竜王都の長い夜(前)
落日の刻を過ぎると、いつものように夜空が広がり、時を刻む星々が輝いた。
いつもと同じでは無いのは、竜王都を中心とする情勢である。
結果的に、ラエリアン卿の激怒レベルを更に押し上げる事になったが――竜王国の全体に及ぶ非常事態という事で、王宮側にも、『バーサーク竜の異常な大量発生』の旨、警告してある。
王宮の近衛兵をはじめとする、バーサーク捕獲部隊に相当する多数の部隊が、神殿の部隊と同様に、全員出動という状況だ。ランダムに発生し続けるバーサーク騒動は、竜王都の回廊街区ばかりで無く、大陸公路に散在する多数の管区でも、燎原の火の如く広がっていた。
そして。
何故なのかは不明だが、幸いにも――くだんの《神龍の真のしもべ》グループがやらかした呪術テロは、完全には発動していなかったようなのだ。
ペリドット色をした『謎の呪いの飛散エーテル粒子』が充分な量に達しなかったせいなのか、落日の刻を回ると、バーサーク竜の発生が少なくなったのである。『バーサーク危険日』が完全に終了する少し前に、バーサーク騒動が収束するという見込みが立って来たのだ。
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――今は、真夜中の刻に近い。
闇ギルド混成軍が、このバーサーク騒動に乗じて竜王国を完全に破壊せんとして、完全武装の状態で王宮エリア前に集結していた。日が沈むや否や、夜襲も同然に、物理的・魔法的に大攻撃を仕掛けていたのだ。
ついでながら、『穢れた多種族の者どもが出入りし、よって竜王国は欲と悪にまみれ切ってしまった。この竜王国を完全浄化するための正義の戦いであり、本来の純粋なるドラゴン族の聖性を復活するための聖戦である』とは、このたびの闇ギルド混成軍の主張である。
王宮エリアの近くでは、今まさに、ラエリアン卿の軍隊と闇ギルド混成軍との大決戦が繰り広げられている。
ひっきりなしに轟く、凄まじいまでの空爆音は、双方の竜体の群れから放たれるドラゴン・ブレスの衝撃による物だ。
強い魔法使いたちによる攻撃魔法の、まばゆいまでの《四大》エレメントの閃光もまた、夜空を焼き焦がさんばかりである。
戦闘に伴う様々な轟音が、複数の街区を挟んで隣り合っている神殿エリアへも響き渡っていた。
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「――占術は立派な教義を持つ宗教だ。それ故に、それだからこそ、まともな頭脳の持ち主が相手にしてはならぬ領域だ。一旦、泥沼に――魔境に入ってしまうと、真実に向かって思考する力が、見る見るうちに失われて行く。後で死ぬような大変な思いをしないと、人は、なかなかそういう迷妄から抜け出ることが出来ないものだ」
特等席の円卓に陣取ったゴルディス卿は、上質なハーブティーを一服し、ゆっくりと述懐した。
――此処は、神殿の中でも特に奥まった一角にある、重役向けの――つまり、大神官向けの喫茶室である。大図書館の付属カフェなどと比べると、意外に小さなスペースだ。セルフサービス型であるという部分だけは、共通だが。
重厚な雰囲気に満ちた喫茶室の中、やはり重厚なデザインの円卓が均等に配置されている。各々の円卓の上では、片手に載る程度のサイズをした「水晶玉もどき」の天球儀が常灯の役割を果たしつつ、天球の回転に合わせて、ゆっくりと回転していた。
多数の案件の処理を済ませて、疲れ切った顔をしたセイジュ大神官とエレン神官が、ゴルディス卿と同じ円卓に同席していた。疲労回復を促すハーブティーが、2人の神官の前に用意されている。そこから立ち上る香しいフレーバーは、ゴルディス卿お手製の調合による物だ。
流石に大物クラスならではの圧倒的なドラゴン・パワーと言うべきか――ゴルディス卿の妖怪めいた美貌には、疲労の片鱗は一切、認められない。夜明け方に複数の上級魔法神官との大乱闘をやらかした上に、1日中、機密情報を含む膨大な案件に関わり、大神官レベルで行なわれる重要決定のアシスタントを務める身となっていたのだが。
「占術は、いつでも権力と愛に――底知れぬ恐るべき狂気の闇に、荒れ狂う深淵に――関わる物だな。我々竜人の占術では、愛は《宝珠》相として、権力は《宿命図》相として表現されるが、それでも、権力と愛を織りなす生死の深淵を占う事が、占術の要である事には変わりない。それは遥か昔に絶滅した『人類』なる種族の占術においても、同様だった筈だ」
ゴルディス卿の静かな述懐が終わった。セイジュ大神官とエレン神官は、それぞれの思いを抱えて一服した。
暫し、沈黙の時が流れる――
――やがて、エレン神官が口を開いた。透明感のある淡い琥珀色の眼差しには、決意が宿っている。
「ゴルディス卿は、以前から神殿の聖所に在る《神龍》の正体を知りたがって居られましたね」
「ああ、知りたいね。神殿の連中が、敗色の色濃い今でも目が覚めないのは、《神龍》の存在が大きい」
セイジュ大神官が、鋭くエレン神官を振り返った。
「――本気か?」
「ゴルディス卿は皮肉屋で、矛盾に満ちた変人ですけど、信頼できる人でしょう」
「最後だけ余計な批評が入ったような気がするな。セイジュ殿の入れ知恵か」
3人は深夜のティータイムの席を立ち、神殿の奥の間へと入って行った。エレン神官が即席の転移魔法陣を形成し、稼働させる。《風霊相》生まれだけあって、一連の動作は滑らかだ。
転移魔法陣の風音と白い光が収まった後、3人は、神殿の更に奥まったスペースに転移していた。
ゴルディス卿にとっても、微かながら確かに見覚えのある場所だ。以前、セイジュ大神官の友人として、かなり奥まで入った事がある。ただし、或る一角の奥へは、あらん限りの偵察技術を応用しても、物理的にも魔法的にも侵入する事は出来ていなかった。
エレン神官は、驚くべき事に先頭に立ち、何でも無い事のように、その一角の更に奥へと、セイジュ大神官とゴルディス卿をいざなったのであった。エレン神官の魔法の杖の動きに応じて一陣の微風が流れ、不可視の結界を切り開くかのように、現実と見まがう程の迷路の幻像を結んでいた蜃気楼魔法が解除されて行く。
複雑怪奇なまでの迷路の幻影が砂の如く分解して行くと、呆気ない程にシンプルな構造の廊下が現れる。
ゴルディス卿は、無言で眉を跳ね上げた。ゴルディス卿の胸の内には、ジワジワと、とんでもない可能性に対する深い直感が湧き上がって来た。
やがて、3人は――かの伝説の「聖所」を取り巻く、最も奥の回廊へと踏み入っていた。
城壁素材で出来た高い回廊の壁には……延々と、人の背丈を遥かに超える大型の『盾』パターンが連なっている。
――《地》の金色のシンボルが刻まれた半透明の黒い盾。《火》の金色のシンボルが刻まれた半透明の赤い盾。《水》の金色のシンボルが刻まれた半透明の青い盾。この一つ一つが、上級魔法神官レベルを超える、強大な《盾魔法》だ。
エレン神官は或る一角で足を止めると、やはり何でも無い事のように、『盾』の隙間に出て来た非常扉と思しき、シンプルな扉を開錠した。
そして3人は遂に、真夜中の闇に沈む聖所に足を踏み入れたのであった。
微かな星明かりが降り注ぐのみの野外の空間だが、3人の目は、即座に竜人ならではの優れた夜間視力を発揮した。
原初の森の欠片と思しき10数本の退魔樹林が、回廊に沿って、グルリと円陣を成している。竹によく似た樹形の、摩天楼の如き巨木。規則的な節目で区切られた、滑らかな光沢を持つ緑色の樹幹は、伝承の通り、10数人が手をつないでも回り切れない程の巨大さだ。
下生えは濃いが、定期的に手入れがされており、一筋の獣道のような道が付けられている。
頭上では、退魔樹林の葉の中で虹色にきらめく曜変天目が、星々の光を透過して、意思ある精霊か何かのように色彩を変えて揺らめいていた。
3人は、円陣を組んで立つ退魔樹林の、その中の円形のスペースへと入って行った。伝承によれば、そこに、竜王都創建の時代の、《神龍》を礼拝するための古い礼拝所があるのだ。
――やがて、古く底光りする礼拝所が現れた。
魔法建材の技術が確立する前の、天然の……退魔樹林から切り出した木材を組み立ててある。大変な手間をかけて磨き上げ、特別なニスを施してあるものだ。
古代様式の小さな礼拝所の周りには、不思議な空き地が広がっている。
広さこそ堂々とした物で、大型竜体が降り立つことができる見張り塔と同じくらいの面積だが、そこには、何も無いように見える。
だが――壮烈な程に強大な魔法が掛かっている気配が、明らかに漂っている。此処こそが、神殿の絶対防御の要だ――そう直感したゴルディス卿は、注意深く魔法感覚を働かせた。
その正体は、すぐに知れた。絶対防御を構成する《風の盾》の魔法だ。ゴルディス卿は眉根を寄せて、その端や切れ目が何処にあるのか、探り始めた。
――《風の盾》による魔法の透明な障壁は、恐るべき滑らかさと堅牢さを保ちつつ、遥か天球の彼方へと延びているように見える。
まさに、天を打つが如き、壮大な魔法だ。
わずかに立ち位置を変えて眺めると、透明な魔法の障壁の向こう側の、星々の位置が少しズレて見える。物理的な光学迷彩すら掛かっているのだ。
とんでもない魔法である事は、明らかだ。ラエリアン卿が近衛兵レベルの竜体を数百体以上も揃え、ラエリアン卿もまた竜体と化した上で、満を持して全軍突撃したとしても、絶対に破れないであろう。
エレン神官は魔法の杖を一振りして、《風の盾》を解除した。余人には到底、解析しえぬ絶対防御の構造が――厳重な光学迷彩もろともに――見る間に、分解して行く。




