霧中の迷走と混乱の末に
遂に『バーサーク危険日』まで、残すところ後1日だ。
エメラルドは、もはや馴染みとなってしまった、あの嫌な違和感と共に目を覚ました。
――昨日の大図書館では、資料検索どころでは無く、ほとんど調査にならなかった。まるで、神か、神に等しい誰かが妨害しているみたいだ。
(こんな非合理な事を次々に思いつくのも、睡眠不足で頭が疲れているせいか。それとも、バーサーク化の前兆の1つか)
エメラルドは、いつもの朝食を済ませた後、ボンヤリと大図書館で取っていたノートを再読した。このノートは、半透明のプレート様式である。武官標準支給の品で、基本的なメモと検索機能しか無いが、今のエメラルドにとっては、なかなか便利な道具となっていた。
エメラルドは、最後のメモに目を通した――
――『2つの大凶星、《死兆星》と《争乱星》の、《宿命図》における違い』。
竜人の変身魔法の暴走に伴う、バーサーク化との関連が深いのは、《争乱星》だ。かのセレンディも、先天性の《争乱星》持ちである。
*****
《争乱星》――《宿命図》において、「破局の相」とする星配置である。何らかの理由で、この相が《宿命図》に定着した竜人は、心身状態が元々乱れやすく、バーサーク化しやすい。ただし、ドラゴン・パワー極小&極大、または《器》極大の場合は、バーサーク化しにくい。バーサーク傷を受けた場合、バーサーク毒による新たな星々が展開し、一時的・疑似的ではあるが《争乱星》様の《宿命図》凶相を示すため、これが定着する前に、速やかにバーサーク毒を抜く事で対応する。
★付記・資料名『天秤(?)』――健康運、恋愛運、金運は『上級占術』で動かせる。そして、魔法の結果と《器》との間には、相関関係がある。
*****
エメラルドは、何回も読み直しているうちに、記述の奇妙さに引っ掛かった。
『何らかの理由で、この相が《宿命図》に定着した竜人は、心身状態が元々乱れやすく、バーサーク化しやすい』
何らかの理由で――何らかの理由で?
(どうして、こういう記述なのだろうか?)
こういった際どい内容に関わる著者が、何の理由も無く「言い回し」を選ぶ筈が無い。エメラルドは、必死に推理した。
セレンディは先天性の《争乱星》相を持っている。天然に授かってしまった大凶星であって、それ以外の何物でも無い。バーサーク傷を受けた場合も、《争乱星》に呪われたのと同じ結果になる訳だが、それはバーサーク竜と対峙した結果であって――
(それ以外にも、バーサーク化する原因が有り得る、という事なのだろうか?)
今のところ、最も怪しいのは、セレンディを強制的にバーサーク化させたと思われる、『疑惑の総合商店』の違法ドラッグだ。目下、ウラニア女医と彼女が率いる研修医スタッフのチームが、全力で対応している問題である。
(だけど、私は、その違法ドラッグを摂取していない)
メモをつらつらと読み直していると、聞き慣れたノック音がし、次いで、いつもの女性スタッフが顔を見せた。そして女性スタッフは、遠隔通信セットを乗せたワゴンを押して入って来たのであった。
遠隔通信セット――腕一杯に抱えるくらいの大きさの正六面体と言い、その上に乗せられている、正六面体と同じくらいの大きさの天球儀に似たアンテナと言い、かなり大振りな代物だけに、ワゴンに設置するだけでも大変だったのでは無いだろうか。
「あの、済みません、エメラルド隊士。《水》の上級魔法神官ロドミール殿から、遠隔通信が入ってますよ」
「……え?」
我ながら、間抜けな返事だ。ベッドに座ったままだったエメラルドは、枕元からボンヤリと魔法の杖を取り出し、遠隔通信装置を起動させた。
すぐにロドミールの声がやって来た。
「――あ、私だよ。こんなタイミングでごめん、エメラルド。ついさっき、同僚から、何回か呼び出しが来ていたらしいと聞いたばかりなんだ。一体、どういう用件だったんだい?」
エメラルドは一瞬、ポカンとした。
どういう用件だっただろうか。最近は、バーサーク化をどうやって自力で阻止するか――という問題で頭が一杯だったから、すぐには思い出せない。
「何だったかしら。最近、悪い夢を毎晩見るようになって、眠れてないから――と言うよりは、睡眠薬で寝てる状態だから……」
ロドミールは、接続先の向こうで絶句しているようだ。暫し沈黙が続く。ロドミールの背後で、ロドミールの同僚らしき人物の声がブツブツと続いているのが、接続先から聞こえて来た。
「あ、同僚さん、居るのね。新人の下級魔法神官さん。何か随分ご迷惑おかけしちゃったみたいね。ロドミール、メッセージボードはキチンと更新しなきゃダメよ。ずっと『遠方出張中』のまま放置されてたから、同僚さん随分、困ってたようだし」
「メッセージボード? 何を言ってるんだ、エメラルド? まぁそれは良いけどさ、何かカードみたいな物、見なかったかな? いつの間にか紛失したみたいで――何処で落としたのか思い出せないんだ」
ロドミールは、焦っているようだ。口調が少し早い。
エメラルドは暫く考えてみたが、エメラルド自身にも思い当たりが無い。ボンヤリと首元に手をやる。そこには、すっかり馴染みとなった、チョーカーの形をした拘束具の感覚があった。気休めでしか無いが、バーサーク化を抑え込んでくれる道具とあって、ついつい感触を確かめてしまう。
「カードみたいな物? メッセージボードの事じゃ無いの? 何か、次の『バーサーク危険日』の検証とか、上級魔法神官のグループでやってるって話、風の噂で聞いたけど。ともかく、こっちはちょっとそれどころじゃ無いから、通信を切っとくね」
エメラルドは、通信を切った後になって、今まで武官用の魔法の杖で通信していた事に気付いた。セレンディの魔法の杖は、ペン程の大きさにして、ベルトに挟み込んだままだった――我ながらウッカリしていた事に気付き、ちょっと「フフフ」と笑ってしまう。
女性スタッフは、礼儀正しく耳を塞いで待機していた。「終わりましたか」と、にこやかに確認した後、いつものようにキビキビとワゴンを押して、個室を出て行った。
――そろそろ、大図書館の開館の刻だ。この1日が、最終決戦日だ――
遠隔通信を、手際よく切り上げられて良かった。エメラルドは、セレンディの魔法の杖を使い出して以来、余り使わなくなった武官用の魔法の杖を暫し眺めた。
(これは、今日1日は、長持に入れておいたままでも良いかも知れない)
外出する時は、使用する予定の無い身の回りの品は、全て長持に収めておく事になっている。エメラルドは長持のフタを開き、中身を適当に移動し、武官用の魔法の杖を収める場所は何処が良いか、検討し始めた。
失恋のショックで、綺麗な色をしていた新品の正装を燃やし尽くしてしまったクセに、何故かスカーフだけは燃やし尽くすのを忘れていたりする。我ながら、おかしな所で抜けている。そのスカーフを広げた瞬間――
――カシャン。
何処かで聞いた事のあるような物音だ。エメラルドは、スカーフの間から落ちた物をジッと見つめた。
――『カードのような物』だ。
(え? ちょっと待って? まさか、ロドミールが言ってたのは――)
一気に、記憶がよみがえる。何で忘れていたんだろう――こんな重要な事を!
神殿の一角にある『上級占術・匿名相談コーナー』の割当チケット――「未使用」。
震える手で、カードを――チケットを拾い上げる。このチケットは倍率が高いから、入手するのは大変なのだ。エメラルドの心臓が、早鐘を打ち出した。確か、このチケットには、あらかじめ割り当てられた、使用指定日が付いていた。記憶によれば、それは――
――今日の、午後の刻だ!
エメラルドは、未使用チケットに刻まれた指定日時を凝視したまま、いつの間にか震えていた。
本来はロドミールに返すべきなのだろうが、得体の知れぬタイムリミットが迫っている今、もう、なりふり構って居られない。エメラルドは、口元を引き締めた。これはチャンスだ。数少ない上級魔法神官に《宿命図》をチェックしてもらえるチャンスだ。絶対に、逃す訳にはいかない。
エメラルドは逸る心を落ち着け、まずはユーリー司書に連絡する事にした。
彼女は、いつものように大図書館の受付でスタンバイしているであろう――ユーリー司書に向かって、魔法の杖を使った直通の遠隔通信を飛ばしてみると、間もなくして応答が来た。少しタイムラグがあったのは、予備の備品の魔法の杖を使っているからだろうと予想できる。
『――お早うございます、エメラルドさん。もうじき大図書館が開館しますが、どうかいたしましたか?』
『ユーリーさん、今日は、他に重要な用事が出来たんです。大図書館には行けなくなった事をお知らせしたいと思って。こちらの都合で色々振り回して、ごめんなさいね』
『いえいえー。お気になさらず。ちょっと心配してたんですよ。何か意外にお元気そうでホッとしました。例の件は、鋭意、検討中という事をお知らせしておきます。では、またのご利用をお待ちしておりますね』
流石、ベテラン女官のユーリー司書は、いつもと変わらぬテキパキとした軽やかな受け答えだ。『例の件』と言うのは、あの『3人の男の密談の件』の事だ。ユーリー司書の機転の利く言い回しに、感心させられてしまう。
――ユーリー司書が、あんなに機転が利くのだ。自分も、ちょっとは知恵を絞ってみなければ。
忍者などと言った思わぬ人目がある事を考えると、誰なのかが分かってしまうような形で、医療院から直接『上級占術・匿名相談コーナー』に出向くのは、やはり考え物だろう。昨日の密談に参加していた2人の上級魔法神官の、いずれかに当たってしまわないとも限らない。
エメラルドは、セレンディの魔法の杖を再び眺めた。セレンディ親子や馬丁ゲルベールとの買い物の際に、武官用の杖から移行していた褒賞金の残りが、まだ入っている。此処は、再び資金を活用して、偵察スタイルで行くのが正解だ――
*****
一方、手際よく遠隔通信を切られた形になったロドミールは、困惑しきっていた。
同室に詰めている同僚が、怪訝そうな様子で疑問を投げて来た――ロドミールと同じ、上級魔法神官だ。
「エメラルド隊士と喧嘩したのか? それに、私の事を『下級魔法神官の新人さん』って……それに、『メッセージボード』って何の事なんだい?」
「私にも訳が分からないよ。彼女は疲れているんだな、多分」
――と、その瞬間。
ロドミールと同僚が詰めている、その執務室のドアが、音を立てて激しく開かれた。同僚が、入って来た人物を見て目を丸くする。
「――ウラニア女医!?」
ウラニア女医は、一層いかめしい顔をしていた。その後ろから、武官を伴った研修医スタッフが、素早く部屋に飛び込んで来た。
「さて、『定期健康診断』です。全員、ベッドに寝なさい」
ロドミールと同僚は、訳が分からぬままに武官に口を塞がれ、そのまま、誘導に従って部屋の隅に移動する。
数人の研修医スタッフが、鮮やかな手際で遠隔通信装置を分解し始めた。ロドミールと同僚は、目を見張ったまま、それを眺めるのみだ。
やがて、遠隔通信装置の基盤プレートが現れた。そこには、有り得ない筈の、魔物の血管のような禍々しい雰囲気の異様な魔法陣がセットされていた。
「――『血管に、致命的な異常あり』です! 緊急手術!」
研修医スタッフが掲げてみせた基盤プレートの魔法陣を目撃し、ロドミールと同僚は、武官に口を塞がれたまま、愕然として立ち尽くすしか無かった――
――盗聴魔法陣だ!
数人の研修医スタッフが手分けして各々の魔法の杖を振るい、異様な魔法陣の上に更に別の魔法陣をセットし始めた。訳が分からぬ程に複雑な重ね合わせになっているが、盗聴魔法陣を逆手にとって、情報収集ステージに上げようとしているのは明らかだ。
「ウラニア女医、『緊急バイパス手術』が終了しました」
「大変よろしい。さて、事情説明しますよ、お二方」
ウラニア女医は、まだ呆然としているロドミールと同僚に向き直り、キビキビと説明を始めた。
「お二方は出張が多く、また、ここ最近も、長く執務室を留守にしていました。そこを狙われたのです。この盗聴魔法陣は、此処に接続して来る本来の遠隔通信コールを妨害し、別の通信網に転送する物です」
だんだん、『とんでもない陰謀に巻き込まれていたらしい』という事を理解し始めたロドミールと同僚は、青ざめて行った。硬直したまま、ウラニア女医の説明に耳を傾けるのみだ。
「――我々は、その通信網は、闇ギルドの勢力下にあると睨んでいます。今日の朝一番で、『メッセージボード』という闇ギルド用の隠語が割り出せましたので、神殿の全ての通信内容に対して、緊急に隠密監視を施しておりました。それに引っ掛かったので、取り急ぎ措置を取りました」
ウラニア女医は、灰色の眼差しをギラリと光らせた。
「不自然と思われる通信内容を記憶しているのでしたら、一切合切、説明をして頂きましょう。隠密捜査に全面協力を願います。お二方で、やっと3例目の検出です。尻尾をつかむための情報が、少なすぎるのですよ」




