともしない程の明るさだったのだ。
7人の隊士(人体)たちは梯子の途中で留まり、畏怖の念を抱きつつ、慎重に転移魔法陣の中央を窺った。1人の隊士が、照明灯の魔法を発動した。
――転移魔法陣の中央部で、何やら人体らしき物が、湧き出て来たかのように横たわっている。だが、人体にしては異形のパーツが目立ち、得体の知れぬ妖怪にも似た雰囲気がある。
リーダー格の――特に腕っぷしに自信のある大柄な男が、遂に基底床に降りて、転移魔法陣の中央に近づいた。
転移魔法陣の中央、うつ伏せ状態になり、積雪に埋もれてグッタリと横たわっている人物は――確かに竜人だ。
慌てて変身したためにミスをしたのか、それとも変身途中だったのか、背中に竜の翼の片方を生やしている。翼の色は白く、《風霊相》生まれの者と知れる。何があったのか翼は痛ましいまでにボロボロになっており、全身、血だらけだ。腕にも脚にも、ギョッとするような裂傷が出来ていて、まだ出血が続いている。
隊士は、すぐに異様な特徴を見い出した。人体なのか竜体なのか――変身状態が混乱したまま、フリーズしているのだ。成る程、異形のパーツが目立つ訳だ。ほとんど人頭蛇身の妖怪といった所だ。
ほぼ人体といった様相なのに、ブーツが脱げている両足の先端には、竜体さながらの鋭い爪が生えかけていて、素足は鱗でビッシリだ。後ろの腰の部分から、同じくビッシリと鱗をまとう長い尻尾が生えている。
その尻尾もまた、無残な程に傷ついて血まみれだ。しなやかに動くであろう細めの長い尻尾だが、目下ピクリとも動かない。
少年か或いは女性を思わせる、妙に細い肩の辺りに手を掛ける。次に、首周りをカバーする高い襟の中に指を差し入れ、喉元の方にある逆鱗の近くまで指を滑らせる。だが、あってしかるべき反応が無い。意識を完全に失っているのだ。
(喉仏が無い!)
隊士は、ハッと息を呑んだ。積雪に半ば埋もれていた人物を掘り出し、抱き起こす。
背中まで届く長い髪を振り乱した状態。女ならではの、緩やかな曲線を描く胸。続いて、やはり男には有り得ぬ、曲線を描く腰。鱗でビッシリと覆われた顔面は、ゾンビさながらに裂傷にまみれていて、血の川を流している――が、明らかに女だ。
「大怪我をしてる女だ! まだ若い!」
「何だってぇ!」
「若い女だって!?」
残りの6人の隊士たちが殺到した。梯子の形から解放された魔法の杖が次々に光源となり、せせこましい基底床の上は、たちまちのうちに夜間照明の光で溢れた。
注意して見ると、女の着衣は、神殿隊士がまとう武官服である。聖職に準じるという事もあって、大変な手間を掛けて高度に漂白されているという、ハイテク品だ。相応に値の張る品だが、今や元型を留めぬ程に破損しており、鮮血に染まって見る影も無い。
「壁に取り付けてある担架を出せ! 1人は重傷者発見の旨、本部に連絡! 1人は、そこにある封印扉を開錠!」
リーダー格の隊士の指示に応え、6人の隊士たちが素早く対応する。
担架の上に横たえるべく女の身体を動かすと、その拍子に、女の指の間から1本の魔法の杖がこぼれ落ちた。肘から手先までの長さの、標準的なサイズだが武官用の物より少し細い杖だ。リーダー格の隊士は素早くそれを拾い上げ、自身の武官服のベルトに挟んだ。
この転移魔法陣は、その昔は、敵方の突撃部隊が転移して来た場所である。今は、時として予期せぬ魔物たちが、原始的な転移魔法を使って湧いて来る場所だ。そのため、円筒形の塔の地上部分の出入り口となっている扉は、転移して来た者の正体を確認するまでは、魔法で厳重に封印されたままとなっているのだ。
今、封印扉がいっぱいに開かれた。全開状態で、荷車がギリギリ通過できる幅となる。
隊士たちは、身元不明の女の身体を乗せた担架を運び出し、今しがたバッと開いたばかりの《大砦》の正門扉を駆け抜けて行った。開扉担当の隊士たちもまた、唖然とした顔で、担架の上に乗せられた血みどろの女を注目するのみだ。
予期せぬ来訪者だ。しかも白い武官服をまとっているのだ。竜王都の中央神殿か、竜王都に匹敵するような裕福な地方管区の神殿の関係者である事は明らかで、何があったのか瀕死である――
《大砦》の中は、久々の大事件で、上も下も大騒ぎになった。
辺境警備部隊の隊長や副隊長が出張って交通整理をしたが、長い冬ごもりで退屈しきっていた野次馬たちが殺到して来るのは、当然の結果と言えた。




